副題1、『本日の文章を書き始める前に、お断りをしたい事』
実は前報を整理するつもりでした。後、3000字ぐらい残っていて、そこで、意を尽くした文章を書きあげるつもりでした。それで、完成させるつもりでした。だが、主題が途中から移動をしていることには気が付いており、それが、気にかかっては居りました。私の文章にはそういうものが多いのです。その理由は、文章を書くことに対して激しい妨害を受けるので、その対策として、脳内から外へ考察が出た途端に、公開をしてしまうからです。推敲なしで公開しています。
で、前報ですが、副題1~3までは、800万円をためた21歳の女性が、そのお金ゆえに殺されてしまった事件を分析思考していました。ところが、その途中、・・・・・・主犯の石崎某が、お金に困っていて、それは、車に趣味があり、買い替えが好きで、それゆえに借金があった。それが、犯罪の動機ではないか・・・・・と言う部分に差し掛かった時に、・・・・・それは、買い物依存症の一種であろう・・・・・と、言う結論に達しています。しかも、その買い物依存症は、母の愛の不足ではないかと書いています。そこから横へそれるのですが、母の愛が、人間形成にどれほど、重要であるかを、常に書いている私としては、まあ、当然の成り行きです。
でも、この石崎の様な、一見普通に見えるが、自分とは別の人間(=ある、まともな人間)を、自分の借金を逃れるために殺してしまうとは、欠落のある人間であることは確かで、相当に、興味深い研究対象となって来たのです。女性の方(=手面真美容疑者と言うの)も興味深いですが、まず、男性の方に興味がわきました。人間とは、生まれただけでは人間にはなれなくて、きちんとしていて、愛情深い養育を受けないと、人間になれません。『そのことに社会が気が付いていない』と言うことが大問題で、この石崎容疑者は、そういうポイントで、社会に警鐘を鳴らしてくれた存在だと考えます。何事も意義があると考えないと、殺された平沢真美さんが、気の毒すぎます。
なお、この文章は実際には、25日に一部の初稿を書き、一部は、27日に書いています。しかし、総体のアップ日付だけは25日とさせてくださいませ。後で、点検するときに、私が、その文章を見つけやすくするためです。尚、一瞬だけ曝した、警察と我が家に侵入する泥棒と、CIAの関係の話は、24付でアップしなおしてありますので、下へスクロールすると出てきます。または、左のカレンダーの24日のところをクリックしていただけると、出てきます。
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副題2、『本日の、新聞のテレビ番組欄に見えた敵さんの私に対する過剰防衛について』
私は、上にあげた石崎容疑者に関する、推察はほぼ当たっていると考えています。たまたま、本日の新聞を見ると、すべてのニュースショーが、この件を取り上げていないです。番組紹介欄の見出しだけですが、どこにも、真岡殺人事件と言う見出しがありません。これは、次に興味を引く事件が出てきたというよりも、私がそれに触れる文章を書いたからでしょう。時宜にかない、人々が興味を引く話題を、このブログで取り上げることと、CIAさんと、それに協力する人(=鎌倉エージェントと私が常に読んでいる人)たちは、非常に恐れております。
で、新聞協会か何かを通じて、「本日は、番組紹介欄に、この21歳の美女が殺された事件を取り上げない様に、してくれ」と頼んだ可能性があります。ただし、2時間程度の長さがあるニュースショーです。何かのフォローを、放映する局もあるかもしれません。しかし、私一人で、全ニュースショーを点検することは不可能なので、最初にあげた、・・・・・私が前の日に、この事件について書いたから、本日は、そのニュースが登場しない・・・・・と言う推察は、当たっているだろうと、考えます。それって、例の『私は大物である』という感覚を、強めてくれますね(苦笑)
と、書くと、『お前を大物だなんて、認めてやるものか!』となって、この真岡事件の、21歳の美女に関するニュースが出てくるかもしれません。
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副題3、『連れ合いを、捨てた後の、捨てられた家族の方に残された子供はどうなるのか、それを、心配しない母の裏側はどうなっているのかを語りたい。が、その前に、語るべき事がある』
私ね、北久里浜の水道山(横須賀市の公共用地)が、地籍変更届を利用して、ただで、ある私人に、渡ったという事件について、何度もかたっています。その私人とは、実質的には、戦後最大の、エージェント瀬島龍三(元陸軍参謀)と、親友だったと自らが言う、益山重夫(元海軍参謀)氏と、その妻です。が、名義人は妻の弟になっています。それが、1979年に起きています。「その事件の目撃者であることが、私の大きな被害の始まりだ」とも、申しあげております。
