ニューヨークについても、ホテルチェルシーについても、もっと書きたいのですが、このブログは最近ではパリに集約しておりますので、パリについてのお話に戻りましょう。
またまた、古いお話で申し訳ございませんが、1998年のこと、私はサン・ポール寺院の前をバスティーユに向かって歩いておりました。すると、おすし屋さんがありました。店先にショーウィンドーがあって、杉折に入れたひとり前のおすしが陳列をされています。今、10年後の日本ではすべて、漆を模倣したプラスチックの容器に入れられていますから、パリでも変っているかもしれません。
私はおなかが空いている上に、さらに先まで出かけなければなりませんでしたので、『ここで食べよう』と思い、中に入りました。
簡便なスティール足の小さな食卓が六つぐらい並んでいるお店です。日本の正式なおすし屋の豪華なインテリアには比べ物も無いが、パリの繁華街の一つであるバスティーユのすぐ側にお店を開くなんてたいしたものだと思って、注文をすると、ショーウィンドーの中のすし折を持ってきます。あらためて新しいものを握ってくれるわけでもなさそうです。でも、別にカリフォルニア・ロールと言うわけでもなく、ちゃんとした寿司ネタが乗っているので、食べ始めました。が、<はまち>にいたると、「うわっ」と瞬間的に吐き出してしまうほど、古いものでした。はまちは脂っこく、お魚の脂肪は不飽和脂肪酸と言って、化学変化を起こし易いものですから、他のネタより、早く悪くなったと思われます。
それで、お店の女主人(40代の、きびきびしたきれいな女性)に「これ、腐っているわ」と日本語で言うと、彼女は怪訝な振りで、別に謝罪をしたり取り替えたりする雰囲気でもありません。『女はやはり、ずるいなあ。きれいな顔をしても駄目だ』と思って、ご主人の方へ話しかけると、きょとんとしています。それが演技でもなさそう。それで、思わず英語で「あなた方はKorean?」と問いかけますと、「ばれたか」と言う顔をしましたが、別にそれで、謝るでもなくて、薄らぼんやりとしています。簡単な英語ぐらいこのお店を借りるか買うか出来た人たちですから、話せると思うのですが、仕方がなくて、二つぐらいをつまんだだけで、残りは捨て置いてお店を出ました。
『日本のお寿司は人気がある食べ物なんだ。韓国の焼肉より。開店資金も少なくてすむのだろう』。だけど、『あれって、お寿司本来の精神からはまるっきりずれているから、あれが日本の食品だと思われると困るなあ』と思いました。
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そのあとなんです。ニューヨークへ行ったのは。NYでは、韓国人は大の字がつくほど元気でした。そして先ず、現地語でグロッサリー・ストーアと言うもの(個人的な食料品店)を開き、わっさか、わっさかと、働きます。日本人はカッコウつけるのが好きだから、こういうお店は開かないで、先ず、サラリーマンになりますね。
で、韓国人は働いて、子どもたちに高等教育を受けさせます。私立大学など、韓国系の学生がわんさかいて、勢いのあること、勢いのあること、すさまじいです。で、その子女たちはニューヨークにいても、韓国文化を守っていますから、学生なのに、きちんとお化粧をしています。韓国ってお化粧とか、整形手術の文化があるのですね。
白人系のニューヨーカーは、誇りのもてる職業に従事していればいるほど、お化粧をしておりません。
そして、郊外のグロッサリー・ストーアで、成功するとマンハッタンに進出します。そして、八百屋さんよりもう少し、格好いい仕事である、お惣菜屋とか、花屋とか、ネールサロンを、開きます。人手がたくさん要るところでは、メキシカンを初めとして、使用人に他国出身の新移民を使って。そして、その次の世代はニューヨークのビジネスシーンでバリバリのサラリーマンとして働くのでしょう。
日本人も数はいると思うのですが、ビルの中でそれなりにひっそりと仕事をしている人が多いので、社会の中での存在感としては、小さいのです。が、ニューヨークの韓国人とは、本当に勢いがあります。パリでは存在感が小さいがゆえに、韓国人が日本人に化けてすし屋を経営していても、誰も不思議がらないのでしょう。数の力と言うものはなかなかのものであります。そして、数が多いからこそ、相互監視と言っては言いすぎですが、『めちゃくちゃなことは、出来ないよね』と言う自然な、縛りがあるみたいで、ニューヨークではどこの韓国系のお店でも、不満を持ったことはありません。
