銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

小渕優子=旧田中派を一掃するための、支援として、安倍総理の、日中、日韓首脳会談は、実現をした

2014-11-16 11:50:16 | 政治

 今、16日の午後二時ですが、下の文章の推敲を始めます。レオス・カラックス監督の部分が書き足りないので、誤解を読者に与える可能性があるから、そこを直しながら全体を検討していきます。また、グーブログのタイトルに、50文字制限がありますので、総タイトルに人名としてくわえられなかった、男性陣、伊藤玄二郎、奥島孝康、前田祝一、井上ひさし、を含みます。また、これに、ここによく名前の登場する、成岡庸司、石塚雅彦、ベーカーさんなどのアメリカ側諜報者などの名前を加えると小渕優子を落選させるために、今回の、総選挙を行えと安倍さんに提案した人物に突き当たるでしょう。きっと、その中の一人が、そうしなさいと、提言しているはずです。

 なお、午後、4時まで、『鎌倉の細道を機動隊のバスが!?! 酒井忠康、覚園寺、茜草屋、レオス・カラックス、千葉景子、樋口恵子』というそうタイトルにしておりましたが、変えました。

副題1、『真綿という言葉が、昔と今では違うものを指すみたいだが』

 私は土曜日は、一回もパソコンを開けませんでした。お客が来たからですが、と、同時に、どうも、北久里浜で、大切なものが盗まれており、その対応に追われていたし、お布団を二枚も新しいのを作ったからです。

  こちらは金曜日の夕方、作った、敷布団で、猫がさっそくに、「いいもの見っけたー」と言って、ドーンという勢いで乗っかって、しかも、『気持ちいい、気持ちいい』と言いながら、顔を洗っているところで、赤い舌がちろっと出ています。下に新しい綿がちらっと見えているのは、今、掛布団も作っているところだからです。

 こちらの方は次の日に作った、掛布団です。私は使い古した、シーツの類で、布団を作ることを始めています。その上に、これも、使い古したシーツをまくと、最高にやわらかくて、肌触りのいい布団ができます。母が、とてもいい綿を使って最初の蒲団を作ってくれたので、打ち直しても、第二級レベルの綿として復活し、それに、新しい綿(最上級のレベルのもの)を足して、作ります。こういう作業を始めて、これが、三回目であって、古い布団はすべて、作り直したところです。西川ふとん店が、婚礼布団として、作り上げるような重量級のものに比較をすると、面積も80%、綿の量は、60%ぐらいに抑えて作ります。すると扱いに便利です。こういう軽い布団を扱う様になると、一般的なサイズの蒲団は、重くて、干すのも、嫌だとなります。寒ければ、こういう軽い布団を二枚重ねればいいのです。

 今、真綿という言葉が、こういう木綿でできた綿を使った布団を指す言葉として使われているみたいですが、私に言わせると、真綿という言葉は、絹(繭をつぶした)の、雲のようにうすいものを指すはずだとなります。それで、木綿の布団綿をくるみます。母が真綿を伸ばすのを手伝った記憶があり、それによると、真綿一枚で、全部を包み込んだ記憶があるのですが、今の真綿(絹)は、不思議なことに、片面だけで、10枚は使わないといけないほど、小さく作られているとみます。真綿で、くるむ作業は、絶対に一人ではできないので、主人に手伝ってもらいます。

 ただし、これをやっている間に、例の鬼の居ぬ間の選択で、小保方さんが、再登場し、小渕優子さんのワイン問題が再登場し、消費税率10%が2017年度になりと、どど、どっと、金曜日と、土曜日にことが進みました。で、私は、『≪」やはり、自分は大物だったなあ。今度の総選挙は小渕裕子つぶしを狙ったものである≫というのは正しかったのだ。その種のニュースは、すべて、過去に私が書いている文章が正しかったから、ここで、打ち消したり、修正しておこうというたぐいでしょう。だから、自分の正しさを、再認識しますね』と思っております。

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副題2、『悪意がいっぱいの泥棒が、北久里浜にも入っていますね』

 私の鎌倉の家には、悪意がいっぱいある泥棒が、2007年から明瞭に入っています。それはここで、何度も書いています。そして、この二か月も夫婦そろって、北久里浜へ行くことが多いので、鎌倉の自宅でも、入っています。それは、旅行先の大阪でも、泥棒に狙われます。落とし物をしても絶対に見つかるという日本で、私が、城北詰駅の切符売場に、置き忘れたビデオカメラが盗まれており、醍醐イサムという画家の本性が映っている映像が無くなっています。この件について、醍醐イサムとは何なのだという方は、ともかく、たくさん書いている中で、一つだけ見つかったものをここに置きますので、それをご覧いただきたく。後注1、醍醐イサムとは、橋本徹と、石原慎太郎の分裂を招き、私の人生にも大ダメージを与えた人間だ△

