銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

内田光子のいう「シューベルトを聞きながら死にたい」は、普通の日本人に可能であろうか?

2015-05-30 08:57:31 | 政治

 この章は、実際には、6月2~4日に掛けて書くのですが、あとで、公開日付だけを、5月の30日とさせていただきたいと思っております。それは、あとで、自分が文章を探すのに、役立つからです。恐れ入りますが、ご容赦くださいませ。ところで、昨日3日は、一切パソコンにタッチせず、同じ文章のまま、放って置いていて、申し訳ございません。今、4日の夜11時ですが、やっと、初稿として、完成しました。そのしるしの☐を総タイトル横につけておきます。

副題1、『五嶋みどりさんは、実父と暮らしてみるべきだ』

 ここで、前報の訂正と、後藤みどりさんへの、助言を入れておりました。が、その部分は、字数が2万字越えに近づいたので、削除をしました。~~~~~~~~~~~~

副題2、『内田光子関連の2chを読んでいて、・・・・・』

 ここで、内田光子さん以外の、日本在住の有名女性ピアニストについて触れていましたが、それも字数制限をクリアーするために、削除します。

 前報内で、私は、内田光子は、「死ぬときは、シューベルトを聞きながら死にたい」と言ったというのを、たいへんありがたい思いで、聞いています。内田光子は、演奏者としては、モーツァルトで有名だそうです。また、日本での教育は、小学校中退であり、それは、お茶の水女子大付属小学校だったと聞いて、『あれ、私の高校時代に、同時期に茗荷谷に通っていたのではないかな❓」などと思ったりしました。1948年生まれだと、私が15歳のころに彼女は9歳です。ふーむ。で、不思議な親近感を持ったりしました。~~~~~~~~~~~~

副題3、『内田光子の場合、死ぬときに、本当に、シューベルトを聞きながら死ねるのだろうか?』

 さて、上の様に、言葉の源泉を知りたくて、ネットサーフィンをしたのですが、思いがけず、内田光子が結婚をしていることを知りました。そうだったのか? と思います。また、ドイツ系の指揮者との共演とか、ドイツ系作曲家の曲目の演奏を好むが、それらの人と出会ったのは、イギリスであって、英語が役に立ったと言っているのにも、そうなんだと納得をしました。それも、本当なのだろうと思います。私はロンドンには行ったことがないので、それは、残念ですが、もう、今となっては、お金が用意できても行きません。体力が落ちているということもあるが、

 ここで、自分が海外旅行を招来するかどうかについて、書いています。それはルビッツ副操縦士の、自殺願望説が嘘だと思うので、やらないと言っています。いつか丁寧にまとめて語りますが、今まで何度も暗殺未遂の憂き目に出会っていますので、それもあって、特殊な事、特殊なコースには、出て行かないことと決めております。でも、50代までに、海外で暮らすための日本での一人暮らしをしてみたり、実際に海外の版画工房で、7~10時間×90日×三回等の数で修業をするなどの、散々な冒険をしておいてあるので、今にして思えば、それが、良かったです。「わがままだ。わがままだ」と、周囲から批判を浴びました。が、あれが、無かったら、今の私も、世間によくある不定愁訴気味の奥さんで、アクティヴだったら熟年離婚を企てたり、受身的だったら、認知症になっていたでしょう。

 で、ネットサーフィンをしていて、これも初めて知ったのですが、芸大派閥と、桐朋派閥の競合の余波で、みつ子さんも、日本では、若い日にご苦労があったみたいで、それには、同情をしました。それは、本日初めて知りました。大使令嬢だと言うことは、それこそ、婦人の友からの情報で、昔から知っていて、それで、すべては、順風満帆だろうと思っていましたが、そうでもなかったと知り、改めて、それも、現在の、演奏に役に立っているのだろうと推察しています。晩年に活躍が大きくなっているので、やぎ座さんだろうと思っていたが、いて座です。それは、それで、海外で、活躍するに、ふさわしいと言う運命ですね。あまり、欲張らない雰囲気であるのもとてもいいです。これで、子供を持つとか、大学教授をするとかいうと、破綻をする可能性もありますが、上等な男性を旦那さんとしただけで、それ以上は、名誉も箔も求めていないらしいところが、賢明です。

 で、資産もあり、ディムの称号もエリザベス女王からいただいているのですから、メイドもいるのでしょうから、『死ぬときに、シューベルトを聞きながら死ぬ』ことは可能だと、推察されます。

