銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ニューヨークで、道路を『従軍慰安婦通り』と改名すると、NHKは、言ったが、

2012-11-01 13:59:51 | Weblog
 さて、昨日の続きに入ります。

副題1、『ニューヨークのルーズヴェルトアヴェニューを従軍慰安婦通りとすると、言っているが、』

 一昨日のNHKニュースは、日本、と、日本人を貶めるバカげたニュースを知らせませんでした。

 オスプレイ配備、尖閣諸島への中国艦艇の出撃、竹島への韓国大統領の上陸の三つです。

 で、最後の方は、実はいささかおかしくなっていますが、それは、ほぼ、一か月間、攻撃の主力を中国へお任せしたという形で、静かにしていて、その中国が、私の文章で、攻め込みにくくなったので、今度は代わりに韓国が使われ始めたという感じです。

 でね。私は、久しぶりにある意味で、遊ぼうと思ったのでした。10月29日はお客様も来ましたしね。私があまりに、急追する文章を書くと彼らが追い詰められたと感じで、まるで、きちがいが、思いついたのでしょうねというしかないような、ニュースを次から次へと、作り出すからです。

 今朝も、成りすまし疑惑が何とか、かんとか、といって、私が開発ちえ+梅森伸一の章(ただし、正式なタイトルは違います)で、使った、「なりすまし」というキーワードに敵様方がよほど、気に入ってくださった(笑)ことを確認をさせていただいた次第です。
 本当にほっといたしました。が、油断は大敵と思っている私の耳に、ニューヨークのルーズヴェルトアヴェニューを、従軍慰安婦通りと命名するというニュースが飛び込んできました。

 これもまた、諜略的ニュースです。が、国民の皆様は、あまり、神経をとがらせず、例の鎌倉エージェントが追い詰められているので、また、考え出しましたね。と、笑っていてください。ただし、発案者は。世界のCIAかもしれませんが。

 ニューヨーク周辺に住む、5,600万人の人々が、ルーズヴェルトアヴェニューの名前を、従軍慰安婦通りなどと、変更することに了承するはずがないし、一時、そうなっても、ばかばかしいことだと言って、元に戻すでしょう。
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副題2、『ルーズヴェルトアヴェニューとは何なのか』

 さて、私は、これもまた、私狙いだと思っております。で、ニューヨークで、ルーズヴェルトアヴェニューと言えば、どこかに、記憶があります。で、今、丁寧に調べると、確かに私狙いだとうなずける場所にありました。
 私は、1999年、クィーンズのスタインウエイトいう町に住み、2000年に、同じクィーンズの、もう少し南側に住んだのです。もしかしたら、そこがルーズヴェトアヴェニューだったかもしれません。

  当時使っていたパソコンが壊されているので、友人たちに、私はここに住んでいますよと、知らせた、メールが失われているし、当時は、メールか電話で連絡を取っていたので、住所に対する重要性を感じたことがなくて、正式な住所を全く覚えていないのですが、

 それは、地下鉄Fラインの46ストリートという駅のすぐそばだったのですが、そこから、5つ先が、地下鉄の駅名も、ルーズヴェルトアヴェニューになっています。

 おや、おや、驚いた。私を脅かすために、ニューヨークの地名の変更をするのですか?

 それほど、私って大物だったのですね。と、愉快になってしまうほどです。

 あとで、それは、列記しますが、私の文章から起案された世界ニュースは数々あります。
 しかし、今回ほど、明瞭に私狙いで、このニュースが起こされました。とおりの名前がそうなるのは、私が書いた文章にビビりあがった人たち、井上ひさし、伊藤玄二郎、ほかの、エージェントたちのせいです。と、

 公言できるニュースはほかに知らないというほどです。

副題3、『私の文章に対抗するために、起された世界的な規模のニュース』

 例えば、パソコンの異常をここで書くと、・・・・・
 *1)韓国政府と、ホワイトハウスのパソコンにハッキングが入った。
 *2)同じことを言うために、別の時期にノーベル賞委員会のパソコンにハッキングが入った。・・・・・・と言われ、
 デモや、署名はしない方がいいですよ。ああいう中には、スパイがいるので、一生を棒に振ることになるケースがあります。あなたが真面目な人であればあるほど・・・・・と書けば

