今は29日(日)の午後7時ですが、この文章を一応完成させました。だが、あと、リンク先とか、写真も、見つけていきたいと思います。それは、明日30日にやりたいです。ところで、何回目かのこととして、総タイトルを変えました。
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最近では、相当に深い真実を、私が語る様になっているので、≪結構、すべてがわかっているのだ≫と、攻撃者側が納得をしたみたいですが、私が、「まだ、30%ぐらいしか開示できません」と、このブログ内で、書いていたころは、敵側が私の、頭脳の内容、を知りたがって、それを探るために、新旧の友人たちがを利用して、≪デートに誘いかけてくる≫ということがありました。二人の会話を携帯の盗聴装置を利用して、知りたいと、思っていたからでしょう。友人には、本心を語ると推察されていたみたいです。
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副題1、『金田裕子さんという人名表記が、長らく、間違っていましたね。済みません』
ところで、ここで、重要な登場人物が出来します。それが、金田裕子さんです。が、長らく、その人名表記が、このブログでは、間違っておりました。佑子と、書いてきていました。読者の皆様に向けては、お詫びして、訂正をしておきます。この人が上で言っている様なスパイ用のデートに誘ってきたことがあります。金田裕子さんと、私は、短い期間の交流なので、その名前を、上げても、心が痛まない存在だから、ここで、名前をあげますが、その人はフェイスブック紙上でアイコンに、白い地の和服姿のご自分の写真を使っている存在です。猫が好きです。
私が、2011年5月ごろ、他のお友達に紹介したので、急に友達が増えた人で、そこで、私を仲立ちとして知り合った瓜南直子さんに、後日、大きく、なついていって、≪お嬢様・瓜南直子に、対する・私・執事、金田祐子≫として、面白い文章の交換をフェイスブック紙上で、開示していた、女性です。
瓜南さんが、私との友人関係を切ってきたので、金田裕子さんが、瓜南さんと仲良くすること自体が、一種のいじめにあたる・・・・・そういう心理的機序がありました。それは、後ほど、梅森伸一君が、なりすまし疑惑によって、毎晩、私を苦しめる存在へと変更していく、そのアイデアを生んで行ったと、推察しています。
ところで、この2012年の12月28日に、片山祐輔君の、弁論があったそうですが、それも、私のブログに応じて、行われたことだと思いますが、そちらは、あとで、詳述いたします。で、金田裕子さんと、瓜南さんの親友関係に戻れば、それは、私の行動を、パソコンのハッキングによって逐一研究している例の敵さん連中には見事に分かっていたでしょう。三人の知り合いが一種の三角関係になった時に、後から知り合った二人が、より仲好くなると、その二人には、一種の罪の意識に基づく、大きな快楽が生まれるのは、皆様もよくご存じのことだと思います。
それが今、社会に蔓延している不倫ということの花なのでしょう。夫と妻がいて、そこに第三の人物が、夫、または妻側に言い寄る。そうして、旧来の結びつきに隠れたまま、『実際には、こちらの方が濃密なのだ』という交際を始めるわけです。それは、秘密の快楽であり、大きな喜びをもたらすものとなるらしいです。
今回の三角関係は、すべて、女性ですから、不倫の様に、肉体の快楽を伴うものではありませんが、一種の遠距離恋愛の心理状態を再現したものであって、瓜南さんと金田さんの交流が二人にもたらす快楽は、私が間に挟まっているからこそ、大きかったと推察しています。
ただ、金田裕子さんご自身は、常識のある、お嬢様育ちの賢い女性であって、同志社大学卒かなあ? 会社でも、優遇をされている女性だと思います。広島にあるビル建設用足場を建設する会社にお勤めだと、書いてありましたが、あれほど、フェイスブックに、時間を割くことができるのは、社長のお嬢様か、社長の息子さんの奥様であろうなどと、勝手に想像をしたものです。
