ベー・アッシュ・ヴェーと言うパリのデパート内で、心理的な思い出が出来たと前報で述べました。そこは、単なる観察の対象でもなくなったのです。大切な思い出のある場所となりました。
私は、五階か六階で木を切ってもらった後で、「額縁売り場はどこでしょう?」と聞きました。知人たちが、「専門家向けの店(と言うのは安いということ)も有りますが、わかりやすいのは、ベー・アッシュ・ヴェーでしょう」と教えてくれたからです。
私は専門家ですから、本当の事を言って、そういう専門家向けのお店を教えてもらいたかったのですよ。だけどね。それを、教えてもらうためには、少し、接触時間が少なかったのです。それは、他人が使わない時間帯(朝)に出かけて行って、また、お昼を皆さんが家族的に一緒になさるのを、遠慮をして帰ってきたからなのです。つまり、お惣菜さんで数種類のおかずを買って来て、みなさんが分け合って、お皿にとって、フランスパンと一緒に食べてから、午後の仕事が始まるのですが、後入りで、しかも三ヶ月で帰国するわけですから、それを、ご一緒するのを遠慮しました。だから、こころから、仲良くなるとか、身内意識を持ってもらえるわけでもなかったのです。それが、ニューヨークでは結構可能だったのは、やはり、言葉の力でしょう。
さて、「デパートの額縁売り場かあ?」とやや期待薄で出かけていきました。するとね。既製品は少ないです。だけど、注文で作ってもらえる額の、さおと言うか、部品の多さ何は驚きました。日本の並みの画材店の比ではないです。やはり、美術の国。色のヴァリエーションが豊かで、それは、堪能しました。そして、注文をして、4日後に出来上がるようにしてもらいました。そのときに、(これはパリではどこでもそうなのですが)、非常に待たせられるのですが、自分は画家だという中年の強そうな男性が前に入れてくれました。これも、親切でしたが、その前にもっと大きな親切に出会っていたのです。
ベー・アッシュ・ヴェーと言うのは別館があります。それは、日本でもあります。渋谷の西武、日本橋の高島屋、銀座の松屋、銀座の松坂屋などにあります。そして、たいていのデパートでは、裏路地を挟んだ別館に行くのに、六階ぐらいに通路が設置をしてあります。
さあてね。私が迷いきってしまった、本当の理由は、実は、木材の売り場と、額縁売り場が、本館と別館の、別の建物にあったことなのです。そのことを誰も、丁寧にしかも英語で教えてくれる人がいなかったので、私はエレヴェーターを利用したり、エスカレーターを利用したりしながら、何度も、六階の売り場を巡り歩いてまた、木の売り場へ帰り、説明を受け、また、六階に上がるのですが、見つけられないのです。
前報でも申したとおり、非常に持ちぬくい、しかも重いものを手に持っているわけですから、しんどくてしんどくて、へとへとになります。寝具売り場か家具売り場のような、人の少ない場所で、それを見ていた家族連れの人がいたのです。気の毒に思ってくれていたのでしょう。なんとなく目が合ったので、質問をして見ますと、やはり、英語は話せない人でしたが、でも、理解ができる人で、私を案内してあげると、身振りで示してくれました。それで、ついて行こうとすると、私の木材を持ってくれたのです。
奥さんや小さい子どもがつれとしていたのですが、彼は、奥さんたちに事情を説明して、そこに待たせて、ずんずん先に進んでいきます。すると、いわゆる別館への通路が見えてきました。空中廊下で、窓もあるタイプです。私はすっかり飲み込めて、「メルシー」を連発して、「ここで、結構です。これから先は自分で行かれます」と、これも身振り手振りで説明をして別れました。
どんなにほっとしたか、その感謝の程度は言うに言われないほどです。母に電話をすると、「あなたが、物事に感謝して素直になっているから、人が助けてくれるのよ。今は人を引き寄せるのよ」といいました。この最終の週ほど、いろいろな人の親切に出遭った時期はありません。素晴しい思い出を持ってパリを離れました。
ただし、パリ物はもっと続きます。今私は、」自分の五冊目の本の手当てで非常に忙しくて、単純なものしか書けませんが、パリについてもいろいろな思い出があるのです。では、また。 2008年10月28日 川崎 千恵子
