こんばんは
2冊目の本の執筆作業の半分は終わったかなと思っています。文章部分だけは書き終わりました。あとはイラスト部分。イラストも、僕の最初のイメージでは1ページにイラスト+文章という感じでしたが、「イラストはもっと増やしてもいいな。たぶん、その方が特徴が際立つ」と思い直しました。医学生が「血液疾患+血液内科」のイメージができるようになればいい。そのために何か役に立てるのであれば・・・と。
僕のイメージは文章より、ポンチ絵+αで理解を促進する。生存曲線もあえて引用せずに手書きで説明する。頭の中では4コマ漫画みたいなことが、病気の説明で起きているのですが、美術2の僕にはそこまでの画力がない(笑
まぁ、あとはやってみてですね。なんで頭の中にこんなに鮮明に画像が出ていて、アニメのように動き回っているのに絵で現そうとすると全く違うものになるのだろう(?)
こういうのは才能がないのだろうなぁ・・・・。
中学校の美術の写生会で「絵は悪くないが、どうしてこの写真の風景が、こうなるのか?」と質問されて、答えられなかった僕です。見てる通りに描けないから・・・としか言いようがない(笑
ということで、少し色々落ち着いてきたので、少し考え事をしておりました。
正直、この2年間くらいは人生の中では「底」の方をもがいている感じだったような気がします。別に人生で悪いことが起きていたわけではないと思います。悪いこともあったかもしれませんが、僕は通常「都合よく解釈」するので、「悪いことが起きている」とあまり思わない方です。
10年前に「あんなにいびられているのに、よくついていけるね」と、ある血液内科の先生から言われたことがありますが、「え〜。僕いびられているんですか?」と返していました。
他にもだいたい悪いことが起こっても、「多分将来的に悪くない結果になるのだろう」と自然と思っていたと思います。嫌だな〜と思っても、「こうやられたら嫌な気持ちがすることがわかったから、ありがたい」と思えていたのです。
それが多分、ある時期を境に「イライラ」が本当に抑制できなくなってきて、心の中に溜め込んで行った結果、絶不調になったように思っています。
絶不調になってからは、何をやってもうまくいかない(とは、あまり周りは思っていなかったようですが、僕にとっては絶不調です)。本来ならばこの程度の事柄なら、数日で終わるのに2週間もかかっているとか。当直の調整をミスしたとか(取りまとめをしていた時期があり)。いつもなら覚えていられる(昔は手帳に指示を記載しなくて怒られたことがあります(ちゃんと指示はこなしてます)が、「書いたら指示を忘れるかもしれないから書きません」と答えていた時期があります)のに、忘れっぽくなった(歳のせいか・・・笑)。
本来、僕は多正面同時行動が得意な(ADHDタイプ)タイプで1つのことに集中するよりは、2つか3つのことに取り組む方がうまくいく人間です(飽きやすいともw)。だからいつでも余裕があったと思うのですが、どうしても1個にすら集中できない。思ったようにできなくて、さらにイライラする。そう思っていたところです。
ここ最近ずっと考えていました。
どうやったら、この「イライラ」が解消できて、調子が戻るのだろうか?
誰も抑うつとは思わないかもしれないが、どうやったらこの調子の悪さが復調するだろうか・・・と。
最近「補中益気湯+ビタミンB+ビタミンC」なども使っています(ストレスはビタミンBとビタミンC±マグネシウム、カルシウムで改善する、もしくは軽減されるという報告があります)が、それとは別に考え続けていたわけです。
で、ふと最近思ったことがあります。「7つの習慣」などにも書かれていますが、過去のことに囚われすぎているかと。
僕は誰かの時間を無駄にするのは嫌いです。誰かに頼まれたら、できるだけ速やかにそれを終わらせますし、できそうになければそう言います。それでも頼む人がいますけど、その場合は遅れることを了解してもらっています。人と待ち合わせをしたら、待ち合わせ時間よりだいぶ早くついて、場所を確認した上でそこが見える位置で残り時間を潰すようなタイプです。
そんな僕が「自分の時間を無駄にされた」というような気持ちを強く持っていました。1回どころか、この人たちには自覚がないのではないか・・・。人の気持ちを考えることもできないのか?
