すみません、以下の文章は下書きにして置いたつもりでした。電車の中で、スマホで書いたものですから、メモだけです。今から、行間を、埋めていきます。尚、映画波紋については、些少の言及はしますが、この章では、それを見る前の段階で、書く時間が尽きる模様です。
しかし、旧制西大寺さんが、登場することによって、この度の猿之助騒動が、私をいじめる為の物であって。伊藤玄二郎と、井上ひさしが絡んでいることが、確定された。旧姓・西大寺さんは、安倍晋三殺しが、西大寺で行われたケースでも、私をいじめぬく材料となっていたのだ、今般、猿之助問題でも、旧姓西大寺さんが、・・・・・いのちの電話を担当している・・・・・と、言う事を、材料として、おちょくってきているし。
私は段四郎夫妻は、死んでいないと思うし、猿之助も、睡眠薬のたぐいは、飲んでいないと、確信をしている。
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副題1、『浜町、明治座で、とんでもない、いじめに出会って、団子の、ミュージカル系歌舞伎を見ることが出来なかった。この件は、猿之助問題に、ついて、私が書いて居ることが、正しいのだと、警察が自白をしたも同然の話なので、詳細を書きます』
私は、2023年5月23日の朝は、午前4時15分に目覚めました。別に明治座に行くためにそうしたわけではなくて、前夜疲れ切っていたので、夜の10時には、ベッドインしたので、そういう結果になっただけです。
こういう珍しい日(=睡眠時間が6時間を超えており、かつ、朝の4時に目覚めている)は、利用しようと考えて、明治座に行く事にしました。ところが、家事を、前夜取り残しているので、非常に気ぜわしい時間を過ごし、やっと、7時20分に家を出ようかねえと、言う状況になったのです。その際に、主人に行先と帰る時間を手紙で、書けばよいのですが、その時間が無かったので、ただ、「出かけるわね」と、言って、続けて、「泥棒除けのカギ=チェーンを掛けることは、お願いしますね」と言いました。夕食まで、作ってから出かけるので、本当に忙しかったのです。
また、明治座に行くのなら、すでに買ってあるプログラム(夜の部は、見ているから)を、バッグに入れないといけないし、双眼鏡も入れないといけないし、おやつ等も入れないといけないし、お洋服も考えないといけないしで、非常に忙しかったからです。
すると、主人が「何時に帰ってくるの?」と言いました。是ってね。普通の人たちの家庭だったら、それで、いい会話です。ところが、私の場合は、違うのです。明治座に行く事を敵さん達に知られると、きっと、入れないことになるという予想が付くので、明治座に行くと言う事を主人に言えません。しかも、切符が買える場合と、買えなかった場合では、全く予定が狂うのです。
ここですが、明治座は、私の予想通り、松竹の社員も来ていて、そして、ひどい仕組みを作っていて、私は結局は入れなかったのです。私以降の時間帯に来た人は、14人も入れたのにですよ。そして、明治座から、人形町駅へ向かう時に私は、10人もの例の緑色の制服の、何とか違反監視員に出会うのでした。これは、彼らが警察から、給料をもらっているそうなので、猿之助問題が、警察が絡んだ、第謀略であることを証明する出来事です。だから、それが起きても、輪t櫛は、かえって喜ぶぐらいですが、ともかく、朝の四時からあれこれ、準備したことは、パーになったのでした。だから、思い過ごしでも何でもありません。
で、主人には、何時も、出かける前の私には、質問をしないで(=声をかけないで)と、原則頼んであります。彼にこたえると行く先々で、困る事になるからです。で、朝7時半に結局、「今日は明治座に行くつもりなのよ。で、切符が買えるか買えないかが判らないから、行先も言わないし、帰える時間も言わないのです。原則を忘れないで、本当に困る」と大喧嘩をしました。それから、例の敵さん達が、最高の準備を始めたらしいのです。桜田門の精鋭がです。で、その二時間後の9時50分に彼らの頭脳の結晶を、私は、実際に、目にすることになるのでした。👉へ、つづく。
但し、副題2~副題αまでの、途中経過も重要です。シロタ画廊のオーナーが亡くなっている、いまだから、書けることを書きます。
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副題2、『品川駅では、絶対に停車しない筈の、横須賀線が、何の説明もないままに、5分以上停車した。で、私は主人に電話をかけた。「ね、あなた、さっき説明をしたでしょう。明治座に行くと言ってしまったら、必ず、妨害を受けるのよ。これが、CIAににらまれていると、言う事の実態なの。私たち二人の会話が、横須賀線を停車させて、明治座で、切符を買えない様にさせているのよ」と、言いました。