本日も銀座で、本多栄子さんのリトグラフを見て、先週は前川佳子さんの油絵を見ました。作品は素晴らしいです。そして、お二人とも礼儀正しかったです。だけど、裏側で何か、讒言を聞いているという態度が見え見えでした。正直で善人だから、私の方を悪人だと思っておられるのが隠せないのです。芝居ができません。
で、語るべきことの一つは、現実に私を襲っている被害ですが、それは、鎌倉雪ノ下でもあり、銀座でもあります。時には保土ヶ谷でも、ひどい攻撃を受けています。(後注2として探しておきましょう。後刻)拉致されて実質上の暗殺までされそうになっています。でも、その拉致(=暗殺)未遂をした、人間たちは、組織の人間であって、無名であって、何を書いても反省をしません。
で、他の事を傍証づけに使います。それは、目の前に現れて個人名を持つ存在が、私に違和感を与えた時は、思考を始めるということです。で、昨日は、深く踏み込みませんと言っていた、上の二人の女流作家(美術系)が、どんな違和感を私に与えたかを語らないといけません。
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副題4、『<本多栄子と、前川佳子とは、どういう人物であるか?>と、<どうして、2人の行動に神経をとがらせたか>の、二つを、ここで、語る必要がある』
私の文章には実名がよく出てきます。しかし、彼らは、芸能人ではないので、皆様はよくご存じない個人名です。で、『うっとおしいなあ。読むのに差し障るよ』とお考えであろうことは、よく承知をしております。この文章の目的は政治とか、哲学における真実とは何かという点を語るものなので、個人名を書かず文章を書き進めることは可能ではあります。
前川佳子さんについては、「現代アート系での有名人であり鎌倉在住の作家(美術系)である」と書くだけでもいいわけです。それが、前川さんの一特徴です。表現は、専門的に言うと平面と言う分野です。一方の本多栄子さんは、『芸大出身の、たいへん、優秀な版画家です。分野はリトグラフです』と書いておけば済むのです。この文章は二人の作品に対する美術批評ではありませんので。
しかし、本日も総タイトルに二人の名前を入れただけで、激しい弾圧を受けました。書けないとかアップできないという現象が起こります。それ故に、『敵がハッキングをしているので、この妨害が、起きた』と考える私は、かえって、実名をさらすのです。だって、二人の背後にいて、彼女たちを教唆している連中が居るから、彼女たちが私に違和感を与えるのだし、また、その悪人たちこそ、私を死まで追いやろうとしている連中ですから。
私には全く落ち度はないのですよ。ただ、悪人たちの悪の実態を知っているということで、これほどの、被害を与えられているのです。だから、絶対に闘おうと、決意をしております。しかも、逮捕されて裁判を受けるわけでもありません。そんなことをしたら、悪人たちの闇の仕事が、公になってしまうではないですか? だから、逮捕もされず、ただ、闇の世界に拉致して、薬で殺したりして、そのあとで、『家出をしたみたいです。腐乱死体が、自殺の名所、青木が原で、発見をされました。死因は、腐敗が進みすぎていて特定できません。ただ所持品から、川崎千恵子だと特定をされました』とほjいう様な形で、終わるでしょう。そして、新聞は、『ブログは、活発に更新をしていて、それを読むと、どうも、ノイローゼ気味だった』と書くだけでしょうね。だからこそ、どんな些細な違和感でも、取り上げて、実名で、書くのです。
さて、二人にはもう二つほど、特徴があります。それは、実家が良かっただろうということです。相当によかっただろうということです。私の場合を言えば、大学入学時に父は、日本で上位6%以内にあたる税金を払っていたわけですね。そのうえ、家柄と言っても悪くないのですよ。たとえば、今花燃ゆと言う大河ドラマをやっていて、その中で、北大路欣也が演じるお殿様が出てきます。その前で、上士が御前会議をします。その一メンバーの家柄です。そして叔父と結婚した叔母は、津和野藩家老の娘だし、血がつながっている方の叔母は、明治30年代の生まれなのに、師範学校を出ています。