私は、五階か六階で木を切ってもらった後で、「額縁売り場はどこでしょう?」と聞きました。知人たちが、「専門家向けの店(と言うのは安いということ)も有りますが、わかりやすいのは、ベー・アッシュ・ヴェーでしょう」と教えてくれたからです。
私は専門家ですから、本当の事を言って、そういう専門家向けのお店を教えてもらいたかったのですよ。だけどね。それを、教えてもらうためには、少し、接触時間が少なかったのです。それは、他人が使わない時間帯(朝)に出かけて行って、また、お昼を皆さんが家族的に一緒になさるのを、遠慮をして帰ってきたからなのです。つまり、お惣菜さんで数種類のおかずを買って来て、みなさんが分け合って、お皿にとって、フランスパンと一緒に食べてから、午後の仕事が始まるのですが、後入りで、しかも三ヶ月で帰国するわけですから、それを、ご一緒するのを遠慮しました。だから、こころから、仲良くなるとか、身内意識を持ってもらえるわけでもなかったのです。それが、ニューヨークでは結構可能だったのは、やはり、言葉の力でしょう。
さて、「デパートの額縁売り場かあ?」とやや期待薄で出かけていきました。するとね。既製品は少ないです。だけど、注文で作ってもらえる額の、さおと言うか、部品の多さ何は驚きました。日本の並みの画材店の比ではないです。やはり、美術の国。色のヴァリエーションが豊かで、それは、堪能しました。そして、注文をして、4日後に出来上がるようにしてもらいました。そのときに、(これはパリではどこでもそうなのですが)、非常に待たせられるのですが、自分は画家だという中年の強そうな男性が前に入れてくれました。これも、親切でしたが、その前にもっと大きな親切に出会っていたのです。
ベー・アッシュ・ヴェーと言うのは別館があります。それは、日本でもあります。渋谷の西武、日本橋の高島屋、銀座の松屋、銀座の松坂屋などにあります。そして、たいていのデパートでは、裏路地を挟んだ別館に行くのに、六階ぐらいに通路が設置をしてあります。
さあてね。私が迷いきってしまった、本当の理由は、実は、木材の売り場と、額縁売り場が、本館と別館の、別の建物にあったことなのです。そのことを誰も、丁寧にしかも英語で教えてくれる人がいなかったので、私はエレヴェーターを利用したり、エスカレーターを利用したりしながら、何度も、六階の売り場を巡り歩いてまた、木の売り場へ帰り、説明を受け、また、六階に上がるのですが、見つけられないのです。
前報でも申したとおり、非常に持ちぬくい、しかも重いものを手に持っているわけですから、しんどくてしんどくて、へとへとになります。寝具売り場か家具売り場のような、人の少ない場所で、それを見ていた家族連れの人がいたのです。気の毒に思ってくれていたのでしょう。なんとなく目が合ったので、質問をして見ますと、やはり、英語は話せない人でしたが、でも、理解ができる人で、私を案内してあげると、身振りで示してくれました。それで、ついて行こうとすると、私の木材を持ってくれたのです。
奥さんや小さい子どもがつれとしていたのですが、彼は、奥さんたちに事情を説明して、そこに待たせて、ずんずん先に進んでいきます。すると、いわゆる別館への通路が見えてきました。空中廊下で、窓もあるタイプです。私はすっかり飲み込めて、「メルシー」を連発して、「ここで、結構です。これから先は自分で行かれます」と、これも身振り手振りで説明をして別れました。
どんなにほっとしたか、その感謝の程度は言うに言われないほどです。母に電話をすると、「あなたが、物事に感謝して素直になっているから、人が助けてくれるのよ。今は人を引き寄せるのよ」といいました。この最終の週ほど、いろいろな人の親切に出遭った時期はありません。素晴しい思い出を持ってパリを離れました。
ただし、パリ物はもっと続きます。今私は、」自分の五冊目の本の手当てで非常に忙しくて、単純なものしか書けませんが、パリについてもいろいろな思い出があるのです。では、また。 2008年10月28日 川崎 千恵子