というのも、私は年齢的に、そのときすでに、68歳であって、ありとあらゆる意味で、夫婦関係に、ある程度の、自由を確保しておりました。パソコンを主人の目の前で、打ち続けても、夫婦関係が悪くならないという関係に入っておりました。そして、子供は独立しているので、ブログを書き、フェイスブックをやる時間が取れていたのですが、もし、私が金田裕子さんと、同じくらいの年齢であって、しかも、会社勤務があったら、とても、フェイスブックなど、やっていられなかったと思うからです。40代~50代というのは、女性は、非常に忙しいものなのです。
その金田裕子さんが、『広島から仕事で、出張があり、上京しますので、デートをしましょう』と言ってきた日(2011年の10月の末)ほど、困惑をしたことはありません。
私はすでに、裏側で、瓜南さんが、私に対する対抗馬として、激しく利用をされていて、いじめてきているのを自覚していましたので、この申し出でも、むろんの事、裏で、例の鎌倉エージェントが企画をして、金田さんの所属している広島の会社の、社長などを利用して、そういう設定にして来ていることは、推察できました。
で、会うのは、無論のこと、嫌でした。いわゆるスパイとして、常識ある普通の女性が、利用されるのを見るのも辛いことだし、疑いながら====つまり、まずいことを言わない様に、しながら、(=気を使い切りながら)、デートを続けるのは、どうしても断れない、先輩とか、パリから、わざわざこのために来日した旧友などに限りたかったのです。それ以外は、だれとも個人的なデートはしたくないと思っておりました。
で、断りました。すると驚くべきことが起こりました。
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副題2、『≪恋のうぐいすから≫と、言う日本酒のラベルが、パソコンの画面に浮かんで、フリーズし続けたのだったが』
断ったら、『恋のうぐいすから』と、言うピンク地色のラベルを張った、日本酒の瓶が、パソコンの画面に、おお写りをして、消えなくなりました。フリーズをさせて、≪ずっと長時間、このラベルを私の目に焼き付け、その印象を濃くしよう≫と、言う敵側の目的だったでしょう。
この『恋のうぐいすから』という日本酒は、2011年の暮れにも、2012年の暮れにも日本酒銘柄としては、発見ができませんでした。ただ、ラベルだけを、その時に、作成し、私をからかってきたのです。私のブログのタイトルが、『銀座のうぐいすから』ですから、そこを突っついた、からかいです。
友人を装って、からかってくる。恐ろしい女性たちでした。しかもスパイをして、警察やら、CIAやらに、新しい攻撃作を生み出させる役目を担っているのです。
私をきっかけとして、私のおかげで、フェイスブック紙上で、大きな力を得た金田祐子さんが、これほど、からかって来るとは、彼女本人についても、彼女を裏で利用している人たちについても『よく、やりますね』と思いましたよ。
しかし、こういう風に、いじめるために、画面がフリーズするのは、これが、最初ではありませんでした。2007年以来たびたび、起きている現象でした。
それをだれがやっているかですが、この『恋のうぐいすから』というラベルがフリーズする、だいぶ前に、同じくフェイスブック紙上の、榊原節子さんの、頁が、パソコンを立ち上げた途端に、画面に現れ、ずっと、消えず、フリーズし続けるという現象がありました。
鎌倉と芸大というキーワードからは、瓜南直子さんが、私の対抗馬として、設定をされ、『お前は、この女性に比べれば下なんだよと、言い続けられたのですが、それは、2011年に始まったことです。一方で、榊原節子さんは、高校と大学の同窓生であって、とくに大学は、私が浪人をして入学しているので、同期となっています。とても、小さな大学なので、無論のこと知りあいです。榊原さんは、いろいろな面で社会的には、私の上の人なので、ライバル設定をされている女性です。
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ここで、初稿では、副題3~12までを、一万2千字を使って、同じくフリーズをした、過去のケースを、語り始めています。それは、鎌倉エージェントと、国際基督教大学時代の私の知人たちの行動に入っていき、現代政治の分析に、相当突っ込んだ、政治論となっていると思います。が、それが入ったために、この文章が二万字を優に超してしまい、後半の、金田さんと、瓜南さんについて、書く部分が抑圧をされてしまいました。