 それが、他の人にとっても可能なことかどうかを考えてみましょう。ほとんどの人にとって、それは、ぜいたく中の贅沢であって、普通なら、そんなことはできないのだということがお分かりいただけるでしょう。これからそれについて考えていきたいです。一種の社会学の論考とか、政治の論考として。~~~~~~~~~~~~

副題4、『老人ホームだって、資産家でないと、入れないのですよ。普通の人には入れないのです』

 ここで、母の例を引いて、有料老人ホームに入るのは、相当な金持でないと無理で、私では、入れないと言っています。

 サラリーマン家計が、二世代続くと、余分な資産は形成できません。特に現在の日本では、一般的に言ってそうですね。相続税がひどく高いから。また、私のばあいは、自分が芸術のために大金(=父からの遺産)を使いきってしまっていますので、これから先の子供への、遺産相続も、それほど、多額にはできません。となると、母が受けたほどの、介護とか、保護を、子供からとか、夫から受けることは期待はできません。で、自分の事は考えないこととしております。幸い72歳まで生きたのですから、それだけでも望外な長生きだったという事であり、それに、感謝して、後は野となれ山となれと言う境地ですね。あ、は、は。・・・・・となると、死ぬときに、シューベルトの即興曲をかけてもらって、それを聞きながら死ねるでしょうか? 『うーむ。それは、無理だろうね』と、思います。

 でもね、悩んでいるかと言うと、全然、悩んでいないのです。それこそ、『今できることを精いっぱいする。後は、神様にお任せする』という心境であり、ほとんどと言ってよいほど、老後への心配がありません。また、死へ向かう日々についても心配がありません。その代り、今、現在、あきらめていることはいっぱいありますよ。大アーチストになっているはずだったのに、まだ、なっていないでしょう。これは、思いがけない程、残念な進展であります。が、そこを、あきらめているからこそ、この現在の平安があります。それをまだ、あきらめていなかったら、修羅のさなかにあったと思いますよ。そしてボロボロになって死ぬでしょう。または、すでに死んでいたでしょう。~~~~~~~~~~~

副題5、『現在での、大往生とは、畳の上ではなくて、老人ホームのベッドの上で死ぬことを指すのだった』

 さて、とても恵まれた老人だった母が、死ぬ際に、好きなギター曲とかお琴の曲をかけてもらっていたでしょうか? 母は40代後半にギターを習っていました。NHKのギター教室で始めて、それから、きちんと先生について習っていて、アルハンブラ宮殿の想い出ぐらいまではマスターしていました。1960年代に、最初、1万円前後のギターを買い、次に、10万円前後のギターに買い替えていました。使わせてもらうと、弦の当りが全然違うのでした。高いものは柔らかくて、指の腹が痛くないのです。 しかし50代も後半に入ると、「ギターは、難しいわ。お琴の方が楽よ」と言って、女学生時代にやっていたお琴を再開し、三味線のできる友達を呼んで合奏をして楽しんでいました。しかし、そんな母が、最期の場面でアルハンブラ宮殿の思い出に包まれて、そのCD演奏を聴きながら死んだのかと言うとそうでもないのです。

 私は母が死んだ2011年の10月13日の前の日、12日は、夜の10時まで母の居室で、寝ている母のそばでパソコンを打っていました。で、私が鎌倉の家に帰宅した次の日の朝、7時ごろ、巡回してきたスタッフさんによって、呼吸をしていないことが発見をされ、お医者さんが呼ばれました。お医者さんの判断で死因は、大往生とされ、母は、遺体を葬祭場で、冷凍にされ、日にちがふさわしいとされた17日に葬儀を行いました。従兄弟ぐらいまでの身内だけを呼んだ葬儀でしたがすべてを合わせて、173万円だか、かかったそうで、それなりにきれいなお花の飾られた祭壇があり、盛大でしたよ。

