銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

デモを警察が支援をする(?)鎌倉の朝

2009-06-16 10:44:14 | Weblog
 私は普段は夜型の人間ですが、時々、朝早く目覚める事があり、その際は、朝、鎌倉市内へ散歩に出かけることにしています。鎌倉で、何か文章のタネを拾うのなら朝が良いと感じているからです。
 そうすると、裏駅と言うところに、警官が十人ぐらい整列をしています。その全体像は、物々しくもあるが、個人個人は、柔和な雰囲気でニコニコしています。丸腰ですし。

 そこに、小さなワゴンが停まっていて、原水爆反対運動と言うロゴが書いてありました。これで、大体のことは想像がつきましたが、後で、文章を書くためには、確信を抱かなければならないので、ひとりの警官に問い合わせをしました。すると、「後で、ここにデモ行進があるので、警護のために詰めているのです」と本当に親切に教えてくれました。それで、私はもう一回ワゴン車を見つめてみました。すると、デモ行進は千葉県を出発点としている、長期間のものらしいのです。

 私はすぐさま、また、天に感謝しました。この前、民主党に対する<<<まだ、タブーであろう>>>疑惑を述べました。そのときに共産党にも疑惑があると申しました。そのまま、続報を書かないでいたわけですが、『今、目の前にある現象こそ、それを、書く糸口になる』と直感をしたからです。

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 デモ行進と言うのは、たいていは反体制のものです。イランの総選挙で、モサド陣営が大敗してしまったので、それは、裏で相当な操作があったはずだと信じている学生たちがデモをして、それに警官隊が発砲をして、けが人が出た映像が今日か昨日テレビ映りました。そして、私たちの世代ですと、国会議事堂周辺もしくは中での安保反対闘争のさなかに樺美智子さんが、亡くなったのも記憶に新しい事です。フランスやドイツのデモでも催涙弾の発砲はあると思います。

 しかし、今日の警官たちは夏服であり、ヘルメットもかぶっておらず、防弾チョッキもつけておらず、アクリルの盾も持っていません。全くの平和そのものでありますし、二時間後同じ場所を通ったときには、そこには、デモ隊も、警官も、影も形もありませんでした。

 もしかすると読者の皆様は、「それこそ、日本が平和で、文明の高い国であることの証拠だ」と仰いますかしら。しかし、私は相当に深い悲しみと、憤懣を感じるのです。今、日本の若者は相当苦しんでいます。そういう状態を作り出した高度なシステムが日本に存在していて、それに役立つ装置としての、平和で自由主義で、民主主義国家で、あるかのごとき、デモ行進だと感じるからです。

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 靖国参拝と、原発反対運動と、エコ推進活動へ反対することは、アメリカ(または、国際的、軍産共同体と、それが、持っている諜報機関)には、許容されていませんが、原水爆反対運動は許容をされているものです。どうしてそれだけが許容をされているかですが、一つには、第五福竜丸事件を契機として、太平洋で、原水爆実験をすることに対する日本の女性たちの、大署名活動が、起きたからかもしれません。が、その底流に共産党の変質があり、そちらの影響の方が大きいと私は思っています。

 去年、小林多喜二の『蟹工船』が、大ブームになり、(漫画本から出発して文庫本が売れに売れ、映画までできた)若者が大勢共産党へ入党したと聞いて、『危ない、まずい』と私は感じたのですが、今の日本の共産党へ、若者を救う力はありません。

 共産党が、真実に共産党らしく、機能しているのは、戦後一時期の、イタリぐらいだけなのではないかと感じます。須賀敦子さんの結婚相手ぐらいまでが、左翼としての、本質を保持していた人たちで、それ以降はイタリアだって怪しいが、それ以外の国の共産党など、一党独裁で新たな特権階級を生むための装置にしか過ぎないのです。ソ連邦しかり、大陸中国しかり。

 日本共産党は、戦前、戦時中、戦後の一時期、大弾圧を受けた英雄的な政党のひとつです。すごく誇りの高い団体です。だけど、最近では、全く異質になっています。ほぼ、一年前の土曜日代々木の幻冬舎で、本作りのセミナーがある予定だったので、出かけた事があるのですが、その帰りに、代々木の共産党本部前を通りました。昔、代々木の駅舎から見えていた、四階建てぐらいのビルが全く変っていて大高層建築になっていました。そして、土曜日なのに、どこにも入り口が無くて、誰も入れない仕組みになっています。

