以下の文章は、グラン・トリノを見る前に書いていたものです。火曜日にこの『サブリナ』を見ているでしょう。ですから、グラントリノより、おっとりしたアメリカ観察となっています。私はアメリカの市民(平均的な国民)は好きなのです。サブリナに登場するのは、平均的な市民とはいえませんが、この映画を見て、楽しんだのは平均的なアメリカ国民です。では、その文章をお読みいただきたく。
私は、朝は新聞を読まないのです。で、テレビ番組の予告も知らない。が、火曜日(09-6-2)の夜になって急に、この映画が放映されることを知り、迷いました。現在自分が抱えている気分とは随分異なるニュアンスの映画です。大甘の恋愛映画でしょうし、ハッピーエンドで終わるでしょう。そんな映画を見るのに、自分の時間を割くのが正しい選択であるのかどうかを迷いました。でも、公開当時一世を風靡した映画です。
どこにその秘密があるのかを探るという目的を持ってみれば、時間は無駄ではないと考えて見始めました。結論を言えば、時間は無駄ではなかったのです。そして、さまざまな感想を得ました。私が考えた事を逐一ですが、お話をさせてくださいませ。
1、「これは、オードリーの映画の中で多分、第二位であろう。特に肉体的な、美しさを表現したものとしては、第二位であろう」と感じました。『昼下がりの情事』や、『マイフェアーレディ』のように、洗練されたコスチュームの中で映える彼女より、より生々しい原初の美しさを感じさせました。
2.彼女の横顔が、中原淳一描くところの、美少女と瓜二つであると言うこと。最近中原淳一の再評価が進んでいますが、横顔はまるで同じでした。だから、当時の、日本人少女に大きな人気が出たのが理解されます。予行演習と言うか、準備段階があった上での、現実の人間として彼女のREVEALですから圧倒的な人気が出たわけでしょう。
3.筋、特に恋愛に関してですが、結末を予測してそのとおりになりました。誠実で真面目な兄、(ハンフリー・ボガート)と、奔放なプレイボーイの弟(ウィリアム・ホールデン)のどちらを選ぶかの推定ですが、私の思ったとおりになりました。
4、さて、どうして、このような大俳優(男優陣)と新人が共演できたかが不思議で、今、WIKIPEDIAを検証すると、彼女の選択が影響をしていて、ハリウッド(パラマウント映画社)がどれほど、彼女を必要としているかが、見えてきて、それは面白かったのです。
5、彼女はロンドンでバレーの修行をしていて、その頃、背が高くなりすぎて、将来プリマを取る可能性がなくなり、失意のまま脇役をこなしていたのですが、その縁で当時リヴィエラに滞在していたコレットの目に止まり、彼女の原作による、ブロードウエイ・ミュージカル『ジジ』に抜擢をされ、トニー賞を、既に得ていたのが大きい原因でした。
当時はバレーや、演劇(ミュージカル)より、映画の方が芸術として低くみなされていたそうです。オードリーは大変頭の良い人で、価値観がしっかりしていて、何が良いことであるかを知っていたと考えられます。
で、ハリウッド映画に出演することを拒否し続けていたために、これほどの、大もの、スタッフが用意された模様です。映画は白黒で撮影をされており、『風と共に去りぬ』を既に制作済みのハリウッドとしては、小品に当たるのかもしれませんが。内容が濃くて、相当に力を入れた作品と思われます。
6.裏話として大変面白いのは、どこかのブログに、ハンフリー・ボガートがあらゆる意味でこの映画を気に入らなくて、撮影が大変だったこと・・・・・が、書いてあった点です。既に、名優として評価が高かったであろう、ハンフリー・ボガートがケーリー・グラントの代役として突如起用をされ、ほとんどのスタッフ・キャストとそりが合わなかったというのは、映画のかもし出す・甘い恋愛コメディと言う総雰囲気から考えても、頷けるポイントです。
