昨夜は、『今日は疲れた。明日、グラン・トリノについて書いて、今は、ただメールチェックだけをしてからすぐ寝よう』と思ったのです。でも、首席補佐官D.Acelrod からのメールが来たのが、タイミングが良すぎたので、そちらに気をとられ、映画『グラン・トリノ』のもっとも大切なメッセージを先に言ってしまいました。
ただし、まだ、ご覧になっていない方のために言えば、映画自体は決してお説教じみてはいないのです。抹香臭くない面白い映画なのです。今、二番館でやっていて、口コミで人気が高まれば、その上映時間の一部を割き、引き続いて同じ場所で(たとえば、朝一番だけ、とか、レートショーとして、)公開をされ続けると思いますし、少数ですが、三番館にも回るので、おせっかいながら、ぜひインターネットや「ぴあ」で探して劇場で見ていただきたいと思います。
理由はエンディング字幕と並行して流れる音楽を、是非劇場で聴いて欲しいからです。それは、DVDを自宅で見るとき、または、将来のテレビ放映を自宅で見るときには絶対に味わえないであろう、崇高な喜びの瞬間だからです。
昨日の映画館の中でも感じたのですが、その5分間に、観客が誰も立たないところに証明をされています。「せきとして声もなし」はまさにこのことかと思うほど、客席はシーンとしています。
スクロールしていく画面を追いながら歌詞としては、五番まであるような長い曲が、一番はクリント・イーストウッド自身の声で、二番以降は、イギリスのジャズ・ボーカリスト、ジェーミー・カラムで歌われます。つまり、主役の老人と、タオ少年が歌っているかのごとき印象を与えながら、、静かに、歌われ続けます。
楽曲自体は息子のカラム・イーストウッド+息子の仲間マイケル・スティーヴンス+ボーカリスト自身+その仲間、ドン・ランナーの四人で作り上げているそうですが、この映画は、一種の音楽映画となっていると、極言したくなるほどの、良い曲です。
最初にカソリック教会のパイプ・オルガン演奏で始まって、途中ではほとんど、随伴音楽が入りません。だから、その最終曲が、余計すばらしいのです。音楽の登場はノンベンだらりでは駄目です。効果が半減する。
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とは、言っても全然上品ではないのです。全編、せりふとしては悪態の連続です。早口で話し言葉としては伝達量が多い、英語の特徴をもろ生かした毒舌が、速射砲のごとく連続します。チンピラ(やくざに近い)同士のやり取り、アメリカの少年社会の真実、イニシエーションと言う言葉が出てきますが、日本のリンチ殺人事件もほとんど、これと同じ現象であり、これと同じ経緯で進むのだろうと思われる画面で、数々の悪態がぶっ放されるのです。
しかし、その傾向はなんと、親しい間柄でも繰り返されるのです。悪たれの連続が親しさを表す、尺度ともなっています。人種差別用語が飛び交う床屋の場面です。ここら辺りの表現は、学校英語では、絶対にマスターできないところです。
でも、これが二回目として現れるときに、私は突如ですが、その使用が伏線でもあることに、気がつきました。効果的に伏線として使われているところとか、他にお風呂などを含めて四つほど、ラストシーンへ向かって張られているのですが、勘が特別に強いといわれている私は、この床屋での、二回目の場面と、その30分後に出てくる仕立て屋の画面で、恐るべき逆転のラストを、推察してしまいました。
だから、映画製作者側が期待をしていたほどには、終わった後では、泣けませんでした。私は常に、「滂沱と涙が流れる映画(もしくは本)を最高の位置に置くのです」とは、申しておりますが、でもこの『グラン・トリノ』が作品として、最上級のものの一つであることは、疑いも無いです。
クライマックスの筋(真実)を明かさなかっただけでも、お許しいただきたいのですが、立派な映画で、そのメッセージは今のアメリカにとって、これを表現するのは・・・・・最上の精神の結実であると思えるのですが
~~~~~~~~~~
ところで、昨夜のホワイトハウス、首席補佐官、D.Axelrod からのメールですが、あけてみたら内容は簡単で、オバマ大統領のカイロ大学での演説の動画を見るように勧めてあっただけなのです。で、今その動画を開いてみたところです。一時間以上あるので、後で、暇になったらじっくり見ますが、最初の五分間だけでも、すばらしいです。現状・・・・つまり、イスラム世界との間で、コンフリクト(争い)があると言う、現状をはっきりと言葉に出して上で、「しかし新しい状況を招こう」と力強く言う・・・・・バラク・フセイン・オバマ大統領。
