おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

何 なさってんですか  ジャガイモ 掘り

2011年07月16日 07時55分45秒 | 農業

写真1 ワセシロ(早生白)を掘り、市場出荷用の段ボール箱に詰めるTさん夫妻

写真2 キタアカリとレッドアンデスのジャガイモ畑

写真3 2008年6月24日のジャガイモ掘り。Tさん夫妻


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 2011年6月19日、いつもの定路を歩いていると、ジャガイモ畑にTさん夫妻。ジャガイモを掘り、詰めている(写真1・2)。2008年6月24日(写真3)のジャガイモ掘りの際に話を聞いてから久しい。そこで、何なさってんですかー。(以下、< >は筆者の質問あるいは返答。「 」はTさんのご教示等。( )は筆者の補足)

 <こんちわー、久しぶりです>「珍しいねー」
 <2年か、3年ぶりですね>「2年ぶりぐりぇーやね」
 <これは生協出し>「いや違う。こだわる店」
 <違いましたっけ>「こだわる店だ」
 <あっ、こだわる店、あー、そうだ、そうだ、失礼しました>「俺、生協関係やってねーから、はっきり言って」
 <武蔵野か、どっかの>「いや違う、こだわりの店てゅうか、県内の大きなスーパーだらか、なんかの、市場出しから」
 <県内の市場から持って行くんだ、こだわりの店へ>「うん、そうだね」
 <これは、なんという品種ですか、メークイン>「わせしゅ(早生種)、ワセシロ」
 <早生種>「ワセシロ」
 <ワセシロ>「うん」
 <あー>「メークインは駄目なんだよ、あのー、カレーか、なんか作るのにはいいけど、水入れて蒸かして食べるのには澱粉が少ないから」
 <これ>「いや違う、メークイン、形も崩れんだ、澱粉含有量が少ないから」
 <あー、澱粉が少ない>「カレーだの、シチューだの、あーいうものにはいいけどっ、普通、蒸かしてバターだの塗って食べるのには」
 <駄目なんだ、メークインは>「えー、ホクホクしないから」
 <1、2枚写真撮っていいですか>「あー、どうぞ。今日はどっこら来たの」
 <クキ(久喜)>「あー、クキ(久喜市)の反対側に、なんつったっけ、ミヤシロ、ミヤシロマチ(宮代町)」
 <ミヤシロマチ(宮代町)>「うん、ミヤシロマチつんだ」
 <うん、東にね>「あすこで、俺の友達が、あれやってんだ、なんだ、老人ホームやってんだ」
 <あー、そうですか>「ミヤシロマチで、クキ(久喜市)の反対側ね」
 <(箱詰めしている畑の)左もそうですか>「品種が違うんです、キタアカリ」
 <えー>「キタアカリ」
 <キタアカリ>「うん、ちょうどこれ出し終わる頃、出す時期なんで」
 <あー、そうか>「うん、同じいっしょに播いても」
 <いっしょに播いて違うんだ>「早番、わせと、なかてと違うんだ」
 <向こうはキタアカリか>「赤いのまた違うんだ」
 <また違うの、赤いのはなんちゅうんですか>「あ、アンデス、レッドアンデスちゅんだ」
 <レッドアンデス>「うん」
 <いろいろあんだ>「えー、あるよ、今現在20種ぐらい出てんじゃないの」
 <20種>「20種ぐらい、一般には、よく売れんのはダンシャクとメークインなんだよ」
 <ダンシャクとメークイン>「うん。やっぱー、(ダンシャクとメークインは)品種が古くなっちゃー、病気とかなんかに弱くなってんだよね」
 <ダンシャクとメークインはね>「うん、まっ、定番でいう、わかりやすく言えばっ」
 <じゃ、また寄らしてください、お世話なります、ありがとうございました>
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年6月19日 撮影地:栃木県下野市
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キノコ の 乳茸 を 刺して運んだ チダケサシ < 種入り 谷戸 の 植物 3 >

2011年07月15日 00時00分00秒 | 植物

写真1 種入り谷戸のチダケサシ。土水路脇の湿地に生えている。


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 本種・チダケサシは本州・四国・九州に分布する多年草。湿原、林縁などに生育。
根出葉は長い葉柄から3つに分かれ、それぞれ複葉となる。7月から8月、写真にみるように約1mの長い花茎を出し、白紫色の花をつける。
 和名は、スーと伸びた葉の少ない花茎に、この時期にとれるチタケ(乳茸)を刺して持ち帰ったことに由来。
 さて、今2001年7月14日4時53分、このブログを執筆中。NHKラジオ深夜便から、今日の誕生日の花はチダケサシと聞こえる。びっくり、びっくり。
 アンカーは宮川氏。花言葉は「真っ直ぐな性格」とのこと。のど自慢の司会者だった宮川氏は、その花言葉から直立不動の歌手東海林太郎を連想され、名曲「名月赤城山」のレコードが回る。
 学名:Astilbe microphylla ユキノシタ科
 引用・参考文献等:岡山理科大学総合情報学部植物生態研究室(波田研)HP
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年7月9日 撮影地:東京都八王子市
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国蝶オオムラサキの放蝶会

