銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

おじいさんは、山へ芝刈りに・・・という一節に込められた山林地主と子供のいない老夫婦との関係(小野和子さんの話から)

2022-02-19 23:23:44 | 政治

 私は、自分のブログの、続きを書かないといけません。しかし、本日もまた、非常に忙しくて、時間がありません。で、自分自身が考えた事ではなくて、ひとが考えたことを伝聞するだけで、お許しを頂きたいと存じます。自分のブログの、続きに関しては、明日でも致します。

 私は、NHKの番組の中では、【こころの時代】というのを好んでおります。これは、日曜日の朝五時から、NHK ETVで、本放送があり、土曜日の、午後一時から再放送があります。でね。最高の、感想を抱くときと、そうでもないときがあります。

 でね。最高の感想を抱くときに、このブログの読者に、すぐさま、お伝えするという形でもないのです。自分が、発信したいことがあるときは、そちらの、情報は、伏せておきます。それを読者様にお伝えするわけでもありません。

 今回の民話の採録者、小野和子さん篇は、最高に、感動したというほどの、週ではないのです。

 というのも小野和子さんご自身、大変恵まれた人で、『すごい人ですねえ。その人生も、行動も、その人格も含めて。驚きました』というわけでもないです。ご高齢で、健在で、頭がいいし、いい仕事をなさったとは、感じるが、他の週に、ものすごい苦労をした方とかのお話も聞くので、小野和子さんが、最高というわけでもないです。

 というのも、高山の裕福なご家庭に生まれて、東京女子大の英文科に進み、仙台で大学教授をなさっている(多分東大卒の)方と、(これも、私の推察では)、お見合いで結婚をして、その後、子育てもなさりながら、翻訳もし、それが、出版をされました。一方で、ご主人が理解があるので、土日は、お子さんをご主人に預けて、東北各地を回り、民話の採録に尽くしたと、言う方です。

 実家が戦災で、消失したというわけでもなく、人生のほとんどが、恵まれてきて過ごした方です。

 しかし、彼女が、東北で、民話を採録するにあたって、接した老人たちが、素晴らしい人格者だったと、言うお話が、良かったのと、

 もう、一つ、私が全く知らなかった知識を与えられて、そこが、この一遍の素晴らしいところでした。

 私が、全く知らなかった知識というのは、東北の、山林にあった不文律の事です。

 山持ちは、たぶん、都会に住んでいます。例えば、国有林は、昔は、徳川家の、ものだったでしょう。だから、将軍様が、山で、枝払いをするわけではありません。で、もっと、小さな、規模の山林地主でも、自分では、働きません。東北各県でも、山林地主は、県庁所在地に、大きなお屋敷を構えていて、同時進行的に造り酒屋を営んでいると、言う様な生活形態であろうかと思います。

 実際の山仕事をする人たち、・そ・ま・び・と・とか、・さ・ん・か・とか、言われていたと、私は記憶していますが、小野和子さんは、そういう言葉は使いません。失礼に当たるという意識があるのだと、私は、感じます。

 で、山林地主は、そういう、風に、ふもとというか、山の中に住んでいる、人間に、山の仕事を任せます。炭焼きを本業にしている人なども、そういうたぐいの人なのでしょう。

 私は、今まで炭焼きをしている人は、山の持ち主だと、考えていました。が、違う模様です。

 炭焼きをする人を含めて、山林地主は、立派な材木(ひのきとか杉とか、松など、その地域固有の樹種)を、50年後、100年後に切り出すために、樹木の生育を促す仕事、を、それらの人に任せるのでした。炭焼きの人も、彼らが、使う樹種は、そういう風に、50年後、100年後、建築用製材として、使うための主役を、育てるためには、不要な樹種なのです。なら等は落葉樹ですし、材木としては、柔らかいし、樹の、立ち方が、まっすぐではないからでしょう。柿の木などは、まっすぐではないものの、ベーゼンドルファーの、真っ赤な柿の木のピアノが、ザルツブルグ音楽祭に登場した様に(あれは、アンドラーシュ・シフの、私有物だったかもしれない)固いのと、年輪が、珍しい形で、浮き出てくるので、特別に育てるケースもあるでしょうが、普通は、杉、ヒノキ、松などを、山林地主は、育てるのです。