ホワイトハウスからのメールはOCNニュース、もしくはヤフーニュースで、その日本語の項目を開いた人、全員に向けて発想をされたのではないかと、今冷静になって思いなおしています。機械的に発送をこなされたものであろうと、考え直しています。
ただ、『グラント・トリノ』を見たその夜にそれが、送られてきたものですから、ビックしてしまいました。私の方に、自身の予行演習となってい留、アメリカ再生へのあつい希望があったので、そこへ飛び込んできた、大統領の演説でしたから。
特別な因果関係を感じたのでした。アメリカの特に精神的な状況の改善、それがどうしたら、もたらされるのか、・・・・・・・そこには、ガンジーが築いたような深い精神世界が必要である。高潔な精神世界が必要である・・・・・・と言うことを、娯楽作品を通じて、メッセージとして、送った、クリント・イーストウッドには、正直に脱帽をします。
~~~~~~~~~
あの『麗しのサブリナ』が撮影された頃のハリウッドを抜け出して、違う路線で生きてきたこと。イタリアでマカロニウエスタンに出演したこと・・・・・などから、「もしかしたら、最初から思慮深い人であり、あったのであろう」・・・・と、プログラム上で大勢の人が言っていますが、それこそ、ウィリアム・ホールデンや、シュワルツネッガーとか、とは、まるで違う人生であったようで、その賢さが、彼をこの傑作を生み出す地点にまで到達をさせたのでしょう。
非常に早くから、彼独自のプロダクションを作っていた模様です。マカロニウエスタンの興行的な成功で・儲かった多額のお金を、そちらの資金へと向けた模様ですが、プロデューサーとしては、商業的な、(お客に受けて儲かるという)側面にも配慮があった模様です。
そういう長い日々の積み重ねの上に、傑作が、天からのご褒美として与えられたと私は感じます。芸術作品の成功とは、時間や、お金を掛けるだけではもたらされません。その人の毎日の生き様が反映します。
ところで、映画や演劇、また、テレビドラマの成功は、脚本のよしあしにも左右されると、はっきり感じますが、この素晴しい脚本を書いた人は、新人のニック・シェンクです。アメリカ中西部での実体験が下地になっているそうですが、しかし、換言すれば「観てきたような嘘をいい」の結果です、ただ、書く人の才能とは、そういう象徴化、フィクショナライズにもありますね。
2009年6月5日 雨宮 舜
ただし、まだ、ご覧になっていない方のために言えば、映画自体は決してお説教じみてはいないのです。抹香臭くない面白い映画なのです。今、二番館でやっていて、口コミで人気が高まれば、その上映時間の一部を割き、引き続いて同じ場所で(たとえば、朝一番だけ、とか、レートショーとして、)公開をされ続けると思いますし、少数ですが、三番館にも回るので、おせっかいながら、ぜひインターネットや「ぴあ」で探して劇場で見ていただきたいと思います。
理由はエンディング字幕と並行して流れる音楽を、是非劇場で聴いて欲しいからです。それは、DVDを自宅で見るとき、または、将来のテレビ放映を自宅で見るときには絶対に味わえないであろう、崇高な喜びの瞬間だからです。
昨日の映画館の中でも感じたのですが、その5分間に、観客が誰も立たないところに証明をされています。「せきとして声もなし」はまさにこのことかと思うほど、客席はシーンとしています。
スクロールしていく画面を追いながら歌詞としては、五番まであるような長い曲が、一番はクリント・イーストウッド自身の声で、二番以降は、イギリスのジャズ・ボーカリスト、ジェーミー・カラムで歌われます。つまり、主役の老人と、タオ少年が歌っているかのごとき印象を与えながら、、静かに、歌われ続けます。
楽曲自体は息子のカラム・イーストウッド+息子の仲間マイケル・スティーヴンス+ボーカリスト自身+その仲間、ドン・ランナーの四人で作り上げているそうですが、この映画は、一種の音楽映画となっていると、極言したくなるほどの、良い曲です。
最初にカソリック教会のパイプ・オルガン演奏で始まって、途中ではほとんど、随伴音楽が入りません。だから、その最終曲が、余計すばらしいのです。音楽の登場はノンベンだらりでは駄目です。効果が半減する。
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とは、言っても全然上品ではないのです。全編、せりふとしては悪態の連続です。早口で話し言葉としては伝達量が多い、英語の特徴をもろ生かした毒舌が、速射砲のごとく連続します。チンピラ(やくざに近い)同士のやり取り、アメリカの少年社会の真実、イニシエーションと言う言葉が出てきますが、日本のリンチ殺人事件もほとんど、これと同じ現象であり、これと同じ経緯で進むのだろうと思われる画面で、数々の悪態がぶっ放されるのです。
