銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

浜銀鎌倉支店は、共産党の傘下に下っているぞ?・・・柄沢斉、大原光孝、前田祝一・・・△

2015-05-14 08:42:47 | 政治

 これは、前報(後注1)の続きです。そちらが、長くなったので、スピンオフとして、独立をさせた物です。今は、15日の午後4時ですが、前半部分を前報に移動をさせ、後半部分をさらに加筆充実させました。で、やっと、完成としていいかなと考えております。完成したしるしに、恒例の△印を総タイトル右肩につけておきます。なお、その変更をする前の総タイトルは、『人間は、言葉によって、他人を射落とすのが、可能かどうか?(柄沢斉、大原光孝、前田祝一)』としておりましたが、現時点で、変更いたしました。

 で、新たな大量の加筆をするために、字数制限を乗り越える為、副題1~7までの章を前報に移動をさせました。

副題8、『ご近所づきあいの中での、保険とはなにか?』

 私が渡辺賢司さんをこと上げし抜くのは、大体普通の時から、恭順の意思が見えないからです。いや、恭順の意思と言っては大げさすぎますが、あとから引っ越してきた人、そして、若い人が、都会地の住宅街で住む場合の普通のレベルの、親愛の情を示さないことが問題だったのです。その詳細は後で、別のブログで、語りますが、それが、有るので、ずっと、以前から警戒を続けてきました。それに道路を犠牲にした我が家に、まるで無関心にも、自分の花畑には、いろいろな花を植えていますね。それ以外の、いろいろな、事情を勘案すると、わが家に対しては足を向けて寝られないというのが真実なのに、一切の感情移入や、恭順(または、親愛)の意思が見えないということなのです。    

 さて、渡辺賢司さんは、自由業です。朝から電車で通勤する必要のない生活です。詳しいことは知りませんが、奥さんが、スペインに一年留学の経験があるそうですから、夫婦そろって、国立大学の文学部もしくは、語学専攻の外語大学などを卒業していると、推察しています。私立大学の卒業ではないでしょう。それと、東大でもないと、推察されます。東大となると、どんなに頭の良い人でも、社交性も確立しています。言葉づかいは丁寧ですし、如才がないと言ってよいほどの、社交性は確立しています。全方位タレント性を持っています。昔、勤務していますので、よくわかっています。中には、「僕は、独身なのだけれど、結婚指輪をはめて、銀座のクラブに出入りしているんですよ」と豪語している美形の助教授もいました。(昔は、准教授と言う呼び方は、なかった)

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副題9、『お隣が、二人とも東大卒なのにもかかわらず、悪魔の様な、企みを次から次へと仕掛けてきた5年間があり、つらかった。無論、裏側には前田+安野夫妻がいて、教唆指導をしているわけだが』

 で、これから先は、東大卒だと、確信をしているお隣に、テーマを移します。お隣は夫婦そろって、十分に社交的です。それもあるし、早稲田の建築科に対して私が言及した時に、「あそこも、いい大学ですが・・・・」と奥さんが、ふと、という感じで言ったことから、二人が、夫婦そろって東大卒だと、推察する様になりました。 

 このお隣さんが、一時期、私の神経に触ることを連続して行って来ていました。拷問に等しいほどのことの連続でした。だから、渡辺賢司氏の【一回だけの布団たたき】より、こちらの方がずっと悪質と言ってよいほどです。 無論の事、こちらも、前田夫妻や、安野夫妻が、電話、または、私の居ない時間帯でのリクルート作戦、または、お茶するとか、食事会を一緒にするという形で、自分たちに都合のよい情報だけを与えて、自分たちの都合のよいように使いまくっている存在だという事・・・・・それは、分かっています。でも、戦いにくいところがありました。 それは、ここに引っ越してくる前の、ご主人の方、白井さんの仕事(=勤務会社とか、建築家としての作品例)が解らなかったからです。たとえば、最悪のケースですと、私が今、トラブルの源泉として語り続けている北久里浜の、敷地の広い4棟の大マンション、ルネ・北久里浜(売り出し時の名称は、そら・ヒルズ)を、設計した人物であり、瀬島龍三が直々に、リクルートをして、お隣さんとして派遣をして来た存在だと、仮定をすると、非常に厄介です。で、ずっと、我慢の極地でした。   

 これは、一種の邪推と言ってもいいほどの事なのですが、そもそも、私がこちらへ引っ越してきた事自体が、瀬島龍三の謀略ではなかったかと思うところもあるからです。と言うのも三浦半島って、間に背骨の様に、山脈が通っているので、北久里浜と鎌倉とは、電車を使うと、1時間半もかかるのです。時間の比例でいうと、距離的には、二倍に近い新橋よりも、こっちの方が、遠いのでした。しかし、そんなに鎌倉からは遠い北久里浜の我が家に【文化都市・鎌倉に、手ごろな値段の物件がある】と言うチラシが何度も入れば、当然のごとく、興味を持つではないですか?で、人間関係が超がつくほど難しいところである、ここ、雪の下へはわざと導入をさせられたかな?と、思うほどです。 それほどの、大悪人である瀬島龍三が、お隣も、導入したとなると、お隣と仲良くなるのは、非常に難しいですね。 で、北久里浜のマンションの設計をして来た人かどうかは、いまだにわからないのですが、最近の仕事の一つが、横浜銀行の鎌倉支店の設計だとは、分かり、そちらの縁があって、ここに引っ越してきたことは確かです。   

