未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




ディスカスに入った。月980円4本までのコース。

「あの夏、いちばん静かな海。」「ソナチネ」がツタヤ店舗になかったので、しょうがなく入った。

入会して直ぐに、「今だけ旧作100円」キャンペーンをしていたので、北野全作品を一気見しようと借りた。

あー、無謀だったね。とても見きれない。

旧作と言いながら、「ソナチネ」以前は単品レンタルできないので、「あの夏~」がまだ、到着していない。

しかだないので「ソナチネ」と「みんな~」を観た。

「ソナチネ」は好みだ。この感じに慣れたのか、そもそも好みだったのかは、良く解らない。

ただ、公開当時に観たらたぶん、良さが解らなかったと思う。

だが、「みんな~」は、ダメだ。

ギャグは面白いのだが、映画としてどうなのか?が、良く解らない。

面白い/面白くないの前に、「良く解らない。」の状態に陥ってしまう。

そして「ソナチネ」なんだが、観たばかりなのでそう感じるだけなのかも知れないが、「『パルプフィクション』って『ソナチネ』のパクりぢゃね?」。。。

公開が「パルプ~」が「ソナチネ」の1年後だし、ずっと温めていた脚本らしいのでそんなはずはないのだが、そのなんと言うのか、コンセプトと言うのかスタイルと言うのか、そー言った感じが全く同じだ。

「ソナチネ」のハリウッドリメイク版だと言われても、違和感はない。

「みんな~」も、映画でここまでバカなことをしても良いんだ。という限界を、武は全く意に介さず、いや、あえて自分の好き勝手にやってしまったのに対し、タランティーノは「キルビルVol.1」が限界だ。

タランティーノは(「キルビルVol.1」では)、好き勝手にやりながらも、皆も楽しんでくれるはずだと思っているが、武はそうは思っていないのではないのか?どちらかと言うと芸術家扱いされることへの抵抗ではないのか?

俺の映画が面白いのは、芸術だからじゃない。面白いから、面白いんだよ。と。


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