 それは、2012年6月26日の午後の二時で、太閤園という、藤田観光の経営するレストランの帰りでしたが、その後2時間電車が止まりました。すると、盗んだ連中は、それを取り帰しに行かれない様に、電車を止めるほどの大物だとなります。
 
 この件ですが、鎌倉覚園寺様で、樋口恵子さんの講演会が開かれたことがあり(それは、ロータリークラブ主催だったが、高校の先輩である樋口さんご自身のお葉書によるお誘いで出かけたのだが)、その帰りに、覚園寺から、自宅へ向かう途中の、非常に狭い、生け垣の間を、通っていた時に、警察の機動隊のバスにゆっくり後をつけられたことがあるのです。幅2,5mぐらいの狭い道なので、機動隊のバスは、両脇の生け垣に、車体を擦っていました。非常にゆっくりと進みます。だって、私をひき殺すわけにもいかないでしょう? ところで、その生垣ですが、カラタチでできていたので、とげがあります。そんなところを機動隊のバスがゆっくりゆっくりと通るという奇妙さは、小説より奇なりというところです。

 私は、何も盗んでいないし、たんに盗まれている方ですからね。脅かされるどころか、警察は悪さをしている方を取り締まらないといけないでしょう。だけど、ある、脅かしの意味があって、後ろを、つけてくるのです。その意味は後で書きます。普通の警察官だと、私が誰何しますね。なんで、後ろをつけて来るんですか?と。だから、それができない様に、機動隊のバスを利用して、脅かしてきています。それが効果があると考えるなんて、まるで、トカゲの脳味噌です。4月の交通事故と、6月の京橋の喫茶店ペンステーションやら、後注2、トカゲか鰐か?-6 日比谷の柿安ダイニングで、いたちの最後ッぺを浴びた私

 ネットカフェ・ゲラゲラ、保土ヶ谷店で、危うく騙されそうになり、拉致され、殺されそうになった  後注3、

 保土ヶ谷のネットカフェ内での、罠    の頃より、数年前のお話で、

 本当に単純極まりない脅かしをかけてきているのでした。で、泥棒の一部は警察ではないかと、思うところがあります。どうしてそういうことになるのかを、本当に追及しないといけません。というのも、私はありとあらゆることで被害者であって、加害者ではないからです。

 私は警察に追いかけられる様なことは一切して居らず、もし、警察が追いかける様な事態になったら、それは、裏で、とてつもない冤罪が仕組まれている可能性があるので、絶対に真実を追求しないといけないのです。

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 副題3、『樋口恵子さんの覚園寺の講演は、罠であった』

 樋口恵子さんは、御茶ノ水女子大付属高校の先輩です。で、覚園寺での講演へのお誘いのはがきの中では、超が付くほどやさしい文言が連ねられてありました。だが、講演後、会場ホールで、挨拶をする私に対して顔がこわばっていたのです。

 で、すぐさま、私には、この講演に、来ることが罠であったのだと、推察しました。で、その時点で、私は覚園寺さんに対shちえ何を書いていたかというと『寺苑は、素晴らしいのだ。だが、寺男が、最後に、あれこれを買えと言い、そこで、お金取り主義なのは、困ってしまう』と書いていたかもしれません。だけど、その前に、相当にほめたものを何回も書いていたので、そのくらいのことを書くのは、別にどうっていうこともないと思っていました。

 ところが、私の敵さんたちの一大手法の一つに、『その人物について、何らかの文章を書いた後では、その人物と、出会うのが嫌だろう。お前』というのがあります。その手法の一つとして、銀座では醍醐イサムという人物が何度も目の前に現れたり、画廊るたんのオーナー中島さんが、非常にこった演出のもとに、二回ほど、目の前に現れたことがあります。

 最近(この直近の二週間)では前田祝一氏という人物が何度も目の前をうろちょろしていて、それも、そういう手法の一つとしての攻撃でしょう。この前田氏の、目の前うろちょろが、『今度の総選挙は、小渕優子つぶしが、最も大きな理由である』と、判断をした所以ですが、そちらについては、後で、また、丁寧に語るとして、ここでは、樋口恵子さんやら、覚園寺さんに戻ります。