これは、本当に何度も行われている事で、大崎で、湘南新宿ラインが一時間半ほど、停車してしまったり(2014年5月16日の事)2016年か2017年、横浜駅と、新川崎の間で、これまた、何の説明もないままに、横須賀線が、一時間半停車して、歌舞伎座の昼の部、を、半分しか見られなかったこともあるのです。
2010年、京橋の有名画廊、ギャラリー山口のオーナーが、1月の17日に殺されて、自殺だと、メディアまでを使って、CIAエージェントたちが、大宣伝をした後で、それを自殺ではないと書いて居る私をいじめるために、森さんというオーナーが、自分の画廊、ezibit Live and Moris で企画展(ただで、個展ができる催し)を、提案したので、仕方がなく乗ったのですが、
それが、2月の筈が、4月5日から、10日へと延びて、その間、ガレリアグラフィカで、山本容子展が、準備ををされており、彼女の方は、メディア露出用に、準備期間が、一か月ぐらい必要なので、(私にはそれは、むろん知らされていなかったが)私の個展は、二月だと当初言われていたのに、4月5日から、10日へ変更になったのです。
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副題3、瓜南直子さんが、早世した理由は、肝臓を傷めていたのが、第一の原因だが、伊藤玄二郎らに、教唆命令されていて、私を、いじめていたからですよ。特に広島在住のファンであり、執事を名乗っていた、金田佑子さんを、警察側のスパイ・・・・佑子さんが、真相を知っていたかどうかは別として、・・・・・私に、種々様々ないじめを受けていることに対する愚痴を言わせて、それを盗聴して、・・・・・私が、CIAエージェントとその手下としての警察の役割について、どれほど、深く、気が付いているか?を、探索する役目・・・・・を、二人で、共同をして行ったからですよ。私をそんな仕事で、いじめると、天が起こります。直子さんの死は、天の怒りの発露でした。しかし、直子さんが、そういう風に動かないとならなかったのが、企画展という仕組みです。唯で、個展、または、グループ展を開いてあげますと、言う申し出でに縛られているからでした』
::::::::なお、ここで、挿入ですが、瓜南直子さんが、非常に早く亡くなったのは、彼女がCIAエージェントの言う事を聞いて、広島在住の、金田佑子さん(執事です‥‥というコメントを直子さんのFACE BOOK投稿に、よく引っ付けていた)を、対私へのスパイ役に推薦したからですよ。伊藤玄二郎の言う事を聞いたからです。ただし、直子さんが、そういう風に動かないとならなかったのは、プロの画家として、企画展を数多く提案されていて、常に、それを、感謝していて、そういう意味では、画家は、悪人たちに、容易に支配をされてしまうのです。かわいそうだと、思いますよ。私なんて、第一次Face Book で、直子さんが2011年の8月には、すでに体調が悪かったことを喝破していて、深く同情をしているのに、そういう私を、警察に売り渡す役目を、金田佑子さんと二人で、やっているのですから、どうしようもないのです。私と少しでもかかわりを持った限り、私のブログを毎日読まないといけません。彼女は何も読んでいないので、全く持って、迷妄の中に落ち込んでいきました。
さて、私は、それを彼女たち二人には、言いませんが、裏側がすべてわかるので、金田佑子さんが提案してきた、2011年11月3日のデートは、断りました。するとね。直子さんは、金田佑子さんを、慰労するために、鎌倉からお菓子を送ったのです。それが、豊島屋の源平巻きです。金田佑子さんを警察側のスパイに仕立て上げると、言う大ごとに誘い込んだうえで、それがつぶれたので、慰労をするにしては、当時の、豊島屋の源平巻きは、贈答品としては、最低のお値段の物でした。美しい印刷をした缶入りで、細いシガレット状のお菓子が、20本入っていて、1300円だったのです。今は、形が全く異なっていて、しかも、数量が少ないうえに紙箱入りなので、しかも、1200円程度なので、三から五箱程度、集積させないと、贈答品としては、使えません。しかし、当時は、格安のおかしだったのです。どうして、それほど、格安だったかと言うと、ヨックモックのシガールなどとは、違っていて、バターを使っていないからでした。純粋な和菓子だから、小麦粉と卵と砂糖は使ってあるでしょうが、単位価格が高いバターは、使っていなかったので、お安いのでした。
しかし、私はね、直子さんほどの、有名人が、警察のスパイを頼んだ、慰労に、こんなお安いお菓子を送ると言う事に驚いて、直子さんの、経済的ひっ迫は、2011年の11月にはすでに、判っていたのです。
これが、大問題となるのは、伴清一郎さんの、2011年の6月10日以降の投稿が、偽善に、満ち満ちているからです。伴さんというのは、直子さんの、実質婚の相手です。
今日、波紋という映画を見てきました。ある夫婦のリアリティを描いているのですが、伴清一郎、瓜南直子夫妻の、実相を、私は、ずいぶんと前から見抜いていたのですよ。