 でも、前夜そばにいた私が、母のために、好きなギター曲をラジカセで聞かせたか言うとそうでもないのです。ラジカセはあったかなかったか覚えていないのですが、CDの類はおいてなかったと思います。母は、家へ帰りたいと、常に言っていました。老人ホームって、持ち込めるものが少ないのです。今、捨てることが大流行ですが、物がないと、何もできません。ものがあることが、楽しみを生むのです。だから、老人ホームとは、周辺の人間にとっては、楽でかつ安心ですが、本人にとっては、つらい場所みたいです。ただ、母が老人ホームに入っているからこそ、子供たちにとっては見舞いに行く体力や、余力があることとなり、ほとんど毎日誰かが交代で、見舞いに行っていましたので、母は老人ホーム側からも大切にされていました。お金があっても棄民みたいにして、誰も見舞いに来ないと、ホームからも大事にされないと思います。

 ヴィクトリア女王が、最後には、ものを食べなく、なられたと聞いています。母は90近くになって白内障の手術を受けるほど、生きる気力は旺盛でした。それでも、最後の三か月はものを食べなかったのです。で、胃瘻を、はじめるか、否かに、はじまって、預けて居て、肉体て きには、楽を、していても、子供で、ある事の、責任は、それなりに、のこるのでした。たべないので、ソクラテス顔貌へと、変化し、骸骨の上に、肉が5ミりぐらい 乗って居ると言う状態となりました。きちんと手当をして、車いすにも乗せて散歩をさせていましたので、床ずれ等はなかったのですが、水も飲まない様になり、点滴をするかどうかは、また、子供たちの判断に任されました。つまり、母の生殺与奪の件を子供たちが握っているというわけです。ただし、もう、ほとんどベッドで、寝たきりであり、意識を失ってはいないと言っても、何かをしようと言う段階ではなくて、ただ、死を待っているという段階だから、3日に一回、500ccの水を点滴するという状況を選択しました。

  そう言う時の、判断って、人間  としての、大きな力量が、問われます。甘く、甘く、毎日500ccの点滴で、水を補ってもいいのです。でも、半分植物人間と化している母を、ずっと、そのまま生きながらえさせることとなります。人間って死ぬのだって、とても大変なことなのです。赤ちゃんが成長するのに長い時間がかかる様に、普通に生きている老人が、死へ向かうまでも長い時間がかかります。~~~~~~~~~~~~

副題6、『東京駅のロッカーに老女の遺体が、スーツケースに入って捨てられていたと聞くが、決して特異なことではないだろう』

 この間、<東京駅のロッカーに、老女の遺体が捨てられていた>と、大騒ぎになっていますが、私が想像するに、捨てられた老人は、普通の家庭の人なのでしょう。子供は一人で、自宅で面倒を見ていて、自然死(お医者さんが呼ばれれば、大往生と死因を書いてくれたもの)だったろうと思います。だけど、死ぬまでの介護でその子供は、疲れ切っていて、また、葬式の手はずに対する知識等が無くて、どうしていいかが解らずに捨てたと思います。そして、お金に余裕もなかったのでしょう。とても奇異な事件の様に思いますが、90を超えた親を見送るのって、子供も老人ですから、それなりに、とても大変で、それを経験している私から見ると、『ちょっと条件が悪いと、そういうこともあり得る事態だなあ』と思います。子供が一人である。そして、未婚で連れ合いもいないということになると、ありえる事態なのです。葬儀に対する情報や知識もないし、お金もないとなると、こういう風な行動に出がちなのでしょう。結婚をしていて、妻が居る。その妻は、PTAとか、地域社会を経て、お茶のみ友達がいる。すると、7,8人のグループ内では、種々の知識が回るのです。年金の事、保険の事、葬式の事・・・・・こうして、日本人は、死ぬまで、本からだけではない知識を得て行きながら、生きているのです。

 ところが、父が死んで、母一人息子一人の二人家族だった場合、そして、息子が、高卒後引きこもっている様な場合だと、悪知恵と言うほどのものでもないのでしょうが、母の通帳に偶数月には、振り込まれていて、父の遺族年金等も、そのまま、必要だと、本人が思うかもしれません。だから、テレビニュースに出てきた黄色いスーツケースを、買い取った人物は、それほど、特異な人物でもないと、なっていきます。

 これは、NHKが、杉並区のある家を特集した【空き家特集(北側順一郎さんが出演したもの)】へ繋がって行くので、大いに政治的な問題なのですが、ここでは、内田光子にこだわるので、そちらの詳細には進んでいきません。~~~~~~~~~~~

後注1

シューベルトの即興曲こそ、神に近づく為に聴くべき最高の一曲だと思うが、二日連続して聞く至福よ△△△

2015-05-29 23:38:32 | 政治

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