それで、その部分を、抜き取り、別の章として新たに立ていることとし、ここでは、原初で、副題13としていた、処へ飛びます。そこが、金田さんに続くところなのです。というのも、この章は、哲学的論考に終始したいので、瓜南さんの部分により大きな字数を割きたく思っているからです。ご了承をいただきたく存じます。
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副題3、『日本酒、恋のうぐいすからというラベルが、フリーズして動かなくなったのは、古村君か、古村君から、それができるアプリを、もらって、自分のパソコンに入れ込んでいる誰かだろう』
上の副題に書いた通りで、古村君と言う私のICU時代の同級生が、こういう作業を行う中心ではないかということが、フェイスブックでの彼の動きなどを通じて、分かってきています。
フリーズの方はそうですが、ラベルの方は別の組織がやったとみています。そのラベルを印刷して作り出したのは、鎌倉在住のエージェント伊藤玄二郎たちでしょう。これは、≪美尻アンド、美脚≫というふざけきったパンツ用らしいラベルを、私が留守中に、私の寝室に入れ込んだ事案とも連動をするのです。泥坊がしょっちゅう我が家に入り、やりたい放題のことをします。でね。以下の名刹たちに申し上げたいのですが、
「鶴岡八幡宮様、および、覚園寺様、および、浄智寺様は、瓜南直子さんとの関係やら、伊藤玄二郎との関係で、こういう汚い行為をする泥棒たちと、同類項に立っておられるのですよ。大丈夫ですか?」と。
それを、常に心配をしている私ですが、ちょっと油断をして、そういう現象について、書かないでいると、すぐ、これらの名刹が、利用されることが復活をするのでした。最近では、仰々しい白い塀が、若宮大路の段葛(だんかづら)を覆っていますが、これも、こういう悪辣な人々の行為を、怒ってか、2013年に入って、急に桜並木の勢いが衰えてきたのを、税金を使って、補修をしようということらしいです。中央大学の法学部、政治学科出身の伊藤玄二郎あたりが思いつきそうなアイデアです。彼は常に、市とか、県とか、国を財源として、利用するのです。自分の愛人の失敗さえ、県のお金を使って修復をしてきましたし。
NHKもむろん利用するのです。28日の政治資金に関するNHKの報道・・・・・(それは、彼が良く行う、鬼の居ぬ間の選択でしょう。その日、私にはメールでお知らせをいただいた、会合に出席をする予定がありました。)・・・・・に怒って、私は、この一文を書くことを決意したほどです。
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副題4、『恋のうぐいすからというラベルで、私をからかって来た金田裕子さんは、さらに、源平巻(豊島屋製)というお菓子で、瓜南さんと、タッグマッチを組み、二人がかりで、私をからかってくるのだった』
さて、スパイ役として、使われるだろう存在金田祐子さんからデートのお誘いがあった私は、断ったわけです。上の方で言っている通り、気を付けながら話をするなんて、めっぽう御免こうむりたいし、いくら、フェイスブック紙上では友達であっても、それほどの、犠牲を、私がこうむらないといけない、程の、恩など、彼女からは受けておりませんからね。
だけど、断ったら、このブログのタイトル、『銀座のうぐいすから』を明瞭にもじったとわかる、しかも、実際には、お店では、売っていない日本酒のラベル、『恋のうぐいすから』が、写っている画面が、フリーズして動かないという形で、からかって来たので、しばらくぶりに金田さんの頁に入って、その件の前後の、投稿に注目をしながら読んでみました。つまり、フリーズしたのは、ラベルのj-pegだけであって、それと連動する頁の記事(文字群)は、フリーズしている画面内では、出ていなかったからです。