しかも、父は、1943年(当時は皇紀2600年と日本人は主張していた)に安井曾太郎さんの審査で、満州文展の特選を取っています。一番上の賞です。で、その絵は、ラストエンペラー溥儀の宮殿とか、満映理事長・甘粕大尉の部屋を飾っていたのです。また、岸信介氏の部屋も飾っていた可能性があります。(敗戦後ある人が、見て回ったら、満鉄のお偉いさんの部屋を飾っていたものは、全部フォンタナの絵の様に、切り刻まれていたそうです) 父は、満鉄調査部、中央研究所と言うところで、石油開発の技師をしていたので、サラリーマン画家でした。だから、金銭的にも時間的にも恵まれていましたが、戦争中には、美大出身の人が苦労をしていたのを見ているので、絶対に美大に進学するのを許してくれなかったのです。「学費は充分出す。医大へ進むのなら私立でも行かせてやる」とは言われていました。「しかし、美大は絶対に駄目だ」と言われていました。そういう私から見ると、本多さんも前川さんも、戦争による被害が少なかった名家の生まれであろうと推察しています。
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副題5、ここで、スピンオフとして、警察と泥棒の話へ入ります。だが、全体が、2万字を超えそうなので、そこだけを独立させました。そちらの新しい文章は、リンク先が、以下の行になります。
国立国会図書館が示した悪と、『<警察は、CIAの私兵である>と、知ったのも、そこだった』と言う話
副題6、『前川佳子さんと、本多栄子さんと、大原光孝さんが、そこへ追いやってしまったので、私は横須賀の或る輝ける女性(=PTAコーラス指導者)が、在日の出自を持つ話をここで公開する』
::::::::と言うところまで書いて元へ戻ります。ともかく、前川佳子さんと、本多栄子さんは、恵まれた実家に育ち、自分が結婚した相手も良い人で、現在安心して創作のできる家庭があるので、非常に恵まれている人なのです。しかし、恵まれると人間は怠けます。で、その怠けることを避けるために、何らかの縛りがあった方がいいと考える人が公募団体展に所属をします。しかし、この二人は、公募団体展に所属をしていません。それは、意志が強いのか、賢いのかの、どちらかを暗示しています。そして、それは、公募団体展で、他人をいじめまくる山寺重子さんやら、増田陽一プラスサイトウ良コンビみたいな人たちと比較をすると、格段に上等な人柄だとなります。私が、良く、今回は、35%までの開示でとどめておきますと書いたりするのは、こういう上質な人との関係を失いたくなかったからです。しかし、今回、18日と25日と言う連続した二人の個展で、全く同じ様な態度を二人から示されて、吹っ切れました。二人が無言のボディラングエッジで言っていたことは、『川崎千恵子って、ひどい人なんですって。でもねえ、難しいところがあるから、失礼なことをするとたちまちに文章に書かれるのよ。だから、面従腹背でいいから、丁寧な態度を取れって言われているわ。だから、嫌だけど、今は、あなたの目の前だけで、にこにこしているのよ』と言うものです。
で、吹っ切れた結果、横須賀市での、1980年代の話へ入ります。どうしてそこに入るかと言うと、石崎容疑者が思い出させてくれたことがあるからです。
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副題7、『夏休みに仕掛けられた、缶ジュースを利用した罠』
さて、その北久里浜には、杉本正子さんと言う女性が居ます。彼女の夫は、当時は横須賀市の土木課長でした。私は電話で、上にあげた土地の不正所得の、悪事の委細を告げてありますので、杉本夫妻には、水道山がただで私人のものになるという実質的には悪事であるものを、看過した道義的な責任があります。そして、その後、豪壮なお屋敷を建てて引っ越すことができました。一種のわいろだったとみています。そして大出世をしていきます。これも、例のバーター取引と同じであり、野見山さんが文化勲章を得たり、柄沢斉さんが、大物アーチスト扱いをされていく経過と同じです。
さて、夫はともかくとして、杉本正子夫人は一種の悪女ですね。悪女の出現率は、何パーセントだろうと、時々考えるのですが、悪事を企画するのは男性でも、実行するのは悪女です。そして、ところどころに悪女が存在するので悪事が遂行されてしまいます。『歴史は夜作られる』と言う言葉がありました。夜と言うのはセックスをさし、それは、結局は女性が、主役です。だから、歴史は女が作ると言ってもよいのです。そして、歴史上、有名な女性って、ほとんどが悪女です。マリア様は別ですが、マリア様は、生きているときは、有名人でも何でもなかったのですよ。あの美しいおん姿は、中世ヨーロッパの教会で、ステンドグラスの中で、生まれた様なものです。
その杉本正子夫人が、実行した悪巧みは、根岸小学校のPTAコーラスの指導者北村充子さんを利用して、私をひっかけて悲しみを与えることでした。事はこうです。「夏休みに、自宅で練習をしますから、川崎さんも、どうか、いらっしてー」と言う電話が北村さんから、かかって来たので、京急・堀之内を最寄り駅とする彼女の自宅へ行きました。甘ーい、明るい声で誘われるので、ゴーストライターとして、超有名人になった新垣さんではないが、断ることができない私は、つい行ってしまいます。当時は余計にそうでした。人がいいばかりの人だったのです。
