1994年5月16日発行のTEXTILE FORUM NO.25に掲載した記事を改めて下記します。
初夏の明るい空の色に誘われたわけではないが、必要があって沖縄の並河工房に琉球藍 の注文電話を入れた。
「泥状のものならすぐに発送できますが、練り状のものは少し時間がかかります。お天気が良ければ早くできますが、今沖縄は雨降りで」という内容の返事だった。
琉球藍は今は沈殿させた時の泥の状態でカメに入れて山の中に埋めてあるそうで、これは恐らく大変合理的な保存方法だと思った。それを必要に応じて出荷するらしく、水分を除去したものが「練り」で、ちょうど粘土のような固まりとなっている。先方の手順通りに仕上がりを待つことにして近況などを話していると、藍草を栽培している人が高齢となられ、この先安定して供給してもらえるかどうか分からないと言う。琉球藍の明るく澄んだ陽気な藍色は他の藍では得られないものなので、この染料は是が非でも残して欲しいと力説すると、伝統工芸、藍染、本物志向と世間でもてはやされてはいても、それを根底で支えているものは農業。その従事者も年々高齢となり、採算がとれなければ後継者も育たない。今後藍の栽培を他の地域…おそらく外国…に求めることも検討しなければならない。ということだった。
日本の伝統文化のうち重要と認定されたものは、文化財保護法で「国による記録の作成、伝承者の養成、その他保存のための適当な措置を講じ、保存に当たるべき者に対してその経費の一部を補助し、公開に関する経費の国庫負担」を定め、これに該当しなかったものに対しても「都道府県や市町村が条例を制定し、その地域内での無形文化財の指定、保持者の認定を個々に行って」 いることになっている。琉球藍製造の伊野波盛正氏は勿論国の無形文化財となられているが、その後継者は育っているのだろうか。記録作成等の措置を構ずべきものでは、有松嗚門絞、黄八丈、唐桟縞、各地の手漉和紙等、当事者の多大な努力の結果産業として健在なものもあるが、技術者の死亡により跡絶えてしまったものも数多い。さらに都道府県指定の技術、指定されなかったこまごまとした日常生活と直接結び付いた技術も、根底で支えている農業や林業の衰退とともに、いつの間にか消えてゆくことになる。国の「経費の一部補助と公開に関する負担」は充分とは程遠い額であることは衆知の事実であり、当事者の誇りと「贅沢はしなくとも技術は守らなければ」という求道者的心意気に支えられている面が大きい。
日本古来のエ芸品は「美しいものと共に暮らす心地良さ」を持っている。これは作者が素材を単なる自已の表現手段としてではなく素材に対する親身な付き合い方を通して、その技術を磨き上げていったからではなかったろうか。しかし生活様式の変化と価値観の多様性は、手仕事の存続を徐々に追いつめているのは事実である。
過日、名入れの番傘を注文した先から電話があった。
「仕上がったので明日発送しますが、実は名前を書く提燈屋さんが亡くなったので孫に当たる人が書いたけれど、どうも字が上手くなくて……勘弁して……。」
この電話のあと、私は技術の存続を願って乏しい財布をはたいて琉球藍の追加注文を出した。残って欲しいものはまだまだ沢山ある。
初夏の明るい空の色に誘われたわけではないが、必要があって沖縄の並河工房に琉球藍 の注文電話を入れた。
「泥状のものならすぐに発送できますが、練り状のものは少し時間がかかります。お天気が良ければ早くできますが、今沖縄は雨降りで」という内容の返事だった。
琉球藍は今は沈殿させた時の泥の状態でカメに入れて山の中に埋めてあるそうで、これは恐らく大変合理的な保存方法だと思った。それを必要に応じて出荷するらしく、水分を除去したものが「練り」で、ちょうど粘土のような固まりとなっている。先方の手順通りに仕上がりを待つことにして近況などを話していると、藍草を栽培している人が高齢となられ、この先安定して供給してもらえるかどうか分からないと言う。琉球藍の明るく澄んだ陽気な藍色は他の藍では得られないものなので、この染料は是が非でも残して欲しいと力説すると、伝統工芸、藍染、本物志向と世間でもてはやされてはいても、それを根底で支えているものは農業。その従事者も年々高齢となり、採算がとれなければ後継者も育たない。今後藍の栽培を他の地域…おそらく外国…に求めることも検討しなければならない。ということだった。
日本の伝統文化のうち重要と認定されたものは、文化財保護法で「国による記録の作成、伝承者の養成、その他保存のための適当な措置を講じ、保存に当たるべき者に対してその経費の一部を補助し、公開に関する経費の国庫負担」を定め、これに該当しなかったものに対しても「都道府県や市町村が条例を制定し、その地域内での無形文化財の指定、保持者の認定を個々に行って」 いることになっている。琉球藍製造の伊野波盛正氏は勿論国の無形文化財となられているが、その後継者は育っているのだろうか。記録作成等の措置を構ずべきものでは、有松嗚門絞、黄八丈、唐桟縞、各地の手漉和紙等、当事者の多大な努力の結果産業として健在なものもあるが、技術者の死亡により跡絶えてしまったものも数多い。さらに都道府県指定の技術、指定されなかったこまごまとした日常生活と直接結び付いた技術も、根底で支えている農業や林業の衰退とともに、いつの間にか消えてゆくことになる。国の「経費の一部補助と公開に関する負担」は充分とは程遠い額であることは衆知の事実であり、当事者の誇りと「贅沢はしなくとも技術は守らなければ」という求道者的心意気に支えられている面が大きい。
日本古来のエ芸品は「美しいものと共に暮らす心地良さ」を持っている。これは作者が素材を単なる自已の表現手段としてではなく素材に対する親身な付き合い方を通して、その技術を磨き上げていったからではなかったろうか。しかし生活様式の変化と価値観の多様性は、手仕事の存続を徐々に追いつめているのは事実である。
過日、名入れの番傘を注文した先から電話があった。
「仕上がったので明日発送しますが、実は名前を書く提燈屋さんが亡くなったので孫に当たる人が書いたけれど、どうも字が上手くなくて……勘弁して……。」
この電話のあと、私は技術の存続を願って乏しい財布をはたいて琉球藍の追加注文を出した。残って欲しいものはまだまだ沢山ある。