今日の文章は知的障害者へ優しいパリの二回目です。
それを、本当に感じたのは、パン屋のお嬢さんでさえ、優しかったという現実を目視したからでした。サンポールの駅前に、立派なパン屋さんがありました。
現在の日本では、ポンパドールとかサンジェルマンとかで、おいしい焼きたての(しかし、高い)パンを売っているようになりました。
でも、それらのパン屋は、チェーン店ですし、まず、ケーキを置いてありません。こちらのパリのパン屋さんは、ケーキが、日々、12個程度道路に面した大きなガラスのショーウィンドーに飾ってあります。内装も壁はウォールナットですし、ショーケースに入れられたちょっと小柄で焼き色の強いパンとあいまって、その全体の美しさたるや、すごいもので、日本からパン協同組合の人が、研修に来るほどです。
そんな立派なパン屋で、パートらしい中年の奥さん方、(でも、小柄で美形で品がよいのです)たちからは、なにも意地悪をされなかったのです。が、明らかに「ここの経営者のお嬢さんだろうな」と言う女性にはちくちくと意地悪をされたのです。
そして、その意地悪が沸騰点に達したのは、工房の皆様へのお礼用に、ケーキを買ったときだったのです。私は桜井浜江さんと同じく人に気を使うほうで、三ヶ月、充分すぎるほど、親切にしてもらったという思いが、御礼をしなければという思いに繋がりました。
お金では駄目です。 『普段払っている・・・・・・急に入ったからこその、高めの使用料に加えて・・・・・さらにお金でお礼をするのは失礼だ』と感じていますので、ケーキを選んだのです。最初は4千円以上ぐらいの、そのお店でも、高めの方を選びました。それは、きれいなお花のカラー印刷の箱に入れてくれました。
でね。最後の一週間かなあ。まだ、まだ、さらに親切にしてもらっていると感じて、一回ではとても、お礼の気持ちを表せないと思いました。それでね。ほぼ、一日に一回か、一日おきに、ケーキを四回か五回ほど、同じお店で買ったのです。でね、種類をいろいろ変えるわけですが、ある日、パートの奥さんがいつもの箱に入れようとすると、そのご令嬢がやってきて、「安い箱でいいのよ」と言いました。私は耳の方は確かですから、それをとても嫌な話として聞きました。パートの奥さんも納得が出来ないようでした。
日本ではケーキはほとんどが白い箱に入っております。しかし、パリのそこのお店はカラー印刷をされた箱に入っているのですが、その印刷のレベルが高い箱は4色刷りで、しかも厚めのプラスチック加工をされているので、ピカピカして美しいのですが、安いほうのケーキ用らしい箱は、一色刷りで、しかもぴかぴかのコートが、掛けられていないのです。
私は自分がなぜ、意地悪をされるのかを考えました。そして爪の間に黒い版画インクが入りこんでいて、それが、『貧しいアジア女なのよ』という誤解を招いているのが大きな要素だと感じました。
私の遣っている特殊な深堀りの版画の場合、四色は使うので、濃いインクを使うのを避けられず、しかも大量にべっとりと、ガラス板等の道具へ広げて、それを、また、毎日始末するので、爪の間の黒い線は消えず、気をつけているときは手袋をしますが、急いでいるときは手袋の装着を忘れるのです。特に『近所のパン屋へ行くんだ』というわけですから、何も気を使っておりませんでした。
もし、自分のフランス語が、自由でしたら、「あなたそんなことは遣らないで。こちらはお客なんですもの、失礼よ。それに差し上げるパリの人へ、も失礼でしょう』と言えるのですが、何分にも自分はそこまでの、啖呵は切れず、彼女が英語を話さないのを知っているので、でくのぼうのように、突っ立っているしかないのです。
それほど、意地悪で、つんつんしているお嬢さんが、あのポンヌフの恋人のそっくりさん(浮浪者)には優しい。それで、私はパリの人は、ある程度を超えた弱者へは、優しいのだと感じました。これは、意外なことで、強い印象として残ったのです。
~~~~~~~~~
しかし、後刻、思いがけない大逆転があり、『溜飲を下げるとはまさにこのことね』と思うような名誉挽回のチャンスが訪れました。
それは、夕方こんでいる店内で待たされたとき(ひとりひとりの客がウィンドーの中のものをいちいち選ぶ形式で売っていますので、あしらいに時間がかかるのです)、目の前に隣の紳士がいたことです。
既に三ヶ月目に入っていますので、当然顔見知りであり、しかも数日前に、のこぎりを借りていました。そのときに、相手が第一室に招じ入れてくれて、「ここで、待っていてください」といったので、その人が最高レベルでインテリである事が私には判っていました。インテリアの様子でです。モダンな形式のインテリアで、書物が一杯ありました。