すると、≪お嬢様、瓜南直子≫さんと一緒に、≪執事、金田裕子≫が、はしゃぎ切っている頁が、目に留まりました。それは、彼女が鎌倉へ来たことを示唆するものでもあり、鎌倉で瓜南さんと、お酒を飲んだことを示唆するものでもあり、そこで二人が盛り上がったので、それを記念して、瓜南さんが、お菓子を、後日、広島に住む、金田さんに送ったことを、示唆するものでした。
それは、豊島屋製の、源平巻というお菓子であって、それを種に、フェイスブック紙上で、二人は、大盛り上がりでした。その源平巻というお菓子は、一本、一本が、包み紙に包まれているという形とその長さを見れば、ヨックモックのシガールに、とてもよく似ているのです。そちらは、中東で、今大人気となっているお菓子です。だが、源平巻の味は、それとは、相当に違うものです。ヨックモックのシガールの方は、バターをたっぷり使った洋風な味のものですが、こちらは、和風なもので、半分が紅色、もう半分が、白の包み紙に一本ごとに、包まれているものです。
金田さんと、瓜南さんは、その包み紙をはがすのを、『袴を脱がす』などというエロチックな表現を使って盛り上がっていました。私は嫌悪感の塊になってしまい、それ以来、フェイスブック紙上で、二人の頁を見ることはありませんでした。で、瓜南さんが、すでに2012年の初夏に、亡くなっていることをも知らなかったぐらいです。
さて、この章は、ここが、最も大きなポイントになります。
このお菓子ですが、もしかすると、ここで文章化したので、豊島屋さんでは販売しなくなるかもしれません。東鳩のキャラメルコーンという、お菓子が、私が文章に取り上げたせいで、消えていますし。だが、そうなればなったで、私は、自分の文章がますます正しいと、言う風に書いていくこととなるでしょう。でも、現在は売っていますという形で、下に、豊島屋のホーム頁からコピペした、源平巻の写真を置いておきます。
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副題5、『原材料は、亀の甲せんべいに似ているが、味は、もっとシンプルで、それを補うために、飴が芯に入っていたかな?』
豊島屋の源平巻の製法ですが、製法としては、熱く熱した鉄板(または、銅板)の上に薄く溶いたお菓子用の生地を垂らして、円形のおせんべい風のものを焼き、それが、熱いうちに、丸めるという方法で作ると思います。
で、原料ですが、小麦粉とお砂糖と卵です。この分配が、どうなっているかは企業秘密でしょう。山口県の、下の関に、亀の甲せんべいという名物があると思います。原料だけは、あれと大体同じですが、あちらはその会社の主力製品であって、こちらはそうではないので、こちらの方が薄味です。卵の分量が少ないのです。で、それを補うために、芯に飴が入っていると思います。その飴ですが、空気を入れて白くした伝統的な飴です。
しかし、二重包装にあたるので、豊島屋のお菓子としては嵩(分量)がある方だし、銀色の模様の上に赤い桜がとびとびに散っている、立派な缶に入っているので、遠方に送るのは安心でもあります。しかし、鎌倉の長期住人である、瓜南さんが、贈るのにしては、変な選択だなあと思いました。
というのも、私はお菓子を贈答品に使うことが多くて、豊島屋のお菓子はほとんど全部を贈答品に使ったことがあるのですが、源平巻は自家用に買った時に、・・・・・豊島屋の商品の中では、おいしくない方だし、デザインもさほど、珍しくない・・・・・と見極めて、以降、贈答品としては、使ったことがないからです。他人に贈る前に、自家用に買って、どういうものかは、常に、確かめてから、贈りますので。
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副題6、『有職故実の、伝から考えると、この選択は変なので、≪あれ、瓜南さんは、もしかしたら、お金がないのかな?≫と、気が付いてくる』