しかし、その傾向はなんと、親しい間柄でも繰り返されるのです。悪たれの連続が親しさを表す、尺度ともなっています。人種差別用語が飛び交う床屋の場面です。ここら辺りの表現は、学校英語では、絶対にマスターできないところです。
でも、これが二回目として現れるときに、私は突如ですが、その使用が伏線でもあることに、気がつきました。効果的に伏線として使われているところとか、他にお風呂などを含めて四つほど、ラストシーンへ向かって張られているのですが、勘が特別に強いといわれている私は、この床屋での、二回目の場面と、その30分後に出てくる仕立て屋の画面で、恐るべき逆転のラストを、推察してしまいました。
だから、映画製作者側が期待をしていたほどには、終わった後では、泣けませんでした。私は常に、「滂沱と涙が流れる映画(もしくは本)を最高の位置に置くのです」とは、申しておりますが、でもこの『グラン・トリノ』が作品として、最上級のものの一つであることは、疑いも無いです。
クライマックスの筋(真実)を明かさなかっただけでも、お許しいただきたいのですが、立派な映画で、そのメッセージは今のアメリカにとって、これを表現するのは・・・・・最上の精神の結実であると思えるのですが
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ところで、昨夜のホワイトハウス、首席補佐官、D.Axelrod からのメールですが、あけてみたら内容は簡単で、オバマ大統領のカイロ大学での演説の動画を見るように勧めてあっただけなのです。で、今その動画を開いてみたところです。一時間以上あるので、後で、暇になったらじっくり見ますが、最初の五分間だけでも、すばらしいです。現状・・・・つまり、イスラム世界との間で、コンフリクト(争い)があると言う、現状をはっきりと言葉に出して上で、「しかし新しい状況を招こう」と力強く言う・・・・・バラク・フセイン・オバマ大統領。
ホワイトハウスからのメールはOCNニュース、もしくはヤフーニュースで、その日本語の項目を開いた人、全員に向けて発想をされたのではないかと、今冷静になって思いなおしています。機械的に発送をこなされたものであろうと、考え直しています。
ただ、『グラント・トリノ』を見たその夜にそれが、送られてきたものですから、ビックしてしまいました。私の方に、自身の予行演習となってい留、アメリカ再生へのあつい希望があったので、そこへ飛び込んできた、大統領の演説でしたから。
特別な因果関係を感じたのでした。アメリカの特に精神的な状況の改善、それがどうしたら、もたらされるのか、・・・・・・・そこには、ガンジーが築いたような深い精神世界が必要である。高潔な精神世界が必要である・・・・・・と言うことを、娯楽作品を通じて、メッセージとして、送った、クリント・イーストウッドには、正直に脱帽をします。
~~~~~~~~~
あの『麗しのサブリナ』が撮影された頃のハリウッドを抜け出して、違う路線で生きてきたこと。イタリアでマカロニウエスタンに出演したこと・・・・・などから、「もしかしたら、最初から思慮深い人であり、あったのであろう」・・・・と、プログラム上で大勢の人が言っていますが、それこそ、ウィリアム・ホールデンや、シュワルツネッガーとか、とは、まるで違う人生であったようで、その賢さが、彼をこの傑作を生み出す地点にまで到達をさせたのでしょう。
非常に早くから、彼独自のプロダクションを作っていた模様です。マカロニウエスタンの興行的な成功で・儲かった多額のお金を、そちらの資金へと向けた模様ですが、プロデューサーとしては、商業的な、(お客に受けて儲かるという)側面にも配慮があった模様です。
そういう長い日々の積み重ねの上に、傑作が、天からのご褒美として与えられたと私は感じます。芸術作品の成功とは、時間や、お金を掛けるだけではもたらされません。その人の毎日の生き様が反映します。
ところで、映画や演劇、また、テレビドラマの成功は、脚本のよしあしにも左右されると、はっきり感じますが、この素晴しい脚本を書いた人は、新人のニック・シェンクです。アメリカ中西部での実体験が下地になっているそうですが、しかし、換言すれば「観てきたような嘘をいい」の結果です、ただ、書く人の才能とは、そういう象徴化、フィクショナライズにもありますね。
2009年6月5日 雨宮 舜