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 さて、私が最も驚いたのは、年老いた、やまびと、たちの暮らしです。

 小野和子さんは、年齢を規定されなかったのですが、昔は、栄養素が、少ないので(特に山に住んでいる人が、豊富で、多種多様な食べ物・・・・例えば、チーズや、牛乳などを食べていたとも思われないので)、老人になるのが早かったと思います。で、50を過ぎたら、山林地主が、期待している様な仕事はできないわけです。

 しかし、子供が居たら、子供がひきつぎます。で、4人も、5人も、子供がいるうちは、下の方の子供を、それなりの商業都市へ、働かせに行くかもしれません。(ここは、小野さんの、話ではなくて、私の推測です)。ただ、長子、次子、三男まで、ぐらいは、山で、仕事ができると思います。で、親世代は、引退して、孫の世話でもしておけばいいですね。

 ところで、この山仕事ですが、男性だけが、山に入るのではなくて、夫婦で、山へ入ることが多い模様です。というのも、薪一つでも、軽い束もできるからです。それは、女の人が持って降りたと、推察されます。

 で、問題は、子供が出来なかった夫婦のケースなのです。

 で、それらの人には、子供が、山仕事をして、炭焼きなどで、稼いで、自分たちの、衣料品を買うことが出来るなどという生活ができないわけです。で、30代で、買った着物で、それ以降、一生を過ごすわけです。実は、ぼろと、言うのが、今は、芸術品として、収集の対象になっています。でも、あれは、農作業をするきものが、新しいのが買えないので、薄くなったり、穴が開いたりした部分に、もっと、古いきものから、丈夫で、まだ、使えるところを、切り取り、穴の上に重ねて、繕ったものなのですね。それが、全身に及び、ぼってりと厚くなって、防寒上も、適切だから、大切にされて受け継がれてきたものなのでしょう。

 でもね、今の、ファストファッションと言われる、ポリエステルの、ぺらぺらした、生地で出来た、劣化しない、お洋服と比較すると、ひと手間の集積でもあり、それが、何とも言えない風情と、ぬくもりを感じさせるのです。だから、芸術品として、人々が争って求めるものとなったのだと、思います。アメリカでも、・ぼろ・は、高く評価されていると、聞いています。

 でも、繰り返しますが、50を過ぎた江戸時代の、山人は、引退に追い込まれるわけです。北山杉で、代表される様な、ふしを作らせないための、高枝切りもできないわけですね。で、何をして、暮らしていくかというと、山へ芝刈りに行く事が、できるし、それをするのは許されているのでした。

 園芸の仕事をしていると、鎌倉市雪ノ下二丁目三番地というのは、山の中なので、ほんの小さな庭でも、実生という、小さな木が生えます。樹種は、いろいろですが、モミジが、多かったです。

 我が家で、そうなのですから、もっと、大規模な山林において、こういう実生がたくさん生えるだろうなあと、思うのです。そうすると、それは、山林地主が、意図的に植えて、育て様としている樹種ではないです。特に、半径、5m以内に、一本だけ、育てると、言うほどの、けやきなどの、立派な樹種でもないです。だから、ある程度育てば、刈り取っていいのでしょう。刈り取る人間も、実生よりも、1mぐらい育った段階の方が、利用価値があると、考えるでしょうし、それらは、そこまで、育てたうえで、本筋の、樹勢を強めるために、刈り取った方がいいと、言う方向になると思います。土の中の、栄養をそれらの雑木に、うばわれない為に。

 鎌などで、刈り取った、その日は、重いですね。水分を含んでいますし、葉っぱは青々としています。で、そのまま、地面に放っておけば、枯れて、所謂、黄土色、または、茶色になります。その同じ山に、現役の、壮年の、山人が入っていたら、彼らが、束にしてもって帰った、下枝の束から落ちた、小さない小さな、枝たちが、・・・・・そして、枯れ草も、含めて、所謂、童話、または、民話に出てくる、芝となるわけです。

