◆ダイフク戸隠高原ロッジ(2010年9月20日撮影)
生活空間の選択 -どこで生きていきますか- 三宅哲雄
昨秋、友人から写メールが送られてきた。
高度経済成長期、夢と希望を具現化する仕事として取り組んできた街づくり計画や建築設計などフィジカルなものづくりに疑問を感じ、この仕事を最後に建築設計から身を引く決意をしたダイフク戸隠高原ロッジの現在形を思いがけず携帯画像ながら見ることになり、38年(1973年12月竣工)を経て戸隠の自然の中に違和感なく溶け込んでいる姿に対し夢を忘れ病に振り回されている自らの情けない姿と比べることになり、改めて残された時を「心地よい空気のデザイン」という夢のまた夢に向かって歩むことにしました。
設計を依頼されたがコンセプトが決まらない。緑に包まれる春から夏、紅葉の秋、銀世界の冬、自然の大きな移ろいの中で戸隠山やスキー場そして周辺部や敷地などを巡り、建築予定地に建つ建物の姿を想像するが湧いてこない。ほとんど意地になってイメージは現場で決めることにし頻繁に戸隠を訪れた。何度目であったか腰まで雪が積もり木の葉を落とした林の中をラッセルしながら歩き回っていると常緑の葉を雪の帽子で被った樅の木が立っていた。
そうだ! ここは戸隠だ! 戸隠高原の鐘楼にすればいい! という想いが固まると一気に作業は進んだ。緩斜面の敷地に基壇を設けスキップフロアーながら一階の外壁はガラス張りで、その上に大きな屋根が乗り、そこに居室をつくる、外観は鐘楼のイメージを大切にした。夏は緑陰に包まれ、冬は周囲の木々と同様に雪に包まれる。「かたち」は自然にとって異物として排除されるものでなく、四季の変化や木々の成長などに穏やかに抱かれるものであり、建物は内外を区別することなく理想としては光、風、水、そして全ての生き物が集い行きかう場でありたい。
雪国では常識の屋根勾配を無視し、わざわざ屋根に雪が積もるようにしたり、風量計算上は十分自然排気するはずが排気しないのでダクトにファンを取り付け強制的に排気する暖炉フードなど機能を無視したデザインも多々あるが浴槽に浸かりくつろいだ状態で戸隠山を眺望する設計やジャングルジムのようなスキーヤーズベットそして戸隠の伝統工芸である竹細工の職人に制作してもらった屑篭など随所に拘りのデザインをさせていただいたが最も大切にしたのは都会から訪れた社員の方々をお世話する戸隠を知り尽くした管理人の人選であった。幸い近隣のロッジで働く山男ご夫妻が引き受けてくれ、川魚や山菜を自ら採取し、その日の食卓に出し戸隠の楽しみ方や山の魅力を語ってくれる「戸隠の親」のもとに夏や冬の休暇時期だけでなく四季折々にダイフクの社員が訪れていたのであろう。
1960年代の中頃から大阪の千里ニユータウンを先駆けに大規模な街づくりが計画され日本各地で造られていったが半世紀を経て街は現代社会とは乖離し建物の老朽化や居住者の高齢化でニユータウンはシルバータウンになってしまった。一方、3月11日の震災で東北の街々が壊滅し、新しい街づくりの在り方が求められているがいまだ方向性は見えてこない。国家プロジェクトとしてスタートした理想の街づくりは限りなく豊かさと便利さを求め続ける人間の欲を計り間違えたことで街は人に見捨てられ、地方の街の姿を代表するような東北の街々は自然の脅威にはあまりにも弱体であることが証明された。20世紀の欧米型街づくり、すなわち車の道(道路)をまず計画し、それに囲まれたエリアを用途別けする都市計画は日本の環境・風土には不向きであることが問われてきたが行政は旧来の公共工事方式で全国一律に自然に立ち向かう箱物を相変わらず作ろうとしているとしか思えない。自然を形成している事物も永遠な物は無いがほとんどが朽ちても自然界では再生する確立が高い。しかし人間が造り出した物は製造制作時に機能的で便利でもすぐに古くて便利でない物になり破棄されていることを私たちは十分学習しているのだが物欲が衰える気配はない。
生き物は成長し朽ち再生する。この休むことなく動きつづける自然のリズムとただ朽ちるだけの人造物を生み出し、動き回る貪欲な生物人間が自然の営みを柔軟に受け入れる時を過ごしていたことがあったことを思い出してほしい。とくに我が国では!
光、水、風、などを含めて豊かで心地よく持続的な空気のデザインを!