銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

多分、左翼が変装している右翼的、原発反対デモ(秋山豊寛、成岡庸司)

2014-11-18 14:26:57 | 政治
 これは、この前の文章

安倍内閣が、年功序列制を廃止する方向へ音頭をとった事が、国家的な、大マイナスを招くだろう

2014-11-17 22:42:02 | 政治
から、引き続いて書いているものです。で、番号が副題8から始まります。
 
副題8、『2014年11月17日、夜7時ピッタリに、銀座一丁目で、右翼が、日の丸を掲げながら、原発反対デモをしていたが、むろん、共産党員の、仮装でしょう。たった、30人程度だったし、これは、ヘイトデモとか、映画コーブの上映反対運動の際も、用いられている手法です。また、トカゲの脳味噌さんが、動きましたね』
 
 前報の最後に、小渕優子を落選させることが狙いで、今度の総選挙は行われると、私は述べており、そこまで、ブログ化して、書くのは、ご近所の前田夫妻が、この2週間、しつこい攻撃を仕掛けて来るからだと、書いています。
 そして、安野夫妻などの上にあげたケースとは違って、その具体的な行為の、詳細を書いておりません。
 
 それは、作用、反作用の法則に基づいているわけですから、最初に前田家側からの大攻撃、(土地を盗まれる原因者が、前田家にある)があったし、それを保母、30年間も我慢をしてあげているのに、真っ反対の攻撃をしてくるわけです。
 
 その真っ反対の攻撃も、ここでは、詳細は書きません。だが、前報で、言った、からたちをこすりながら、機動隊のバスが、私の歩調に合わせて60m程度追いかけてきた野も、原初の原因をたどれば、前田家たちを助けたいということなのです。
 どうしてそういえるかというと、酒井忠康氏が、二階堂に住んでいるから、彼を守るために、機動隊バスを動員して、私を脅かしてきたわけですが、酒井忠康氏って、驚くべき行為で、私に対して、いじめるというか、悪さをしている人であって、また、その原因が、伊藤玄二郎と親しいからでしょうし、
 伊藤玄二郎の、元愛人、石川和子さんが、私の猫のことで、警官を二人巻き込む大失敗をしていて、しかも、その警官がさらに大失敗を重ねているというケースで、伊藤玄二郎は、石川和子さんと愛人関係にあったことを隠して、種々様々な手を打ってきているのですが、その一つが、酒井氏に頼んで、美術界で、私をいじめることにあるわけです。
 
 でも、石川和子さんが、それほど、バカげたことをするのも、この小さな谷戸の閉鎖社会で、数を頼んで、自分たちが上だと主張し、やりたい放題をやっている、前田・安野夫妻軍団と、グループが一緒だから、できたわけですね。そういうことを全部抹殺できるのが、私を殺すことなのでしょう。で、私が犯罪者ではないので、いわゆるノイローゼにさせるという意味で、種々の攻撃をしてくるわけですが、すべてを見破って、また、このブログで書きますね。
 
 本日の新しい、お話は、副題8、の後ろの二重ガッコないに書いてあるエピソードです。
 今、日本で、一番たくさん画廊があるのは、京橋と、銀座と、続く一帯です。ほかにも集積している場所はありますが、隣の画廊との距離が近いという意味では、この一帯が一番です。
 
 画廊とは、たいていのところが、夜の、7時に終わります。で、私は回るコースが決まっています。北から回れば、新橋駅付近で、終わりますし、南から回れば、有楽町駅付近で、終わります。
尾行がついているのか、ビル内のエレベーターに取り付けられた監視カメラをチェックするのか、まわっているコースで、嫌がらせを受けます。
 敵さんたちは、小町通の共同溝工事で、ガードマンスタイルの人間で、脅かしをかけたのが、効いているとみています。で、引き続き、制服の人間を利用します。ただ、私は、そういう嫌がらせ要員として利用をされている人間は、必ず、カメラで撮影することとしています。
 
 
 
 上の二枚の写真は、しつこく、五度以上、嫌がらせ要員として使われた人材なので、写真を撮っています。ただ、今日は、それが、どういう事情で、どういう意味で、嫌がらせとして使われたかは書かないでおきましょう。それを書くと、すぐ、二万字を超しますから。
 銀座でも、これと似たことが、何度も行われています。30回から、50回は、あらわれています。
 