 後で、それに書いてあるブログを探せば、それが、何年何月何日の事だったかはわかりますが、ともかく、私としては、7冊目の自著(これは、工業生産的には、出版をしていない。数冊の見本版を作っただけだが)『消された映画』の編集に大わらわの時期であって、非常に忙しく思っておりましたので、本当は行きたくなかったぐらいです。

 ただ、樋口恵子さんは、1970年代の初め(樋口さんが、やせておられたころ)に横浜市の東本郷住宅の集会場で、一回講演を聞いているので、二回目として、行くべきだと感じていきました。お話の仕方は、もろ、お上手になっておられて、笑いも取る形でした。しかし、終わった後で、あいさつに行った私に対して、彼女が、仏頂面をなさっておられたので、『やはり、罠だったのだ』と思い至ったわけです。

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副題4、『覚園寺さんについて、ここで、あれこれ、語っておこう』

 覚園寺さんは、明治維新の節に大損をなさいました。鎌倉宮の境内は、本当は覚園寺さんの寺領であって、そこに本堂でもあったのではないかと思います。

 それは、足利尊氏の支援を受けていた過去があるということが理由でした。で、三世代ぐらいが、苦労をなさったので、閉鎖的なところがあります。で、一時間に一回しか開門をしません。切符は売っているか、売っていないかという形式で、寄付という形で、500円程度収める形でしょう。

 それが、効を奏して、寺苑が荒れていないというメリットがあります。ただ、何度もいう様に、出口のところで、寺男がしつこく、お金を使わせ様と、するのが、決定的な興ざめ感を抱かせます。

 しかし、樋口恵子さんの講演があった会場を見て、『おや、これを建造なさるためだったら、あの寺男を辞めさせないのも、無理がないですね』と納得をした次第です。現代建築としては、非常に凝ったものであり、かつ、建築費が高かっただろうと思わせる、微妙な作りなのです。

 一階と二階は、一般的な法要他に使われるお部屋があると見えます。そこが、木造なのか、コンクリート製なのかは、知りません。だが、三階は、木造と見えます。ムクの木を多用した屋根裏部屋形式のホールですが、腰高から、床にかけて開放をされている窓から見下ろす、寺苑の樹木の美しさは、圧倒されるほどです。新緑の季節だったか、紅葉の季節だったかは忘れましたが、ともかく、不思議な雰囲気に満ちた、六間 × 二十間ぐらいの大広間です。こういうホールはほかに見たことがないというものです。

 ロータリークラブ等の特別な催しにお貸しになるホールらしくて、入り口で、500円程度の、お金を出しても見学できない部分です。その日の打ち上げパーティが、ロータリークラブ主催だったので、鎌倉いちセレブの(=階級の)お集まりですから、にぎやかにして華やかでした。ところで、あの寺男を辞めさせないでおられるのは、この建物他の、建造費をひねり出すためなのだと、その日に納得をしたことです。それほど、平成(または、昭和)建造の、鎌倉市内の寺院内・建造物としては、立派なものです。

 もしこれが、罠ではなかったら、私は、パーティで、樋口恵子さんと、いろいろ、お話ができるはずでした。が、樋口さんが、姿を見せないので、罠だったと、さらに、確信をした次第です。ただ、ロータリークラブの奥様方はご親切でした。そして、もしかしたら手作りの(というのは、鎌倉では、どこにも売っていないタイプの)ケーキをごちそうになって帰りました。そして、ブログには、あたりさわりのないことを書いておきました。その頃は、まだ、20%ぐらいしか、真実が語れない時期でした。ただ、その講演会とか、その罠とかは、樋口恵子さんが、計画したものでも、覚園寺さんが計画をしたものでもないでしょう。伊藤玄二郎と、井上ひさしを中心とする、私が鎌倉エージェントと呼ぶ連中が、樋口恵子さん+覚園寺さんを利用したのです。

 ただ、覚園寺さんにこだわっていえば、この後でも、瓜南直子さんを、京都、泉湧寺のグループ展にお誘いになっておられるし、いろいろ、あります。瓜南さんが、北鎌倉の浄智寺に招かれた、日の報告がフェイスブックに載ったことがあります。五山のトップすべてとご一緒に、ラーメン談義をした日のことですが、そこに、覚園寺さんも、ご出席であると、彼女がフェイスブックに書いていました。