同じ豊島屋のお菓子でも、「相生」などは、デザインが非常に珍しいものなので、ずいぶんと使いました。建前としては、遠方には、送付できないこととなっていますが、真空パックになっているので、別に壊れたりいたむむことはありません。ただ、お値段に比較すると量が少ないので、いくつかの箱を買って、同封で、私自身が、別の新しいクラフト紙をまいて、自分で、手続きをとって、贈ります。チルドで、贈ればもっといいのでしょうが、既に、真空パックになっているので、普通でも、大丈夫です。このあいおいは、量から考えると、贈る側が、お金をけちっている様に見えるので、それは、損ですが、美しいお菓子です。切り方を工夫して、供すると、さらに映えます。だから、しょっちゅう使います。
また、夏限定、そのうえ、本店限定だと思いますが、シャボン玉という美しいデザインの、白餡製の羊羹があります。
でね、画家であり、漬物評論家である瓜南直子さんが、『あえて、これ(=源平巻)を選ぶのなんて、変なセンスだなあ』と思いました。その時に『瓜南さんって、形ばかり大きいのを選んでいて、それも、どこか、変なセンスであって、最上級の趣味ではありませんね』と、思ったものです。『そのうえ、舌の方も、意外と、信用できないなあ。こんな、あそこのお店では、まずい方だと、私は、思うお菓子を送るなんて』とも、思いました。
そして、もしかしたらお金をケチったかな?と、一瞬思ったものです。芸術家って、それが、恥ではなくて、お金がないものなのです。で、時には、500円とか、1000円の差にこだわることがあります。そこまで、直感として、分かりました。
これが、後ほど、2012年の秋に入ってから、遺言的ツィッターを読んだ時の、感動につながっていきます。それを読むと、実際に、瓜南さんには、お金がなかったのです。だから、豊島屋本店に行って、総計、20以上はあるラインナップを見て、お金に比較すると、嵩(かさ)が大きくて、一見すると見栄えがする、源平巻を選んだのだと、分かってくるのでした。かわいそうに。
こういうことは、洋服を着た人間の外観からは、見えてこないことです。しかし、江戸時代は、一種の名家だった私には、贈り物の選び方も、≪心を込めるという意味では、手作りにするのが最上であり、もし、買うのなら、何を選ぶかは、考え抜く部分がある≫ので、この瓜南さんの選択には、大いなる疑問を持ちました。浅野匠の頭が、殿中で、刃傷に及んだのは、こういう有職故実の問題がきっかけでした。
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副題7、『ここで、平成の八墓村事件を思い出さないといけない』
そういう私に向かって、引っ越し草々で、まったく親しくないのに「お砂糖を貸してください」などと言ってくる、・・・・・こういうスパイや、泥棒に至る諸悪の、根源となっている・・・・・ご近所の安野夫人は、30年前の、1982年の昔もそれを感じたし、2014年の、今、ここでも、また、改めてそれを、感じますが、本当に、何も知らない女性です。
または、ソープオペラ(=テレビの、下町風ホームドラマ)の観すぎの単純極まりない女性であるしょう。そんな人がトップに立って威張っているので、この地域は、私が、引っ越してきたころは、近隣同士が争って、もめごと三昧でした。そのもめ事を、引っ越してきたばかりの我が家の土地を盗むということで解決がなされたのが、アジサイ畑欺罔事件と私が読んでいるもので、瓜南さんもそれが、アルから、ここに書いている通りに、動かされているというわけで、すべての、悪の根源なのです。
ところで、安野夫人が、トップに立つために利用をしたのが、井戸端会議でした。彼女が自分の家の前で、主宰をするのです。そこで、中学校のいじめ現象みたいなボス支配が行われていて、それが、諸悪の根源でした。『お砂糖を貸してください』という口実も、それをきっかけにして、私が、井戸端会議に参加する様に仕向けるのが目的だったでしょう。
彼女はそれなりの策略を弄します。で、井戸端会議ですが、現代の東京圏の一戸建て住宅地では、小さいお子さんがいる専業主婦が、幼稚園バスの、送迎の際とか、夕方、子供が遊ぶのに、付き合いながら、別のママ友と、情報交換をするという形で、行われているのはあると思います。だが、毎日、定期的に、しかも、その目的が、或る一主婦(ここでは、安野夫人)の政治的権威と支配力を高めるためなどというのは、行われていないと思います。急に、ソサイエティができた、新しい住宅街では、そういうことも起こりがちですが、やがて、おさまっていくのが普通です。そしてボス支配を目指す方が、追い出されます。つまはじきにされます。ところが、ここはあまりにも戸数が少ないのと、瀬島隆三が、その親友益山重夫氏との、関連で、私を暗殺しようとしていて、それで、一種の攻撃用弾丸として安野夫人を利用しているので、彼女の、井戸端会議は終わりません。彼女の方は追い出されません。