本当につい最近まで、2年間くらい「許せない」という気持ちが強かったわけですが、そのイライラが自分の手足や思考すら縛っていたような気がします。
その気持ちが自分の「今」の動きにまで影響を与えていると自覚しました。自己評価も下げていましたし、もはや自分の可能性も考えられないと思っていました。
ここにきてようやく、少しだけ抜け道が見えてきたような気がします。
基本的に僕は幸せだったわけです。医者という自分の好きな仕事で収入を得ることができ、楽しく過ごせていました。患者さんのためにも、後輩のためにも、ともかく知り合った多くの人のためにできることを行うことができたら、それが嬉しかったわけです。
別に相手が感謝しなくてもよくて、ただ喜んでくれていたら、少しでも力になれたなら・・僕は嬉しかったわけです。
最近は怒りに目が眩んで、どうしても「良いところ」に目がいかなかったように思えます。もちろん、このblogでコメントをくださる皆様を始め、多くの方々の役に少しでも立てていたら、嬉しいわけなんですが。
僕はこの数週間(職場の人が、僕が目を閉じながらため息ついていると思っていたらすいません)、空いた時間でずっと考え事をしていました。ともかく、この「憎しみ」「時間を無駄にされたという思い」を手放そう。これが僕の可能性をさらに阻害している。過去は通り過ぎたもので、未来はこれからくるものなのに、未来や現在にまで過去が影響を与えるのは余計である。
そう思って、ずっとその辺りのことを忘れようと思っていましたが、なかなか忘れられず(笑
そこで、忘れるためにどうしたら良いかを考えてみました。最終的には簡単なことで、「目を前に向ける」「意識を未来にやる」ことでした。
あの時、なんであんなことをしていたのか。どうして口だけで、実際は何もしていなかったのか。どうして・・・と思っていても仕方がありませんので(ついでに、「3ヶ月前から思っていたんだけど、そこはこうだと思っていたんだ」で、「なら3ヶ月前になぜ言わない!」と僕がブチ切れたわけですが、それももう忘れて・・・)
で、自分の意識を未来にやると「医師」以外の可能性というのはあまりないかもしれませんが、この人生において医師以外の職業は考えていませんので、問題はないわけです。
で、僕がやりたいことは
「妻子が幸せに過ごせるようにする」
「妻子が一緒にいて幸せだったと、僕が死ぬ時に言ってくれるように、ありがとうと言ってくれるようにサポートをする」
「両親が幸せに生きられる手伝いをする」
「友人や後輩たちと良い人間関係を作る(約束を守り、困っていたらできる範囲で助ける)」
「目の前の患者さん、blogなどを通じて知った患者さんのためにできることをする」
「医師の後輩たちの教育を通して、日本の医療に貢献する」
「可能であれば、研究などを通して未来の医療の発展に貢献する」
というようなものだと思いました。やりたいことはですけど。
で、そう言ったことを考えていたら、次のような結論に到達しました。
「知り合った人たち(リアル、ネットを含め)に『知り合って良かった』と言われる人間になりたい」
ということです。もちろん、全ての人にそう思われることはないでしょう。そんな人間はいませんし、たいてい気に入らないと思う人はいると思います。
ただ、それでも「相手のために」できることを行う。それは自分を犠牲にして・・・というつもりではなく、できる範囲でです。
相手のことを思いやることができ、できることを何かしようと思える人間でありたい。
そう思ったら、医師としては論文とか研究とかは二の次で、やはり臨床と教育が優先かなと思うに至りました。そうしたら、恐ろしいほど「論文や研究で時間を無駄にした」という気持ちが消えていきました。まぁ、論文も英文4つと日本語1つが出せずに終わったので、なんだかね〜とは思わないでもないのですが、そんなものでしか評価できない社会ならばどうでもいいか・・・とも思うようになり。