 おじいさんは、山へ芝刈りに行きました。という冒頭の、表現に出てくる・し・ば・と、呼ばれるものになるのだと、思います。私たち夫婦は、1974年に建てた、北久里浜の、旧宅に、園芸の仕事をしに、よく、行きます。すると、ちょっと、放っておくと、はるじょおんなどの雑草も、1.5mぐらいの高さになり、その幹は、直径2㎝近くになり、堅牢で、カマでは、とても切り倒せません。・・・・・そういうものも、江戸時代には、しばと、呼ばれるものになったと、思います。

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 さて、ここからが、もっとも、驚くべき話となります。小野和子さんご自身も、ひどく驚いた、事実らしくて、それを、テレビ内で、おっしゃるのですが、私も本当に驚きました。

 というのも、その芝ですが、束にしても、山から家へもって帰る際に、その日に使う分しか持って帰ってはいけないそうです。私は、イメージを膨らませます。この三日前、2月16日に、山へ行って、芝を、夫婦で、10束持って帰ったと、仮定します。それを、17日に囲炉裏にくべて、部屋の暖房兼料理用に、使う予定です。しかし、17日には雨が降りました。すると、いや、行きたくないなあと、思っても、その日に、いかないと18日、にご飯が食べられません。だから、17日に、雨の中を・みの・をつけて、傘をさして出かけるのです。もし、17日に雪が降ったと仮定します。でも、18日に、19日分とか、20日分を、持って帰ることは許されないのです。

 詳しいことを推察すると、雪が降る前に、山の中の、雪の少ないところに、芝の束等を、作って保存をしてあるのだと、思いますよ。でないと、それこそ、死んでしまいます。一メートル以上の積雪の中で、地面に落ちている枯れ草や、枯れ枝を探すのなど無理ですから。

 今、NHK BPでよく地方の映像が出てきます。壁一面に、薪が積んである家などが出てきます。人間として、頭を働かせれば、当然の事です。しかし、江戸時代に、特に、子供のない老夫婦には、それが、許されていなかったと、言うのは、本当に驚きです。小野さんは、だから、民話(童話)の、冒頭に、「おじいさんは、山へ芝刈りに行きました」という文言が多いのだと、おっしゃるのです。

 本当に驚きました。これは、川崎千恵子の、言葉ですが、今、現在の北朝鮮って、そういう態勢で、人々が暮らしているのですよ。田舎ではね。都会は海外向けの見本用都市です。しかし、田舎に実態がある。そういう国で、ミサイルを自国開発できるはずがないです。

 小野和子さんの、解釈に戻ります。

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 「もっとも、貧しい人、もっとも、権利が無い人に恵みが来ると言うのが、日本の民話の特徴で、それは、きっと、日本人が、基本的にやさしい国民性を持っていることの証左でしょう」と。

 私は、民話の研究者ではありません。だけど、自分の、79歳の経験と、大勢の人と、分け隔てなく付き合って来た経験から、それは、言えると思っています。しかし、この雪の下二丁目、三番地と四番地にまたがる、うぐいす会という町内会に所属している人は、別ですよ。

 アメリカ人だって、中流階級の、特に下に位置する人は、性格がいいです。特にキリスト教も何とはない形で残っていますし。

 ところで、江戸時代に生まれた民話には、最も貧しい人に、恵が来ると、いう話が多く、それは、日本人の優しさだと、言う小野和子さんに、言葉を聞いているうちに、原始キリスト教と、イエスの教えを思い出しました。

 違いは、イエスキリスト自身の、壮烈な死と、イエス自身が、奇跡を起こしたというところです。

 はなさかじいさんだけは、本人が奇跡を起こしたみたいに見えますが、犬が、ここほれ、わんわんと、言ったことから始まっており、多動的です。Passiveです。

 

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