 覚園寺さんは、酒井忠康氏とか、伊藤玄二郎に頼まれて、すべてを行っておられるし、現代アートの現場に精通しておられる方でもないでしょう。なので、瓜南さんが、どれほど、対・私攻撃用、(または、心理的な殺人用、弾丸)として、2011年の夏から、冬にかけて、どれほど、酷使されたか、ご存じないでしょうが、覚園寺さんがあっせん紹介して(であろうと推察しています)行われた泉湧寺でのグループ展でも、その坂を、夏の暑いさなかに上るのも、彼女には苦しかったのです。珍しく、ユーモア抜きの愚痴をそこで吐露していました。そのうえ、最も、悲惨なことは、

 結局振り回されすぎて、忙しすぎて、パートナー(正式な入籍があったかどうかは不明)との仲も怪しくなり、引っ越しをしないといけなくなり、お金にも困窮して、悲嘆の中に亡くなったのです。芸術家同士の結婚なんて、非常に難しいものです。男性が、セックス上は攻撃側ですが、そちらの方が、名声という意味で、女性側(ここでは、瓜南さん)に引け目をとったかもしれないということは、嫉妬の問題からも、二人の仲を悪くするのです。

 覚園寺さんは、直接、引き金を引いたわけではないが、もともと、お酒が好きで、お漬物にも造詣が深くて、したがって、すでに、肝臓を悪くしていた、瓜南さんの状態が決定的に悪くなったのは、2011年の夏、京都、泉涌寺のグループ展が、悪さをしたのは、明らかです。で、伊藤玄二郎たちに、利用され切った結果、一人の芸術家が亡くなったということです。お寺様という衆生済度の目的を持つところが、人を一人、殺してしまうことにおやくにたってしまったのでした。無論のこと、最も悪いのは、瓜南さんを使おうと考えた人間であり、それは、酒井忠康氏か、伊藤玄二郎かのどちらかでしょう。普通だと、瓜南さんが美術畑の人間だから、酒井忠康氏だろうと、なりますが、瓜南さんが個展をする画廊と、伊藤玄二郎がすでに、密接に結びついているので、瓜南さんを酒席に誘い出して、あれこれ、指導教唆したのは、伊藤玄二郎だったとも推察されますから。伊藤玄二郎は人たらしの天才であるらしいから、口は無論のことうまいでしょう。瓜南さんは、すっかりたらしこまれたのです。そして、既にダメになりかかっていた肝臓を駆使して、しまい、結局のところ、命を奪われました。

 一方、時期的には、その前にあたる、樋口恵子さんの講演は、2010年か、2011年に行われたと思います。≪当主が、伊藤玄二郎あたりと、年齢が近いのか、それとも、二階堂の住人として、酒井忠康氏夫妻と親しいので、あれこれを、依頼されたのだろう≫と推察しています。

 酒井忠康氏は、公的な住所としては、逗子のものを発表なさっておられます。が、ずっと、鎌倉、二階堂の住人であって、逗子の家は、現在の奥様の実家であるか、それとも、奥様側が買って、一時期、暮らしておられた家だと、推察しています。今は奥様が経営する画廊になっているはずです。実際には、そこに、お住みにはなっておられないでしょう。

 そこから世田谷美術館には、お通いにはなっていないはずです。私は何度も、鎌倉市内でお見かけしています。ただ、早朝、近代美術館(現在の鎌倉館、元の本館)までおいでに、なるために、小町通りを、北へ向かって、歩いておられたこともあるので、1990年代には、実際にも、逗子住まいだったのかもしれません。が、二階堂の、住人としての歴史も長いはずです。

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副題5、『帰途、鎌倉二階堂の、喫茶店・茜草屋(あかねやと、読む)で、二時間編集の仕事をしたが、?!?』

 ここから先が、鎌倉エージェントに見事に連動をしている話題です。つまり、二階堂という鎌倉市内の、八幡宮の右側にある町で、私は機動隊用のバスに、音もなく、追尾されることとなります。

 それも、また、PCに入れ込められたアプリFINDERというアプリで、追跡をされていたのだと、思います。

 ところで、覚園寺での、樋口恵子講演会の帰りですが、鎌倉茜草屋(あかねやと、読む)という喫茶店によりました。二階堂93番地となっている喫茶店です。食べログ等でも、盛んに取り上げられているみたいです。そこら辺りには喫茶店がないので、散歩の途中で、寄るには好適だから、人気の高い喫茶店なのでしょう。