 その際に、それが、解っただけではなくて、勤務先とか、役職名もわかりました。偶然の機会にです。しかも、至極まっとうな方法でわかりました。別に探偵を雇ったわけでもなく、東大図書館で、住所録を調べたわけでもなく、工学部の事務所で、質問を重ねたわけでもないのですよ。本当に、神様からのプレゼントではないかと言う形で、何の苦労もせずに、分かりました。皆様には、「私はいつも、神様に見守られて来ています」と言い続けていますが、この様にして実例があり、嘘ではないのです。   

 最悪のケースに出会えば、それを大ダンビラとして、かざせばいいのです。このご夫婦に関しては、こっちが首根っこを押さえてしまったというも同然なのです。しかも、過去に『道義的に言うとそれはないでしょう』と言うほどの、事に手を染めてきておられるので、前田氏の悪を語る際には、当然のこととして、こちら側の悪も語らないといけなくなります。

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副題10、『美しかった浜銀・鎌倉支店のシャンデリア(二階にあったもの)が、無くなってしまった。これも、井上ひさしの差し金でしょう。資本主義の権化が、共産党の支配下に下っていますよ。恐るべき日本です』

 しかも、その前田氏の部分に、触れた下書き文を、10時間ぐらいの長さで、二週間前にすでに、さらしてあります。しかも、ひっこめてあります。どうして、ひっこめたかと言うと、小野寺夫人が、関与したケースのリンク先を探したかったからです。それは、単純に、「リンク先を探さないといけないので、ここで、不十分、または、未完成ですが、終わらせておきます」と言ってもいるので、このブログを気にしている存在には、白井・小野寺夫妻が過去におこなった悪どい事が、近々、このブログの世界に載るだろうとは、充分に推察できるわけです。   

 で、それ以前は、前田氏にとっては、「バックに警察もいることだし」、と安心しきって、あくどい事を平気でやり続けてきていたのですが、最近では、少し、『まずかったかな?』と思い始めているみたいです。と言うのも、一回、業を煮やした私が、そのジョーカーを切っているからです。その結果、浜銀鎌倉支店の二階にあった美しいシャンデリア群が、無くなってしまいました。そこが、鎌倉らしい豪華さを演出していたのに。と言うのも、鎌倉には、寺社仏閣が多くて、それらは、資産を主に、銀行管理に任せているそうで、鎌倉の、特に三菱銀行は、日本一の預金高を誇っているそうです。浜銀内でも、鎌倉支店は、行内イチの預金高を誇っている可能性はあり、そのシャンデリアは、それに、ふさわしい豪華さを演出していました。イメージとしては、シャングリラホテル(八重洲口)のロビーに似ています。もっと、静かで華奢な感じですが。

 私はお隣のご主人白井さんの作品として、「あれがそうですよ」と、そのシャンデリアを含む新・浜銀・鎌倉支店の名前を、教えられた時に、元から、その美的センスを大いに評価していた彼を、再度、高評価し始めました。ところが、あまりにも前田氏が、ひどいこと・・・・・この部分のリンク先を後で、見つけておきます。・・・・・・をするので、浜銀鎌倉支店の、シャンデリアについて、それを、ジョーカーとして切った途端に、そのシャンデリアが、消えてしまいました。

 ここですが、これこそ、井上ひさしのアイデアです。彼は、自分を公には死んだことにしています。だが、それは、私が、ものすごい速さで、入力することが可能で、特に、2009年ごろは、大量にものを書いていたので、チェックするのが追いつかなくなったので、公的は社交生活をやめて、私のブログ文をチェックして、そこから、対・私いじめのアイデアをねん出するために、自分を死んだことにしたのです。

 彼が私の文章を、種に、いじめるために起案したもっとも古いものは、禁煙運動です。これについては、大量に書いたものがあるので、あとで、それもまとめないといけません。次が、鶴岡八幡宮境内内の、あめりかきささげのばっさいです。この件も、八幡宮様の大銀杏が倒壊する機縁となっています。だから、八幡宮様に対しては何度も、私のブログを詳細にお読みにならないといけませんと、申しあげております。が、それを実行なさっているかどうかは怪しいです。いや、むしろ、お読みになっておられないでしょう。でも、何度も同じことを書きますが、八幡宮様は800年の歴史があるのですよ。井上ひさしが、権力を握ったのは高々、この30年間、もしくは、1965年からでしかありません。どうして、彼ごとき、貧しい生まれで、しかも、カソリックの信者だと公言している人間のいうことをお聞きになるのですか? と問い合わせないといけません。無論のこと、巧妙な井上ひさしは、間に、なんとか農大の何とか、教授を挟んだそうですが、アメリカキササゲは、何の病気にもなっていなかったのです。桐っては、真っ黄色でしたよ。それが、黄ささげの名称の由来です。

 彼のアイデアで、社会で、蔓延した悪現象は、おお相撲壊滅作戦も、その一つですが、最大のものは、3.11の大地震を人工的に生起させた事です。でも、こういう事はNHKも言っていないし、新聞も言っておりません。このブログだけでしか、公開されていないでしょう。だから、このブログをお読みなさいと言っているのです。

 そして、浜銀さんも、どうして、あの美しいシャンデリアを、取り去ってしまったのですか? ホテルシャングリラのそれと比較をすると電球一つ一つが、より小粒だったので、それが、かえってきれいでしたよ。本当にどうして取り去ってしまわれたのですか? だれの教唆でしょう。白井さんご自身の、提案でなかったら、私は、これから先、何度も資本主義の権化、横浜銀行は共産党員の、軍門に下ったと、申します。