 で、そろそろ、それを写真に撮ろうと思っていますが、敵さんもそれを察して、その種の嫌がらせ要員を、本日はひっこめて代わりに、原発反対デモを用意したというわけです。
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副題9、『原発反対デモが、嫌がらせ要因として使われる、現在。私は大物よのう(苦笑)』
 
 私は銀座へは、必ず、月曜日に出かけます。作家が画廊に詰めている場合が多いからです。そのうち、外出先として、一種メイン伴ってきた場所なので、週の初めに済ませてしまった方が、ほかの票日が自由に使えると、なって来て、さらに月曜日に行くさまになりました。そして、まわり切れなかったところは、ほかの曜日に再度出かけますが、五年ほど前までは、それは、木曜日と決まっていました。
 
 留守をすると泥棒が入って、重要なものを盗んでいくので、主人が家にいる時間帯に銀座に行っていたのです。それは、五年ほど前までは、月曜日と木曜日だけでした。で、それを狙って、いろいろな仕掛けが仕掛けられていたこともあったわけです。罠という種類のものですが。
 ところが、ある日だけ、土曜日に出かけました。普通は、主人と交代なので、いくら主人の休日だと言っても、遊びに出かける主人が帰宅した後で、外出するので、午後四時半出発となります。ところが、土曜日だけは、夕方の四時過ぎに鎌倉を出発したのでは、用足しができないのです。
 それは、画廊が、午後五時に閉まるのが慣例だからです。そして、その後の二時間で、次の週の飾りつけをします。作品が凝ったもので、とくに飾り付けが難しいものだと、画廊側が作家に鍵を渡して、十分な時間を与えるケースが多いでしょう。でも、ともかく、見物人がその週の展示作品を、見ることができるのは五時までなのです。
 
 そういうある日、(ただし、二年以上前の事、フェイスブックをやっていたころの話)、原発反対デモが、午後の3時ごろ、外堀通りを、数寄屋橋方面から、鍛冶橋方面に向かって歩いてきました。これは、本物だと思います。
 人数も多く、かつ、時間から考えてまっとうなものだと感じます。たぶんですが、13時、日比谷野外音楽堂に集合ということだったのではないかな? で、しかるべき有名人、例えば、大江健三郎氏などが、演説(ただし、彼の発語は演説には向いていないと思うが)をして、それを聞いた後で、隊列を組んで、野音を出発し、晴海通りに入り、数寄屋橋交差点で、外堀通りにむけて曲がる。そういうコースでしょう。世間もまだ、デモ隊に力があるとみていた時代です。旗も林立していました。民主党の政権時代だったと思いますし。
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副題10、『私は≪デモには、参加するな≫と言い続ける。それは、デモの中にはスパイがいるからだ』
 
 私は徹底的な原発反対派です。2003年ごろから、それを、時々書いてきています。ブログはやっていませんでしたが、メルマガで、「後始末が大変なものだから日本では、作るべきではない」と、ひっそりと、数か月間をあけては、言い続けてきました。
 でも、≪デモには参加しない様に≫と、ここでも、ほかのところでも呼びかけています。どうしてかというと、『そこで、あなたが真面目な人であればあるほど、目をつけられて、それ以降の人生に損をするからです』と言い続けています。
 私は、1961年に高校を卒業したので、安保反対闘争で、神庭美智子さんが亡くなった日に、地下鉄丸ノ内線の、出口(当時は、一つしかなかった)で、高校の友人たち12,3名と一緒に、見物をしていました。
 その後、1966年に大学を卒業するのですが、大学内に、CIAと思しき人が入っていて、それを見破ってしまったために、私の苦難が始まったと言ってもいいのです。
 
 だって、ベイカーさんと名乗る、金髪碧眼の青年が、日本人学生3人を、ある小部屋に呼び込みました。縦長の2×6m程度の部屋です。その時、S君という真面目な、男の子が、僕はすでに、学生には期待をしていない。働く青年を、訓導したいと言ったのです。で続けて、『三鷹駅前で、ビラを配ることなんかを考えていると言ったのです。すると、ベイカーさんが『あ、ぼくね。三鷹警察署の所長と親しいから、駅前で、ビラ配りをするのを、許可をもらってあげるよ』といったのです。
 それを聞いて、私は目を丸くしてしまいました。ちっちゃい目ですが、私の目は、「口ほどにものをいい」とか、「澄んでいる事には驚くわ」と、あまり娘をほめない母が言うほど、真実を見抜く目なのです。
 で、どうもベイカーさんは、震え上がったらしいのです。CIAと、行って、アメリカの有名大学を出た知識人であっても、ひどく子供っぽいところはあるのですよ。おっちょこちょいというか?
 ところがね。ベイカーさんは、その後、私を殺そうとしたのでした。
 