 その頃、すでに、どんなところで、マイクロソフトのワードを開いても、把握をされ、攻撃をされることには気が付いていました。MEの時代から、FINDERという隠しファイル、(または、バグ)が、PC内の数千個のファイルのどこかに、入れ込められていて、それが、ある限り、どこにいてもGPS機能が聞き、私が開いている液晶画面は、敵さんの知る処となるのでした。

 しかし、それでも、自宅で、仕事をするよりは安心感があって、いわゆるノマド生活に、半分入っている時期でした。こういう風にブログとか、メルマガエッセイとして書いているものを、編集して一冊の本にしていくという作業は、ものすごいレベルで、弾圧されてきています。私はそれだけ、自分が高度なものを書いているのだと自負していますが、真実を語るとはかくも大変なのです。

 一冊目から、6冊目は、普通の何気ない私生活の吐露でした。それでも、最大限の妨害を受けていましたから、ましてや、『消された映画』というのは、現代政治の、映画という枠を通じての、切り取りなので、妨害と弾圧の極地の対応を受けておりました。瓜南直子さんに戻れば、彼女が最終段階で、書き連ねた≪映画のプログラムに対する感想文≫は、これもまた、わが家から、重要なそれを盗んでいった手合い連中の、からかいの、道具として、瓜南さんが働かされていたということとなります。彼女は、悪魔さん連中の、道具としてこき使われ、天の、ご加護を失ってしまい、早めになくなりました。かわいそうに。

 鳩山由紀夫内閣時代の、千葉景子法務大臣の、持論に反した死刑執行と、死刑場、公開も、その弾圧の一つだったのです。谷垣現幹事長が、8人もの死刑執行をしたのも、同じ伝です。

 さて、喫茶店あかねやに戻ります。女性スタッフが意地悪だったのは、誰かからメール等の連絡を受けていて、親切にしない様にと頼まれていたのでしょう。そのうえ、隣の席に、ある、編集者と、ライターが来てあれこれを話し合い、たしか、鎌倉春秋社の悪口を言ったと思います。出版費用が高いからとか、なんとか。

 私は潜在意識の中で、女性スタッフの対応が意地悪なことから、すでに、異常性を察していたので、話に乗りませんでした。というか、その会話には、加わりませんでした。もし、電車の中で、普通の善意の市民(主に女性で、会話のきっかけを与えてくれる人たち)を捕まえて、あれこれを話す様に、話しかけたら、どうなっていたでしょう?

 ただし、あかねやで、一つだけいいことがありました。それは、レオス・カラックス監督に関する本が置いてあったことです。これが、喫茶店が普段からおいている店主好みの本なのか、それとも、樋口恵子講演会に合わせて、私の敵さんたる伊藤玄二郎(または、酒井忠康氏)が持ってきておいたのかはわかりません。

 私が盗まれたものの中で、残念だなあと思うものの一つが、『映画・TOKYO 』のプログラムです。それに文化庁が資金援助をしていることがプログラムには、書かれてあります。映画靖国にも同じ問題があるそうですが、そちらは、すでに、論議の的となっているはずで、だから、文化庁は、資金援助をする団体を外部に置くことにして、民間の寄付とごちゃまぜにして、自らの、責任逃れに走っています。

 ともかく、私は忙しいので、レオス・カラックス監督に関する本など、買いにも借りにも、探しにも行っている暇はないので、映画の画面で、そう見えていた、レオンと、誤記していました。ずっと、そうしてきたと思います。しかし、鎌倉二階堂の、喫茶店「あかねや」で、マガジンラックにおいてあった、レオス・カラックス監督へのオマージュ用書物で、レオスが正しいことがはっきりとわかり、それは、天のお助けといったたぐいのものでした。こんな些細なことでも、『ああ、自分はいつも、天から見守られているのだ』とポジティブに考えて、しかし、小さな喫茶店ですから、ケーキセットで、居座れる時間は、1時間半と見限って、外へ出たのです。

 そのあとで、機動隊に脅かされたバスに出会う身氏を西に向かって歩き始めます。その道の北側の方に、見事な、からたちの生け垣が北側にあり、それがこんもりと茂っているので、南側との間が、2mぐらいに細くなっているがます。道を、グーグルアースとストリートビューを駆使して探しましたが、見当たりませんでした。もしかすると、このエピソードをこかで、一回書いているかな? そうすると、私の文章に現れたもの、人、などは、隠していく手法も駆使されているので、子の生け垣も伐採をされた可能性があります。または、激しい刈込に出会っているかな? 清泉小学校などの公的な施設の生け垣ではなくて、個人のお宅のものだったと記憶をしています。

