銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

私の住まい近辺には、黒猫が多かった。かわいそうな外猫ジャックを、今でも思い出すが△

2014-10-11 08:10:41 | 

 以下の文章ですが、11日の夜10時ですが、やっと完成しました。そのしるしに総タイトル横に、△印を置いておきます。

副題1、『この山には、黒猫が多かった』

 この写真は、どんぐり(くぬぎ)です。でも、地上で拾ったのではありません。

 我が家の屋根の上に乗っていたのです。二階の屋根の上に。我が家の敷地内と、東側の境界線の向こう側にもくぬぎはありません。南側境界線の向こうにあるのかしら?

 どこにあるかはわかりませんが、ともかく、台風16号と、台風18号のどちらかが運んできた賜物です。

 ところで、どうして、屋根の上に乗ったかというと、樋を掃除するためでした。常に落ち葉がたまって、といが、樋の役目を果たさないことが多いのですが、その樋がに役目を果たさないということにも、また、少しはメリットがあるので、放っておいたのです。あれは20年以上は前の話ですが、前のねこ、ちびちゃんが、音楽が非常に好きでした。ただし、私がピアノを弾いたり、歌ったりするのは嫌いで、いつも、ピアノに飛び乗って「やめてくれ」と、自己主張をしましたね。(苦笑い)

 私は、40年以上前は、毎日ピアノを弾きながら、お歌を練習したものです。林隆三さん方式で、勝手な和音アルペジオ伴奏を左手で、つけながら。でもそのおかげで、長調、短調の和音は、フラットにしろ、シャープにしろ、三つぐらいつくまでは、自家薬籠中の物にしたのですが。ですが、子供が小学校へ入ると、もっと、大きなことをしたくなって、ちびちゃんを、わが家で拾って、飼い始めた頃には、ピアノを毎日弾くのはやめていました。ただ、時たま興が乗ると、弾いたり、歌ったりするのですが、それを嫌がるのです。ちびちゃんの耳は非常に繊細で、ただ樋が聞かなくなったベランダから、落ちてくる雨粒の音を聞くのが大好きでした。

 上の写真は、絵葉書の採録で、ちびちゃんそのものではありませんが、まさしく、これと同じ毛並み(模様)だったのです。捨て猫です。この雪ノ下(黒猫が三匹いた)もそうですが、北久里浜の家でも、同じ人が、同じ親から生まれた子供を、連続して捨てるらしくて、ちびとそっくりな毛並みの、ねこを拾ってやったお宅がほかに二軒ありました。

 北久里浜から、鎌倉へ連れてきたのですが、幸いに、慣れて、北久里浜に逃げ帰ることはありませんでした。しかし、困ったことに、外でトイレができなくなったのです。それは、鎌倉春秋窯のねこ(黄色か、赤の首輪をした真っ黒な美猫)に我が家の庭も、占領され、いじめられるからでした。敷地は88坪もあって、木がいっぱいあるのに、ウンチもおしっこも、外でできないのでした。猫はにおい付けをしますので、わが家の庭が、春秋窯の猫の庭になってしまったのです。

 それは、小さいことではありますが、ちびちゃんは、毎日4,5回は、トイレを使う猫だったので、10年以上ずっと大変だったのです。飼い主が傲慢で、わがままだと、飼われている猫さえ、傲慢で、わがままです。でも、ちびちゃんは、家の中トイレで、老衰して、いろいろな場所に垂れ流しをしながらも、私たちが面倒を見続けて、私たちの掌中で、19歳の天寿を全うしました。

 彼女が、自分が猫を盗んでいる癖に警官を呼ぶという大騒動を起こしたので、そのせいで、次の新しいねこ、さびちゃんを外へ出せなくなったら、今度は、安野さんのねこが、そっくり同じ傾向で、庭を制御し、さびちゃんの方のトイレ始末もしなければならなくなったのです。我が家には山というものが、南、東、東北と三か所ありますし、室内から、出せば、絶対に遊びに、遠くまで、出かけてしまう猫だったからです。だから、30年間に及ぶここでの生活のうち、猫トイレ始末は、延々と、20年は続きました。北久里浜より自然が豊かな野に、住んでいる人間が異常だと、とんでもない迷惑をこうむります。

