こんばんは
今日は明後日の次女の誕生日と先月末にあった長女の誕生日を親戚(妻側の親戚)で集まって、お祝いをしておりました。
僕は結構馴染みの料亭で、妻の両親と会った時も使いましたし、研修医などを連れて慰労に使うこともありました。多分100万円以上使っているのですが、今日は少し残念な気分になりました。料理は美味しかったのですが、サービスが今までとはだいぶ下がっていて・・・(汗
うちの妻も含め、みんなで「今までよりもサービスが良くない」「新しい店長さんになってからなのかもしれないけど、今までやっていたサービスもやらなくなったな」という話をしておりました。
少なくとも僕のリピート率は一気に下がると思います・・・orz
さて、インターネットを見ていて僕も少し感じた記事があったので紹介します。
「愛してる」と言って亡くなった小林麻央さんの最期を作り話だという医師たち――2018上半期BEST5
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180818-00008558-bunshun-soci
8/18(土) 17:00配信
大切な家族やあなた自身がどんな最期を迎えたいと考えているか、赤裸々に話し合ったことはありますか? 「自宅でなら安らかな死が迎えられる」と美談ばかりが語られてきた在宅医療に様々な問題があることが明らかになりました。ドラマや映画の中ではない「リアルな死」を知らない人が多い現代の日本社会。家族も本人も後悔しない“平穏死”を迎えるには、元気なうちから死を自分の事として考えておくことが大切です。
兵庫県尼崎市で20年以上にわたり在宅での看取りに取り組み、著作 『痛い在宅医』 (ブックマン社)が話題の長尾和宏医師に、医療現場に詳しいジャーナリストの鳥集 徹さんが「在宅医療のリアル」を聞く最終回です。
#1 、 #2 から続く
◆◆◆
鳥集 モルヒネなどを投与しても耐えがたいほどの苦痛を訴える末期がんなどの患者さんには、鎮静薬でウトウトと眠らせる「鎮静」という方法もあります。長尾先生はどうお考えですか?
長尾 大病院やホスピスでは鎮静率50%と聞いたことがあります。しかし、僕らはほとんど鎮静しません。
(中略)
鳥集 長尾先生は、どうしてあまり鎮静しないんですか?
長尾 若い人のほうが痛みに敏感で、とても苦しむことが多いので、そうした方には鎮静することもあります。といっても、鎮静薬を点滴で入れて深く眠らせる方法ではなく、ラムネのような睡眠薬を口から飲んでいただき、浅く眠らせる方法をとることが多いです。僕は大病院やホスピスで鎮静率が高いのは、点滴のしすぎで溺れているような状態になり、息苦しさを訴える人が多いせいではないかと思っているんです。それに僕は、やはり意識は大切だと思っていて、せっかく目が覚めてるなら、しゃべってもらったほうがいいと思うんです。小林麻央さんだって、海老蔵さんの帰りを待って、最期に「愛してる」って言い残して亡くなったでしょう。もし病院でたくさんの点滴を受けて鎮静をかけられていたら、最期の言葉を残すこともかなわなかったはず
(以下略)
病院を全て一緒にされるのは気になりますが、僕も15年間ほとんど鎮静はかけたことがなかったです。実際に呼吸緩和をしていても60〜70代くらいの患者さんだとSpO2 50~60%くらいまでなら普通に話してらっしゃいますからね。うまくモルヒネを使用していると。
若い人という話だとSpO2 34%まで下がっても話をしていて、僕が夜中びっくりしたことがあります。この時は仮眠室に2時半くらいに入る前に患者さんと話をしましたが、「特に苦しくないので大丈夫です」と言われました。ただ、トイレに行く時に意識がなくなったという話でしたが、そこまではご家族と話をされていたということです。
それまでもうまくやっていると意外と患者さんはギリギリまで話をされていることが多い印象でした。