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副題4、『瓜南直子さんは、自分の思想にがんじがらめになっていたのだった。それは、ちょっと、山口みつ子さんに似ている。戦後の、女性解放運動の中で、女性は、経済的に自立をするべきだと、言う思想があり、直子さんは、それを実行しようとしたのだった。
実は、女子美は、そうでもない。お見合い結婚が多い模様である。それは、女子だけの大学なので、男女共学の大学と違って、学内で、恋愛が成立しないので、男としてとか、女としての優劣が、目に見える形で、つくことが無いからだった。
芸大は、男女共学、そして、私のICUも男女共学。今のICUは、学風が変わったかもしれないが、私が在学していた1062~1966年は、はっきり言うと、女性の方が、家柄が、良い人が多かった。富裕な家庭の出身者が多かった。で、ICU学内で、結婚相手を見つけた人は、特に男性は、勝ち組とみなされていた。
あの当時、女性が、150人いたと仮定して、そのうちの、30人は、お見合いで、結婚しようと、考えていたと思う。林真理子さんと、同じ発想だ。しかし、林真理子さんと違うのは、親が大使だとか、大学教授だったり、また、一部上場企業の重役だったりして、家柄が、良いので、当然、東大卒の人とお見合いをすると、みなされていたのだった。親からだ、それに抵抗しないタイプも多かったのである。しかし、一方で、瓜南さんのごとく、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの、思想にかぶれて、絶対に、恋愛結婚でないとだめだと、考えている人も多かった。二極化している。
私はどうかというと、中学時代から前歯に金冠をはめていて、それが、大きな劣等感を生んでいたので、親の言う、「お前には、イットが無いので、絶対に、25歳までに結婚をしないとだめだ」と、言う説諭を、受け入れることにはしていた。このイットだけど今の言葉でいう、女性ホルモンがあふれ出ている女性を指す。
私は、小学校上級生のころからお勉強ができて、それを貫いてきたので、親は、イットが無いと、思い込んでいた。しかし、57歳になって、文化庁の在外研修生で、パリに行かれることになって、自分の器の大きさを、有名な手相観(日大芸術学部卒で、YMOのマネージャーをしていた)の日傘雅水さんに見てもらうと、
「あなたは、芸術家でよかった。これが、専業主婦だったら、事件を起こす人になっていますよ」と言われた。きょとんとしていると、両手に二本ずつ、金星帯というのがあります。これは、恋愛体質だと、言う事を示しているのです」と、説明が続いた。愛とか、恋とはエネルギーの問題で、私は、エネルギーは高い方だと思う。しかし、体が、大学時代の、芳香族炭化水素(トルエンなど)を使った実験で、ボロボロであるので、そこに大きなアンバランスが生まれている。
ところで、今手相を自分で見てみると、左手(自分が、考える自分自身)には、金星帯は、粉々になっている。むしろ、消えていると言うにふさわしい。さすがに、今は、恋愛をしていないし、その通りだろう。ところが、右手には、まだ、一本しっかりした、金星帯がある。
で、外に出ると、女性でも男性でも、知らない人から、好意を持たれる。それに比較をすると、ご近所が異常極まりないので、そこに政治的意味を見出すのだった。
で、東大卒の人とも二回お見合いをしたが、相手が立派でも、自分が東大出身の人の妻として、やっていく自信がなかった。私は、かたにはめられるのが嫌いであり、東大卒で、大企業エリートとの結婚は、だめだろうと思っていたのだが、きっとそれはその通りだろうと、思う。もし、あのお見合いを、そのまま進めていたら、ブログなんて、書けやしない。で、今の主人が、ちょうどよかったのだろう。
映画波紋を見て来たのだが、それは、50代の主婦の、実相であり、80代の私は、「ああ、そういう悩みの時代は、遠く過ぎ去りましたよ」と、思う。ただ、主人公がメンターを求める気持ちは、とてもよくわかる。そして、思いがけない、人物が、自分を真に支えてくれるメンターと成って行くのだ。それが、どういう人かは、ネタバレになるので、言わないが、監督の考えについては、「そうですね、きっとその通りです」と、肯定をしたい。
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副題5、『私にとって、最大の、メンターは、旧姓西大寺さんだ。現在の姓、時枝裕子さんである。お茶大付属高校時代の先輩で、五歳年上であり、実は、いのちの電話を、担当していると、言っておられた。
これこそ、猿之助騒動が、伊藤玄二郎達、鎌倉エージェントが絡んでいると判断する大きな原因だ。
なお、これは、この三倍は、書かないといけない、章ですが、午前二時になったので、寝ます。四時に起きているので、すでに22時間置き続けているので、脆弱な体が壊れますので。