 私が、石川和子さんに、「お宅でも猫を飼ったらどうですか? そうしたら、猫にはテリトリーがあるので、お宅を訪問しませんよ」と言ったら、「あら、旅行に行かれなくなるから嫌だわ」と答えたので、本当にわがままな人間だ。他人を何と思っているのだろうと思った次第です。だって、黒猫を昔、飼っていたのですよ。毎日、わが家の庭を闊歩するから、よく知っています。だけど、こちらは、うちの猫が家の中にいるのだから、絶対に、彼女のねこを家の中にあげないし、むろんのこと、彼女の猫のことで、彼女の家にまで、文句を言いに行くことはありません。

 だから、彼女は、飼うのには慣れているのです。なのに、さびちゃんが、気に入ってしまったからでしょう。それで、他人のねこなのに、執着しきって、大トラブルに発展をしていきました。

 上の写真は、今のねこのさびちゃんの方です。昼間とっているので、瞳が小さくてかわいくありませんが、それでも、賢そうに見えませんか? 目ぢからも強いでしょう。4分の一ぐらいの確率でシャムの血が入ってています。それで、こんなに、活発な性格になっているみたいです。それが、石川和子さんに過剰に気に入られてしまった原因ですが、どうして、この猫が特別に賢くなったかというと、母親から離された後で、動物病院のロビーにおかれたケージの中で、兄弟だけと遊ぶ生活を、1か月以上続けたから、らしいのです。いくら大きなケージだと言ってもケージの中の生活は短調です。だから、病気のペットを連れてくるお客さんになついては、かわいがってもらうことの楽しさを覚えたのでしょう。ひときわ、人間好きで、かつ、会話好きです。

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副題2、『外猫ジャックという、哀切な黒猫』

 上の方で言っている様に、この雪ノ下の山には黒猫が多かったのです。石川和子さんのねこもそうですが、もう一匹美猫がいました。それが、下にエッセイとして書いている、副題2、『リヒテルという美猫』に登場する猫です。

 そして、そのエッセイの最後の方にちらっと登場するのが我が家の外猫ジャックです。人間に絶対に慣れない猫なのでJ-pegは、ありませんが、ちょっと、イラストを描いてあります。来訪しなくなってから思い出に基づいて描いたので、うまく描けているかどうか、わかりませんが、こんなに、怖い顔をしていても、性質の根っこのところは、ひどく良いネコで、わが家の前の猫、ちびちゃんに恋い焦がれ、でも相手にはしてもらえないので、掃き出し窓の外で、じっとちび7ちゃんを見つめていた猫です。それほど、ちびちゃんは、猫の目から見ても美猫だったのでしょう。北久里浜の窓の外にもいつも、雄猫だなあと思う猫が待っていました。ちびちゃんは、しとやかでしたね。今の猫の、さびちゃんとはまるで違うタイプでした。

  