 頭取と、浜銀支店長は早急に反省してください。ここで、言う共産党員とは、こういうアイデアを出し続ける・・・・・そして、究極のところは、3.11まで案出して、数万人、数十万人の、人々に危害を与えている、井上ひさしに従うことなのですよ。これでは、浜銀さんは衰運に向かいます。

 何か、地銀連合の、トップになれないみたいなニュースが出てきましたが『ああ、やはり、悪いことが起きましたね』と内心で思ったものです。この、連中と組すると、必ず災禍が下ります。鶴岡八幡宮様がいい例です。

 浜銀さん、しっかりしなさい。目を覚まして、悪縁をお切りなさい。神の加護を招き入れるためには、あの美しいシャンデリアを復活させるしかないです。

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副題11、『僭越ですが、浜銀さんが理解できる様に、事情をかいつまんで説明をいたします』

 井上ひさしは、日本ペンクラブ会長を務めていたことがあるのですが、その際、どういういきさつか、鎌倉ペンクラブ会長伊藤玄二郎と親しくなった模様です。で、伊藤玄二郎は、元愛人を女性側から名乗る石川和子さんに、種々の便宜を与え、彼女をくの一として使って、私の動向の監視をさせました。

 どうして、私が監視をさせられないといけないかと言うと、横須賀市の京急北久里浜の東側の丘の上にあった、水道山を、地籍変更届と言う仕組みを利用して、益山重夫と言う、元海軍参謀が、ただで、手に入れてしまったのです。名義上は、仲野通巳吉と言う男性(益山氏の義弟)が、社長をしている大建産業でしたが、・・・・・その土地の、4分の3程度を、瀬島龍三が手に入れ、今ルネ北久里浜と言うマンションを建てて、売り出しました。私は1979年当時、益山氏の地境地主としてそこに住んでいましたので、巻き込まれてしまい、裏側の事実を全部知ってしまいました。だから、瀬島龍三としては、殺したいのです。だが、私の方は殺される理由がありません。

 で、ノイローゼにして殺していこうという作戦が取られていて、それに、伊藤玄二郎は、大きな役割を果たしていて、そのアイデア提供者として、井上ひさしが機能しているのです。これ以上の詳しいことは、私のブログを過去にさかのぼって、ご研究をいただきたく、元からの文章の推敲へ進みます。

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副題12、『安野家の前に数十年間、飾られていた警察官たちより所の看板・第13号が消えているが、その理由は?』

 例の青色の地の、『警察官たちより所』の、第14号の看板を持っている前田家です。こんな、辺鄙で平和なところに、しかも、たった、20軒しか家がなくて、空き家も数件あるので、実質的に動いている住民が、15人もいない場所で、二軒もの、警察官たちより所があるなんて、異常ですが、前田家はそれを持っていました。し、彼ら夫妻の、親友らしい安野家も持っていました。最近、安野家が、急にその13号と書いてある看板を外しています。が、内実は、どうなっているかはわかりません。ここで、内実とは、安野家には、月に10万円程度の謝礼が出ていて、私が外出する際に、『<今、彼女は、家を出ました>よと、警察に、ご報告を毎回、していたのではないかな?』と推察する点があるからです。それは、外出するたびに、小町通りの反対方向から、制服を着た禁煙監視員が、やってくるのですが、その現れる時間的タイミングで、そういう風に思えるのでした。

 

 『ここで、この看板を外すのは、ご都合主義だ事』と、あざ笑いたくなりますが、先へ進みます。安野家のやって来た悪については、それが、多すぎて、しかもあくどすぎるので、まだ、語りたくはありません。その開示率は、まだ、20%程度です。

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副題13、『大原光孝さんとは、最初に友達になったのだが、だからこそ、彼には光が当たる様になった。この際の、光とは、神奈川県立美術館からの愛顧だ』

 さて、前田氏のバックにいるのは、警察だけではなくて、共産党もいます。 で、私から見ると、そのどちらの組織も、CIAちゃんの家来ですから、前田祝一、清子夫妻は、それこそ、万軍の長になったみたいな、自信を持っていた筈です。それは、従来から、判っていましたよ。しかし、私に言わせれば、だからこそ、日本の政治の真実が、分かるので、『あら、そうですか』と、その精神的拷問の類を、右や左にうっちゃりながら、気にしないで、生きて来たわけです。今般、一連の過激派イスラムが起こした事件、そして、ドイツ格安航空機が起こした事件、これらは、全部、この鎌倉雪ノ下の山の上で起きた、過去の異常なケースの修正を狙って行われたものです。   

 前田祝一・清子夫妻(+、安野夫妻)を、助けるために、起案された出来事なのです。それが、全部、私には見えているし、因果関係も分かっているから、相当に自信をもって、このブログ文を書いているわけです。    

 でも、トカゲの脳味噌と、私が規定して、いる前田氏だから、それなりに、助かりたいと思う気持ちも強いらしくて、今現在早急に行いたい事としては、渡辺氏と、小野寺夫人を救済したいと願っている模様です。    

