銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

「もし、今の猫が死んだら」と、主人と話していたのだけれど

2016-04-10 10:16:27 | 
 これは、三日前の夜に書いたものです。猫にことよせて、人間の事を語っているのですが・・・・ 
 
『もし、今の猫が死んだら』と、主人と話していたのだけれど。-1
 ペットロスで、哀しい思いをしている知人や友人がいます。私達は、結婚後48年経ちますが、この家庭で2匹の猫を飼ってきました。最初の猫は、19歳生きました。死んだときは、子供たちが大泣きをしました。私は、自分が子供のころは大泣きをしたのに、それほど、泣くことは有りませんでした。それだけ、年を取ったのだと、おもっております。ところで、その猫が、元気だったころには、主人は、いわゆるサラリーマンとして忙しくしており、ほとんど関心がありませんでした。子供の頃にも猫を飼ったことがないそうでした。だから、私と子供たちが、大好きだった猫です。
 
 ところが、その次の猫である、今の猫は、主人が考えてもらってきた猫です。タウン誌に出て居た「猫上げます」と言う情報を頼りに、電車に乗って、わざわざ茅ヶ崎まで行ってもらってきました。鎌倉から、茅ケ崎って、同じ神奈川県内ですが、こ一時間はかかる遠い場所です。当時、私が海外へ、よく行って居て、家に居なかったので、主人自身が、さびしかったのかなあ?
で、案内を出した方は、獣医さんでした。そこのロビーの大型ケージで、兄弟だけで、飼われていた子猫です。それで、特長として人間が大好きです。つまり、訪問をしてくる人間たちにかまってもらうことを、大好きな遊びごととして覚えているからです。
 
 主人は兄弟の中で、三番目で、どうしてか、母に一番かわいがってもらったみたいで、したがって、自信があって、やんちゃな性格です。その主人が、毎日、いとおしがって、話しかけて、育てたので、もともと、人間好きだったのが、さらに、人間好きになって、ご近所の猫好きの人が『たまらないほど、この猫は好きだわ』と、言ってくださるほどの、感情が豊かで、人間と交流できる猫となりました。私が鎌倉の家に落ち着いて、猫と、接するようになると、私は、本来が猫好きですから、猫と2人で、真夜中のライオンごっこと言うのを開始して、猫の好意を、盛んに得るものですから、主人が良く、「つばえるんじゃあない」と、怒っておりました。つばえるとは、広島の方言で、特別に仲良くすることを指します。
 
 主人は、これから先は亭主の好きな赤烏帽子で、皆様には、笑われると思うのですが、もともとは、エンジニアで、観察が好きだし、結構頭がいいので、猫に関しても、独特の観察を続け、知識を増やして、主人は主人なりに、ネコの好意を得ておりました。主人に対する声と、私に対する声音が、違うのです。(苦笑)甘え方も違うのです。ところで、主人は男なので、家に居ない時間帯があります。しかし、家にいる時間帯は、猫と正面切って向き合ってあげます。しかし、私の方ですが、猫と大の仲良しで、家にずっといるくせに、いろいろな仕事(お金にならないが、集中が必要である)をやって居る者ですから、猫としては、その点が不満で仕方がありません。で、彼女なりに工夫を重ねて、私が外へ出て、園芸の仕事をしている際は、私を独占できると、気が付いて、私が外へ出ると、必ず、話しかけてくるのでした。
 
 その声は、たいへんかわいいものでした。で、短いやり取りで、にゃあ、ニャア、にゃあ、ニャアと、お互いだけは、意味が分かっているやり取りを続けていたのです。その延長らしいのですが、真夜中に、おしっこか、ウンチを外で、やって帰ってくると、大きな声で、「出たー」と、報告をするのでした。長らくそれを、やってきていました。よく、人間でもカタルシスと言うでしょう。それです。気持ちが良くてたまらないというやつです。
 ところが、それがですね。最近、大変大きなボリュームになったのです。早寝型の主人が『起こされてしまった』というほどの大声なのです。それで、主人が、猫に向かって、「お前少しコントロールしなさい。まるで、鍋島の化け猫ですよ」と話しかけているぐらいです。しかし、直りません。
 で、夫婦二人で、「これが、老化現象だろうね。この猫の」と、話し合っておりました。 