 その時に、『やっぱりそうだ。現在の共産党は、貧しいものの、味方でもなく、弱者の味方でもない』と確信をしたのです。弱者や、貧しいものが困難に出会うのは、月曜日から金曜日までの、9時から5時までとは、限らないのです。各種の宗教・関係・教会が門戸を常に開いているように、共産党本部だって、常に門戸を開いていなければなりません。それがこんなにぴちっと、閉鎖されているのなら、「あ、共産党って大・ビジネス系・会社なのですね・・・・・と言うほかはないです。

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ところで、再び皆様から質問が飛ぶでしょう。「あなたはどうして、原水爆禁止運動を、共産党と結びつけるのですか?」と。その理由ですが、千葉から出発したデモ隊に、ずっと、参加し続ける人間は、現代の日本ではいないはずです。普通の二十代~六十大までの人間で、一週間以上それに、連続して参加できる人間などいないはずです。一日に都会だと、二十キロ歩くのが精一杯でしょう。となると、次から次へと交代して、横浜なら横浜、鎌倉なら鎌倉と、その地域の人々が参加する形式のデモ隊だと思います。

そういう活動に人々を動員できるのは、共産党しかないです。以前、小泉首相の靖国参拝を違憲とする、集団訴訟が各地で起きて、原告集団と言うのが各地でデモをやりました。そのときに気がついたのです。こういう仕組みに。

日本各地で、おんなじものの、考え方をする人間がこれほど、数多くいるというのが不思議です。普通なら、ありえないです。自然に任せていたらありえないです。しかもどんな国でも、<<<首長に反乱するのは、警官隊に催涙弾を発砲されるデモである>>>とみなされるはずなのに、その原告集団のデモには、警官は催涙弾を発砲せず、しかも、例の大新聞やテレビはことさら、好意的に報道します。NHKさえも。

不思議極まりない現象です。靖国神社にA級戦犯が合祀されている事が問題の根源だそうです。だけど、戦時中のメディアの報道姿勢が問われた事がありません。一種のスケープゴートとして一手に、その罪を引き受けてなくなった方々(A級戦犯)を、気の毒だと思う気持ちは、普通の日本人なら、誰でも持っていると思います。そのA級戦犯を、戦後60年以上過ぎたいまだに、とがめだてする姿勢の方を、これほど、好意的に報道をする大メディアは、ご自分の戦時中の罪、または、責任をどう捉えているのだろう。

私は今朝、九時ごろ質問をした警官に、もう一歩踏み込んで、「あなたは、どちらを守るために警護をしているの?」と質問をしたかったぐらいです。しかし、そこまで踏み込むと、後で、彼が個人的に上司に叱られる可能性があるので、質問をしませんでした。が、鎌倉で原水爆反対運動をするデモ行進に、石・つぶて・を投げる人間などいません。

毎週、毎週、彼らは、キャンドルサービスをしながら原水爆反対の署名活動をやっています。それに、つばを吐きかける人など、どこにもいないのです。だから、十人近い警官を、投与をする必要などないのです。しかし、大上層部で馴れ合いがあるから、守ってもらえていると、私は考えています。

もし、私が、書こうと決意したら、この倍ぐらいの例証をあげて、説明できますが、ともかく、日本では、不思議な現象が多いのです。が、それらも裏まで深く検証をしてみると、スグ謎が解けます。つまり、・・・・・本当の左翼とか、前衛運動を抑えるために、装置として、見かけ上、革新的な共産党を、活用する、・・・・・・その様に企画したり動いている団体とか組織があるはずだ。それが、グローバリズムの一部である・・・・・と、私は感じています。
 
ところで、最後になりましたが、私自身は、○○党が一番好きだということはありません。自民党の麻生総理大臣に対してだって、「それは、困ります」といいたいことは一杯あります。でも、それらは、誰でも自由に発言できる分野に入っているので、わざわざここで列挙するまでも無いです。秘められていること、タブーとされている事を、勇気を持って書いていきたい。だって私は、どこの紐つきでもないから。

ただ、どうして、これほど、政治のことにも熱心かといえば、外国で暮らしたからです。そこでは、個人がもっと生き生きしていました。日本ほど、個人が沈黙をしていて、生気のない国もありません。まあ、ロシアや、ミャンマー、中国等、は、今でも日本より自由が無いかもしれませんし、北朝鮮など論外の国です。でも、パリとニューヨークではもっと、個人が生き生きしていました。訓練されていないというか、馴致されていないというか。だから、そういう自由を獲得したくて、発言をするのです。一生懸命に。09-6-14    雨宮 舜
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