7.で、同じく裏話の一つですが、撮影用豪邸として当時のパラマウント社長の実際のお屋敷が使われたということ。アメリカの大富豪の生活を傍見する事が出来たのと、脚本の中に、上流階級と、運転手と言う使用人に当たる階層の、違いをきちんと書き出している事が、面白い。
恋愛コメディの達人、ビリー・ワイルダーが、実はユダヤ系であり、母、および祖母、そして、母の再婚相手が、すべてアウシュビッツで殺害をされたらしいという事が、唯一伺われるシヴィアーな、かけら部分です。
8.そういえばオードリーもこんな軽い映画に出てはいるが、実生活では、ナチズムの迫害の影響を受けている・・・・・と言うのも意味深い事です。表層に現すもの、特にお金儲けの世界との妥協と、それ以外の部分ですが、
ハンフリー・ボガートなどは、その一致と不一致の面ではとても恵まれた人生を送ったほうでしょう。それは、彼はもともとのアメリカ人であり、ニューヨーク出身であり、医者の親を持つなどの・・・・・余裕の現われが原因だったと思います。
ビリー・ワイルダーも、オードリー・ヘップバーンもアメリカと言う社会に対して、一種の(過剰)適合を成し遂げた存在であり、だからこそ、軽いコメディを制作したり、演じたりする事ができた。
9、最後になりました。これが、一番感銘を受けた点ですが、歴史が変転すると言う点です。アメリカのよき時代・・・・・上流社会と言うか、大金持ちが肯定されていた時代と、今、GMが破綻をして、・・・・・・それを、ドキュメンタリー番組や、W・ムーア監督の作品として、もしかしたら『苦々しく』、一方で反対に、『ざまあ見ろ』と思っている、世界の観客の目を奪っている、今・・・・・と言う時点の違いです。
この『麗しのサブリナ』では、正面切って大富豪の生活が肯定されています。しかし、相当にお品がよくて・・・・・そうですね。同じ頃制作をされたであろう、『上流社会』などよりは、ずっと、品がよいです。そして、歴史・変動の波に耐える映画となっています。スタッフ・キャストに、祝福と尊敬を捧げたい映画でした。この映画に投じた私の時間は無駄では無かったようです。
では、2009年6月3日 送るのは6日土曜日の深夜、
なお、海外にいらっしゃる方のために言えば、今日は、22時間で更新していますので、良かったら下の文章も読んでいただきたいです。 雨宮 舜
私は、朝は新聞を読まないのです。で、テレビ番組の予告も知らない。が、火曜日(09-6-2)の夜になって急に、この映画が放映されることを知り、迷いました。現在自分が抱えている気分とは随分異なるニュアンスの映画です。大甘の恋愛映画でしょうし、ハッピーエンドで終わるでしょう。そんな映画を見るのに、自分の時間を割くのが正しい選択であるのかどうかを迷いました。でも、公開当時一世を風靡した映画です。
どこにその秘密があるのかを探るという目的を持ってみれば、時間は無駄ではないと考えて見始めました。結論を言えば、時間は無駄ではなかったのです。そして、さまざまな感想を得ました。私が考えた事を逐一ですが、お話をさせてくださいませ。
1、「これは、オードリーの映画の中で多分、第二位であろう。特に肉体的な、美しさを表現したものとしては、第二位であろう」と感じました。『昼下がりの情事』や、『マイフェアーレディ』のように、洗練されたコスチュームの中で映える彼女より、より生々しい原初の美しさを感じさせました。
2.彼女の横顔が、中原淳一描くところの、美少女と瓜二つであると言うこと。最近中原淳一の再評価が進んでいますが、横顔はまるで同じでした。だから、当時の、日本人少女に大きな人気が出たのが理解されます。予行演習と言うか、準備段階があった上での、現実の人間として彼女のREVEALですから圧倒的な人気が出たわけでしょう。
3.筋、特に恋愛に関してですが、結末を予測してそのとおりになりました。誠実で真面目な兄、(ハンフリー・ボガート)と、奔放なプレイボーイの弟(ウィリアム・ホールデン)のどちらを選ぶかの推定ですが、私の思ったとおりになりました。