急変でどんどん状況が悪化するのではなくて、緩和ケアとしてゆっくりと状態が悪化していく患者さんに関してはモルヒネなどをうまく使うとギリギリまで患者さんたちは話をされている(ただ、その状態で1〜2週間引っ張れてしまうと急性期病院としては少し困ることもあるかもしれません)。そういうことで点滴量を絞り気味にして(栄養管理の意味はないので、水分は500~1000ml with おかず点滴こみ)、モルヒネの持続点滴などを用いるという考え方です。尿が出なくなったらモルヒネの持続からボーラスに変えて、苦しいとか辛いとかいう話が出たら投与するなどに切り替えます。
鎮静に関しては患者さんの状態や家族の状態を見ながら行うこともありますが、本当に記憶にあまりない・・・。
実は今いる病院ではそれなりに鎮静をかけることがあるので、なるほどと思って見ております。多分、点滴とか以外のいろいろな理由がある気がするのですが、そこらへんはおいおい僕が理解していくだろうと思います。
明日で休暇終了です。最後に娘たちと何をしようかなと思っております。
いつも読んでいただいてありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。
残された時間が短いと 眠る時間さえ惜しいでしょう。
訪問看護や訪問医療を依頼できる経済的ゆとりもあったから出来る在宅看取りもあるとは思いますが、最後まで鼻カヌーレだけでしたし。
医療の専門家にすれば「ありえない」ことでも、最後の力を振り絞った奇跡も起きますよね。
ハッキリとは聞き取れなかったけど、と海老さんも付け加えてましたし 「愛してる?」と疑問文かもしれないし 「愛してた」ってお別れの意味かもしれない。 「会いたかった」なのかもしれない。
その場にいた人にしかわからないことです。
海老さんが「愛してる」と聞き取ったなら それでいいんじゃないかな?
無理とか あり得ないとか野暮な理屈はどうでもいいと思いますけど。
せっかく最後を家族で過ごすなら 出来るだけ浅い鎮静でゆっくり時間を送りたいでしょう。
入院中であれば 深い鎮静のほうが好都合なのかもしれません。
叔父の終末期は のどに穴をあけて呼吸器を差し込まれ 胃ろうをし、たくさんの管だらけでまるでスパゲティーのようで(もちろんしゃべれない) 機械の音だけが響いて これを生きていると言うのかな? と見ててつらくかわいそうでした。
そして 医療専門家にしたら「絶対ない」と言われそうですが 上半身を少し起こしいきなり孫に触れ 笑みを浮かべてそのまま息を引き取ったんです。
医学的に信じられないことが 時としてある。
命は不思議ですね。
患者さんの家族が何を望むかにもよりますけど、医師は上手に鎮静や鎮痛の緩和処置をおねがいしたいものです。
ちなみに 叔父がスパゲティーにされた病院は、汚れた寝間着のまま・ボサボサ髪のまま 清拭もされず帰されて遺族は憤慨しておりました。
管をはずして紙おむつを変えただけ。エンゼルケアもなくて 「せめて綺麗な替え寝間着に着替えさせて、髪くらいとかしてくれたらいいのに!」 と 二度とあの病院には行かない、人にも勧めない と怒りが治まらない様子でした。
そういえば。
いよいよ血液内科にもiPSが試されるんですね。
これが保健医療になるのはまだまだ何十年も先でしょうが、生きていくにあたって夢や希望が持てるすごいことです。
医師も患者も 無限の可能性を信じ、生命力を信じて闘わないといけませんね。
私も今日(月)から 盆休み明けです。
喘息が完治していないせいもあり 全くエンジンがかかりません。
PCに向かいながらうつらうつらと船を漕いでしまう有り様で…。
今週は長く感じそうです。
アンフェタ先生も お父さんから医師へ。 うまく切り換えながら乗り越えましょう。
こんばんは、コメントありがとうございます。
看取りについてはいろいろ考え方があると思いますが、早めに考えておかないと在宅の体制は取れないように思います。
僕が先日患者さんの家族に話をしたことですが、「どこで看取りたいかは早めに決めてほしい」という話です。病院でなのか、自宅で看取りたいのか。自宅で看取る予定がないのであれば、特に気にしなくて良いのですが、在宅看取りには患者さんや家族の体制と心の両面の準備が必要です。
医療従事者もうまく緩和医療ができるようにならなくてはと思います。
血小板のiPSの話ですね。新しい試みが多くの人の役に立つというのは良いことだと思います。
また、コメントいただければと存じます