すると、楽曲の練習の最後に缶ジュースが出ました。これは、1985年の事なので、今ほど、自販機もないし、コンビニもない時代で、40人分の缶ジュースを冷やしておくのは、大事(おおごと)です。『よくやるなあ』と思ってみていると、私の直前で彼女は止まり、私にだけ缶ジュースをくれないで、何事もなかったように、他の人との談笑を始めました。 他の人ですが、誰も、「あら、北村さん、川崎さんにあげていないわよ。上げたら」と言いません。缶ジュースは無論のこと余っています。6畳と8畳、二間ぶっ通しで、練習をしていると言っても、27坪程度の平屋です。一人がしゃべれば全員に聞こえるという場所です。だから、私がもらえなかったのは、全員が知っています。だけど、誰も助け船を出してくれません。
私は、この時に、喧嘩もしないし、後足で砂をひっかける様にして立ち去るでもなく、じっと、ただ、立っていて解散を待っていて、北村さんが『じゃあ、解散しましょう』と言ったのをきっかけとして、『ありがとう』と言って立ち去りました。
しかし、心の中ではこういうことを考えていました。『ああ、あの噂(=北村さんは、在日の出自のある人だ)って本当だったのだわ。こんなあくどいことをするなんて、本当に根性が悪いもの』と。
だって、JR鎌倉駅から京急堀之内までは、電車に乗っている時間だけを数えても、1時間かかります。雪ノ下の自宅から、彼女の家までの徒歩時間を入れると、1時間半以上は優にかかります。夏休みの厚い中、他のメンバーは歩いて、15~20分の距離に住んでいます。で、練習時間を入れても総体を2時間で、帰宅できます。それに比較をすると、私なんって、5時間も、夏の暑いさなか外へ居続けないといけないのです。北村さんの家は、住宅街に存在していてあたりには、食堂もありません。30年前だから、コンビニもありません。汗だくで、5時間後に、帰宅をするということとなります。だから、いじめの効果は大きいのです。しかも、他のメンバーが一切助け舟を出さないということは、私に知らされている集合時間より早く集合がかけられていて、『川崎さんは、会費を払っていない人だから、ジュースは出ないのよ』と、言い含めておいた可能性もあります。ひどいわなでした。
皆様に、「私は、ベテランの主婦です」と、よくここで書いています。それは、現在住んでいる雪ノ下では、絶対に近所づきあいをしないと決めているので、(それは、引っ越して来る前から、ここの特殊な状況を熟知していたので、そう決めていた)弱い人だとか、不器用な人だとか思われていると思うから、あえて、そう言っているのです。だが、横須賀市でも、杉本正子さんとか、北村みつ子さんなどは、同じ様に『あの人は弱いのだ』と思っているでしょう。だけど、それは、考える事が一番好きで、それを追求するためには、時間と行動の自由が必要だから、表舞台に立たない様に決めているだけであって、内面は強いのです。だから、打ち解けて話をしてみたら、ものすごく面白いし、物分かりがいいのですよ。それをまた、察知する程、地頭の良い人も、この世の中にはいっぱいいます。
で、その噂を詳しく再現すると、・・・・・ねえ、川崎さん、知っている。北村さんって、在日なのよ。だから、子供時代なんて、ものすごい貧乏だったの。でもね。中学の時、先生に向かって、なついて、なついて、結局のところ、お嫁さんにしてもらったのよ。だから、今は、あんなに威張っているけれど、昔のことを知っている私達にしてみたら、チャンチャラおかしくって。・・・・・いもうとさんの家知っている。それ見たら、それがよくわかるわよ・・・・・と言うものです。
相手の女性は、言葉には出さなかったけれど、「中学生にして、すでに、女の武器を使った」ということが言外に、秘められていました。山口百恵が、『あなたにー、大切なー、モノを上げるわー・・・・』とうたった、時期よりは前だったと思いますが、現実社会にそういうことはあったのです。週刊文春の『淑女の雑誌から』に書いてある様なことが実際にあった模様です。
その噂を聞いたのは、このジュースを利用しただまし討ちの小細工を、弄されてしまった時よりもずっと前でした。だから、目の前で、『ああ、川崎さんは、この罠に見事に、引っかかった。よかった。よかった。大成功』って、言って、大喜びをしているらしい北村さんを見ながら、『ああ、悪女同盟(この罠は、当然の事、杉本正子さんが提案したものでしょうからそう書きます)は強いわねえ。それに中学生ころから、女の武器を利用したほどの人には勝てませんもの。杉本正子さんは、高卒後、横浜高島屋の靴売り場でそれを発揮してご主人を、ゲットしたらしいけれど』と、考えていたのです。