私のお借りしていた隣の方の部屋は、住人が普段いない部屋なので、書物等は置いていないのは元々でしたが、インテリアはいわゆるベルサイユの薔薇風のしつらえだったのです。天井から床までのビロードのカーテンとか。同じビル内で、全く違ったインテリアに仕上げてある事が印象強い思い出でした。
私はパリでも、インテリに対しては強いのです。英語を相手が使えるという事が判れば、ちゃんとした話をしますからね。それで、その紳士と、数分間会話を交わしたのです。たわいの無い話です。が、とても仲良く。
でも、ふと気がつくと、そのパン屋のお嬢さんがうっとりして、仕事もしないでその紳士を見つめているのでした。もしかしたら、フランスでは、既に著名度の高い知識人なのかもしれません。
また、著名人ではなくても、彼の着ているベージュ色で杉綾のウールのロング・コートは、車を使わず、普通に歩いて通勤する人々の中では、最上級のレベルのお洋服なのです。そして英語を会話として自由自在に使えること。これも、知識階級の証です。
私はそのときに、『パリには、今でも実質的な階層が、あるんだなあ』と感じました。学校制度などでも、エリートコースに進学できる子どもの数は、小さいときから区分けされ、限られている模様です。
そのお嬢さんが、たとえ紳士だけを注目していたとしても、その話し相手は私なんですから、私は名誉挽回したと言うわけです。
天が与えてくれたチャンスだったけれど、英語が出来なければそれを生かせなかったでしょう。 「芸は身を助ける」の典型でした。もし、若い頃、フランス語もイタリア語もスペイン語も、ドイツ語も、マスターしておけば、世界中こわいものなしでしたね。
もし、あなたがお若いのなら、急いで何か、英語以外の言葉を、習得なさるようにお勧めいたします。でも、一応マスターしたではなくて、会話が出来るまで、到達しておくのがミソです。私だって、フランス語は聞くことも読むことも、辞書を使えばできますが、会話とか、自分から書くのはまだ、ぜんぜんと言ってよいほど、自由ではありません。それが時々、嫌な思いをする原因となりました。
では。2008年10月15日 川崎 千恵子
それを、本当に感じたのは、パン屋のお嬢さんでさえ、優しかったという現実を目視したからでした。サンポールの駅前に、立派なパン屋さんがありました。
現在の日本では、ポンパドールとかサンジェルマンとかで、おいしい焼きたての(しかし、高い)パンを売っているようになりました。
でも、それらのパン屋は、チェーン店ですし、まず、ケーキを置いてありません。こちらのパリのパン屋さんは、ケーキが、日々、12個程度道路に面した大きなガラスのショーウィンドーに飾ってあります。内装も壁はウォールナットですし、ショーケースに入れられたちょっと小柄で焼き色の強いパンとあいまって、その全体の美しさたるや、すごいもので、日本からパン協同組合の人が、研修に来るほどです。
そんな立派なパン屋で、パートらしい中年の奥さん方、(でも、小柄で美形で品がよいのです)たちからは、なにも意地悪をされなかったのです。が、明らかに「ここの経営者のお嬢さんだろうな」と言う女性にはちくちくと意地悪をされたのです。
そして、その意地悪が沸騰点に達したのは、工房の皆様へのお礼用に、ケーキを買ったときだったのです。私は桜井浜江さんと同じく人に気を使うほうで、三ヶ月、充分すぎるほど、親切にしてもらったという思いが、御礼をしなければという思いに繋がりました。
お金では駄目です。 『普段払っている・・・・・・急に入ったからこその、高めの使用料に加えて・・・・・さらにお金でお礼をするのは失礼だ』と感じていますので、ケーキを選んだのです。最初は4千円以上ぐらいの、そのお店でも、高めの方を選びました。それは、きれいなお花のカラー印刷の箱に入れてくれました。
でね。最後の一週間かなあ。まだ、まだ、さらに親切にしてもらっていると感じて、一回ではとても、お礼の気持ちを表せないと思いました。それでね。ほぼ、一日に一回か、一日おきに、ケーキを四回か五回ほど、同じお店で買ったのです。でね、種類をいろいろ変えるわけですが、ある日、パートの奥さんがいつもの箱に入れようとすると、そのご令嬢がやってきて、「安い箱でいいのよ」と言いました。私は耳の方は確かですから、それをとても嫌な話として聞きました。パートの奥さんも納得が出来ないようでした。