 *3)アラブの春の後で、突然にニューヨークで大富豪に反対するデモが起こり、

 北朝鮮も、中国も今では、この国際的軍産共同体のシステムの中に組み込まれていて、北朝鮮は、韓国とは、違うとみてはいけませんよ。ミサイルを、日本へ向けて発射するとか、何とか言っているのも対日政策のように見えて、アメリカ追随の政策なのですと書けば、

 *4)韓国が領有している延坪島へ向けて、砲撃を開始します。

 レオスカラックス監督は。デュポンの一族の、大金持ちの生まれであり、頼まれたのか、自発的なのかはわからないけれど、恐るべき暗喩に満ちた、反日映画(それを見ると、世界中の人々が、日本はいまだに、軍国主義の忌まわしい国だと思い込む、可能性がある)映画「TOKYO(特に第二部、・・・・・これの正式版は、日本では公開をされていないはず。石橋りょうと、島田久作が、これに出ているが、彼らのwikipedia からも、その情報だけは削除をされているはず・・・・・云々と書けば、
 *5)最近10日以内に、フランスで、死刑反対の会議がおこなわれたそうで、

 伊藤玄二郎は、『びょんぶ』という美麗本(実物はまだ見たことがないが)で、ポルトガル国の、エンリケ皇太子勲章を得ているはずだが、その美麗本は、今日本全国、どこの図書館にも見当たらない。一種の焚書抗議(反対の方で、権力を持っている側が、自分の方の本を隠す形だ)である。・・・・・・とかけば、
 *6)同じく、この10日以内に、スペインで、アストゥリアス皇太子勲章の親授式があって、マリオブラザースの生みの親が受賞をしました。

 スペインと、ポルトガルは、隣通しだし、日本人からみると、似ています。
 といろいろありますが、日本国内で、対・私への対抗策として行われ、作り出されるニュースの方は枚挙にいとまがないですね。
(笑)
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副題4、『ついに自分の真実にふさわしい居場所ができてきた』

 私のことは世界中の人は誰も知りません。だけど、「しろちゃん(あだな)は、実力があるから』と言われ続けている人です。小さいころは、神奈川県一頭の良い子でした。

 友達の中には、社長、学長、大学教授があまたいます。すべて、150人(小学校)、100人(中学校)、133人(高校)、230人(大学)ですから、すべて、相当にエリート校だったと言えます。

 その中で、鳴かず飛ばずで、終わった人間ですが、私からみれば、本当に重要視されていますね。ありがとござんす。世界の真実の支配者様』と言いたいほど、ニュースが、すべて、私の文章を起点として起こされています。(笑)
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副題5、『駐米大使は、どう動くのかな?』

 この改名運動は無論阻止しなければなりません。台風(=ハリケーン・スーザンの災害の映像を、日本国民に見せながら、どさくさまぎれに解明されたら大変です。たとえ、改名をされても、ネット署名等の運動を起こして、反対し、元へ戻さないとダメです。

 加藤、日本プロ野球機構の、コミッショナーも、この道が、ニューヨークメッツの球場へ向かう道ですから、しっかりと、抗議をしてくださいね。ここで、公開でお願いをしておきます。
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副題6.『ルーズヴェルトアヴェニュー駅そばで、拾ったお話』

 ルーズヴェルトアヴェニューとは、道路の名前ですが、同時に住民にとっては、一種の番地となっています。その中心が、地下鉄が、4本も通っている、ルーズヴェルトアヴェニューの駅近辺です。私は2000年に、そこの近所の日本人のお宅へ二週間泊めてもらいました。そのあとで、アパートを探したのです。

 この文章は、私の五冊目、『黄色いサクランボの第二章』に使っています。その本は800部しか作りませんでした。そして、本屋でも売っていません。だが、お読みいただいた方には、好評だったらしくて、ブックオフの、ネット販売、ヤフーのネット販売、アマゾンのネット販売のすべてで、中古本として扱われていたのです。で、ブックオフに新品を中古として売って、皆様には、どこそこ支店(たとえば、秋葉原とか、飯田橋は、駅のすぐそばにあります)で、お買い求めいただけますと広報をしようとしたのですが、
 なんだか、以上にあれこれ、文句をつけられて、その計画がとん挫しました。ありと、あらゆる形で、ブレイクするのを阻止されていますが、とうとう、世界を実質的に動かす人となったのですから、それで、我慢をしておきましょうね。
  (ここで、大いに笑っておこう)