皆様、上の節を読んで、私の方が意地悪だと、お考えになりますか? 缶ジュースを一本くれなかっただけで、在日の出自まで、明かされてはたまらないでしょうって。いいえ、違います。上の方で言っているでしょう。本日、25日の月曜日、本多栄子さんに悪人扱いをされましたと。先週18日(月)は、前川佳子さんに悪人扱いをされましたと。そのうえ、パソコンは壊されます。友人は引っ剥がされます。そういうことの積み重ねが何を狙っているかと言うと、私を殺すことです。
だから、ほんの少量でも、彼ら悪人側に味方をする人間を見つけると、それは、その人間が、殺人未遂事件に関与したという事と同じなのです。だから、丁寧に、積み重ねて、かつ繰り返して、書くわけです。
それからもう一つあります。それは、神の存在を語ることです。私は常に神様の事を語ります。神様って見事な采配を振るわれるのですよ。すべては平等です。ある人が勝つ? この場合は悪事に直接加担をしてお金を儲けている杉本正子さんが勝とうとしているわけですね。彼女がどういう風に北村みつ子さんをたぶらかしたのか、そのセリフの詳細は知りません。だけど、後日、杉本夫人のお子さんが、不良になったと、言われ、地域の、人たちから後ろ指をさされる様になりますね。それは、あの、私もその小さいころを良く知っているくりくり眼の坊ちゃんが、お母さんの、こういう悪意深く、立ち回る気配を察して、嫌な思いに打たれたのも、数パーセントの原因として、あると思いますよ。男の子は母に期待をしています。きれいな、お母さんであってほしい。それは、外貌もそうですが、心の中についても同じでしょう。
しかも、この時、すでに、私は、北村さんの、妹が離婚をしたと聞いています。または、家出をしたと。
私も、逗子にアトリエを作って三年弱ほど、一人暮らしを、したわけですが、海外に行きたいと思っていて、その自由がないので、そこに寝泊まりをしたわけです。また、世界に通じる大アーチストになるつもりもあって、そのためには、一人暮らしで、修業に専念をしたかったのです。だけど、夫も子供も住所を知っていました。そして、籍を抜くなどはやらなかったのです。ただ、ニューヨークで三か月外人に交じって版画を作って帰ってくると、重労働を毎日しているので、エネルギーレベルが高まって来て、若返った気分になります。だから、若作りはします。だけど、ファウンデーションを塗るわけでもないし、口紅さえも塗らないので、娘に、「お母さん、あまりにも弱そうに見えるから、眉だけはひいて、口紅も塗りなさい」と言われています。で、服装の方ですがバックパックに、スニーカーで、カーディガン専門でした。だが、最近では、ニューヨークの風もとんと薄れて、普通の人となっています。
一方、北村さんの妹の方は、ベルばらの池田理代子さんみたいなカーリーな長髪で、服装も若作りのドレッシーなものでした。横浜高島屋で、見かけたことがあるけれど、タレントみたいな、雰囲気に自分を作り上げていました。私が海外へ行くと言って一人暮らしをしていた日々は、1999年以降です。で、子供は、二人とも、25歳を超えていて、会社勤めをしていました。だが、北村さんの、妹は、その10年も前の、まだ、下の子が小学生の時に家出をしたのです。
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副題8、『北村みつ子さんの妹の家を見た私は、彼女の旦那が善人であることを確信をした。そして、その30年後平成の八墓村事件が起きたのだが、保見容疑者も殺人を行っていないとも、確信をした。二つの家はそっくりだったから』
昭和42年に、京急堀之内駅から、久里浜駅までの支線が開通しています。今ではそれが、三崎口まで延伸され、特急電車が往来する本線になっています。妹さんの家は、その線路に沿ってありました。で、1942年ごろの京急本線(現在)の工事中は、資材置き場ではなかったか?という様な立地でした。その時に、この土地は、買ったものではなくて、戦後のどさくさの時期に、不法占拠で、自分のものにしたのではないかとさえ、思いました。日本全国的に闇市ができて、結局は既成事実として、居酒屋などに、所有権が移っていると聞いています。そういうケースと似た様な、場所に建っています。
そして、うわさ話は本当だと、確信をしました。この家は北村姉妹の実家ではなくて、あくまでも、妹さんの婚家先です。でも、口八丁、手八丁の能力を生かして、玉の輿に乗った、お姉さんと違って、妹さんは、実家の格にあう人と結婚をしたのだろうなあ。だから、不満はもとよりあったのだと、思わせられるところがありました。