僕は僕がやろうとしていることで、そしてそれをやり続けていれば、
そして妻子が元気に楽しく過ごしてくれたら、
友人や仲間、後輩が、そして知人(患者さん含む)が僕との人間関係を喜んでくれたら
それが一番なのではないかと思いました。
ということで、ようやく軌道修正ができつつある僕でした(まだ、完璧とは思えないのですが)。
いつも読んでいただいてありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。
誰かのフォローで数日とか、長い時は半年くらい時間が使えなくなっても、その結果、誰かのためになる。誰かが喜んでいるなら、僕は嬉しいのです。
ただ、誰のためにもならず、よくわからない時間の使い方は、僕にとっても時間の無駄で、他に時間を有効に使えたら、いろいろできたのに
と、思ってしまうのです。
ちょっと、呟きました
ふと立ち止まったときに 振り返ったり 走り続けることに疑問や不安を持ったり…。
40歳の安室ちゃんの決断も恐らくそうかなー とオバサンは思っています。
アンフェタ先生はイライラを抑え込んでいらしたんですね。
疲れることだけど間違えではありません。 露骨にイライラを患者に見せる医師はいますし、患者に見せないまでもナースに対する態度がそうであるとか。←結構 見ている患者はイヤーな気分になります
医師も人間です。 いろいろな壁はこれからもたくさんあるでしょう。
うまいバランスでストレス解消しながら やっていけたらいいですよね。
迷ったりもがいたりしながらでも仕事ができることは、我々患者としては羨ましいくらいですよ。
天皇陛下の手術をした天野先生が ドクターフォーラムで語った内容が新聞に書いてありました。
若いときはもっと新しい手術法を取り入れたい・新しい術式を試したい。そんな欲望が止められなかった。
が「もっと多くの人達に役立つ」には 自らの生き方を見直すことだと気づかれたそうです。
手術を5000例を越えると 自分は社会への恩返しができているか? という変化や焦燥感を感じ始めた と 言われるのは今のアンフェタ先生に近いものがあるかもしれません。
結論として 今の自分が行っていることを完成度を高めること に切り替え。
60になりそろそろ外科医のキャリアも終わりと思いながら 「もっと患者さんの負担を少なくできないか」「もっと早く回復して元の生活を取り戻せないか」と さらなる可能性に取り組んでおられるとのこと。
医師の仕事に 頂点もゴールもない というのは名言ですね。
どんな仕事もそうですが、疑問や焦燥感や悩みを抱えて 乗り越えなければ。 漫然と現状で満足しちゃえば進歩はありません。
家庭も勿論大切ですよね。かけがえのないものです。お父さんの代わりは、いませんからね。
もうすぐ七五三ですし 来年の今頃は幼稚園の運動会。
父兄競技で20代のパパと戦うことになるかもしれませんよ(笑)。
身も心も元気じゃないと。
簡単なようで難しいことです。
まだ40。
好きな仕事に就けて、愛しい家族がいる幸せを噛み締めて あまり焦らずにアンフェタ先生らしくいてください。
おはようございます。コメントありがとうございます。
社会人ですからイライラすることもあるとは思うのですが、幸福を感じるレベルが基本的に低い(いろんなことに幸せを感じる)ので、あまり感じることはなかったのです。
ところが、やはり「時間は大事」と思うと、イライラして。過去に囚われていたなぁと。
強制的に前を向いて、再度歩きます。自分の方向を決めて、そこからもう一度走ります。
医師の仕事にゴールも頂点もない。その通りだと思います。第一、進歩していますので、ゴールと思えば置いていかれます(笑
家庭と仕事の両立をこれからはできるようにしなくてはいけないと思っています。
また、コメントいただければと存じます