・・・・・・私が一人で出版した二冊目の本『れすとらん・ろしなんて』の第3章の採録・・・・・@13 リヒテルと言う美猫
  若い猫と言うのは、人間が働いている姿を見るのが大好きです。特に、人が外で働いているともう嬉しくて、足元にまとわりついてはなれません。そして、道を掃いている私の傍を通り過ぎて行く人に、愛嬌の数々を振りまきます。我が家の今の猫は、毛色は錆び色で、姿形としては決して美猫では無いんですが、下町おきゃん娘と言う形の極みで、別宅を三軒も持っているのです。朝六時にはもう出たがって、或るおばあちゃまの家へ行き、その次は、その隣のゴールデン・レトリヴァ―と遊び、疲れると、ゴールデンちゃんと彼の腕枕で一緒に昼寝をし、午後からは、その隣の陶芸教室の生徒さんたちに、可愛がられると言う始末です。真夜中だけは、我が家で出さないようにしているので、我が家で熟睡しますが。  或る日息子が「こう言うタイプの猫も可愛いけれど、僕はリヒテルも好きなんだよ。あれこそ猫中の猫って言う感じがしない? 全く媚び無いし」と言いました。リヒテル(仮名、本名は別の、有名ピアニストの名前です)と言うのは、まるで、エジプトの猫の彫刻のようなすらりとした姿形の、真っ黒な猫なのです。やや三角形の顔の中に、大きくて丸い金色の眼が有り、その下に、真っ赤な細い皮の首輪をしています。
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  ところで、世の中には、捨て猫を繰り返す不届きな人がいて、この我が家近辺の車の入ってこない山の中に、連続して黒い子猫を捨てる人がいるらしくて、その中で生き残ったのが、このリヒテルと、陶芸教室に七年ぐらい前まで飼われていた太郎と、あとから述べる野良猫ジャックです。太郎は、黄色い首輪をしていて、リヒテルより太ったたくましい猫でした。まったく同じに見える黒い毛並みなのに、何より性格が違います。太郎の方がやんちゃです。飼い主に似るのかな。・・・・・リヒテルの飼い主の方がちょっと哲学的思考の強い人なのかも知れません。

 その二匹よりもっと太っているのが、我が家の外猫ジャックです。これは純粋な野良猫で、人間に飼われた事が一回も無いまま、おとなに成ってしまったらしく、どんなに優しくしてやっても、人間に対する警戒心を解きません。生まれた時から、しっぽが半分解けていないし、(母親の子宮の中では、通常猫のしっぽは丸まって入っていて、それが全部解けないで生まれたのが、短尾の日本猫に成ります。しっかり解けたのが普通の猫です)しかも、曲がっているのです。で、まるで折れてしまったように見えて痛々しいこと限りが無いのですが、更に痛々しいのは、耳が誰か(と言っても、犬か猫かは判りませんが)に、噛みつかれて裂けているし、右目も瞳の真中に何かの傷からそう成ってしまったのか、白濁が出来ていて、そちらは視力が利かない筈です。つまり、どこから見ても汚げな満身創痍の猫です。
  もう少し、洗練をさせてやりたくて、馴らそうと七転八倒をしましたが、とうとう馴れることなく、「ジャックはどうも体の調子が悪そうだね」と我が家で人間の家族が話しているうちに、餌をもらいに来なく成ってしまったのです。多分、人知れず、自らだけで、この山の中で、最後の時を迎えたのでしょう。雄々しいものです。

 ただ、完璧な野良猫と言っても、そりゃあ猫ですから、猫としての自発的な考えは有るわけで、一階の大きな掃きだし窓の外で、置いてある小さな猫用の椅子に、きちんと座って家の中をじっと眺めているのです。うちの中にいる当時の飼い猫チビは、日本猫の雑種ですが、白地に赤トラが上品に混じった、これも猫の中の猫で、猫からの人気の高い美猫でした。そちらがお姫様とすれば、与太者風の、しかもホームレスのおじさんが、じっと家の中を『羨ましいなあ』と思いながら覗いている感じがして、人間の方がなんともやるせない気分に襲われてしまうのです。 で、煮干とかペレット、時にはケンタッキー・フライド・チキンの残りを与えて、それを食べるのに夢中に成っている間に、そっと後ろから回って、彼の爪に攻撃されないように、がっちりと抱いてしまうのですが、未だ人間に抱かれた事が無いせいかこの巨体のくせに、恐怖のあまりの暴れようで、体重が七キロぐらいあるので、私のような細腕ではいかんとも御しがたく、腕から解き放って、餌を貰いに来る以上に馴らすのは、諦めるのでした。

 その体のすさまじい重さも、ホームレス故だと思うと更に可哀想でした。いつ食べられ無く成るか、その事への不安が有るのでしょうね。こちらでは、絶対に見放さないつもりでも、相手がそれを理解しない限り、気持ちが通じないのです。だから餌が置いてある限り必ず全部食べます。家猫のチビが見向きもしない鶏の骨でも、がつがつがつがつ最後まで食べます。

