先日お話をした『時空探偵』の元になったドキュメンタリー番組が来る20日、夜NHKハイビジョンで放映をされると聞きましたので、その詳細は、ここでは言いたくないのです。
先日一回お話をしましたが、あれも、パーキンソン氏病と言う、ある部分に限ってお話をしました。病気にかかっているのはモハメッド・アリの方です。そして、番組はどちらかといえば、フレージャーを主役にすえているでしょう。で、アリには反論のしようもないのです。
父はほとんどの療養期間を自宅で過しましたが、最終期に病院へ入院しました。そのとき、隣に、脳挫傷などの合併症のない患者さんで、その病の最終段階にいる方が寝ていたのです。筋肉が衰えるので、その関係で話すことも出来ず、食べることも出来ず、排泄も多分出来なくて、ベッドの傍に尿を集める袋が下がっていたと記憶をしています。
アルツハイマーとは、ちょうど正反対で、筋肉は駄目になるが、脳は、大丈夫で、考える人であることは続くので、そこが残酷な病気といえば言えます。
モハメッド・アリには、そういう最後が用意されていたのだ。(明言されないまでも、一種の天罰だ)」とフレージャーが考える、原因は優にあるのでした。
アリは、蝶のように踊り、蜂のように刺すという華麗なボクシングだったそうですが、簡単に言えば、軽い人で、人の気持ちなど考えずに、非常に強いレベルで、フレージャーを侮辱しまくったのです。それが、当時の黒人社会
(この番組では、『アフリカン』と言うきれいな用語ではなくて、黒人と言う方がふさわしいと考えられています)
の中での弱いもの(=差別されるもの)がより弱いもの(フレージャーの方が育ちが貧しくて、色もより黒くて、奴隷時代を髣髴とさせる、人材であった)をいじめる構図になっているのです。分かり易い構図ですが、やられる方にとっては、たまらない事です。
しかもフレージャーは、(これこそ、ネタばれになってしまいますが)、アリにお金を恵んであげていた時期があるのです。
~~~~~~~~~~~
私が何より、この番組を面白いと思ったのは、当時から、私はモハメッド・アリを胡散臭い人だと思っていたのですが、その裏側がこれほど、歴史的事実を裏づけとして語られた事が無かったので、驚きをもって見つめたのです。つまり、ベトナム戦争の影、クー・クラックス・クランの暗躍とか、マルコムXの暗殺とか、マーチー・ルーサー・キング牧師の暗殺とか言う時代と、全く並行して、その二人の人生が語られるから、そこが、ためになる番組でした。アメリカ理解のためには、非常に役立ちました。
また、なぜ、我が家では、ボクシングを見ないで、今まで、来たかの理由もよくわかりました。
アリの主治医が、「ボクシングとは殺し合い、そのものだ」と何度も仰るのですが、そのとおりだと思われるほどの画面の編集です。特に奴隷制度を経たアメリカでは、昔のローマみたいに、人間同士を、殺し合いに近いレベルで戦わせる事が、違和感無く社会に受け入れられたのだと思います。
この部分は番組内では語られませんでしたが、ボクシングと言うのがアメリカで発達をして、黒人系ボクサーが多かったのも、頷けるポイントですし。
しかし、土壇場で、二人以外の人たちの判断で、大観衆(衛星放送で、マニラから全世界に向けて中継されたという)が殺人の場面を、見ないで済んだと言う点が救いになっています。
しかし、その一点こそ、フレージャーの方が後々まで、人生上の、大損をしてしまい、・・・・・今でも、ジムの上の部屋で、一人暮らしをするほどの貧乏の中にあると言う・・・・・ペーソスにみちた姿が披瀝されます。
でも、この番組がフレージャーよりで、制作をされていることで、彼が救われていますし、観ているこちら側も最後には、ほっとします。
そして、私たちは、ウサギとカメの話を思い出し、『そうだ、きちんと生きていけば、<<<やがて海路の日和あり>>>で、良いステージも訪れるのだ』という、安心感を抱く事ができます。
別に宗教の番組でもなく、哲学の番組でもないのに、そこまで到達しているのは、フレージャーと言う、地味な人生を送ってきた・・・・・無骨で、不器用で、損をし続けている人間・・・・・が、人格としては、素敵で、すばらしいからでしょう。顔もね。では、今日は短く。
ところで、珍しくも、8時間ぐらい更新を早めていますので、海外でお読みいただいている方などは、下もご覧を頂きたいです。よろしく。