 渡辺氏の布団たたきの件に関しては、それが最初に行われた時点から数えると、ほぼ、1年後の、最近に、N・未亡人を使って、リメイクをさせました。N・未亡人に、午後三時に大音響で布団たたきをさせました。で、もし、私がその件を咎めるという形で、蒸し返したら、「この山の中では、布団を叩くという、普通の事でさえ、彼女に、文句を言われる。彼女は神経質すぎる」という噂を流して、私を孤立化させ、それによって、ノイローゼにさせ、精神病院に入れてしまおうと、言う作戦に出たのだと、推察しています。   

 中国の毒入り餃子事件が嘘のものだったので、それを再現して、本当らしく見せ様としているのが、マルハニチロの農薬混入事件です。しかし、白井・小野寺夫妻に、協力をさせて行った悪とは、それほど、単純な形ではないのです。だから、他の人間を使って再現しようにも、ピタッと、私の心に訴えるかどうかが不安だったのでしょう。で、別の手段で、それを書かせまいと乗り出してきました。    

 それが、大原光孝さんを利用する事です。大原光孝さんとは、生涯を絵描きとしてのみ生きてきた人物で、世間に出て働いたことがありません。それが、前田さんの悪だくみに、やすやすと乗せられるという事の一因になっています。環境が、そこそこに、お金持ちだから、高等遊民生活が可能なのです。それは、実家も医者だし、奥さんの実家も医者だからです。

 彼が世間一般の男性より、弱体化してしまっている二つ目の原因は、養子であることの様です。あとから思えば、「父は、吉原で開業をしていました」と言うので、変だなあとは思っていたのです。吉原だと、赤ひげ先生である事はあるだろうが、一般的に言えば性病を扱っているというイメージがあって、世間体が悪いので、そんな地名を、この鎌倉で、さらす必要はないのです。むしろ秘めておいた方がいい。その時点では、養子だとは知らなかったのですが、今は、養子であることを知っていますので、あれは、養父の事なので、防衛する気分が、生まれなかったと、推察してます。でもね、全体としては、いい人だと思って、最初に付き合い始めた人物の一人です。 

 付き合うと言っても偶然出会った時に、立ち話をするだけですが、お互いに同じ美術の世界にいるわけなので、話のタネは、あるわけです。ところが、この山には、CIAからスパイ役を頼まれている人間が何人も住んでいます。特に、伊藤玄二郎の元愛人だったという石川和子さんと、その親友となったらしい、安野智紗夫人は、もっとも初期からスパイ役を果たしてきています。

 でね、彼女たちから情報を得た伊藤玄二郎は、瀬島龍三などと相談をして、彼と私との仲を裂こうとし始めました。彼らCIAさん達は、心理学を駆使します。それで、人は石垣、人は城と言って、友人が大きな力を持つので、友人を引っ剥がしていこうとするのが、一つの大きな作戦です。    

 で、神奈川県立近代美術館が使われて、まず、彼のお嬢さんが、そこに勤務をできることとなりました。私に言わせれば、ただ、展示室に座ったり立ったりして、泥棒が現れないかどうかを監視するなんて、つまらない仕事です。しかし、父親が、絵描きであって、定期収入がないとか、社会的な身分もないとか、いろいろ、不安定な立場だと、お嬢さんの勤務先が、公立の、しかも有名美術館である事は、彼女のお嫁さんとしての、箔づけに役立ちます。それを相手側から、提供されたのは、うれしい事ではあったでしょう。 お嬢さんはフェリスに学んでいますが、フェリスは横浜では、横浜国立大学と、合同サークルがあるらしくて、すでに、大学在学中にお嫁入り先は決まっていました。が、大学の名前に、さらにプラスして、安心感をもたらすのが、この仕事です。

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副題14、『大原さんは、このお嬢さんを使ったバーター取引に乗って、友達関係を切って来た。それも直接、しかも惜しそうに言われたので、私はひどく嫌な思いをした。しかし、彼の方には、二つ目の光が当たる様になった。それは、彼が、柄沢斉氏の、弟子になったことだ』

 と、同時に、柄沢斉氏との、付き合いが始まったみたいです。理由や目的は、表向きは、木口版画を教えてもらえると言う事でした。しかし、その時点から、突然に、彼は、悪人化したのです。     

 で、まず、私との直接の喧嘩が起きました。これは、関係者は、みんなが知っている話だろうと思って、触れないで、来ていましたが、ブログの読者様には、お分かりにならないことだと、思いますので、簡単に再現すると、彼が、思わぬセリフを吐いたことがあり、それが、一回目です。

 私と、彼とは、立ち話が発展して、作品を見てもらい、その批評をして貰う関係に入っていました。で、私が、ニューヨークで、制作してきた版画を見せていた時のことです。それを、点検したり、批評をしたりしながら、「家内がね。<もう川崎さんとは、付き合うな>というんですよ」と、のたまうのです。本当に呆気にとられました。

 ここが、何度もいう様に、彼が世間知らずで、対人関係の在り方が、まるで、分かっていないと、私が強弁する一例なのです。これは、もちろん、私側に落ち度はない問題であり、瀬島龍三一派が、酒井忠康 → 柄沢斉 → 大原光孝と言うラインで、言わせていることですが、こんなことを、さも、惜しそうにしながらも、目の前にいる相手に告げるバカがどこにいますか? 惜しそうにと言うのは、私が美術作品の批評をお願いする事は、対人関係の少ない彼にとっては、大いなる楽しみの一つだったからです。そして、私はそれこそ、菓子折り文化の人だから、常にお礼をしていました。それも、また、ある種の楽しみではないですか?     