ここまでのことを書くのは、北村さんが、それこそ、ゲームのごとく、勝ち誇りながら、人をいじめたからですよ。それに、前川佳子さんと、本多栄子さんの、態度の豹変を目撃しましたね。彼女たち二人を、自分たちの味方につけた人たちは、北村みつ子さんと、同じくゲームの感覚で、笑いながら、私の悪口を彼女たちに吹き込んだのでしょう。そういえば、本多栄子さんは、画廊るたんで、個展をしたことがあります。そして、鎌倉雪ノ下でも同じですね。最近、5月に入ってから、大原光孝さんが行ったことはすべてゲームとして、遊びとして、楽しみながらやっている事でしょう? その舞い上がり方でわかります。 で、私が言いたい事は、『そんなことをしているあなたの側の、弱点は、すべて、私の手中に握られているのですよ』と言うことです。そして、『いじめられながらも、腹の中では、反対にせせら笑っているのですよ』とも。生殺与奪の権は、私の方にあるのです。
北村さん姉妹の事に限っても、、探偵を雇って、調べ上げたわけではありません。また、透視術などを使うわけでもないのです。すべて神様のご援護によるものです。ただ、神様は、見えないものだから、実際には、ある人間に加担して、その人間の言葉と言う形で、教えてくださるのです。知らない人からも、必要なことを、向こうから話しかけられて来て、教えられることが多いです。
ところで、私は「妹さんのご主人は、大工よ」と聞いていました。だが、その家を実際に見た後では、『ご主人は、左官職だったのだろう』と思っています。昔は、生コンのミキサー車などは、あまり出回っていなくて、左官屋さんは、自分で、鉄板の上で、セメントに、砂、水を合わせてコンクリートを作り、基礎へ流し込んでいました。と言うわけで、予測を立てて、或る分量を、練り始めても、余るのが普通だったのでしょう。それをバケツ等で家に持ち帰って、彫像へ作っていたのです。小さな彫像が家の周りに、びっしりと、立っていました。白(ホワイトセメントを混ぜてあるはず)や、グレーの稚拙な、彫像です。彫刻を本格的に習うと、木または、金属で芯を作ります。でも、妹さんのご主人は、本格的に習ったのではない模様で、芯を入れていないらしくて、すべての彫像が突っ立った形の素朴なものでした。
後年テレビの世界で見ることとなる保美容疑者の制作品と、比べれば、技術も結果も劣ります。だが、コンセプトだけはそっくりでした。だから、保見が制作した現代アート系の作品をテレビで、見た途端に、『こういう光景は、どこかで、見たことがありますね』と、なったのです。
妹さんの家出は、お姉さんの華やかさに影響されて、ともかく、おしゃれをしたいと、願ったところから始まっています。「ある個人営業の会社に勤めて、そこの社長さんから、ちょっかいを出されたことが原因だ」と、噂をされています。確かに、彼女はおしゃれになって、20代の女性の着るものを着ていました。だけど、顔には、どぎつい化粧をしていなくて、『今、新しい男性を探しています』という雰囲気は無くて、ある一人の男性から、安定した形で、愛されていることを感じ取らせました。つけまつげをしているわけでもないし、アイラインや、アイシャドウを入れているわけでもありません。だけど、横浜高島屋で、すれ違った時に、『あれ!、タレントとすれ違ったのかしら❓』と思うほどの、おしゃれな女性へと変身を遂げておりました。それだけ、フェロモンも横溢に出ているということです。
彼女は横須賀市民として、職人と言う旦那さんと結婚をしたことを残念に思っていたのでしょう。田舎だったらいいのです。大工でも、左官でも、立派な仕事です。だけど、横須賀は東京圏の、端くれです。すると、『男性なら大学を出ていて、大会社に、スーツ姿で勤務して居るのが、素敵な結婚相手です』と言う価値観があるのです。
で、旦那さんは捨てられたわけですが、善人だったと、確信をしています。ちょっかいを出して、一盗二婢とのセックスを楽しもうとした社長は、悪人です。男性にとって、他人の奥さんとベッドインをするほど、おいしいセックスはないと、中国の古典が言っています。しかも、妹さんは、使用人ですから、の立場でもあります。フィガロの結婚の中の、メイドであるスザンナの処女権を、使用者側の公爵が、行使しようとする設定は古典的な、形ですが、それは東西を通じて共通するものであり、現在も、生きているのです。みつ子さんの妹は相手の社長にとっては、一と二の両方の資格を兼ね備えているのですから、おいしくて、おいしくてたまらない存在だったと、思われます。
しかも妹さんの方から見れば、おしゃれな服装であり、日焼けサロンか何かに、通っていたかもしれない相手の社長は、魅力的に見えたことでしょう。ちょい悪おやじと、今でもいうではないですか?