 イギリスの作家のドクター・ヘリオットの本の中にも『こう言う馴れない純粋な野良猫を、とうとう家の中に彼らの自発的意思で、入れ込んで、風邪の治療をしてあげる』と言う一章があるのですが、獣医さんが夫婦二人で、しかも辺りが完全なる自然の中ですから出来る事が、普通の人間では、そこまでするエネルギーと根気が続きません。まあ消えてしまったジャックをどんなに、いとしく思っているかは、いつか将来もう一回書くかも知れません。*****

  今日は、リヒテルと彼を囲む人間像に付いてだけ書きましょう。息子は更に続けて 「僕が出勤する時、必ず下の門の前で待っているんだけど、プライドが高いから眼も合わせないし、ごろごろも言わないし、『にゃあ』とも鳴かないんだ。でも、必ず、頭と顎と頬を僕になでさせるんだ。まあ、急いでいるから、ほんの短い間だけどね」と言います。どうもこれは確かな事のようで、息子が海外旅行に行っている間に、私が、彼が通常の日に出勤をする朝の七時二十分に家を出てみると、我が家の門の前で息子に、あごをなでてもらうためにでしょうか、確かにリヒテルが待っているのです。

  夏目漱石が、『我輩は猫である』の中で、「車屋の猫はドラ猫で、おめかけさんの猫は色気が有る」と言っていましたが、どうも、猫は飼い主に似ると言うか、ともかく、飼い主の虎の威を借りる向きは有るようなのです。ですからこの山では陶芸教室の太郎が、一番の威張りんぼうでした。だって弟子が多いわけでしょう。『そう言う人とトラブると面倒くさいわよね』と言う感覚が皆に有って、『まず飼い主の方を、道を空けて通す』と言う感じが近所の人間全体にあるから、猫もそれを感じるのでしょう。太郎はまったくのきかんぼうでした。

 しかし、太郎に比べるとリヒテルの方は、同じ母猫から生まれたと推察されるのに、貴族的なプライドを持ち、つんと澄まして猫同士の争いもしません。が、人間と同じで『内面的にはこちらの方が強い』のではないかと思われます。どうしてかと言うと、その飼い主は、お金持ちで文化人だと言うわけですね。だけどこれから先はよそさまのお財布を覗く事に成るので、分析するのは止めて置きましょう。ただ猫を見るとその家の羽振りとか人気さえわかると言う話なのです。そう言う話なのです。・・・・・  2002年より前の話 

::::::::::::::ここで、挿入を終わります。

 なお、この挿入された短いエッセイに出てくるリヒテルが、わが家の息子や、わが家のお向かいの F 夫人にひどくなついていたころ、飼い主の「お母さん」は、入院をなさっていたのです。それがね。亡くなってから、分かりました。だから、当時は、ひどく、さびしかったのでしょうね。お父さんもお見舞いに行くから夜遅く帰ってくるでしょう。お子さん方(猫にとってはお兄さんやらお姉さん)も同じです。で、昼間、だれにも遊んでもらえないから、F家をしばしば訪問をしていたのです。今思うと、そのせつなさや寂しさが、よくわかります。ただ、F 夫人は医院のお嬢さんで、お行儀のよい人だったので、家の中に、自分の猫が居なくても、リヒテルを自分の家の中に、入れることはなくて、煮干しを、2,3本与えて、優しい言葉をかけては、それだけで、帰していましたね。それが、常識の範囲だと思うし、トラブルを避ける賢い方法だと思うけれど、石川和子さんはまるで違いました。 

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夜9時半まで、これ以降に延々と加筆を続けておりました。副題3以下をです。だが、副題1と、2までと、カラーが違いすぎる文章になったし、両方を一緒にすると、二万字内で、起承転結が完成しない見込みが出てまいりました。で、これ以降は別称へ回します。今そちらを鋭意書きかけ中ですが、もう少し、公開をお待ちいただきたくお願いを申し上げます。

なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2512097です。

    2014年10月11日、朝の8時に公開し始め、夜の10時に完成とする。雨宮舜(本名、川崎 千恵子)                                                 


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