 その場所とは、現在は、神奈川県立近代美術館・鎌倉館と呼ばれている施設の二階にある喫茶室ですが、本当に目をむくほどに驚きました。彼が、「こういう裏側があるみたいで・・・・・」と、大人の男性として、きちんと明らかにしてくれれば、例の北久里浜の、瀬島一派の、土地の詐欺事件を持ち出して説明をしたでしょう。だけど、惜しそうにしながらも、すでに、心を決めたとして、アンビバレンツな、しかも、子供みたいな態度を示しては、大人の私としては、例のごとく、リアルな現場では喧嘩をしないで、おさめておくしかないではないですか? だから、彼は、この時点で、私がすでに、怒ってしまい、彼を見放していることに、気が付かなかったみたいです。    

 そして、そのバーター取引の結果として、柄沢斉の弟子になりました。しかし、そうなってから、どんどん、下品になって行きます。ほかの画家とか、版画家の裏側を語る様になります。「あなたも、似た様な事をしているではないか?」とおっしゃる向きがあるでしょうが、私の場合は、自分が被害を与えられている相手だけです。彼の方は、平山郁夫氏の悪口まで言い始めます。それも、平気で、しかも対等な口ぶりで。

 それを聞いた当時には、平山郁夫氏は、芸大の学長であり、一方の大原さん は、勤務先もない身で、しかも卒業大学が、水道端と言う名前でも呼ばれていた元予備校の、創形美術学校だから、何とも、違和感のある物言いでした。ほかにも山本容子の作品が、ホックニーの引き写しだとか、いろいろ聞きました。ちなみにその時点で、私は、ホックニーが、背景を書いたメトロポリタンオペラの、魔笛をすでにニューヨークで、見ていましたが、ホックニーの名前そのものには、知識がなくて、大原さんにバカにされたことでしょう。

 で、これは、・・・・・彼がその頃付き合い始めた、柄沢氏が、下品なのだろう・・・・・と考えました。柄沢氏が、下品になったのは、日経新聞の支援を得はじめたからでしょう。そして、それは、 実は、CIAにカバーをされる事なので、私のご近所の石川和子・柳沢昇夫妻と、まったく同じ様に、世の中を甘く見て、タカをくくり始めて、下品で傲慢に なっていくのです。

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副題13、『私が買ってきたハナマサのワインが、自宅付近の石段で割れた時、大原さんが、横を、いかにも小ばかにした様に、<川崎さん、ワインが割れて惜しかったねえ>と、言いながら通り過ぎた。その件をここで蒸し返そう』

 私は一時期ワインを飲む事に凝っていました。メルマガを書き始めてから、日が経っていなかったので、緊張するから睡眠薬代わりに飲んでいました。自家用なので、新橋の高速道路下の、ハナマサで、銀座の画廊巡りを終えたら、買って帰って来ていたのです。10年以上も前のことで、元気だったので、白と赤と二本いつも買ってきていました。ただ、130段もの石段を、時にはA4のパソコンも一緒と言う重い荷物を抱えて上がるのは大変なので、途中で休みます。     

 ハナマサは、安売りで、有名なスーパーなので、ワインだって、単純にレジ袋に入れてくれるだけです。で、石段の割れ目に、それが、おかしな角度で、はさまってしまい、ワインが転がり出て、割れました。あたりにはワインの匂いが満ちて、私は、『この匂いを、どう消したらいいかなあ』と、思案投げ首状態になりました。『自宅から、バケツに水を入れてくればいい』と、気が付いたのは後の話です。  

 そこをわきから「川崎さん、ワインが割れて、惜しかったねえ」と、あざけりながら通り過ぎていった人物がいて、しゃがれ声だったので、『あれ、ウィッチ(魔女)が、脇を通り抜けたのかな』と一瞬は思いました。しかし、それは、大原さんでした。彼は、声は汚い人物なのです。この時点で、彼は、柄沢斉さんとつるんでいて、もしかしたら、石塚さんも、出席をしていたパーティなどの帰りだったかもしれません。で、異常に舞い上がっていた可能性はあります。 そして、そのパーティの席で、「あいつ(=川崎千恵子)は、ばかだ」とか、なんとか、酒井忠康氏や、石塚雅彦氏から、聞かされていたのかも知れません。

 ともかく、彼は、異様に興奮をしていて、舞い上がっていて、私のことなど、虫けらのごとく、あしらいながら追い抜いていきました。彼は、医者の息子であり、ノブレスオブリッジを大切にする人間なので、以前だったら、「川崎さん、重そうだなあ。持ってあげましょう」と、言う筈でした。あまりの変化に、まず驚いたのです。そのうえ、疲れていたので、ダメージが大きかったです。母の見舞いと、銀座の画廊巡りと、本の編集という三つの仕事を東京で果たしてきていました。10年前だからできたことです。

 私は、『この屈辱から、自分を救うためには、これを文章に書かないとだめだ』と感じました。当時は、メルマガだけをやっていましたが、今よりも、ずっと頭が冴えていて、素晴らしい文章が書けましたよ。   

  つまり、単純なる悪口と言う形で、文章は書きません。それに、彼に、以前に、「もう、付き合わない様にしなさいと、家内から言われているんですよ」と言う恐るべき、告白も受けていて、それに対しても、深い怒りを感じていました。そして、怒りを感じ始めると、私の観察力は高まり、潜在意識の中にあったものが一気に吹き出てきます。