副題7、『ルーズヴェルトアヴェニューで、出会った男」

既刊本、『黄色いサクランボ』の中から。
 文体がいつもの人懐っこいものとは違いますが、・・・・・・
第2章、テンガロン・ハットの男

 今は真夜中である。オレンジ色のライトの中で街が眠っている。ここの道路はマンハッタンからケネディ空港までを貫く幹線道路だから、車の喧騒は午前二時まで消えない。そのオレンジ色の街に、哀愁が漂っているように感じる。それは、この家のプリンセスの将来を案じているのか、それとも、自分がここを今夜のうちに去らねばならないのを、自分が潜在意識の中で悲しんでいるのか、どちらかは判然とはしない。しかし、三ヶ月前の九月、ここに到着したては、ここは陽気一方の場所であった。ひとつには引越しを手伝ってくれたテンガロン・ハットの男のせいだ。
 彼は頭のてっぺんからつま先まで西部の男そのものだったが、不思議なことに英語が不自由だった。もしかしたら、アメリカに入国して数年しか経っていない移民だったかも知れない。だからこそ、『アメリカに早くなじみたくて、あそこまで徹底したウエスタンスタイルを用いていた』とも想像できる。その徹底振りは、めがねをかけていることを別にすれば、まるでマディソン郡の橋に登場したスティーヴ・マックィーンそのものだ。しかも普通のニューヨーカーに比べて、やせ細っていることも特徴のひとつだった。そして、その車ったらなかった。まことにまことに古かった。一九五〇年代のものだと明らかにわかる、お鼻も長ければ、お尻も長いタイプ。
 その乗用車に、彼はあらゆる家具を詰め込んでくれて、たった一人で運んでくれたのだ。到着後暫定的に一週間住んだ家は、改築を予定しているとのことで、百合子に何でもくれるという話だった。ベッド、たんす、ライティング・デスクをもらった。それらをロープですべて、そのクラシックカー(乗用車)に詰め込んで、備え付けまでを、全体で、六時間程度でやってくれたのだ。その六時間まったく安心して一緒にいることができた。初めて出会った人間で、その車から察しても、貧しい人だと思えるのに、一切が安心して任せられた。
 それは、彼を紹介してくれた人間をまず信じたからだ。そちらも全然知らない人間なのに、顔だけを見て信頼した。それは、彼が『寅さん(渥美清)』に似ていたからだ。クィーンズではにぎやかな方で、ひとつのセンターとなっているルーズヴェルト・アヴェニューの駅前に、揚げ物やさんがある。チェーン店ではなくて、独立したお店で、広いキッチンスペースと立ち食いのスタンドがある。そのキッチン内で白い制服を着た三人の男性が働いているが、その一人が寅さんにそっくりだったのだ。インディアンの血が入っているとそうなるのか、それともアジア人の血が混ざっているとそうなるのかはわからないものの、その人が寅さんを思わせることだけは確かだった。
 そして、そのお店の値段が高いことも、百合子が信頼をしたゆえんだった。ひとすくいの小海老の揚げ物が五百円以上はした。前年の滞在でしっかり、食料品の値段を把握している百合子が見ると、アメリカのものとしては高い。しかし、おいしい。『手抜きをしていないんだなあ』と感じる。そういうものを作る人は誠実だと思う。信頼すると百合子は心を全開にする。その揚げ物を毎日一人前は買う。そして、その買い物の際、実はかわいいところを見せてしまうのだ。もったいないくらいあっさりと、百合子が機嫌の良いとき、または気分の良いときに見せる、かわいいところをその場で見せてしまうのだった。
そのことは母が一番よく知っていた。何か心配事を抱えていると、母にはすぐわかる。だけど、何も心配事がない日に母と話しているときに、ふと、という感じで「あんたには、かわいいところがあるからね」といってくれたことがあるのだ。これには百合子自身が相当驚いた。母は長女である百合子に、父をめぐって潜在意識的な対抗心を持っていたと思う。だから、ほめてくれたり、支えてくれる発言が少なかった。それで、ほめてくれる発言には大体もらった途端、ひどく驚く。その上、その母も父も、長女の百合子に優等生であることを期待した。自分たち自身が、級長をずっとしていたので、『クラスでトップであることは、我が家の子どもたちにとっては自明の理であり、それができないはずはない』という感じ。それを、察して寄り添う百合子は、いつも緊張していて、リラックスをすることがなかった。だから、かまととぶったりした、覚えはいっこうにない。それでいて、かわいいといわれた。自覚していない部分でかわいいといわれた。