 猫の老化現象と言うのは、いろいろあります。昔、結婚する前の期間は、私にとっては、人生の三分の一にしか過ぎないのに、猫が、早死にだった時代なので、三匹程度、付き合ってきました。が、老化現象に等、出会っておりません。
 しかし、結婚をしてからの地の二匹のうち、前の猫が、19歳まで生きたので、その老化現象には付き合いました。彼女の場合は、筋肉が硬くなって、階段の上がり降りに、音がする様になって、老化現象に気が付き、その後、オシモも、垂れ流し状態になりました。まだ、猫用おむつなど、売っていない時代だったので、本当に大変な二年間ですが、付き合いました。で、最後の一週間は、香箱の姿勢のまま、ずっと、眠っているのですが、一日に一回程度、数十秒間だけ、目を開けて、家族に向かって、『大丈夫よ』と言うサインを送るのでした。
 この猫によって、老後とか、死というモノを学ばさせてもらいました。本当に多くのものを学ばさせてもらいました。
 
 先ほども申しあげたとおり、前の猫には、ほとんど関心がなかった主人も、今の猫は大好きだから、「もし、この猫が死んだらどうしようね」と、言う話題が、出ることが有ります。「もちろん、もう、飼わないよね」と、言い合っています。暗黙の了解を超えて、はっきりと言葉に出しています。
 しかし、そう言う事を話し合いながらも、人間の方が先に死ぬとか、先にダメになるとか、言う事は、一切考えておりませんでした。私達夫婦は、特別な健康法は、何もやっていないのですが、大体平静で、平坦な、日常を送っており、それが、ずっと、進行をするのだと、思い込んでおりました。
 しかし、最近の、主人はいささか体調が悪いと、言い始めておりました。特に小さい孫たちに登山などの野外活動が好きで、欲お誘いがかかるのですが、行く前に、ややおっくうそうにしておりました。
 
 しかし、主人は、それを、胃腸系の病気だと、自己診断をしていたので、(実は、化学屋ですが、57歳の時に、鍼灸医の資格を取っています)『養生をしていれば治る』と、思っていました。しかし、思いがけない事に、循環器系だったのです。心臓が悪かったのでした。病名としては心筋梗塞で、カテーテル手術前に「最悪の事態も、考えて置いてください」と、妻である私は、お医者様から、言われました。
 幸いにして、詰まっていた箇所が動脈だったそうで、意識を失うことなく、回復しましたが、後の養生は必要でしょう。驚くべきことでした。保護すべき対象である、ネコではなくて、私達、人間の方に、老後が、ひたひたと、押し寄せているのでした。観念の上だけでは、判っていたのですよ。でも、現実には、そんなことは先の先だろうと、思っていたのです。→9へ。
 
 昨日は、本当にびっくりしました。朝の9時前後など、『3時間前と、今では、なんと、違ってしまったのだろう』と、思いました。でも、暗澹たる気分に陥ったり、パニックになることは有りませんでした。実の親の死と出会っておりますが、一番、大きな経験は、前の猫の19歳の時の、尊厳に満ちた死への道筋を、彼女に、見せてもらったことです。
 私の事をある方が、評して『転んでもただでは起きない人だ』と、言ってくださったのですが(それは、顔に大けがをした2005年だったのですが)、今回の経験も、『ああ、神様が、老後へ向かう筋道を見せてくださったのだ。「うかうかとして居たらだめですよ」と、教えてくださったのだ』と、受け取っています。遺言書も書いておかないといけないし、ともかく、物を捨てておかないといけませんね。気力と体力のあるうちに、それをやっておかないと成りません。ずっと、先だと、思っていたことが、循環器系だと、急に来るのでした。幸いに主人が、無事で、生きているからこそ、この様に前向きに考えることができます。『常に、死への備えをしておかないといけないのだと、判りましたわ』と。

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   雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)
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