 文章の背景は、『何を甘えているのよ。あなたって、大人なの?』と言うことです。私は他人です。どこか、かわいいところがある人だとは、友人や、母からも言われているが、誰にも二重性がある様に、一方で、実は大人そのものであり、一種の賢者でもあるのです。

 錦糸町のジョナサンで、ノマド生活の一日として、パソコンで、自分の本の編集をしていたら、隣で、企業の相談に乗っていたカウンセラーが居ました。「急遽、相談をしたい。お金は出します」と、お金は要らないと言って、40分ぐらい相談に乗ってくれました。彼から、「あなたは、小さい時から、お母さんの、母親役=お守り役をして来たのですよ』と言われて驚いたのですが、そういう側面を持っているのです。大いに、成熟をしていると言っていいでしょう。内面では、深いレベルで、大人であり、一瞬にして、相手のすべての弱点も、分かってしまうほどの、智者なのでした。   

 特に軽蔑されたり、攻撃されたりしたら、潜在意識の中で分かっていたことが表に出てきます。だから、文章は哲学的、または、心理学的に、ひどく深いかつ、重い立派なものになるのでした。パソコンが壊されているので、原文が残っていないのですが、骨子は、「大原さんの家族は、本当の家族ではない。で、家族間の微調整に、彼は、心血を注がないとならず、それが、ネックとなっていて、それで、彼は、外へ働きに出ることができない。で、驚くほど、貧乏である」ということです。   

 この一文の中の、貧乏であるという項目はかわいそうだったと思います。しかも、微に入り細に入り、それを証明してしまいました。後で思うと、それは、言わないでもよかったのですが、そこまで、彼は私を怒らせたのです。

 世の中には、一見すると、喧嘩ばかりしていて、とんでもなく崩れている様に見える家族もあれば、上品でお互いに尊敬しあい、何の問題もない様に、見える家族もあります。大原家は後者で、わが家は、前者です。しかし、一番大切な事は、真実の愛がなんであるかを家族がお互いに知っている事なのです。そして、わが家は、ごたごたしている様に見えて、家族が、心底愛し合っています。いや、大原家に比較をするとですが、そう、言えます。もっと、上等な愛情を交換している家族もあるとは思いますが、大原家に比べると、わが家の方が、ずっと、血が通っています。ずっと、暖かい関係をお互いに築いているでしょう。

 これは、なかなかに難しい事であります。ただでさえ、結婚をして他人が、結びつく場合、たいそうな事なのに、そのうえ、その時点では知らなかったのですが、彼本人が養子だったのですね。だから、余計、家族内の、人間関係が難しかったのです。彼は本音で語り合えない家族の中で、相当に孤独であり、真実の人間関係を求めていたのでした。私が接触するのは、いつも、私の絵の批評と言う形であり、30分以内です。でも、大きな光にはなっていたと思いますよ。そこには真実があったから。    

 だから、あの「ワインが割れて惜しかったねえ」と言うセリフは、真実が言い合える、お姉さん(私)に対する屈折した甘えでもあったのです。屈折してしまったのは、細君に交際を禁じられていたからです。細君が、コウサイを禁じたのは、むろんのこと、不倫の関係に、私達が陥るという様な、セクシャルな点を心配してではなくて、酒井氏か、誰かから暗黙裡にあたえられた、・・・・・瀬島龍三との、件からくる、私の孤絶化への要請・・・・・・に、呼応したものだったでしょう。「バカな大原さんよ。常に、自分の本心を貫かないと駄目なのに」と言いたいです。たとえ奥さんが相手でも、本当の自分を貫く事が大切です。彼には追いつめられた経験が少なくて、訓練が足りないのです。本心を出して、そこで起きた新しい葛藤を、さらに乗り越えて行くという訓練が足りないのです。 

 しかし、こういうことを書いた大体の文案ができた時点で、『やはり、かわいそうだなあ』と言う気持ちも生まれて、彼に電話を掛けました。「大原さん、昨日、あなたが言ったセリフの顛末、あれを、文章に書くと、とても汚い話になるのよ・・・・」と。すると、間髪を入れずという形で、「いいですよ。書いて、いいですよ」と彼は答えました。私はもっと大人の対応を期待していました。「うーん。ごめんなさい。すみませんでした」と言う形。しかし、予想を裏切った応えだったので、びっくりして言葉に詰まっていると、彼が、やや、トーンを落として、「実名でなければ」と言いました。

 で、私は、さらに怒って、電話を切って、メルマガ内で、それを書いて発信をしました。

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副題14、『皆さん、心してください。現代社会では、あなたの個人的な秘密は一切守る事はできません。特にあなたがひとかどの人物ならば、守られないのです』

  副題14に書いた通りなのです。既に、2万字を超えたというので、その技術的なポイントを説明するのはやめますが、普通なら、メルマガの読者ではないので読まない筈の大原さんが、この文章の詳細を知ったらしいのです。しかも、この時点(ほぼ、10年は前の事)では、実名を表記していません。だが、復讐が始まりました。それが、藤沢東美の、中村さんに、創形美術学校の同窓という縁を利用して悪口を吹き込む事です。そして、そのまた同僚の市川さんから、仕事をする(キャンバス張りとか、大型の絵の上野への運搬)のを断られるという憂き目に出会う結果になりました。