日本ではケーキはほとんどが白い箱に入っております。しかし、パリのそこのお店はカラー印刷をされた箱に入っているのですが、その印刷のレベルが高い箱は4色刷りで、しかも厚めのプラスチック加工をされているので、ピカピカして美しいのですが、安いほうのケーキ用らしい箱は、一色刷りで、しかもぴかぴかのコートが、掛けられていないのです。
私は自分がなぜ、意地悪をされるのかを考えました。そして爪の間に黒い版画インクが入りこんでいて、それが、『貧しいアジア女なのよ』という誤解を招いているのが大きな要素だと感じました。
私の遣っている特殊な深堀りの版画の場合、四色は使うので、濃いインクを使うのを避けられず、しかも大量にべっとりと、ガラス板等の道具へ広げて、それを、また、毎日始末するので、爪の間の黒い線は消えず、気をつけているときは手袋をしますが、急いでいるときは手袋の装着を忘れるのです。特に『近所のパン屋へ行くんだ』というわけですから、何も気を使っておりませんでした。
もし、自分のフランス語が、自由でしたら、「あなたそんなことは遣らないで。こちらはお客なんですもの、失礼よ。それに差し上げるパリの人へ、も失礼でしょう』と言えるのですが、何分にも自分はそこまでの、啖呵は切れず、彼女が英語を話さないのを知っているので、でくのぼうのように、突っ立っているしかないのです。
それほど、意地悪で、つんつんしているお嬢さんが、あのポンヌフの恋人のそっくりさん(浮浪者)には優しい。それで、私はパリの人は、ある程度を超えた弱者へは、優しいのだと感じました。これは、意外なことで、強い印象として残ったのです。
~~~~~~~~~
しかし、後刻、思いがけない大逆転があり、『溜飲を下げるとはまさにこのことね』と思うような名誉挽回のチャンスが訪れました。
それは、夕方こんでいる店内で待たされたとき(ひとりひとりの客がウィンドーの中のものをいちいち選ぶ形式で売っていますので、あしらいに時間がかかるのです)、目の前に隣の紳士がいたことです。
既に三ヶ月目に入っていますので、当然顔見知りであり、しかも数日前に、のこぎりを借りていました。そのときに、相手が第一室に招じ入れてくれて、「ここで、待っていてください」といったので、その人が最高レベルでインテリである事が私には判っていました。インテリアの様子でです。モダンな形式のインテリアで、書物が一杯ありました。
私のお借りしていた隣の方の部屋は、住人が普段いない部屋なので、書物等は置いていないのは元々でしたが、インテリアはいわゆるベルサイユの薔薇風のしつらえだったのです。天井から床までのビロードのカーテンとか。同じビル内で、全く違ったインテリアに仕上げてある事が印象強い思い出でした。
私はパリでも、インテリに対しては強いのです。英語を相手が使えるという事が判れば、ちゃんとした話をしますからね。それで、その紳士と、数分間会話を交わしたのです。たわいの無い話です。が、とても仲良く。
でも、ふと気がつくと、そのパン屋のお嬢さんがうっとりして、仕事もしないでその紳士を見つめているのでした。もしかしたら、フランスでは、既に著名度の高い知識人なのかもしれません。
また、著名人ではなくても、彼の着ているベージュ色で杉綾のウールのロング・コートは、車を使わず、普通に歩いて通勤する人々の中では、最上級のレベルのお洋服なのです。そして英語を会話として自由自在に使えること。これも、知識階級の証です。
私はそのときに、『パリには、今でも実質的な階層が、あるんだなあ』と感じました。学校制度などでも、エリートコースに進学できる子どもの数は、小さいときから区分けされ、限られている模様です。
そのお嬢さんが、たとえ紳士だけを注目していたとしても、その話し相手は私なんですから、私は名誉挽回したと言うわけです。
天が与えてくれたチャンスだったけれど、英語が出来なければそれを生かせなかったでしょう。 「芸は身を助ける」の典型でした。もし、若い頃、フランス語もイタリア語もスペイン語も、ドイツ語も、マスターしておけば、世界中こわいものなしでしたね。
もし、あなたがお若いのなら、急いで何か、英語以外の言葉を、習得なさるようにお勧めいたします。でも、一応マスターしたではなくて、会話が出来るまで、到達しておくのがミソです。私だって、フランス語は聞くことも読むことも、辞書を使えばできますが、会話とか、自分から書くのはまだ、ぜんぜんと言ってよいほど、自由ではありません。それが時々、嫌な思いをする原因となりました。
では。2008年10月15日 川崎 千恵子