4、さて、どうして、このような大俳優(男優陣)と新人が共演できたかが不思議で、今、WIKIPEDIAを検証すると、彼女の選択が影響をしていて、ハリウッド(パラマウント映画社)がどれほど、彼女を必要としているかが、見えてきて、それは面白かったのです。
5、彼女はロンドンでバレーの修行をしていて、その頃、背が高くなりすぎて、将来プリマを取る可能性がなくなり、失意のまま脇役をこなしていたのですが、その縁で当時リヴィエラに滞在していたコレットの目に止まり、彼女の原作による、ブロードウエイ・ミュージカル『ジジ』に抜擢をされ、トニー賞を、既に得ていたのが大きい原因でした。
当時はバレーや、演劇(ミュージカル)より、映画の方が芸術として低くみなされていたそうです。オードリーは大変頭の良い人で、価値観がしっかりしていて、何が良いことであるかを知っていたと考えられます。
で、ハリウッド映画に出演することを拒否し続けていたために、これほどの、大もの、スタッフが用意された模様です。映画は白黒で撮影をされており、『風と共に去りぬ』を既に制作済みのハリウッドとしては、小品に当たるのかもしれませんが。内容が濃くて、相当に力を入れた作品と思われます。
6.裏話として大変面白いのは、どこかのブログに、ハンフリー・ボガートがあらゆる意味でこの映画を気に入らなくて、撮影が大変だったこと・・・・・が、書いてあった点です。既に、名優として評価が高かったであろう、ハンフリー・ボガートがケーリー・グラントの代役として突如起用をされ、ほとんどのスタッフ・キャストとそりが合わなかったというのは、映画のかもし出す・甘い恋愛コメディと言う総雰囲気から考えても、頷けるポイントです。
7.で、同じく裏話の一つですが、撮影用豪邸として当時のパラマウント社長の実際のお屋敷が使われたということ。アメリカの大富豪の生活を傍見する事が出来たのと、脚本の中に、上流階級と、運転手と言う使用人に当たる階層の、違いをきちんと書き出している事が、面白い。
恋愛コメディの達人、ビリー・ワイルダーが、実はユダヤ系であり、母、および祖母、そして、母の再婚相手が、すべてアウシュビッツで殺害をされたらしいという事が、唯一伺われるシヴィアーな、かけら部分です。
8.そういえばオードリーもこんな軽い映画に出てはいるが、実生活では、ナチズムの迫害の影響を受けている・・・・・と言うのも意味深い事です。表層に現すもの、特にお金儲けの世界との妥協と、それ以外の部分ですが、
ハンフリー・ボガートなどは、その一致と不一致の面ではとても恵まれた人生を送ったほうでしょう。それは、彼はもともとのアメリカ人であり、ニューヨーク出身であり、医者の親を持つなどの・・・・・余裕の現われが原因だったと思います。
ビリー・ワイルダーも、オードリー・ヘップバーンもアメリカと言う社会に対して、一種の(過剰)適合を成し遂げた存在であり、だからこそ、軽いコメディを制作したり、演じたりする事ができた。
9、最後になりました。これが、一番感銘を受けた点ですが、歴史が変転すると言う点です。アメリカのよき時代・・・・・上流社会と言うか、大金持ちが肯定されていた時代と、今、GMが破綻をして、・・・・・・それを、ドキュメンタリー番組や、W・ムーア監督の作品として、もしかしたら『苦々しく』、一方で反対に、『ざまあ見ろ』と思っている、世界の観客の目を奪っている、今・・・・・と言う時点の違いです。
この『麗しのサブリナ』では、正面切って大富豪の生活が肯定されています。しかし、相当にお品がよくて・・・・・そうですね。同じ頃制作をされたであろう、『上流社会』などよりは、ずっと、品がよいです。そして、歴史・変動の波に耐える映画となっています。スタッフ・キャストに、祝福と尊敬を捧げたい映画でした。この映画に投じた私の時間は無駄では無かったようです。
では、2009年6月3日 送るのは6日土曜日の深夜、
なお、海外にいらっしゃる方のために言えば、今日は、22時間で更新していますので、良かったら下の文章も読んでいただきたいです。 雨宮 舜