 前の節の、「ワインが割れて」と言ういきさつを書かないと、この復讐行為への流れが、皆様にもよく、読み取れなかったと思います。済みませんでした。ひとえに、『関係者、みんなにとって、既知の事だから』という思いでぬかしたのです。ただ、さらに、そこから発展をして、T/boxと言う画廊のオーナーに、当時、たいへん評判がよかった、「月刊ギャラリーの連載をやめさせろ」と言う手紙を書かれてしまったのは、私の文章に対する復讐としては、やられすぎだと、思っています。ここら辺りは後注2に書いてあります。

  特に、市川さんには、何百万円ものお金を、すでにその時点で、支払ってきているのに、それほどの、失礼なことをされたのも、やられすぎです。      

 だって、最初は大原さんの、無防備で失礼なセリフで始まったことですからね。彼が、もう少し、落ち着いた人物であったら、ああいうセリフは出てこないはずです。しかも、きちんと予告をしているのですから、その時点で、賢い人物だったら『ああ、ごめんなさい』と言って、炎を消して置いたらよかったのです。

 で、その復讐事案ですが、大原さんが、それを、私がすでに知っているのだということを知っているかいないかは、知りませんよ。だけど、私の方は、あの文章に対して、市川さんや、高橋盛夫さんが讒言の手紙を出した事は、やりすぎだから、内心では、すでに、激怒状態だったのです。 それを外には出しませんよ。ブログで書くべきことはいっぱいあるから、大原光孝にのみこだわっているわけでもないです。

 で、敵さんたちは、私が彼を、深く嫌っているのだとは、気が付かず、彼を再び、利用をしようと考えたみたいです。それは、どうしてかと言うと、私を孤絶化させるのも、良し悪しの側面があると、やっと気が付いたからでしょう。この山でも、銀座でも、上野でもいじめを受けて、親しい人との仲を切られています。だけど、そうなれば、それは、それなりに、腹も座って、覚悟の決まった文章の書き方になりますよね。

 『それは、結局は、自分達にとっても、損失になる』と、やっと気が付いたらしいのです。遅いって、言っておきたい程ですが(苦笑)

 画廊るたんのオーナーのいじめには、私は相当に、頭に来ていました、臨界点に達すれば、私も戦いを始めます。そう言う意味で、彼らの、最も大きな失敗は、柄沢斉氏を使って、月刊ギャラリーの連載をやめさせた事でしょう。あの連載が続いていたら、こういうブログは書きません。また、国画会でも、さっさと会員にしておけば安泰だったのです。島田章三さんは、絵を見るよりも、自分の後輩の中で、好きな人間を出世させることにしか興味がない人だから、私は会員にはなれませんでした。絵描きとしての、実力としては、それが、十分にあったでしょう。で、会員にしておけば、まず、それなりに、いそがしいし、そこでの、大勢の人との、良き交流が生まれるわけで、それが、あれば、こういう文章は書きません。ところで、本章で、醍醐イサムについても述べるつもりでしたが、字数が足りなくなったみたいで、それは、別の機会に。

  しかも、上で言っている仮定の一つである、月刊ギャラリーの連載をやめさせたのが、本当に柄沢斉氏だったとすると、14日までは、この一文の総タイトルにもなっていた『言葉によって、射、殺した人』が、柄沢氏を指すことになります。そして、その行動は、別のエージェントたる石塚雅彦氏などに、「こうやれば、うまく行くのだ」という確信を与えてしまったでしょう。だから、さらに被害が拡大をしたということとなります。でも、3.11まで、人工的に生起させられては、かえって逆転で、私に天のご愛顧が下るのです。

 急に柄沢氏に、光が当たり始めたのは、私が版画を始めたからでしょうし、彼の文章が、急にちやほやされ始めたのも、1998年からだと、推察しています。しかも、これは、のちの、古村浩三君の、なりすまし疑惑へ繋がって行った筈です。ここら辺は、将来別章をたてて、詳しく語ります。

 で、柄沢斉氏の登場で、いったん切れた、私と大原さんの交流ですが、その10年後に至って、CIAさんたち(=鎌倉エージェントたち)が、『大原光孝と、川崎千恵子との、交流を、復活させた方が、こっちにも得策だ』という事を考えついたのか? それとも、彼本人が、柄沢氏との交流も切れて、暇になってしまい、そういう風に、考え直したのかは、知りませんが、向こうから挨拶してくれる様になりました。

 ところで、普段の場合ですが、私は、挨拶を  <誰ともしない。特にこちらからはしない>  と、決めております。白井小野寺夫妻や、渡辺夫妻の行動に、びっくり仰天して、誰とも、あいさつを交わさない事と決めました。だから、こちらからは、いつも、また、誰に対しても背を向けて、行動をしています。でも、道路を通る際に、私の背中を無視して、通り過ぎるのが、<かえって緊張感が増すので嫌だなあ>と、考える人は、向こうから声をかけて来てくれますので、そういう際は振り返って、丁寧に、挨拶を返します。そういう風に基本方針を決めております。で、『孤絶しても、かまわない』と覚悟を決めております。その方が自由自在に文章も書けるからです。 

 そういうシステムの中で、大原さんが向こうから、声をかけて来るという事は、こちらも返すという事にはなります。彼が、いい事を、していたら、それは、評価しながら通るという事には、なります。だって、夜に、ほかの人(=忙しかったり、体が弱って来ていたりする人物)の、労働(=石段の落ち葉掃き)を肩代わりをしてやってあげている状態を見れば、『ご苦労様』と言うのは、人間として当たり前の事ですから。只ねえ。さらに本音を言えば、それもまた、かれが、ちゃらちゃらと、工作をしているという事の一つとして、見えていました。だって、夜掃除をする必要はないからです。しかも、一週間のうちに二度も同じケースを経験するとおかしいと思いますよ。