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副題9、『北村みつ子さん姉妹に関するその後、まず妹さんの方を書こう』
北村みつ子さんの妹さんについてのうわさは、それ以降は聞きません。妹さんのお子さん方についてもうわさは、聞きません。お父さんが善人だったから、立派な社会人になったのだと思います。私はその家の周辺に建っている素朴な立像類を見た時に、大変な善人だろうと思いました。余ったセメントを捨てるに忍びないのでしょう。そして、それを利用しているうちに作ることが楽しくなったのです。創作に熱中している存在はきれいなものです。
私は最近、北久里浜の持家のリフォームに通っていますが、山の下から、エレベーターで一気に六階分を上がる道ができていて、それを使うときは、くだんの妹さんの家の前を通ります。すると、建築しなおされていて、彫刻の類が取っ払われています。
お子さん方が、そこを売ってしまって別の人が引っ越してきたのか、それとも娘さんが、結婚をしてその名字で、建て直して、そこを使っているのか、事情を、一切を知りませんが、ともかく、あたりの気配は、一変して居て、例の白いセメントでできた彫刻の類は、一切残っておりません。その家を暗くしていた東側の森も、斜面を削られて、道路が拡幅をされていますので、東側も、明るくなっていて、線路に接してはいるものの(だから、騒音があるのは相変わらずだが)、立派な住宅地へと、変貌を遂げています。良かったですね。
比較して、石崎容疑者の実家の方です。敷地も、家も広いみたいですが、潤いがありません。母(=妻)が居なかった歳月が、お父さんをして、気力を奪ったのだと思います。
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副題10、『姉、北村みつ子さんの方と、私の1989年は、おかしな事となっていた・・・・・そこからも、如何に、私が善人であるかがわかる(苦笑) 既に、30年前の事だから、今、気がついても遅いけれど』
私は主婦、もしくはママとして、横浜、横須賀、鎌倉と移り住んだわけですが、横浜だけは、子供が幼稚園にも入っていない段階だったので、市とか、区がどれほど、主婦たちに向けた市民教育に力を入れているかを知りません。だが、横須賀と、鎌倉とを比較をすると、横須賀市の方が、よほど、潤沢な予算を注いで、力を入れています。それは、日産自動車、自衛隊(?)、米軍基地(思いやり予算であって、日本人の税金で賄われている)の三つから、お金が入るからだと思いますが、もっとも、大きな収入源は、日産自動車だったでしょう。
で、主婦たちが主に参加をしている合唱祭も、大きくてにぎやかです。今も続いているとすれば、去年で第40回を迎えます。今、古い資料が見つかりました。1989年には、59団体が出席していて、二日に分けて、発表会が行われ、講評付きです。それをやる先生が、五人、さらにその上に、講演や指揮をする先生が二人いらしています。その二人とは、磯部俶(とし、男性)と、服部公一です。これは、合唱好きの人なら知らない人はいないだろうというほどの有名人です。謝礼額も高かったでしょう。
1989年は、鎌倉へ引っ越してきてから、すでに、5年は経っているくせに、どうしてかこの会に出席した記憶があります。その秘密は前年度、人数が少なくて、みじめな感じだったから、らしいのです。現役ママが、16名ぐらいで、会に出席したので、さびしい音量だったのでしょう。で、この年は度は、OBママが12人駆り出されていて、私はその一人だったのです。缶ジュースの件の後だったのは確かでしょうが、もちろんのこと、水に流して、出席しています。講評は、10か、5か、どちらかの数の項目があって、おおむね好評で、上町の文化会見の座席に座ったまま、周辺のメンバーと抱き合わんばかりにして喜んだ記憶があります。北村みつ子さんは、合唱指揮者としては優秀なのです。高卒者が、指揮をしている団体は、全部で59団体が出演した中で、この根岸小学校PTA合唱団ぐらいでしょう。きっと。
その優秀な人、北村みつ子さんの、悪口(?)を話さないといけないのは、本当は嫌ですよ。だから、ずっと我慢をしてきて、在日の出自があるとか、小さい頃は貧乏だったとか、中学生にして女の武器を使って玉の輿に乗ったのだとかいうのは、今日まで口外した事は、ありません。だけど、本多栄子さんと、前川佳子さんの微妙な態度に触れて、吹っ切れてしまったのです。2005年ごろまでは、本多栄子さんも前川佳子さんもたいへん感じよい人だったのです。それだけ、私の損害が増えているということです。
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副題11、『北久里浜に、11日午前中現れた、不思議な歌姫(後注2)は、北村さんが、見つけたのかな? もしかすると本人だった?、もしくはお嬢さんだった? それとも、北村さンの伴奏者の知り合いだった? ともかく、杉本正子+ 仲野通巳吉(益山重夫氏の義弟で、地籍変更届の代表名義人)+ 北村みつ子+ 鎌倉エージェント(=特に未だ生きている井上ひさし等)が、連携して用意した小細工だったと、推察されるが・・・・・』
そのうえ、この2015年に入ってから、北久里浜にある私たち夫婦の旧宅の南側の家(主人が行った日)とか、東南側の家、(私が行った11日・・・・・後注2に詳細が語ってあるが)に現れて、フィガロの結婚から、アリアを選んで、三回繰り返してうたった人が、罠を仕掛けてきたのは確かだからです。込み入った小細工ですが、益山重夫氏の義弟、仲野通巳吉さんが、関与していた罠であることは確かですし、そこには、もしかすると、杉本正子夫人と、北村みつ子さんも関与していたかもしれないのです。