2008年10月24日 川崎 千恵子
またまた、古いお話で申し訳ございませんが、1998年のこと、私はサン・ポール寺院の前をバスティーユに向かって歩いておりました。すると、おすし屋さんがありました。店先にショーウィンドーがあって、杉折に入れたひとり前のおすしが陳列をされています。今、10年後の日本ではすべて、漆を模倣したプラスチックの容器に入れられていますから、パリでも変っているかもしれません。
私はおなかが空いている上に、さらに先まで出かけなければなりませんでしたので、『ここで食べよう』と思い、中に入りました。
簡便なスティール足の小さな食卓が六つぐらい並んでいるお店です。日本の正式なおすし屋の豪華なインテリアには比べ物も無いが、パリの繁華街の一つであるバスティーユのすぐ側にお店を開くなんてたいしたものだと思って、注文をすると、ショーウィンドーの中のすし折を持ってきます。あらためて新しいものを握ってくれるわけでもなさそうです。でも、別にカリフォルニア・ロールと言うわけでもなく、ちゃんとした寿司ネタが乗っているので、食べ始めました。が、<はまち>にいたると、「うわっ」と瞬間的に吐き出してしまうほど、古いものでした。はまちは脂っこく、お魚の脂肪は不飽和脂肪酸と言って、化学変化を起こし易いものですから、他のネタより、早く悪くなったと思われます。
それで、お店の女主人(40代の、きびきびしたきれいな女性)に「これ、腐っているわ」と日本語で言うと、彼女は怪訝な振りで、別に謝罪をしたり取り替えたりする雰囲気でもありません。『女はやはり、ずるいなあ。きれいな顔をしても駄目だ』と思って、ご主人の方へ話しかけると、きょとんとしています。それが演技でもなさそう。それで、思わず英語で「あなた方はKorean?」と問いかけますと、「ばれたか」と言う顔をしましたが、別にそれで、謝るでもなくて、薄らぼんやりとしています。簡単な英語ぐらいこのお店を借りるか買うか出来た人たちですから、話せると思うのですが、仕方がなくて、二つぐらいをつまんだだけで、残りは捨て置いてお店を出ました。
『日本のお寿司は人気がある食べ物なんだ。韓国の焼肉より。開店資金も少なくてすむのだろう』。だけど、『あれって、お寿司本来の精神からはまるっきりずれているから、あれが日本の食品だと思われると困るなあ』と思いました。
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そのあとなんです。ニューヨークへ行ったのは。NYでは、韓国人は大の字がつくほど元気でした。そして先ず、現地語でグロッサリー・ストーアと言うもの(個人的な食料品店)を開き、わっさか、わっさかと、働きます。日本人はカッコウつけるのが好きだから、こういうお店は開かないで、先ず、サラリーマンになりますね。
で、韓国人は働いて、子どもたちに高等教育を受けさせます。私立大学など、韓国系の学生がわんさかいて、勢いのあること、勢いのあること、すさまじいです。で、その子女たちはニューヨークにいても、韓国文化を守っていますから、学生なのに、きちんとお化粧をしています。韓国ってお化粧とか、整形手術の文化があるのですね。
白人系のニューヨーカーは、誇りのもてる職業に従事していればいるほど、お化粧をしておりません。
そして、郊外のグロッサリー・ストーアで、成功するとマンハッタンに進出します。そして、八百屋さんよりもう少し、格好いい仕事である、お惣菜屋とか、花屋とか、ネールサロンを、開きます。人手がたくさん要るところでは、メキシカンを初めとして、使用人に他国出身の新移民を使って。そして、その次の世代はニューヨークのビジネスシーンでバリバリのサラリーマンとして働くのでしょう。
日本人も数はいると思うのですが、ビルの中でそれなりにひっそりと仕事をしている人が多いので、社会の中での存在感としては、小さいのです。が、ニューヨークの韓国人とは、本当に勢いがあります。パリでは存在感が小さいがゆえに、韓国人が日本人に化けてすし屋を経営していても、誰も不思議がらないのでしょう。数の力と言うものはなかなかのものであります。そして、数が多いからこそ、相互監視と言っては言いすぎですが、『めちゃくちゃなことは、出来ないよね』と言う自然な、縛りがあるみたいで、ニューヨークではどこの韓国系のお店でも、不満を持ったことはありません。
2008年10月24日 川崎 千恵子