 だから、私は表面上は、ほめてはいましたが、本心としては、『この、10日間ぐらいには、私を待伏せる様な、行動を何回もやっていて、それは、またもや、小賢しい工夫をしているとなるし、嫌だなあ』と、思わされ、さらに、私を、怒らせているとなるのでした。

  しかし、表面的には、かっつかっつでも、交流があるとみなされていて、そこが、今般は、前田氏達に利用をされたわけです。前田氏は、大原氏に、「これこれ、こういう行動を取って、川崎さんが、小野寺夫人について、今回のシリーズで、触れるのを阻止してほしい」と、頼んだと、推察しています。それが見破られないとか、または、『見破られても、こちらの望み通りの方向で、彼女は、乗ってくれるだろう』と考えているらしい、関係者に激怒しているのです。 いくつかの理由で、特別に激怒しています。

 一つ目は、『またしてもゲームを始めましたね』と言う点です。それで、激怒しているのです。彼らは、人間の行動も心理も、工作によって、どうにでもなると考えています。つまり、自分たちは、強者であり、特権階級であるから、他人をゲームの駒としてどうにでもできると考えております。 それは、私に言わせれば悪です。で、それが、悪であることを証明するために、彼らのさらに上に君臨をしているだろう、井上ひさしの悪を開示したのです。 3.11人工生起説のことです。しかも、井上ひさしが、その発案者だとまで、言っていますね。ところで、人工生起説ですが、ずっと前からわかっていたが、開示をしてこなかっただけです。その開示の引き金を引いたのが、この三人組なのです。

 二つ目の理由ですが、大原氏の甘さに、再び、三度、怒っているからです。彼は宮仕えの経験がありません。それに、売れている作家でもなさそうです。すると、暇です。そのうえ、義理の母と、その関係が、緊張感気味であっただろうお嫁さんが、どこか、今では、別の場所に住んでいます。すると、任務が一つ減りました。嫁姑問題で、微妙なバランスを取る必要が、彼にはなくなったのです。普通の家では、夫が、妻を立て、母を無視することで、この問題の解決を図っています。だが、彼の場合、養子なので、母を無視することができません。で、言うに言われない緊張関係が自宅内にあったはずです。でも、お嬢さんが同居している間は、お嬢さんが接着剤、兼、緩衝材になっていました。しかし、今はお嬢さんも自宅内にいないし、お嫁さんもいません。となると、急に暇になりました。で、前田さんに、いろいろ依頼をされると、役割が、できたことになります。キャスティング・ボートを握ったかのごとく、大きな役割に見えます。しかも、彼にとって小野寺夫人と話し合うことは楽しい経験でしょう。私と立ち話をすることが、一時期の彼の、気慰みになっていたのと、同じ、伝です。だから、勇躍取り組んでいるというところだったと、推察します。

 だけど、私から言わせれば、・・・・・『何をやっているのよ。大原さん、人がやっていい最低線のラインとは、自分が被害を受けた時に、それをカバーし、回復する言動だけですよ。これって、あなたの直接的な、必要性ですか。違うでしょう。今は、他人の頭のハエを追っている場合でもないでしょうに。前田さんの問題は前田さんに解決させればいいのです。変な意味での、でしゃばり目!と、私はあなたに向けて、ののしりたい。だけど、あなたと違って、それを音声で出すことはありませんけれどね。それにこのやり方は、マルハニチロの農薬混入事件の時と、そっくり同じではないですか? その時に、私は、一回文章を書いていますね。それでも、今再び同じことをやって来ている。あなたは、バカなんですか? それとも、何を書かれても、私のブログを読まない主義なのですか?』・・・・・となります。

 実は、もう一つありました。だが、ここでは、字数制限にひっかかるので、書きません。

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副題15、『自然が、一番だ。自然に任せておけば、人間関係もやがて、平衡状態に達するはずだ。その人自身が、その持ち場で、しっかりと生きる限 り、お互いの間には、平衡状態が、達成されるはずだ。過もなく不足もなく、好きでもないが、嫌いでもない。あたかも空気のごとく、他人を感じる・・・・・ そういう状態に達するはずだ。だから、小賢しい人たちの、小賢しい動きが大っ嫌いだ。そして、実のところ、私は人間関係において、恵まれてもいる。だが、 どこで、それに恵まれているかを、語ることは、やらないでおこう。また、盗まれ、破壊をされるだろうから』   となります。 こちらを、誰に向けて書いているか、その宛先は、あえて個人名を省きます。その相手には、ごく基本的な意味でのアガペーをささげておきましょう。愛しているよ。ごく基本的な動物の一種としての人間として、あなたを愛しているよ・・・・・と、サインを送っておきましょう。

  2015年5月12日から、14日にかけて、これを書く。        雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2891272です。後で、リンク先を見つけだし、ここに付記して、完成といたします。

後注1、

自然に任せておけば、人間関係においても、化学でいう平衡状態に、到達するはずだ△

2015-05-12 20:53:08 | 政治

 後注2

T/boxと言う画廊が、「月刊ギャラリーの連載をやめさせろ」と言う手紙を編集長に送ったのだが△

2015-04-27 20:22:09 | 政治

コメント
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