2009年6月11日 に書き、発信は15日、 雨宮 舜
先日一回お話をしましたが、あれも、パーキンソン氏病と言う、ある部分に限ってお話をしました。病気にかかっているのはモハメッド・アリの方です。そして、番組はどちらかといえば、フレージャーを主役にすえているでしょう。で、アリには反論のしようもないのです。
父はほとんどの療養期間を自宅で過しましたが、最終期に病院へ入院しました。そのとき、隣に、脳挫傷などの合併症のない患者さんで、その病の最終段階にいる方が寝ていたのです。筋肉が衰えるので、その関係で話すことも出来ず、食べることも出来ず、排泄も多分出来なくて、ベッドの傍に尿を集める袋が下がっていたと記憶をしています。
アルツハイマーとは、ちょうど正反対で、筋肉は駄目になるが、脳は、大丈夫で、考える人であることは続くので、そこが残酷な病気といえば言えます。
モハメッド・アリには、そういう最後が用意されていたのだ。(明言されないまでも、一種の天罰だ)」とフレージャーが考える、原因は優にあるのでした。
アリは、蝶のように踊り、蜂のように刺すという華麗なボクシングだったそうですが、簡単に言えば、軽い人で、人の気持ちなど考えずに、非常に強いレベルで、フレージャーを侮辱しまくったのです。それが、当時の黒人社会
(この番組では、『アフリカン』と言うきれいな用語ではなくて、黒人と言う方がふさわしいと考えられています)
の中での弱いもの(=差別されるもの)がより弱いもの(フレージャーの方が育ちが貧しくて、色もより黒くて、奴隷時代を髣髴とさせる、人材であった)をいじめる構図になっているのです。分かり易い構図ですが、やられる方にとっては、たまらない事です。
しかもフレージャーは、(これこそ、ネタばれになってしまいますが)、アリにお金を恵んであげていた時期があるのです。
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私が何より、この番組を面白いと思ったのは、当時から、私はモハメッド・アリを胡散臭い人だと思っていたのですが、その裏側がこれほど、歴史的事実を裏づけとして語られた事が無かったので、驚きをもって見つめたのです。つまり、ベトナム戦争の影、クー・クラックス・クランの暗躍とか、マルコムXの暗殺とか、マーチー・ルーサー・キング牧師の暗殺とか言う時代と、全く並行して、その二人の人生が語られるから、そこが、ためになる番組でした。アメリカ理解のためには、非常に役立ちました。
また、なぜ、我が家では、ボクシングを見ないで、今まで、来たかの理由もよくわかりました。
アリの主治医が、「ボクシングとは殺し合い、そのものだ」と何度も仰るのですが、そのとおりだと思われるほどの画面の編集です。特に奴隷制度を経たアメリカでは、昔のローマみたいに、人間同士を、殺し合いに近いレベルで戦わせる事が、違和感無く社会に受け入れられたのだと思います。
この部分は番組内では語られませんでしたが、ボクシングと言うのがアメリカで発達をして、黒人系ボクサーが多かったのも、頷けるポイントですし。
しかし、土壇場で、二人以外の人たちの判断で、大観衆(衛星放送で、マニラから全世界に向けて中継されたという)が殺人の場面を、見ないで済んだと言う点が救いになっています。
しかし、その一点こそ、フレージャーの方が後々まで、人生上の、大損をしてしまい、・・・・・今でも、ジムの上の部屋で、一人暮らしをするほどの貧乏の中にあると言う・・・・・ペーソスにみちた姿が披瀝されます。
でも、この番組がフレージャーよりで、制作をされていることで、彼が救われていますし、観ているこちら側も最後には、ほっとします。
そして、私たちは、ウサギとカメの話を思い出し、『そうだ、きちんと生きていけば、<<<やがて海路の日和あり>>>で、良いステージも訪れるのだ』という、安心感を抱く事ができます。
別に宗教の番組でもなく、哲学の番組でもないのに、そこまで到達しているのは、フレージャーと言う、地味な人生を送ってきた・・・・・無骨で、不器用で、損をし続けている人間・・・・・が、人格としては、素敵で、すばらしいからでしょう。顔もね。では、今日は短く。
ところで、珍しくも、8時間ぐらい更新を早めていますので、海外でお読みいただいている方などは、下もご覧を頂きたいです。よろしく。
2009年6月11日 に書き、発信は15日、 雨宮 舜