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副題6、『小渕優子のワイン疑惑が、選挙公示直前に、また出てきたが、その理由こそ、総選挙の目的を、明瞭にしているではないか?』

 私のブログは、詳細に点検されていて、そこから、種を拾って、攻撃用事案が起こされます。今回の解散総選挙など、まさにその一例です。私は小渕優子は、つぶすために大臣に推挙され、そうたたきの状態で、いじめられていると、書き始め、それが、正しかったからこそ、総選挙を行い、そこで、合法的に小渕優子を落選させて、それで、彼女の政治家としての立場を、つぶして、やろうとするたくらみが、今度の選挙なのです。

 10月30日に中之条町長だった、旧秘書が家宅捜索を受けています。その週あたりに総選挙の情報は、ひそかに流され始めたのでしょう。週刊誌の広告を見れば、それが、たとえ、一週間で、準備できるとしても、10月30日を、メルクマールとして、流され始めたことは確かです。それは、ものすごく、暗くて、あくどいたくらみです。心底震えが来るほどのたくらみです。10月の頭には、政治資金の不明部分(これは、架空の請求をしたということなのだろう)が、2370万円だったかなのですが、月末には、1億円に達するという形でいやがうえにも炎上をさせられています。

 ということは、これが、また、嘘中のウソである可能性もあるのです。実際には、より、まっとうな収支報告書が提出されているのですが、預かった場所の管理がずさんであって、そこで、擦り違えられて、小渕優子本人も、まったくあずかり知らぬ、政治資金報告書が、そこに、保管をされており、そのコピーを持っていた人間が、永田町議会で、質問攻めにして、国民に、小渕優子は、経理管理ができていないお嬢様であって、バカなのだ。典型的な二世議員であって、こんなのを選挙に当選させてはいけないと、思わせるのが、この総選挙の大目的なのです。で、この一文は、事実上、小渕優子論、シリーズの7となります。

 しかも、電話がかかって来て、土曜日に、私の方が、お客仕事をすることが明らかになっているこの家で、ブログを書けないことを知っている連中が、再びワイン疑惑を持ち出して、小渕優子いじめの拡大を、さらに、図っています。

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副題7、『安倍さんの、日中、日韓会談が、実現することこそ、小渕優子つぶしへの最大の功労賞、および、支援策である。選挙に向かう安倍さんへの、国際的軍産共同体からの、手土産である』

 普通、会社などの大組織ですと、トップの社長とか、重役は、社員の不祥事を、外部に向けては隠そうと致します。特に今回の様に、本人のあずかり知らぬところで、起きたことであって、明瞭に、本人には、責任が少ないと見える事案に際しては、部下をかばうのが普通です。

 しかし、この件に関しては、両巨頭として、小渕優子の上に立つ、安倍総理大臣と、谷垣自民党幹事長の両者とも、小渕優子さんへは、救いの手を差し伸べてはおりません。非常にきつい対応です。何がきついかというと、この様に、検察とか、市民団体の総力を挙げて小渕つぶしを狙っているし、各種週刊誌は、分かっているのか、わかっていないのかが、私には判明できませんが、マスコミ辞令(または、マスコミ手動、事案)として、選挙が近い、選挙が近いとわめきたてているではないですか?

 特に中曽根元総理大臣の孫であるイケメンにしてコロンビア大学留学済みの青年を、擁立しようとしています。ここで、急に総選挙だと言われて、小渕優子さんと、その母、および姉は、震撼したと思われます。ただし、それ以外のメンバーは、同じ感情を、共有するとも、分かりません。たとえば、夫君ですが、妻が幼い子を抱えて、総理大臣候補になるなど、無理だなあと、内心で思っていたりするでしょう。そして、父から、お前は向いていないので、後継者にはしないと言われている息子さんの方は、どう思っているでしょう。野心がある人間で、ここをチャンスととらえて、自分が、小渕恵三の継承者になると、名乗り出るでしょうか? いや、東京で育った上品な紳士として、永田町の紛争状態には、うんざりだと思っていて、妹(または、姉?)の引退をひそかに望むタイプでしょうか?