2011年07月14日 03時46分10秒 | 昆虫

写真1 子供の掌で蜜を吸い、体力をつけ、旅立ちを待つオオムラサキ(♂)


写真2 「カタクリとオオムラサキの林」の放蝶会に200人余の老若男女が集う


写真3 下小川三区コミュニティ倶楽部員がパラフィン紙に包んだオオムラサキを配布


写真4 筆者も、オオムラサキ(♂)を1頭いただく


写真5 包まれていたパラフィン紙で旅立ちのときを待つオオムラサキ(♂)


写真6 母親の手にとまるオオムラサキ(♂)に、木の葉をおそるおそる出す女の子


写真7 熟年の2人も楽しい。想いだす、若い頃を


写真8 筆者のズボンに飛んできたオオムラサキ(♀)


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 ここは、里山「カタクリとオオムラサキの林」
 和紙や有機農業で名を馳せる埼玉県小川町にある
 2011年07月03日10時から、オオムラサキの放蝶会が催される
 毎年1回、下小川三区コミュニティ倶楽部が行ない、今年で22回を数える

 倶楽部員が飼育し羽化させた成虫約350頭をパラフィン紙に包み、参加者に配り、一斉に大空へ放そうとした
 しかし、羽化しても、この日のために冷蔵庫で生長を抑えられていたオオムラサキは直ぐ飛べない
 旅立つまで時間を要した。
 その時間が筆者をはじめ参加者に貴重だった
 オオムラサキを思う存分愛でた
 
 引用・参考文献等:弊ブログ2011年04月22日
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年07月03日
 撮影地:埼玉県比企郡小川町・「カタクリとオオムラサキの林」
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耕作放棄田を蘇生  水稲を正条植え <八王子里山クラブ報告4 >

2011年07月13日 00時00分00秒 | 諸活動

写真1 最初の1条目、田植え綱に垂れる布切れの下に水稲苗を手挿す。

写真2 7条目の手挿し。そろそろ終わり、いや半ば、つらいなー。

写真3 直線状の条がきれいに並んでいる。あっぱれ、お見事。

写真4 マンノウ1本、スコップ、レイキなどで田植え前の田起こしとシロカキ。湿田ゆえ、普通ゴム長靴の筆者は足を抜けず悪戦苦闘、諦めて田から出るのも難儀。そのため、田植には不参加。

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 東京の西部、「種入り」谷戸の耕作放棄田。
 八王子里山クラブ員が2011年04月29日から数回にわたり起こす(弊ブログ2011年05月25日)。
 07月09日は平らに均して田植え、蘇生。

 田植えの際、苗と苗の前後や左右を等間隔に保つために田植え綱を使う。
 これを正条植えと呼ぶ。

 早乙女(?)は綱に垂れる布切れの下に苗を手で挿す。
 布切れの間隔は40㎝。
 1本の綱すべてを挿し終えると、すなわちひとすじ(1条)終えると後ろへ移動。
 また布切れの下に挿す。
 この作業を繰り返す。
 綱の間隔、すなわち条の間隔は60㎝。

 このような、今日当たり前の正条植え。
 100年余前の明治30年代から政府が推奨。
 正条植えを含む政府推奨農法の実施状況を警察官が取り締まる地域もあった。
 そのため、サーベル農政とも揶揄される。

 それまでの植え方は乱雑植えとも呼ぶ。
 2011年07月11日に紹介したラオスの田植えは乱雑植えに当たる。

  執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年07月09日 撮影地:東京都八王子市
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ラオス 人民民主共和国 の 手挿し に よる 田植え

2011年07月12日 04時33分52秒 | 農業

写真1 苗を手で挿して植える。日本も40年ほど前まで、手挿しだった。

写真2 前後、左右の苗との間隔を目検討で測り、手で挿していく。日本では、間隔を道具で測っていた。

写真3 隣り合わせの田んぼ、1人と2人で手挿し。日本の手挿しの時代は、共同で、いわゆるユイで植えていた。


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 水牛にスキ(犂)を牽かせる耕起とマグワ(馬鍬)を牽かせるシロカキ(代掻き)を終え、田んぼはドロドロとなり取り揃えた苗を手で挿せる。いざ、田植え。猫の手も借りたい、と言いたいが、写真をみる限り、さほどでもない。
 日本では田植機が普及するまで、たとえば次のような植え方があった。
 一つは、集落や親族のユイによる大勢の共同作業があった。
 二つは、苗と苗の前後、左右は道具を使い等間隔に測る正条植えがあった。
 引用・参考文献等:*当ブログ2011年6月25日版・ラオス人民民主共和国の犂と犂耕、*同2011年7月10日版・ラオス人民民主共和国のマグワとシロカキ、*同2011年7月11日版・ラオス人民民主共和国の水稲苗取り
 執筆者:有馬洋太郎 撮影者:シスラス ボアカム 撮影年月日:2011年6月19日 撮影地:ラオス・サバナケット県アツサパントング市ドンヘン村
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