銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

韓国人たち(パリとニューヨークの違い)

2008-10-24 15:08:58 | Weblog
 ニューヨークについても、ホテルチェルシーについても、もっと書きたいのですが、このブログは最近ではパリに集約しておりますので、パリについてのお話に戻りましょう。

 またまた、古いお話で申し訳ございませんが、1998年のこと、私はサン・ポール寺院の前をバスティーユに向かって歩いておりました。すると、おすし屋さんがありました。店先にショーウィンドーがあって、杉折に入れたひとり前のおすしが陳列をされています。今、10年後の日本ではすべて、漆を模倣したプラスチックの容器に入れられていますから、パリでも変っているかもしれません。
 私はおなかが空いている上に、さらに先まで出かけなければなりませんでしたので、『ここで食べよう』と思い、中に入りました。

 簡便なスティール足の小さな食卓が六つぐらい並んでいるお店です。日本の正式なおすし屋の豪華なインテリアには比べ物も無いが、パリの繁華街の一つであるバスティーユのすぐ側にお店を開くなんてたいしたものだと思って、注文をすると、ショーウィンドーの中のすし折を持ってきます。あらためて新しいものを握ってくれるわけでもなさそうです。でも、別にカリフォルニア・ロールと言うわけでもなく、ちゃんとした寿司ネタが乗っているので、食べ始めました。が、<はまち>にいたると、「うわっ」と瞬間的に吐き出してしまうほど、古いものでした。はまちは脂っこく、お魚の脂肪は不飽和脂肪酸と言って、化学変化を起こし易いものですから、他のネタより、早く悪くなったと思われます。

 それで、お店の女主人(40代の、きびきびしたきれいな女性)に「これ、腐っているわ」と日本語で言うと、彼女は怪訝な振りで、別に謝罪をしたり取り替えたりする雰囲気でもありません。『女はやはり、ずるいなあ。きれいな顔をしても駄目だ』と思って、ご主人の方へ話しかけると、きょとんとしています。それが演技でもなさそう。それで、思わず英語で「あなた方はKorean?」と問いかけますと、「ばれたか」と言う顔をしましたが、別にそれで、謝るでもなくて、薄らぼんやりとしています。簡単な英語ぐらいこのお店を借りるか買うか出来た人たちですから、話せると思うのですが、仕方がなくて、二つぐらいをつまんだだけで、残りは捨て置いてお店を出ました。

 『日本のお寿司は人気がある食べ物なんだ。韓国の焼肉より。開店資金も少なくてすむのだろう』。だけど、『あれって、お寿司本来の精神からはまるっきりずれているから、あれが日本の食品だと思われると困るなあ』と思いました。

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 そのあとなんです。ニューヨークへ行ったのは。NYでは、韓国人は大の字がつくほど元気でした。そして先ず、現地語でグロッサリー・ストーアと言うもの(個人的な食料品店)を開き、わっさか、わっさかと、働きます。日本人はカッコウつけるのが好きだから、こういうお店は開かないで、先ず、サラリーマンになりますね。
 で、韓国人は働いて、子どもたちに高等教育を受けさせます。私立大学など、韓国系の学生がわんさかいて、勢いのあること、勢いのあること、すさまじいです。で、その子女たちはニューヨークにいても、韓国文化を守っていますから、学生なのに、きちんとお化粧をしています。韓国ってお化粧とか、整形手術の文化があるのですね。
 白人系のニューヨーカーは、誇りのもてる職業に従事していればいるほど、お化粧をしておりません。

 そして、郊外のグロッサリー・ストーアで、成功するとマンハッタンに進出します。そして、八百屋さんよりもう少し、格好いい仕事である、お惣菜屋とか、花屋とか、ネールサロンを、開きます。人手がたくさん要るところでは、メキシカンを初めとして、使用人に他国出身の新移民を使って。そして、その次の世代はニューヨークのビジネスシーンでバリバリのサラリーマンとして働くのでしょう。