ボス支配が大好きな、安野夫人にとって、井戸端会議はやりたくてやりたくて、仕方がない事案なのです。でも、私はパソコンが壊れることや、電話や、室内が盗聴されている事、泥棒が入ること、そして、友達が奪われて離反をしていくことなど、あまりにも被害が大きいので、やがて、このご近所問題を書き始めます。
すると、やっとですが、井戸端会議の頻度が下がりました。特に、石川和子さんが、警官を呼ぶ大失敗を起こしてからは、やっと、私が≪相当に頭がいいのだ≫ということが、伊藤玄二郎一派にも伝わったみたいで、そういう筋からも、『安野さん、奥さんを少し静かにさせた方がいいですよ』とでも、話が入ったのでしょう。
しかし、安野夫人や、そのお仲間の、前田清子さんにとっては、「なにさ、川崎千恵子ごときに支配されるなんて、それは、変な話でしょう。なんて、不自由なんでしょう。彼女って、嫌な人ねえ」というだけの話らしくて、いつも、再開したいと願っているらしいです。
で、平成の八墓村事件が起きてから、たった、30時間以内に、安野家の前で、井戸端会議が復活し、かつ、この山全体が、たった20戸しか家がなくて、昼間、留守の家も多いのに、まるで、夕方の銭湯みたいに、うるさかったです。「うわーん」と、急に喜んで、井戸端会議を頻出させる、すべての声が、反響しあって、うるさいこと、うるさいこと、激しかったですよ。
このボス的支配をする、女性たち、安野夫人と、前田夫人の行動様式の特徴は、『自分たちが勝っていると思っているときは、すぐさま、攻撃態勢に入り、彼女(=私のこと)を、やっつけてしまいましょう。殺すまでやっちゃいましょう』というものなのです。
で、平成の八墓村事件が起きて、なぜ、彼女たちが、たった、30時間後に、勝った勝ったとはしゃぐのでしょうか? それを考えているうちに、分かってきたことは、この事件は、あらかじめ調査し、・・・・・保見を、容疑者として、仕立て上げ、しかも、彼を逃がしておいて、行方不明にさせ、・・・・・結果として、ただ、その陰惨さを、強調し、・・・・・近隣トラブルが発生している際には、多数派が、正しいのだ。少数派は、悪いのだ・・・・・という観念を、世間一般に広く流布をさせて、・・・・・その次に、三段論法によって、私のブログの読者層に、・・・・・あの著者は、悪い人間だ・・・・・だって、少数派だから・・・・・と、思いこませることが目的で、仕組まれている事件だ・・・・・ということでした。
つまり、諸悪の根源たる安野夫人を、助けるために、徳山市、金峰という細い谷合の地域に住む、五人の無辜の老人が殺されたのです。保見は、やっていないでしょう。そして、厚生労働事務次官殺しの、小泉毅とか、なりすまし疑惑の、片山祐輔君とは、違って、保見は、インテリではないので、教えられたことを飲み込んだとしても、突然裁判で、本音を語りだすかもしれないので、裁判が行われないということになるのです。恐ろしい女性でしょう。だけど、その女性を助けるために、安倍総理大臣は、海上保安庁の長官を現場から採用するという措置を、2013年の8月に行ったのでした。
もう少し付け加えれば、実際に殺害し、放火をしたのは、プロのアサッシン(暗殺者)で、警察ではないでしょうが、警察が、深く協力をしたのは確かです。600人も、警官を動員し、大事件だ、大事件だと言い募りました。『まさか、安野忠彦氏が、発案した事案ではないでしょうね』と信じては、いますが、彼が警察に深く協力をしているのは、大きく証明されています。恐ろしい一家です。
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副題8、『朝(あした)に紅顔の美少年にして、夕べに、しゃれこうべとならん』
