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木村太郎キャスター降板 フジ低迷打破へ(日刊スポーツ) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/nikkangeinou/entertainment/p-et-tp0-130302-0012.html

 昨年、年間平均視聴率3位(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と苦戦したフジテレビが1日、都内で4月改編記者発表会を行い、再浮上への改革案を発表した。看板報道番組「スーパーニュース」(月~金曜午後4時50分、関東ローカル)の放送開始時間を20分繰り上げ、同番組で13年間キャスターを務めた木村太郎氏(75)は今月いっぱいで降板。料理番組「アイアンシェフ」(金曜午後7時57分)も、今月で終了することになった。

『アイアンシェフ』

先週の「ラーメン対決」と言い、今回の「パティシエ対決」と言い、普通にやればこれほど面白い番組はない。

なぜ、これほどまでに面白い番組が、わずか半年で終了しなければならないのか。

アイアンシェフが始まる前は、Dlife の「Top Chef」を観ていた。

正直、「料理の鉄人」を懐かしむ余りの代用品的な感じで見始めた。

面白くないことはないのだが、どちらかと言うと「リアリティ番組」的要素に重きを置いているのと、作られる料理の見た目と言うか、料理の基本構成自体には、それほどの独創性が感じられないため、観ているだけではその凄さが伝わってこない。

『トム・コリッキオ』が「この豚肉の火の通し方は完璧だ!」と絶賛しても、『有名料理雑誌編集長のゲイル・シモンズ』が「風味がとても豊かだわ。」と絶賛しても、テレビを観ているだけでは、そうでない料理との区別が付けられない。

それに引き換え、前回の「ラーメン対決」にしろ、今回の「パティシエ対決」にしろ、料理が無限であることを、まざまざと魅せ付けてくれる。

それは、「料理の無限の可能性」と言った抽象的な概念の提示ではなく、その言葉から一般人が想像できる限界を、遥かに凌駕した次元での実体化だ。

番宣で起用されたタレント審査員にかなりの批判があったようだが、的確に人選すれば、ちゃんとコメント出来る人はいくらでもいるであろう。

前回の船越英一郎は流石であったし、今回の海老蔵も「パティシエ対決」の審査員に絶妙にハマっていた。

そして、今回の多部未華子の幸せそうな表情は、秀逸だ。それを観ているだけで、こちらまで幸せになってくる。

普通のグルメ番組では絶対に見られない顔だ。

たとえ、多部未華子が普通のグルメレポートをしたとしても、決してあのような表情を見せることはない。

視聴者に料理の美味しさをいかにして伝えたら良いのか?と、いった程度の思惑から発せられるリアクションは、そのコメンテーターの持っている枠組みに限定され、それを超えることは出ない。

多部未華子の表情が素晴らしかったのは、想像を遥かに超えた体験によって惹き出された、本人すら意識していなかった、いや、意識していては決してできない魂の表情であったからだ。

そして、それにより、その料理がいかに素晴らしいものであるか?を、視聴者も実感することができる。

「人が料理を、そんなに美味しそうに食べるのを、見たこと無いよ。それほどまでに、その料理は美味しいのか!?」

そしてまた、専門家による的確なコメントが、その料理の素晴らしさの論理的な側面を補完してくれるので、多部未華子により与えられた、あたかも自分が味わったかのような感動に、リアリティを添え、いつまでも記憶に残る素晴らしい体験にまで昇華してくれる。

長年に渡り、創造性に溢れたスタッフ達に洗練され、築かれて来た番組フォーマットを、たかだか1回や2回の視聴率対策のために、小手先でいじってみても、視聴率が上がるはずがない。

ましてや、その番組の『オリジナル』の部分を削って、他の数多ある番組でやっているようなことを追加しても、番組の質は落ちる一方であり、一部の声の大きい視聴者の影にいる、数パーセントとは言え実はかなりの数の「アイアンシェフ」の『オリジナル』な部分を楽しみにしている視聴者を、失望させる一方である。

なんか、自分で書いていて、わざわざ人に言われなくとも解っているはずだと思うのだが、違うのか?

民放なので、視聴率至上主義なのはしかたがないとしても、・・・

あー、ダメだ。書けば書くほど、無力感が募る。


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