 私自身がどう思っているかですが、こんな忌まわしい政治劇に、小渕優子さんが負けてしまうのは、日本を悪くすることへの、決定的な里程標になるので、頑張ってほしいと思っています。しかし、私が大物ゆえに、私が言うこと、書くことをすべて、否定していきたい連中は、小渕優子に働きかける形で、彼女に、立候補を断念させるかもしれません。本日、16日は、一切テレビニュースを見ないで、午後、4時まで、到着していますが、その間に、立候補断念のニュースさえ、流れているかもしれません。

 ところで、靖国参拝について、あれほど、安倍総理大臣を攻撃していた中国が、折れてきて、日中会談を、許容しました。慌てた韓国ネット民が、『私たちは、仲間外れになる』と、恐怖心をあらわにしているころ、急に朴大統領も折れてきて、日韓会談が、成立することとなりました。

 これを選挙前の適切な時期にぶつければ、安倍総理大臣の人気はいやがうえにも上がるでしょう。そうなると、自民党がまた、勝利するでしょうか? 日刊ゲンダイは、今、どの様な論調で、総選挙を見ているのでしょうかね。外出していないが、知りたいところです。あれも、一つのパイロットランプなので。

 でも、安倍さんの日中会談と、日韓会談が、実現をしたのは、外務省の画策努力でもなく、安倍さんの、個人的な外交手腕でもなく、ひとえに、この小渕優子つぶしが大切な事案なので、それを、優先事項として、成功させようと、現代の、世界最高峰の権力者たちが、志向し、それを、習国家主席に、伝えたからでしょう。朴大統領が、急変した理由は、似た様なものですが、直接的な命令教唆ではなくて、間接的な、とくに心理的な、影響かもしれません。

 ここで、小渕優子がかくも警戒される理由の一つとして、やはり、例の中丸かおるさん初の情報として、小渕恵三暗殺説が当たっていると、思われます。森喜郎、野中広務、青木和雄さんなどの、また、派閥のトップを担う、二階氏などから何も、意見が出ていないし、それをマスコミが伝えていないのも、ひどく恐ろしい悪巧みが、ぐんぐんと進行しつつあり、内情が解っている人も、支援の手を上げにくいという状況になっているのは、非常にまずい方向だと思います。これは、小選挙区制の、成立以来の、悪い方向へ向かう一歩だと思います。

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副題7、『レオス・カラックス監督を、用いて、私を脅かすために、映画TOKYOの第二部を作らせた人間が、この世には、確実にいる。その同じ人間が、小渕優子をつぶそうと、画策をしている』

 ただ、酒井氏をはじめとする、鎌倉エージェントは、すさまじい気負いで、私をいじめておりました。その一つが、デュポン一族の出身だと言われているレオス・カラックス監督を起用して、監督に、巧妙に、作り上げられて侮日映画(=反日映画)を作り上げさせるというたくらみでした。これは、皆様は、今現在は見ることができません。オムニバス映画であって、第一部と第三部は問題がないのです。第二部の、問題がある部分を削ったDVDが出ています。そのタイトルは、Piecies of TOKYO と、なっています。しかし、劇場で見た、第二部は、ひどいものでした。それが海外に出回ったら、日本はひどい悪口を言われるでしょう。心配な映画です。

 ところで、インタビュー記事を見ると、カラックス監督自身は、これが、反日、および侮日映画だったことをご存知でした。『皆様の、ご親切には、驚愕をしています』と、おっしゃっています。出演俳優陣、および、スタッフには、シナリオの全体像が、示されていなかったとしても、東京裁判を模した場面で、すでに、『変だ』とは、日本側の陣営は、感じるはずなのです。

 この映画は、横浜の北野武監督の教室で、銀座などのロケ以外の部分は、作られたそうです。これが、二〇〇八年の公開ですから、二〇〇七年から準備をされたとみると、いろいろなつじつまが私の方ではあってきます。真夜中に、プリンターがカタカタ言い出したり、ひどいいじめと、弾圧を受けていたころです。オールラウンドで、いじめてやろうということで、私が、『ポンヌフの恋人』について、文章を書いているからこそ、カラックス監督が利用をされたとみています。

 この映画が、カラックス監督の個人的な意思で、制作されたと、長らく思っていて、さらにつらかったのですが、今では、これも、例の鎌倉エージェント特に、当時は、公式にも生きていた、井上ひさしあたりからの発案でできた映画でしょうから、なるほど、なるほどと思っている次第です。そして、その次の年である、二〇〇九年度に、おお相撲を舞台にした大騒ぎが起きて、奥島孝康という人物が、突然、表舞台に登場にしました。