まあ、こういうケースと比較すると、瓜南さんと、金田裕子さんが、行ったことは、メルヘンチックで、小さなことと言えましょう。だが、毎晩、パソコンを開けた途端に目に入る、現象だったので、二人からは、相当な、ストレスを与えられました。そして、そこからアイデアを得て、さらに深い攻撃として、梅森伸一君の、なりすまし疑惑というのが起きたので、そういう攻撃用道具として瓜南さんと、その親友にして、執事を名乗る金田裕子さんは、私のとっては、ひどい存在でした。悪の塊として、受け止める存在でした。
ただ、瓜南さんが、芸術家特有の貧乏に見舞われていたというのを『やはりそうだったのね』と感じ入ったのは、2012年の10月に入ってからであって、その前の年の、2011年の11月に、金田さんの、フェイスブック投稿を読んだときは、『瓜南さんが、貧乏だ』という確信はないわけですから『かさばかり大きくて、味は悪い方の、それを、もらって、うれしがって、はしゃぎ切っている、金田裕子さんって、田舎者ですねえ。二人とも、そろって、おかしな人たちですね。センスという意味では、まったく、尊敬できませんね。
ああ、いいわ。ふざけきっていなさい。そういう風に、私を、いじめたり、からかったりしていなさい。こちらは、こちらで、≪センスが悪い二人だこと≫と、あなた方二人を、笑って、反対に、見下して、おくわ』と考えて、それ以降、一切、二人の投稿を見ないこととしたのでした。
それ以前は、瓜南さんは、短文の名手であって、そういう意味では、読むのが面白いとは思っておりましたよ。
そして、こういう風に悪用をされている瓜南さんについては、『いつか、このいきさつを、文章化しましょう』と考えておりました。
彼女の、全日本あすはが連も、わが家の土地が盗まれた経緯の、証拠隠滅に絡む話で、ひどいいじめだし、映画のプログラムについて彼女が短文を書くことも、『消された映画』という本を準備中の我が家から、映画『TOKYO』のプログラムと、映画『靖国』のプログラムを盗んでいる、これら、CIAまたは、その手下としての警察(?)などに協力する、ひどく低級、低劣ないじめですから、本当に心から、軽蔑していたのですよ。知らぬは、瓜南直子さんだけだったでしょう。
ところで、あれほど、はしゃいでいた、二人のうち、主役のお嬢様、瓜南直子さんの方は、そのたった半年後に、死んでしまっていたのです。
そこから、思い出すのは、母がよく口にしていた、明日に紅顔の美少年にして、夕べにしゃれこうべ足らん』という箴言(高僧の言葉であるとか、wikipediaには、出ているが)でした。源平巻の一本づつをまいている紅白の包み紙を、袴をはがすと言いながら、ふざけあっていた二人のうち、瓜南さんの方は、その半年後に、自分が死なないといけないことを、その時に、自覚をしていたでしょうか?
私は、2003年ごろから、いつも、メメントモリ(死を思え)という言葉を忘れたことはありません。このブログも、一種の遺書として書いています。榊原さんの名前を出すのなど、彼女とは、再び会いまみえないという覚悟をもって書いていることですよ。
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副題9、『瓜南さんは、パートナーとの関係が、伊藤玄二郎たちの、お誘いが、かかり過ぎるがために、切れかかっていたのではないだろうか?』
上に書いた様な、公的に発表されるフェイスブック紙上の、やり取りだけではなく、私との個人的なやり取りにおいても、権高く威張りかえっていた瓜南直子さんについては、『あ、わかりました。私は、あなたを愛することをやめます。あなたの文章を読むということは、あなたについて、エネルギーを割くことであって、それは愛の一つの表現方法なのだけれど、それはやめます。あなたのことは、私の心と頭脳から抹殺をします。そして愛さない人、むしろ敵である存在として、あなたがなさったことの、本当の意味を、将来書くでしょう』と、決意をしました。
しかし、私はこのブログを、計画的な、プログラムに基づいて書いているわけではないので、彼女について真剣に書き始めたのは、2012年の10月15日が初めてだったと思います。 その文章は以下の形となります。