銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

生きることは涙と共に(ホテル・ビーナス)

2009-06-23 23:43:46 | Weblog
  ・・・・・シンクロのコーチ、井村雅代さんの言葉と共振して・・・・・

 今日私の一生で、やっと、二枚目(?)として借りてきた『ホテル・ビーナス』をパソコンで再生しました。7泊8日と言う決まりなのに、忙しくて、10日目にやっと見ることが出来ました。

 涙が出たという点で、私には合格作品と思えます。そして、ほんわかとした希望を与えて終わるところも・・・・・一つの芸術作品として好ましい。

 俳優としては、最近とても評価が高い中谷美紀さんが、びっくりするほどうまいです。ただの美女かとおもっていましたが、そうではなかった。テレビでは二時間ドラマ程度しか見た事が無くて、今回、その演技を初めて<<<まともに>>>見た感じですが、すごいリアリティがあります。挫折した夫と共に、その堕落と共振して、堕ちきってしまった元看護婦と言う役。一種の共依存になっていて、それゆえにいらいらしていて、夫婦喧嘩ばかりしてしまう妻の役。自分の美貌ばかり気にしている女優だったら、とても表現しきれない役でしょう。相手役がまた、うまい香川照之さんなので、非常に面白い設定でした。
 他の日本人俳優も、草なぎ剛、香川照彦、市村正親、伊武雅人、勝村正信と、演技が達者な人ばかりです。

 同じくらいの数の韓国人俳優が参加していますが、彼、彼女たちも上手な演技で、信じがたいほどすべての役柄に、リアリティがありました。全編、韓国語が使われ、最後の方のせりふでも、この国が韓国であるかのごとき、設定があったのに、・・・・スタッフはほとんどが日本人です。監督、制作、脚本、撮影、音楽、すべて日本人です。

 主役の草なぎ君を生かすために、彼の特技である、韓国語で、全員が演技をするという設定になっています。ただ、それは、彼がスターであるからそうなっているわけではないと感じられるのです。草なぎ君の風情とか、演技が、往年の中村錦之助とか、三船敏郎などの、持ち味とは違うからです。今の旬の人、山本耕史君ともちょっと違う。ちょっと女性的なところもあるけれど、抑えた謙虚さと言うのがあって、それが、品の良い狂言回しの役を、与えられたときに、こなしきることに、対してとても役立っています。

 その韓国語を使うということと、ウラヂオストックがロケ地だということは、まずくすると、荒唐無稽だけで終わってしまうところでしょうが、返って、それが生きるのが、この映画が人間にとって、相当大切な、ごく、本質的なメッセージを送っているからだと思います。そのメッセージを生かすために、その不思議な無国籍風設定が、思いがけないレベルで、成功をもたらしています。

 白黒映画であることも、<<<もしかしたら、制作費を抑えるためだったかもしれませんが>>>、文芸映画として、成功を狙ったとすれば、高度な作戦です。そして、最後の数分間だけの、カラー化(しかし、非常に淡白なカラー設定である)も、映画を生かしています。そこは、クライマックス後で、人々が再び、目的を見出し、明るい方向へ歩き始める場所ですが、そこだけをカラー化してあるのが絶望から希望への変化を象徴しているからです。
~~~~~~~~~~~~~

 皆様は、わざわざには、このDVDを借りてきてご覧になることはないでしょう。と信じて、いるから、相当な程度で、語ってしまうと、おばさんだか、おじさんだか、分からないビーナスと呼ばれる老人(市村正親が演じる)が経営するカフェ・ビーナスは、知る人だけが知るホテルでもあり、そのホテルには人生に失敗した人だけが泊まっています。一種の下宿屋となっているわけです。

 そこに、三年前から住み込んで、今ではウエーターをも担っている、草なぎ君が、語り手でもあり、狂言回しでもあり、彼の独白が、この映画の文芸映画としての特質を余すところ無く表しています。決してゲテモノではありません。世界のどこへ出しても通用する立派な映画です。

 詩情溢れる東京人(または、日本人)の文化的に、成熟した・・・・・観点や心の中が描き出されていて、引き入れられるのです。
草なぎ君のせりふもいいのですが、最後の辺りには、ビーナスのせりふで決めてきます。そして、皆様がこれを、ご覧にならないと再び仮定して言ってしまえば、なんと、ビーナスの死ぬところまで描かれます。人間は苦しみつつ、生き抜いて、そして、死んでいく、そこまで表現しています。

~~~~~~~~~~
 最もすばらしいものだと思えたのは、「迷っている限り、生きたいと思っているわけだから・・・・・」と言うのがあります。この映画に登場する人はすべて、わけありの不幸を背負っていて、中でも、10才前後の少女が、過酷な運命を背負っています。その子が家出をしたときに「探しにいこう」とみんなを、決意させるためのせりふなのですが、

そのフィクションのせりふを聞きながら、つい最近NHKに登場された、シンクロのコーチの井村さんの言葉を、私は思い出していました。

 井村さんは、若い日に学校の先生と主婦、を兼ねながら、非常に忙しい日々を送られたそうです。しかも学校では生活指導を担当。体を張って問題児を指導しておられました。その時に経験をした数々の事が、後の過酷な人生を生き抜きさせ、中国のシンクロチームにオリンピック入賞を果たさせることとなったのですが・・・・・

 あるときに少女が助けを求めてきたそうです。「今から死にます」と言う手紙を受け取ったとたん、井村先生は、学校中を捜し歩き、トイレで、リストカットをしている、少女を見つけました。それも、すごいことだったのですが、先生はご自分の功績より、そのとき少女を担ぎこんだ先の病院の先生を、
素晴しい方だったと、褒めておられます。

 そちらのお医者さんは、テレビには登場されなかったのです。が、今担架に乗ってかつぎ込まれた、生きるか死ぬか分からない瀬戸際の少女に向かって、「治療をして欲しいか、それとも、して欲しくないか」と質問をされたそうです。つまり、いったんは自殺を決意した少女を救うに当たって、その選択を本人に任せ、それによって、本人の自主性と責任感を喚起させられたそうです。

井村先生もすごいのですが、そういう立派な方がさらに、すごい人だと他者を褒める。

いろいろな人がその持ち場で、すごいことをやっています。世間の評価とは、意外と違う尺度で、立派さを具現しています。『ホテル ビーナス』も、エンタメとしても一種の哲学のメッセージ教本としても、素晴しい出来でした。
                                                    2009年6月23日          雨宮舜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする