さて、旅に出るということと、本作りの二つで、短い文章で終始した私も、本日あたり、いつもの調子に戻りつつあります。
副題1、『陸奥国分寺の跡地・探索をする主人と、寝坊をした私・・・・・無論、妨害があった結果ですが』
副題2、『いい話題ができたでしょう、と、主人は言うが・・・・・著作権の問題について』
副題3、『1980年代に、湯川有紀子さんに、服装をけなされたり、褒められたりした』
副題4、『塩見和子さんは、本当に、おしゃれな人である』
副題5、『副題3の続き、黒づくめのファッションは、女性を生かすが』
副題6、『それは、森瑤子が活躍していた時代でもあった』
副題7、『著作権の問題から、中尊寺の秘仏の写真をここには公開をしないのだが』
副題8、『鬼の居ぬ間の洗濯として、山本容子と、小沢一郎氏が、NHKに登場する』
副題9、『大相撲壊滅作戦の、副指揮官であった村山弘義氏の、項目からそれが、ほとんど、消えているが』
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副題1、『陸奥国分寺の跡地・探索をする主人と、寝坊をした私・・・・・無論、妨害があった結果ですが』
「今回の旅行は、すべて主人が企画をした」と前に言いました。その目的の一つは、日本史が好きな主人が最近各地の国分寺の跡を訪ねることに興味を持っているということがあります。仙台には陸奥国分寺の跡地があります。
主人は9日の早朝、私が寝ている間に、そこを訪問をした模様です。さして感動を与えられなかったと言いました。
私がなぜ、朝寝坊をしたかというと、前夜、例のごとくパソコンがおかしくて、散々時間を盗られたからです。その時の妨害策とは、写真がこのブログの頁にアップできないという形でした。
例のごとく、三時間程度をかけて、そのバグが邪魔をしている山を踏破したのですが、疲労困憊しているうえに午前三時に就寝したので、朝五時ごろには起きられなかったのでした。でも、五時間はねられましたので、次の日の石巻探索が無事にできたのですが・・・・・
敵がなぜ、2012年11月8日の深夜、ここ、仙台のメトロポリタンホテルの10階に宿泊している私を妨害してくるかについてはいろいろ、考えました。
まず、主人がネットで、申し込んでいますので、私がどこにいるかは、すべて敵様には、わかっています。
だけど、その時に書いていた文章は、毛越寺のもみじの話です。別に政治的な話題ではない。では、なぜ妨害を受けるのか?
それは、『どうやっても、彼女に人気が出ては困る』という信念が敵にあるので、今回の様に、普段とは異なった話題を書くと、普段とは異なった読者が、増える可能性があるので、それを差し止めるべく、写真のアップを妨害したのだと推察します。こういう時はすぐさま撃破しておかないとダメなのです。で、旅行中であり、次の日があるのに、一生懸命トライしなおして、とうとう、写真のアップに成功をしたのでした。
「さりげない記事だったね。どうしたの? 逃げているの?」と、お考えいただいた向きには、「私は常に、戦っておりますよ」と、申しあげておきましょう。
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副題2、『いい話題ができたでしょう、と、主人は言うが・・・・・著作権の問題について』
主人が「ブログに書く、いい話題ができたでしょう?」と、言いますが、『うーむ』と考え込んでしまう私です。主人が、中尊寺の秘仏公開のパンフレットを出してきて、「これを書いたら、どうお?」と言います。私は頭をひねって、「著作権があると思うので、どうかなあ?」と言いますと、「こんなに、誰もが持っているパンフレットだから、大丈夫だよ」と、言います。
だが、私は頭をひねって、引き続き、否定的に考えます。どうしてかというと、まず、私が画家であることが大きいです。美術家連盟の総会でも、今の話題の一つは、著作権のことです。有名な画家のケースが問題なのであって、私など、作品が使われるのは結構です」と、思っていましたが、「あの本は、盗作の疑いもありますよ」などと言われると、
『そうだった。コンセプトそのものの盗作は、10年以上前から発見をしている』と、はっきり感じているのです。それをここで、告白をしておきましょう。
そこには、火の手を上げておりません。あんまり、あっちこっちに手を伸ばすと、大変過ぎて自滅をしますので、あきらめています。その手のあきらめている損失は多いのですよ。アイデアを盗用されて、そちらが、出版以来の文庫本も含めれば累計で、200万部も売れていると聞けば、頭にきますが、放っておきます。文庫本だって、著者には、50円は入ると思いますので、1億以上の収入があるとなります。当たっている作家が大金持ちなのは、これで、当たり前となります。
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副題3、『1980年代に、湯川有紀子さんに、服装をけなされたり、褒められたりした』
湯川有紀子さんという方は一般社会には有名ではないでしょう。だが、出版界では、非常に有名な方だと思います。私が常に言っている、「本当のエリートは、テレビに出ない」という典型の人物です。顔写真も、新聞にさえさらさないという典型です。
文化界に、エリートを送り出す裏方(編集者)ですから、真に力をふるえる人物ですが、だからこそ、大衆相手の世界には、自分をさらさない人、の、典型です。
この人については、大量の文章をここに書く予定があります。むろん瀬島龍三やら、国際的軍産共同体の、真の姿がどういうものかを解説する一環として書くのです。しかし、それはそれで、20万字ぐらい必要となるので、本日は簡単に、文章系作家がどれほど、高収入であったかを語るために、ご登場をいただきます。
湯川さんに初めて会ったのは、まだ中央公論社のビルが古いビルを使っていた時代です。当時40代だった私の当日の服装は、既製品の紺のブレザーにタータンチェックのスカートです。
後で丁寧に考えてみると、湯川さんは、実年齢が、私より一歳、上でしかないのです。ICUの同窓です。そして、例の渡辺幸子さんと同学年です。
だが、専業主婦である私とキャリアーウーマンとして輝かしい履歴を誇っている彼女との間には、数段の差があって、人間として、私は圧倒をされきっておりました。そのタータンチェックのスカートの日、彼女が何を着ていたかというと、ブラウスです。
マオカラーで、色はモスグリーンを深めたような複雑な色。生地は、絹か? とても上等なもので、『日本橋の高島屋で、売っているものでしょう』と、私は推察した記憶があります。京橋の中央公論社から高島屋本店までは、歩いても、15分はかからないはずです。
アクセサリーは一切なし。当時の国際基督教大学は良家のお嬢様で、美しい人がいっぱいいました。その中、合計7学年、1400人の人材中でも、10以内には入るでしょうというほど、美しい人で、美形好きな川崎さんとしては、一目ぼれをするほどの人物です。
ただし、1960年代のキャンパスでは全くと言っていいほど目立たない人でした。記憶にありませんので。地味目に、生活をなさっていたと思われます。将来は、一流の編集者になるという人生・設計もきちんとあってね。
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副題4、『塩見和子さんは、本当に、おしゃれな人である』
ここで、挿入となりますが、当時のキャンパス内で、
特に、美女として、目立っていたのは、塩見和子さんです。欧米の有名なオークション会社サザビーズの日本支社長をした人で、ネットの世界の検索で出てくるはずの人材です。今は高価な楽器を演奏者に貸し出す財団の理事長だということ。
横浜の名門女子高、フェリス・・・・・(しかし、今グーグルで再検索をしたところ、彼女は小林聖心から、各国の、インターナショナルスクールを歴訪して、香港で、16歳で、大学入学の資格を取ったそうですが、日本では飛び級の制度がないので、フェリスへ短期間進学した模様です)・・・・・の出身で、かつ、1962年当時で、すでに、海外留学経験のある帰国子女。
白いハイソックスは、今では、女子高生の定番で、ルーズに着こなすファッションまで生まれていますが、当時は、珍しいもので、それを、最大限に生かした、彼女のカモシカのような足を忘れられません。
今はキャンパス内・美人・コンテストが、大流行で、各大学の女王の顔写真がネットの世界で出回ったりしますが、甘い顔の御嬢さんが多いですね。慶応大学の女学生を日吉でよく見かけますが、『即座に芸能プロダクションに、はいることができますね』と、思うほどの、かわいい御嬢さんはいっぱいです。が、上に名前を挙げた二人は、違う傾向の美人です。
お化粧っ気はまるでなくて、知性とか、上品さとか、健康美にあふれている存在です。つまり、ファウンデーションで素地をつくり、メイキャップで、仕上げた美ではない。
ただし、60を過ぎた塩見さんは、ニットを多用しているようで、かつメイキャップもしている模様で、往年とはまるで、違ったムードの女性ではあります。つまり、カモシカから慈母観音への変身を遂げた人ではあります。
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挿入から元へ戻ります。
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副題5、『副題3の続き、黒づくめのファッションは、女を生かすが』
一回目と二回目の訪問の間に、湯川有紀子さんから、軽蔑をされているなと感じた私は二回目には、居直ったファッションで出かけました。
それは全身が黒づくめで、かつ、胸元に、金のアクセサリーをジャラジャラとつける形です。これは横須賀在住の主婦としては、外れているし、かつ文化と、知性の殿堂である、中央公論社に乗り込む服装ではありません。
ただし、中学の同級生で、東大の医学部へ進学したYちゃんが、1966年に地下鉄丸ノ内線の車内に、その手のファッションで乗り込んできて、仰天をした覚えがあります。まるで、水商売の女性見たいとびっくりしたのですが、女性を最も美しく見せる服装ではあり、かつ、現在では、女性の画家が個展の初日に選ぶ服装の頻出度ナンバーワンのスタイルでもあります。
でも、湯川さんの好意を得て、ここから、ブレイクしていこうと願っているのなら、それは選ぶべき服装ではないのです。
ところが、驚いたことに、湯川さんは、「今日の服はいいわ。この前はだめだったけれど」といったのです。あのころは今ほど、さばけていなかった私は、「どこが、そう思われたポイントですか?」と質問をすることもできず、そのまま、中央公論社を去ったのですが、帰途考え込んでしまいました。
そして、わかったことは、文章系作家がどれほど、派手な格好をしているかということでした。
高価なブランド物を身に着けておしゃれの限りを尽くして、闊歩しているということです。
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副題6、『それは、森瑤子が活躍していた時代でもあった』
一時期メディア界を席巻するほど、人気があった女性ですが、幸田文とか、高峰秀子ほど、その文章が復活をしていません。
ごく初期の自伝的なもの、
例えば、『夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場』は、許容できますが、ほかは、どうもです。
なお、申し訳ございませんが、園芸をやっていた二時間ほど、ここに三島由紀夫作品のタイトル名『午後の曳航』を誤まって入れておりました。失礼しました。ボート関連で、連想が起きてしまい、混同しました。
私としては消滅した人だと考えていましたが、意外にもグーグルの検索では大いなる項目の出てくる人ではありました。wikipediaには、100冊も著書がありとか、いまだに憧れる女子高校生がいるとか、出ています。
うーん、しかし、私は根本的に嫌いです。彼女の情事の実態を知っているし。・・・・・いや、思いがけないところから、重要な情報が手に入る人間が私です。
彼女のわがままな情事の影で、泣いている女性がいるということを知っていますので、大嫌いです。
そして、一番重要なことは単に直接的に被害を受けたということだけではなくて、間接的に、泣いている女性が多いだろうということです。つまり、彼女は1980年代の女性の生きざまをけん引したのです。
お金があるのなら、女性も自由に恋愛をしてよろしい。夫がいても、恋愛をしてよろしい。妻がある男性とも恋愛をしてよろしいという風潮を生んだ女性です。
しかしそういう主張で一生を乗り切れるのは、特殊な少数の女性だけです。一般の人には当てはまりません。だけど、婦人公論や、週刊文春で読むことができる森瑤子の文章を読んで、『できる。離婚してもいいのだ』と思った女性は大勢いるはずです。
そして今、貧乏になったとか、生活が立ち行かないと思って苦しんでいるケースはいっぱいあるでしょう。
ご自分が、ほかの男性を好きになって離婚をしたケースもあるだろうが、夫が、別の女性と不倫関係になっているので、怒って離婚をしたが、時間が経てきて、今では、とても、苦しんでいる、というケースも多いと思います。
時代の風潮を自分が作り上げているという自覚は、森瑤子・ご本人にとっては、ありがたいことだったでしょう。
特に芸大出身なのに、正当なる音楽の分野で、活躍をできなかったという劣等感があったと仮定をすると、この大活躍は、自分にとっては正当なる神の采配だと思われたかもしれません。
だけど、時代と、読者の双方に、与えた・悪・影響は大きいです。
元に戻ります。ともかく、私は湯川有紀子さんの言葉から、文章系作家で当たっている人がいかに派手で豪華な生活を送っているかを知ったのでした。
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副題7、『著作権の問題から、中尊寺の秘仏の写真をここには公開をしないのだが』
さて、冒頭の副題1と、副題2へ戻ります。今回の旅行は一切が主人主導で、私は出発前夜の夜の11時まで、例の本の修正やら、秋葉原で、何かを買うやらで、東京へ行って、外出している始末です。夜の11時から午前一時までかかって、やっと準備を終わったぐらいです。
だが、雨に降られて、時々は濡れてしまったという以外は、すべてがつつがなく終わったと言えるでしょう。
そして、主人は大成功だと思っていて、ブログに書く新しい種ができたね。と言っています。私は8日の深夜に、毛越寺のもみじの写真がアップできなかったほどですから、上に言っている通りに、自分のブログがどれほど、敵様たちに重要にとらえられているかは知っており、
だからこそ、うかつには、他人が撮った写真は使えないのでした。しかし、普通のブロガーには許されることでしょう。
むしろ、旅行記として、秘仏の情報をあげれば、それは、メディアが今取り上げてはいない情報なので、プッシュの役目をはたして、観光客が増えるかもしれません。それは東北にお金が落ちることへつながります。
で、仏様のお名前だけをここに書いておきます。
『一時金輪佛頂尊』 です。
この章は、宗教における偶像の問題とか、それから、観光施設としての、中尊寺の姿勢とか、(入場料が別に取られる)とか、いろいろありますが、ここでは、主人との会話という項目だけで収めておきます。
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副題8、『鬼の居ぬ間の洗濯として、山本容子と、小沢一郎氏が、NHKに登場する』
さて、2012年11月の8日の夜には、私は写真がアップできないということで四苦八苦をしていました。そのうえ、さきほど見た番組、BSプレミアムに山本容子が出演をしているのを知ったので、
『おお、これが例の鬼の居ぬ間の洗濯の一つですね』と、感じて、自分との差に唖然としていたところですから、よけい、神経が痛みました。
その番組は渡辺真理さんが司会をする、日本史の分析番組『BS歴史館』で良質なものです。当夜は、和宮特集でした。ところで、渡辺真理さんこそ、国際基督教大学卒の、才媛のひとりなのですが・・・・・
しかし、私はそれらのマイナスが訪れることを予知しながら、東北旅行へ主人に従って出てきたのですから、最悪の時代は通り過ぎたとも思っているのです。つまり、私自身に、余裕が生まれているということ。
で、それが8日のことですが、9日のニュースウォッチでも、小沢一郎氏が出てきました。ニュースともいえないニュースです。つまり、かれが、言ったのは、「第三極が重要で、名古屋の河村氏と、総選挙の立候補調整をしないといけない」という話です。
そんなことは彼本人の内面のつぶやきにしか過ぎないです。それを、堂々と公表するというのはどういうことですか?
今視聴料と、番組の一分あたりに、かかっている費用を計算をしてみました。どんな番組でも、一分につき、ざっと100万円がかかっている計算となりました。視聴率との配分構成があるでしょうから、ニュースウォッチに出演して、数分間をNHKから、もらうことは、2000万円ぐらいの広告費を節約したこととに当たります。
となると、NHKの番組編成室長とか、報道局長を籠絡しておくことは、日本を制するということと同じであり、小沢一郎氏は、それができている人材であり、また山本容子と、その陰にいる画廊『ガレリアグラフィカ』のオーナー栗田玲子さんにも、それができているということになります。
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ここで、挿入ですが、栗田玲子さんが、夜の10時半に鎌倉で下車をして伊藤玄二郎と一緒である姿を目撃できたことは、これこそ、天の配剤といったものです。常に、神様に助けていただいていると言いますが、それは、こういうポイントを指します。NHKの裏側が、すっかりかつ、正しく、読めますので、幸いしています。
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元に戻ります。で、小沢一郎氏の9日のニュースウォッチ出演は単なる鬼の居ぬ間の洗濯にしかすぎなかったと、判断をしています。河村氏と、立候補調整をするとして、それで、小沢チルドレンが、その選挙区で勝ったとしても、それは、小沢氏の成功を意味するものではなくて、もともと河村氏に地盤がなかったというだけの話です。コンセプトとか、思想を大切にする政治家には、どぶ板選挙向きの活動をやっていない人は多いですから。
