すみませんが、いつもの様な文章を書く体力が、本日はありません。銀座の画廊巡りをして来たからです。で、わが家の猫について、小さなお話をしたいと、思います。
親バカの一種でしょうが、今、飼っている猫の賢さには、いつも驚かされております。先ほど、大きな声で、階段の上の踊り場で、呼ぶので、『なんだろうなあ』と一瞬は考え込みました。餌(特に生キャットフード)が欲しい時には、そこがそうだと決まっている食卓の脚傍で、啼きますし、水を取り替えて欲しい時は、黙って、水のみ容器の前に座っています。サインが、それぞれ、違うので、意味が分かりやすいのです。が、踊り場で、啼いているのは、たいていは、北側の窓を開けて欲しいというサインであって、そこは、すでに、私が朝のうちに開けているので、不思議な感じでした。すでに、開いているのに、「開けてくれ」と言うサインを出すのは、初めての事で、最初は、意味が解りませんでした。
でも、『何かはあるのだろう』と思って、その開いている窓へ近寄って行きました。すると、そこに、布団が置いてあって、それが、「雨に濡れるよ」と、注意してくれているのが解りました。げやねと言う、一階の屋根が、出っ張っているところがあり、そこが、猫のお昼寝場所になっています。朝日が当たるのです。その上、家の南側の方には、大木があって日当たりの良い場所が無いので、そこが、猫にとっては、大好きな場所となっています。鎌倉の谷戸に住んでいますが、その谷戸の丸さを、全部見下ろせる場所です。高いところが好きな猫にとっては、その高さも、魅力なのでしょう。で、朝、私が猫用布団をそこに置いたのです。「それが、雨に濡れてしまうよ」と、注意しに来てくれたのでした。その賢さには、驚きました。まだ、雨は強いふり方ではなくて、音もしませんでしたので、猫が、教えてくれなかったら、「猫用布団だから、小さいのです」と、言っても、濡れたでしょう。で、後始末に時間がかかります。
このことを、ここで、報告をするのは、本当の、親バカだと、思いますよ。でも、自分の本当の子供もいるのですが、(人間の方です。すでに、40代です)猫の純粋さには、いつも、驚かされ、現在73歳の、この、身を、心から慰めてくれます。
別に、人間の子供の心が不純だというわけではありません。でも、人間の子供の場合は、受験とか、就活とか、結婚とかあるでしょう。そういう関門を超える際に、親の方が、まったく無欲で、かつ、無関心でいられるわけもないです。それが、なかなか、複雑で、結構、悩みますよね。どこの家庭でも、親子関係が、純粋なものだけで、推移する物でもないと、思います。
しかし、猫を相手ですと、私が欲を出すはずもありません。これが、高い値段で買ったブランド猫だったりして、コンクールに応募するなどと言う事になると、ちょっと、違うのでしょうが、私は、そして、主人も、猫本位な生活なので、猫を題材にして、何らかの、自らの、欲望を、満たすと言う事は、ないのです。ただ、小さいものとか、いとしいものと思って接するだけです。
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2016年5月30日、これを書く。雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)
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