 朝日新聞顧問にして、高校野球の審判委員長(これは、実質的なトップです)、早稲田の総長にして、フランス法学の権威ですって。ここにきて、すべての、見通しがよくなりました。この人は、成岡庸司君などともツウツウであり、頼まれればひと肌脱ぐ人間だとみなされます。で、北野武監督の、パリでの個展とか、フランスの勲章の授与等も、裏から、準備したでしょうし、このレオス・カラックス監督の短編映画についても、委細を監督に飲み込ませたと、推察しています。

 でね、カラックス監督は後ろめたいものですから、たった、二週間で、映画を撮り上げて、そそくさと何の観光もシンポジウムもせず、帰国しました。そして、二度と来日しないでしょう。だって、ごく普通の専業主婦である、私だって、この映画のまやかしを見抜いているのですから、日本で、本当に公開され問題視されたら、いたたまれないと思いますよ。ところで、映画のプログラムが大切なのは、そのなかで、この映画を礼賛しまくっているいわゆる映画評論家というのがいるのです。そういう人の欺瞞性を語らないといけません。だから、プログラムが必要なのです。

 その機動隊用、バスの追尾の目的は、酒井忠康氏を守るための脅かしだと、直感しましたが、私はその時点では、酒井氏に関してブログで、あれこれを、書いてはいないのです。

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副題8、『では、なぜ、警察は、酒井氏のために、私を脅かすのでしょうか?』

 後ろから、のったりのったりと、言う速度で、音もなく、追尾してくる機動隊用の灰色の車体バスを見ながら、私が直感したのは、これは、酒井忠康氏を守ろうとするバスであり、ということは、『酒井氏は、私に対して、すさまじい悪を、すでに、なしているのだな』とわかったということでした。

 これから先に、その悪の一つ二つで、いまだ書いていないものを、記していきたいのですが、この章は、ここで、終わっておきたいと思います。

 そのあとで、フランス文学研究者、前田夫妻の、この二週間の悪意あふれる態度を語らないといけません。彼がひどい態度をとるときは、勝てると思っているので、一気につぶそうと考えているからです。ただ、二人が同じ部屋で、議論をしたわけでもないので、なぜ、急にそう思うのかを考えてみると、この総選挙の意味が解って来ました。つまり、これもまた、私の文章の否定であるのです。小渕優子が、大臣にさせられたのは、つぶすためだったという説ですね。それが、正しくても、総選挙で、小渕優子が落選をすれば、自動的に、その目的が成就してしまうわけです。

 で、もしかしたら、すでに、エージェントクラスに格上げになっている(?)彼の発案で、市民団体の小渕優子側への起訴要求とか、そのほか、総選挙でつぶしてしまおうという、アイデアが、生まれたのかしら?と思うほどです。いや、もっと普通の小市民だと思っていたがと、思いますが、今回の二週間の、なんとも言えない、重い雰囲気を与え続ける態度を見ていると、そこまで勘ぐりたくなってしまいます。A家のお嬢様というのを利用した過去があるから、二人のお子さんがある、一種のお嬢様である小渕優子さんを闇に葬り去ることなんか平気でできるのでしょうね。

 だけど、私から見ると、フランス文学専攻だというのに、レオス・カラックス監督が、日本と、日本人とに、接触する可能性を経ってしまったのは、あなた方一派の、自分が助かりたいという行動から生まれたのですよ。私には、そこまで見えますが、あなたには見えないのですか?と、も、言っておきたいです。ともかく、重い腰を上げて、私にとっては勝ち目がないかもしれない小渕優子の選挙結果を内包しながら、ひどくあくどいことが永田町で行われていると、申しあげておきましょう。

 彼が、映画TOKYOを、設定したとか、計画したとは思いません。だが、そういう映画が、できて、喜ぶのは、連中です。

 が、ブログとして、文章化は、しなかったのです。なぜかと言うと、それなりに、責任が出来するからです。72歳ですよ。それに、リアル生活で、それなりに忙しいです。しかも、それから逃げないで、一つ、一つ、完了していこうとしています。で、他人の事だから、それは放っておこうと思っておりました。ここでいう他人とは、小渕優子さんのことです。気の毒です。父君が暗殺されたかもしれず、それゆえに目覚めて、政治家として、優秀な存在となっていこうとしていたのに、だからこそ、追放されるのです。

 それはどうしてかというと、被・植民地国家である日本は、優秀な、人材を生かしておかない国家だから、なのです。

 この章は、ここで、終わっておきましょう。

なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2590224です。

もう一回推敲をしたのちに、日付と署名を入れます。

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