 日本人も数はいると思うのですが、ビルの中でそれなりにひっそりと仕事をしている人が多いので、社会の中での存在感としては、小さいのです。が、ニューヨークの韓国人とは、本当に勢いがあります。パリでは存在感が小さいがゆえに、韓国人が日本人に化けてすし屋を経営していても、誰も不思議がらないのでしょう。数の力と言うものはなかなかのものであります。そして、数が多いからこそ、相互監視と言っては言いすぎですが、『めちゃくちゃなことは、出来ないよね』と言う自然な、縛りがあるみたいで、ニューヨークではどこの韓国系のお店でも、不満を持ったことはありません。
   2008年10月24日                川崎 千恵子
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ホテルチェルシーを住まいとするブッカー賞、受賞者(NY物語番外編)

2008-10-24 03:33:52 | Weblog
 今日はパリではなくて、ニューヨークのことです。

 私は、本を作るのが趣味です。で、五冊目の本が出来ました。それはニューヨークの版画研修に関する本です。10月14日に本が出来てから、私は毎晩、本をひとにあげるために、外へ出かけております。

 すると、さまざまな反応に出遭います。
主人が「川柳があるよ。『自費出版、読みたくないのに、またくれる』というのさ」と笑いますが、もちろん、その感じで、嫌がられる反応にも出遭います。し、
私が、上昇(?)しては困ると思っている存在からの、「あの人の本、受け取らないようにね」と言う悪い(?)根回しが回っているのも感じられるときさえあります。全然知らない人の方がこういうときはかえってよかったり、します。中途半端な知り合いには拒否されたりします。

 結構、物事ってそういうものなのです。五冊目なので、そういう点は随分なれてきました。それほど、傷つかないでいることもできます。

 しかし、全く反対に、頂くつもりも無かったお金を封筒に入れて、すぐ、送ってくださる方もあります。私が今は決して金持ちでもなく、その出版も、自分の名誉の上昇のためでもなく、ただ、ただ、人に告げたいメッセージがあるゆえに本を作ることを、察知し、理解をしてくださっている方たちなのです。

 今日も良いことが四つあったのですが、その一つは、イギリスのザ・ガーディアン紙の2008年8月16日(土曜日)号を、イギリスから持って帰って来てくださり、私に贈ってくださった方があるのです。

その新聞だけではなく、ご自分の素晴しい著書も入れて・・・・・

 でもね、そのお心づくしが嬉しいのです。ご自分の立派な本をくださった上に、イギリスからわざわざ、「これは、川崎千恵子がよく言っているホテル・チェルシーのことでしょう」と気がついてくださって、ちゃんと、スーツケースに入れて持って帰って、そして、私に送ってくださる、そのご親切が嬉しいのです。

 ここで、ブログのお客様には注を入れましょう。私は、閉鎖されたメルマガを11年も続けており、そこで、最近の9ヶ月はずっと、ニューヨークの事を書いていたのです。

 以下にその頁の写真を添えましょう。日本で言う土日の特集版でFAMILY と言うタイトルがついていて、ある家族の紹介ですが、ご主人は、イギリスの有名な文学賞、ブッカー賞を受けた、ジョゼフ・オニールと言う人で、

23丁目の対岸、(多分ですが、YMCA前辺り)で夫人や、お子さんとともに撮った写真です。


第一の見出し『We live in the hotel』で、その解説として、「ボヘミアン・・・・・この場合はホームレスと言う意味ではなく、芸術家と言う意味でしょうが、・・・・・の巣窟として有名なホテルチェルシ-は子育てにむいていないだろうと思われるはずだが、ブッカー賞受賞者であるジョゼフ・オニールは、そこを我が家と呼んでいる」・・・・・ブリット・コリンズ記』とあります。

次の頁に、私が、今度の本で、主役のロブから、「10階に行ってご覧、天井がきれいだよ」といわれたその10階の廊下で、スケボーを遣っている、お子さん方の写真です。そして、記事は二頁に渡っていて詳細で、途中で「ここはすべての場所がマジックさ。生きている村なのさ」と二回目の見出しがついております。

    2008年10月24日           川崎 千恵子
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