百合子は思う。百合子が何かに成功をするとき、それは、そのかわいい部分が相手のこころに訴えかけて、鍵と鍵穴のごとく、相手の心が開いたときだろうと。この引越しはまさにそういうものだった。カウンター越しに寅さんに、「かくかくしかじかで、手伝ってくれる人を見つけたい。大体500ドルお礼をするけれど」というと、じゃあ、見つけておいてあげるから、明日の、九時にこの店においでよ」となって、次の日の九時にカウンター前にきてみたら、テンガロン・ハットの男が待っていたのだ。百合子がお金をきちんと払う人であるのは、三日か四日、この店の中で高い方の商品である、小海老のから揚げを買い続けたことが役に立ったみたいだった。それがそれなりの信用を築いた。
百合子は『ここはアメリカだなあ』と思う。心が通うだけですべてが、しゃっ、しゃっ、しゃっと進行する。簡単極まりない。日本だったら見知らぬ人同士の間柄では、こうは行かない。
特に百合子はその前日までの最初のおうちでの、日本人女性との確執に悩まされていた。それがあったので、さらにすっきりとした感じを受けた。話の時制が戻るが、その最初のおうちには二人の若い日本人女性がいた。一人はアーチストで、帰国寸前で大忙しでほとんど会えない。だから無論、何もトラブルがない。もう、一人は心理学を学ぶ女性で、昼間余裕のある感じなので、彼女とは話をする仲となった。ある夕方百合子がステーキを焼くと、その心理学さんは、どうしてか遠慮をして食べない。それなのに、たまたまその夕方には早く帰宅したアーチストさんが、素直にそれを食べた。「おいしい」とそちらはいった。彼女がアートを専攻しているので、百合子との間で、つい話が弾んだ。それを見て心理学さんの方がすねてしまった。つむじを曲げてしまって、そして、容易には直らなかった。
特に心理学さんの方は、日本で婚約破棄の憂き目を見て、『絶対に、挽回してやるぞ。すばらしく格好のよい白人と結婚をして、その一族を見返してやるぞ』という覚悟で、ニューヨークへ来ていた人だった。相手の男性は医者だそうだが、姑に当たる人が、心理学さんを嫌って、嫁として迎えてくれなかったそうだ。百合子は、呆然とする。確かに挫折はつらいものだ。特に失恋はつらいものだ。だけど、恋愛の挫折を、ニューヨークというキーワードで挽回するとは、百合子が若いころにはありえなかった発想だ。そのころは、渡航が自由ではなかったからだ。
そちらに比べて、あっさりと「日本へ帰るわ。もう、留学の期間が終わったから」というアーチストさんは、百合子にはるかに気楽な感じを与え、それが、素直な会話を導き出し、好循環をもたらした。特に前年同じ大学院で学んだ、良き友(台湾人の)リリーが、修士をとったものの、ニューヨークでは就職できなくて悩んだことを知っている百合子は、このニューヨークで無理をしない(つまり残らない)アーチストさんに、さらに好感を持った。人は能力の限界もあるのだ。それは金銭的なものも含んだ意味で言えるし、その限界を知ったなら、それに従順であるのも賢い選択だ。
一方で百合子とアーチストさんの自然な仲良しぶりを、すねた目で見ている心理学さんとの間には、悪循環が生まれた。百合子は『ああ、日本人は大変だ。特に女性は大変だ。私は三ヶ月しかここにいないのだから、今回は、絶対に、日本人とは付き合わないようにしよう』と決意をする。  ここのみ、初稿は2000年9月に書いている。
 全体は、2012年11月1日に書く

 後で、誤変換を直してから署名を入れます。
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