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副題12、『28年後に電話を、北村さんにかけてみたが、まったくだめな対応だった。さ事に、田舎の蛙大海を知らずだった』
さて、雨宮舜、または、川崎千恵子、または、銀座のうぐいすからで、検索をかけてみると、2chまとめで、このブログに対する感想があったらしくて、古いものですが、それが、いまだに出てきます。こんなものを紹介をしてくれるのなら、最近の文章のタイトルでも紹介をしてくれたらいいでしょうに、それはやりません。それをやったら、自分たちの首を絞めることとなるからと思っているのでしょう。
で、その2chのまとめと言うのを、ここで、二度目か三度目として、取り上げます。そこに「この人はコミュニケーション力がない」と、書いてありました。それこそ、私が覚えきれない2チャンネル特有の表現でそれが、書いてありました。一回目もそうではないと書いていますが、二回目として、そうではないんですよと、事情を明らかにしたいと思います。
私は現場では喧嘩をしない主義です。リアルな世界では喧嘩をしません。だが、考察の結果として文章を書きます。でも、今回でも、皆様もちょっとぎょっとなさったでしょうが、三連発で、恐ろしいことを書いていますね。それは、頭から出た途端に、公開しないと世に出回らないので、あっという間にアップするから、事前に北村みつ子さんに内容を「これでいいかな?」などとは問い合わせてはおりません。
それは、大原光孝さんの最初の文章『ワインが割れて』を書く前に、電話で「大原さん、あなたが、昨日おっしゃったことはね。文章に書くと、ものすごく汚いことになるのですよ』と言ったわけです。すると、その説明だけで、間髪をいれぬ速度で、『ああ、いいですよ。書いていいですよ』と彼は答えたのでした。で、本当に懲りちゃいました。
で、子供っぽい人間には、「文章を書いて分析してみるとあなたの行動は汚い」などと言うことは通じないのだとわかりました。本人が文章を書いたことがないか、読解力が無いかのどちらかでしょう。
でもね。アガペーを保持することは非常に大切です。常に、人類と、ある個人を愛する事。それがあるから、天がお見守りくださいますのでね。だから、北村みつ子さんは、大原光孝さんよりも根っこのところで、根性がひね曲がっているとはわかっていましたけれど、それでも、電話をかけてみたわけです。救済の為です。ところが、まったく通じません。自分の方が上だと信じているみたいで、こういいました。
「川崎さん、そんなこと言って、私、怒ったわ、だから切るわよ」と、のたまいました。私はそれでも、その屈辱に耐えて何度もかけなおしました。数日間をおいてかけなおしました。それは、『北村さは、この件で、杉本夫人と連絡を取るはずだから、それで、変化が起きるだろう』と思っていたわけです。だが、杉本夫妻も、このブログを読んではいないか、それとも、読んでも理解ができなかったか、そのどちらかであって、北村さんに、「もっと、柔らかに出て、彼女の気持ちをほぐしなさい」とは言わなかった模様です。
北村みつ子さんは、高卒なのに、いっぱしのコーラス指導者として、堂々と、舞台でふるまっているだけに、優美ですよ。社交的でもあります。雪ノ下の住人、安野智紗夫人とは、まるで違ったレベルで、優美です。で、私は一度、彼女に、「あなたの、星座はなあに?」と質問をしたことがあるのですが、「てんびん座よ」と言うことでした。「あ、そう」とと言っただけで、それ以上は何も解説をしませんでしたが、北村みつ子とは、まさしくてんびん座の典型であって、社交的で優美なのです。でもね、その彼女が「川崎さん、そんなこと言って、私、怒ったわ。だから、切るわよ」と言ったのは、バカの極みでした。私は何の良心の痛みもなく、今章を書くことができるのです。最善を尽くして救済の措置を取ってあげたのに、反攻的な態度を取ったのですから。
ところで、この電話をかけたのは、直後ではありません。この問題は、ひとえに政治の問題なので、何か別の分野で、大きな政治的な動きが起きると、この件も思い出して、再検討をすることとなります。もっと、大きな悪もありますよ。だけど、悪を書きあかすのもしんどい業であります。だから、だんだんと鍛錬して、レベルアップしていくことにしないと、自分がつぶれます。疲れすぎてしまうからです。たとえば、3.11は、人工的なものだと、思うけれど、即座にその件を解決しようとは思わないわけです。で、放って置きます。その代りに、缶ジュースを選ぶのです。
3.11の真相を解明する為の、ステップの一つとして、この北村みつ子さんが、行った、・・・・・・私にJR鎌倉駅から、京急堀之内えきまで、往復五時間をかけさせて、缶ジュースを使って、仲間はずれにするという屈辱を味わわせた・・・・・そういう罠を、思い出すわけです。で、『これをお料理しましょうね。まず先』に、と思うわけです。それでも、すぐには取り掛かりません。私は「本日のブログの文案として、どれを選ぶかにについては、神様が書かせてくださる」といつも言っています。
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後で、北村さン関連の、リンク先を見つけ、推敲もしてから署名と日付を入れます。