「来年は開運だな、こりゃ(^^)」
などと都合の良い解釈をしてみた僕さん。
どこかしら心は大満足。
奏上した祝詞もご機嫌仕様。
お話は続きます(^^)

その後、境内摂社さん達にもご挨拶。
市杵島姫命社(イチキシマヒメさんの社)には、
やはりスーパーで買ってきた甘いものとお茶などを。


主祭神とされているヤマトタケルさんの像もあったので、
もちろん開運!のお酒を。

神武天皇の像や焼津天満社、お稲荷さんなどなど、
境内の社(やしろ)さん達にも全て参拝。






勿論、捧げたものは全てすぐに下げて、
持ち帰って後でいただきますのです。
ええ。ええ。

さて。
今回焼津に来た目的はこの神社への参拝ということだけではなく。
もう一つ、ねーさんがポロッと送ってきた
神様の言葉にあった場所に行ってみたかったのです。
その言葉は初回の記事に記していましたが、今一度以下に......
「神石といわれたけど、
水没しているみたいだね。
入江大明神だから、大丈夫と言ってた」
おそらくは、
いつもの如く何も知らないままに神様の言葉をおろしたねーさん。
僕はその言葉を元にネットでチチッと調べてみたのですが、
どうも、その「水没している神石」があるのではないか?
と思われる場所は
「那閉神社(なへじんじゃ)」
というところのようで。
焼津神社を出た僕はその神社に向かってみることにしました。


訪れてみると小さな入江にある神社さんで、
スサノオさんや出雲系の神様が祀られていました。
神社に伝わる由緒にはこのようなことが記されています。
============================
継体天皇三年(西暦509年)四月。
物部氏の勧請により当目山に鎮斎。
その後一度海中神の岩に鎮座したが、
風浪の害を避けて現在地に奉遷された。
我が国の最も古い神祭の姿である、海の彼方から訪れる神を、
一旦海中の島(神の岩)にお迎えし、
海岸の御座穴(ござあな)にお祭りし、
さらに姿美しい神奈美山(かんなびやま=お椀を伏せたような姿の山)
に神は降臨されるという、その信仰そのままの山が当目山であった。
したがって、その昔は社殿もなく、
山そのものが御本殿(御神座)であった。
============================
物部の宮......か。なるほど。
ここがそんな宮であるということは、
焼津神社にしてもヤマトタケルの名を被される前はやはり出雲系。
物部。
この神社の立地はまさに入江にあるわけで。
本来「入江大明神」と呼ばれていた焼津神社の元は、
この神社や一帯のことであったことも間違い無いはずで。
やはり、焼津神社の主祭神は「ヤマトタケル」ではなく。
「入江大明神」のほうが正しい神名であるのかと。
そして、この神社の由緒にある「神の岩」というのが、
ねーさんの言う「神石」であるとも思われ。
となると!
焼津神社に捧げた「開運」のお酒もしっかりと繋ぎ。
もちろん!のミカンさんも!で。
ええ。ええ。

神社のすぐ横には入江の浜が。
名前は「浜当目海水浴場」

「さて、と、神の岩、神石は......あるのかな......」
などと呟きながら海の方へと出てみると.......
ありまちた!
神石!
確かに水没してる!
ねーさんやるな!

お話はもう一回だけ続きます。(^^)
☆シリーズ過去記事☆
「開運」
「開運 2」
などと都合の良い解釈をしてみた僕さん。
どこかしら心は大満足。
奏上した祝詞もご機嫌仕様。
お話は続きます(^^)

その後、境内摂社さん達にもご挨拶。
市杵島姫命社(イチキシマヒメさんの社)には、
やはりスーパーで買ってきた甘いものとお茶などを。


主祭神とされているヤマトタケルさんの像もあったので、
もちろん開運!のお酒を。

神武天皇の像や焼津天満社、お稲荷さんなどなど、
境内の社(やしろ)さん達にも全て参拝。






勿論、捧げたものは全てすぐに下げて、
持ち帰って後でいただきますのです。
ええ。ええ。

さて。
今回焼津に来た目的はこの神社への参拝ということだけではなく。
もう一つ、ねーさんがポロッと送ってきた
神様の言葉にあった場所に行ってみたかったのです。
その言葉は初回の記事に記していましたが、今一度以下に......
「神石といわれたけど、
水没しているみたいだね。
入江大明神だから、大丈夫と言ってた」
おそらくは、
いつもの如く何も知らないままに神様の言葉をおろしたねーさん。
僕はその言葉を元にネットでチチッと調べてみたのですが、
どうも、その「水没している神石」があるのではないか?
と思われる場所は
「那閉神社(なへじんじゃ)」
というところのようで。
焼津神社を出た僕はその神社に向かってみることにしました。


訪れてみると小さな入江にある神社さんで、
スサノオさんや出雲系の神様が祀られていました。
神社に伝わる由緒にはこのようなことが記されています。
============================
継体天皇三年(西暦509年)四月。
物部氏の勧請により当目山に鎮斎。
その後一度海中神の岩に鎮座したが、
風浪の害を避けて現在地に奉遷された。
我が国の最も古い神祭の姿である、海の彼方から訪れる神を、
一旦海中の島(神の岩)にお迎えし、
海岸の御座穴(ござあな)にお祭りし、
さらに姿美しい神奈美山(かんなびやま=お椀を伏せたような姿の山)
に神は降臨されるという、その信仰そのままの山が当目山であった。
したがって、その昔は社殿もなく、
山そのものが御本殿(御神座)であった。
============================
物部の宮......か。なるほど。
ここがそんな宮であるということは、
焼津神社にしてもヤマトタケルの名を被される前はやはり出雲系。
物部。
この神社の立地はまさに入江にあるわけで。
本来「入江大明神」と呼ばれていた焼津神社の元は、
この神社や一帯のことであったことも間違い無いはずで。
やはり、焼津神社の主祭神は「ヤマトタケル」ではなく。
「入江大明神」のほうが正しい神名であるのかと。
そして、この神社の由緒にある「神の岩」というのが、
ねーさんの言う「神石」であるとも思われ。
となると!
焼津神社に捧げた「開運」のお酒もしっかりと繋ぎ。
もちろん!のミカンさんも!で。
ええ。ええ。

神社のすぐ横には入江の浜が。
名前は「浜当目海水浴場」

「さて、と、神の岩、神石は......あるのかな......」
などと呟きながら海の方へと出てみると.......
ありまちた!
神石!
確かに水没してる!
ねーさんやるな!

お話はもう一回だけ続きます。(^^)
☆シリーズ過去記事☆
「開運」
「開運 2」