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副題9、『大相撲壊滅作戦の、副指揮官であった村山弘義氏の、項目からそれが、ほとんど、消えているが』
この『鬼の居ぬ間の洗濯』ですが、大相撲壊滅作戦と、私が呼んでいる一連の事件の時に、もっともよく使われた手法です。伊藤滋座長の発表、村山弘義元高等検察庁長官の記者会見、奥島孝康氏の記者会見、それら、および、NHK記者の捜査情報の漏えい等はすべて、私が東京へ出ている間に起こされていたのでした。
泥棒が入ります。ですから、東京へは主人が休む日である月曜日と木曜日を主に使っていました。銀座での画廊巡りを終えてから、母の老人ホームを見舞いましたので、夜は深夜、11時半ごろ帰っており、いつもクタクタで新しい文章を書けない時代です。
そこを狙われてやりたい放題のことをやられていた時代です。
ところで、今、村山弘義氏の名前が正義だったか、知義だったか不確かでした。で、グーグルで検索をしたところ、村山氏の名前が、出てこないのです。で、あっちこっちたどって行って、やっと、村山弘義が正しいとわかったのですが、その探索の経過中に、あれほどの、大事件の如く見えた大相撲壊滅作戦の、情報がほとんど消えているのでした。
村山弘義氏は、元高等検察庁長官です。だから、検察庁という項目があってもよかろうし、その歴代長官という項目があってもよさそうですが、両方とも消えていますし、このニュースそのものの項目も多数が消えてしまっています。
ということはあの事件が大した事件ではないということを証明しています。NHKテレビがどれほど、長時間をあの件で割いたか、覚えておられますか? しかし、あの事件の本質は、鎌倉エージェントの伊藤玄二郎と、彼の元愛人を自称していて、彼から、過剰な支援を得ていt、鎌倉市の公民館多数に出張教授に行っていた石川和子女史を守るために起こされた事件にしか過ぎないのです。
というのも、これらの、エージェントは日常的に、特権を駆使しているので、その最末端さえ超が付くほどのわがままものとなっていて、猫のことで石川和子さんと、その現在の夫である、柳沢昇は大失敗をしているのです。
それを救済するためにはまず、私を暗殺してしまえばいいのですが、すべて失敗をしています。
で、別方向から攻め込まれています。消耗戦に持ち込んで、自滅をさせてやろうとする案です。それに利用するために鎌倉エージェントたちが、起したのがその大相撲壊滅作戦であり、もっとも、損をした人物は、相撲取りだけではなくて、攻撃者側にもいたことがわかり、それが、村山弘義さんであることが明白にもなりました。
だって、あの事件が、単なるわがまま女を、救済するためだけのものでしかないのに、いかにも正当なものの如く装う必要があって、それに利用をされたのが、村山氏でしたから。村山氏の端正な顔立ちと、元高等検察庁長官という肩書は、その事件に、権威を付与するのに多大な、効果を与えたのでした。山本容子はどっちに転んでもいいのです。芸術家だから、どうなってもいい。だけど、村山氏は違うでしょう。
伊藤玄二郎の翼の下に入ると、こういう結果になります。心召されよ。諸氏、諸嬢よ。
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副題10、『その構図は、この山の人間関係にもそっくりとあてはまる』
ところで、なぜ大相撲が狙われたのかについては、いろいろ理由があります。だが、あの作戦で最も得をした人間が二人ほどいて、一人は後で述べる山田洋次監督であり、もう一人は貴乃花親方です。
その貴乃花親方の母が、藤田憲子さんと言って、相当長期間メディアに登場しました。一種のタレントとしてです。
彼女は元女優だそうです。ただし、今は、芸名を変えている可能性もありますが、ともかく、貴乃花親方の母であることには変わりがありません。
私は過去14年間、書いた文章の中でたびたび、この人に言及しています。それは、この人とそっくりな人が、ご近所に住んでいて、そちらから長い年月にわたり、迷惑をこうむっているので、気になって仕方がない存在だからです。
それは安野夫人と言って、瞬間的に、どうしたら、自分が有利になるかというポイントで頭が回る人であります。そして、自分の弱点を補うために他人を利用するポイントにもたけている人です。
上の節で、伊藤玄二郎と、彼の参謀役を務めている井上ひさしは、まず、人気の高い作家であった伊藤整氏の息子である伊藤滋氏を矢面に立てました。こうすると、自分たちが、雨宮舜(=川崎千恵子)を攻撃したいと思っている真実が隠せると思ったみたいです。