 佳子様ご入学で、最近話題になっている、国際基督教大学(通称、ICU)は、旧中島飛行機の跡地と、周辺の山林を使って、開学されたので、滑走路を、進入路として使っています。長さ800mあるそうです。そこを量から学外へ向かって歩いていた私は後ろから襲われ、首を絞められました。本当に死ぬかと思ったのですが、二人一緒に右側に倒れ、その時に相手のひじに、電流が走ったらしくて、力が緩み、かろうじて声が出た私は助けてーと叫びました。幸運なことに対抗方向から、7人ぐらいの学生が、バスを富士重工前という停留所で、降りて、近づいてきていて、それに聞こえたらしくて、ばらばらっと駆けつけて来てくれたので、背後の人間は、急いで立ち去った模様です。
 
 私は、40年以上の長い期間、これを日本人の、痴漢だろうと考えておりました。しかし、2001年、ニューヨークで個展をした時に、メールがはっしんできなかったりしたので、やがて、あの時、痴漢だと思ったのは、ベイカーさんだったと推理する様になりました。
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副題11、『日本一のエージェント、成岡庸司君は、私と秋山豊寛氏(+ベイカーさん)の3人が作ったのだ』
 
 ベイカーさんは、ICU新聞会の委員長だった、秋山豊寛氏と親しく、それで、成岡庸司君が、エージェントにリクルートをされたと感じています。どういうことかというと、秋山豊寛氏が、きわめてしつこく、からかってくるのですね。それは、ベイカーさんから私の悪口を聞かされていて、すでに、今、周辺で、いじめを利用した弾圧が行われているのと、同じコンセプトで、攻撃をしてきたわけです。
 三鷹駅に向かうバスの中で、大勢のほかの学生がいる中で、からかってきますので、私は、決して怒った口調ではなくて、ただ、にこにこしながら、『私って、早稲田の、革丸の委員長の成岡庸司君と、中学の時の、同級生だったのよ』と言いました。これは、一見すると効果があった模様です。さすがのいじめっ子、秋山豊寛氏も、黙りこくりました。
 どういうことかというと、早稲田の在学生数と、国際基督教大学では、学生数が違います。20倍から、50倍の学生数が在学している早稲田です。学生運動の棟梁として、政治は力でもあるから、秋山豊寛氏は、成岡庸司君より格下なのです。
 で、一瞬、秋山氏は黙りこくりました。で、私は自分の防衛策が成功したと思いました。ところがね。秋山氏が、黙りこくったのは、つぎの案を思いついたからでしょう。
 彼が考えたのは、こういうことだったと思います。
 
 『そうか、成岡庸司というのは、今目の前にいる、雨宮舜(本名、川崎千恵子)並みの頭脳の持ち主なのだ。そして、革マルの委員長になっているということは、上昇志向が強いのだ。これは、リクルートする甲斐があるかもしれない』と。そして、成岡君をベイカーさんに推薦したと仮定をします。すると、ベーカーさんが組織力を駆使して、成岡君の身元調査を始め、彼に、もしですが、在日の出自などが、隠れた要因としてあったりしたら、絶好のエージェント要員と、なり得ます。日本、および日本人に対して、怨念があるからです。
 
 アメリカ、および、国際的軍産共同体は、日本、および、日本人の優秀さを恐れています。で、それを、抑圧する手段として、在日を利用し、同時に韓国を日本の上に置くという作戦に出ています。
 ここから先に書いたことは、すべてを消し去る暴挙に見舞われますので、次の章か将来書くとして、ここで、二万字にも達したとグーブログ側も言いますので、終わりとさせていただきます。推敲したのちに日付と署名を入れます。
 
 これは、あとで、書いた、文章後注1、へ続きます。
 

安倍総理大臣、小渕優子、高倉健、枝野幹事長、成岡庸司、秋山豊寛、前田祝一、

2014-11-21 01:31:35 | 政治
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