ここで、伊藤玄二郎が伊藤整氏の庶子である可能性も、ふとですが、感じてしまう私ですが、それは、今のところ検証をされていない事実なので、ここではそれは、ふくらませません。
ともかく、矢面に立つ人物として、東大名誉教授にして現在(というか当時)は早稲田大学の教授でもあった伊藤滋氏が、選任をされました。
しかし、それだけでは不十分です。権威が足りないと見た、鎌倉エージェントたちは村山弘義氏に依頼をしました。
この村山氏の個人名について、数分間迷ったのは、同じ漢字を使う人物として、村山知義氏があるからです。職業上は一切の関連がなくて、両者ともに親戚であるとは、大相撲壊滅作戦の展開していた当時も開示されておらず、今に至っては村山弘義氏の情報が伏せられてしまっているので、さっぱりわかりません。
もし、フェイスブックに入っていれば、こういうときは便利だったかもしれません。誰かしかるべき人に問い合わせればわかることでしょう。
しかし、フェイスブックについては、そこで、これまた莫大な量の妨害に出会って、それの防衛のために、莫大な時間を消費したので、プラスマイナス、ゼロ以下だと判断しているので、再び入る気持ちはないのです。
半年前よりは、対・私としては、フェイスブックが、緩やかになっていて、もしかしたら、メルアドを別のものに変えれば再加入が可能かもしれませんが、トライをしていません。
で、もし、村山弘義氏が、村山知義氏の弟であったり従姉妹であったりすれば、パズルがすべて埋まります。使者としては酒井忠康氏がたって、一肌脱いでくださいと頼んだのだと推察しています。
ともかく、伊藤整と、村山知義のラインを使って、最初にそれが案出をされたとすると、見事に、構図がはまります。
その際に村山氏の存在は重石のように重要だったのです。一般大衆は肩書に弱いです。氏の高等検察庁長官というのは、作られたニュースの権威づけには大いに役立ちました。いや、八百長疑惑も野球賭博問題も実際には、有るでしょう。でも、あれほど、もめさせるほどの事情だとは思いません。日頃の日常茶飯事の一つです。
お金と暇が有り余っている若い独身の男が群れている集団です。ありえます。だけど、メディアが寄ってたかって叩くほどの問題ではありません。それが、重要に見せかけたのは村山氏が加わっていることだったのです。
さて、安野夫人が大問題なのですが、たぶん、彼女は高卒でOLをしていた時代にご主人と知り合い、不倫の関係に陥り前の奥さんを追い出して、正妻になり、その新しい構成の一家5人で、この山に乗り込んできた人です。
たぶん、正式な入籍後、この山に新しい家を買い、遠くから引っ越してくるという形で、うわさを消していった人ですが、勝つという快感によっていて、常に勝ちたいと願っている人です。
そして、ばかではない。すこぶる政治的に動く人でもあります。彼女にしてみれば、たった10人程度の集団でも、支配しやすい人と、そうではない人は当然、あって、まず、支配をしやすい人間と、友達関係を作ります。
最初に、石川和子さんを取り込みました。それは、ある部分で馬が合ったからです。外面はともかくとして、内面は、2人とも小市民ではありません。
小市民とは、夫が勤務者で、妻は子供を二人以上生み、PTAやボランティア活動に励んでいるという構図です。そこからは結婚の形という意味で外れているので、馬が合ったのでしょう。たった10人程度の集団で、2人が組むと大きな力となります。後は怒涛のごとき進撃を開始するという話です。
彼女は、自分より優れている存在はたいてい無視するかいじめます。が、前田夫人だけは取り込みました。前田夫人は大学院を出ているので、学歴としてはいちばんの存在です。しかも、仕事は大学の講師です。ぴか一で、一頭抜けている存在です。
どうして、前田夫人が取り込まれてしまったのかが、不思議でならないのですが、他人にはわからないというか、見えない部分で、気の弱いところもあるのだと思います。安野支配体制が嫌だと思う人はたいてい、引っ越して行ってしまいました。私が引っ越してきて以来、9回も住人が変わっています。実際に住んでいる人が、15所帯しかないのですから、これはすごいパーセンテージですよね。(笑)
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副題11、『山田洋二監督は、反対に文化勲章をもらいました』
副題12、『山本容子は、おしゃれテクニックを変えてきました』
さて、ここで、午後4時になりました。
それで、申し訳ございませんが、上の副題9以降は明日書きますと、申し上げさせてくださいませ。いろいろやらなければいけない作業がたまっておりますので、恐れ入りますが、そちらへ入ります。