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『作り手と使い手』高橋新子

2013-12-15 12:59:39 | 高橋新子
1994年10月1日発行のTEXTILE FORUM NO.26に掲載した記事を改めて下記します。

 ここ数年来紙布と紙子への試みを続けている。文献や資料による日本古来のそれは、主として綿の栽培ができない地方で考え出された。特に江戸時代の仙台藩では夏の衣料としてその工夫が進み、紋紙布縮緬紙布等の高級品から日常着、野良着、蚊帳にまで織られる程の高い技術水準を誇り、実用衣料として洗濯にも充分耐える丈夫さもあって安定した需要に支えられ、仙台藩の名産品となったと伝えられている。
 その復元を目指すのはとうてい出来ない相談としても、先人達の工夫と知恵を学んで自分なりの形にしてみようという思いがあった。
まず材料捜しから始めた。いろいろと試行錯誤をくり返すうちに紙を糸にして布にする行程に耐えられるような、薄くて粘りがあり、すっきりと裁断でき緊張感があって水に強い和紙は、作り手つまり漉き手との納得のゆく話し合いの末に先方の手順と季節を待って、やっと手に入れることができるということを悟らされた。一般に楮100%手漉和紙として店頭にあるものはそれぞれに適した用途があり、紙糸作りに適したものは、むしろ稀であった。特に草木染のくり返しの作業に耐えられる紙は、漉き手と直に話し合った場合でも、まだ未解決の部分が残されている。
 紙糸や紙布の軽やかで優しい手ざわりは多くの人々に好まれ、当然のことながらいろいろな形で生活の中に取り入れたいという希望を持つようになる。しかし平面の和紙から線の糸を積み出すにはかなりの時間と費用とエネルギーを必要とするものであり、その行程を何とか短縮できないものかと考える人も出て来る。するとこれは行けるぞと考える業者も居て紙の糸が市場に現れ始めた。原料は楮の手漉紙ではなくマニラ麻のローラー仕上げの紙によるものであった。この紙糸は染めにも織りにもかなり耐えられ、扱いやすさとすっきりとした出来映えにおいて驚くばかりのものがあった。軽やかで優しい手ざわりとか、暖かみという点では楮紙にはるかに及ばないが、使い手個人の好みと用途によっては今後素材として充分使われるようになると思われた。
 工芸材料としての観点からのみ和紙を見るとき、高品質の物をこの先安定して入手できるかということについて一抹の不安がないわけではない。現在名人と謳われている漉き手の方々は高齢に達し後継者が育っていない場合を見聞きすることもある。一方、使い手の方は技術の上達をみる前に材料そのものが入手できなくなる時期を目前にしている。最近広く世界の人々が日本古来の美しい和紙に注目し始めたと謂われる。生き残りをかけた生産者側の努力には目覚しいものがあるが、時代の流れに沿った改良策が取り入れられ、昔のような良い紙はもう漉いてもらえないと囁かれているのも事実である。
 「良い材料が入手できなくなっても、なんとか工夫して自分なりのものを作れば良いか」と思いめぐらしている時、和紙に関する研究者であり業界の思想的なリーダーとされている柳橋眞氏の文章に出逢った。
「二十一世紀の紙漉きは十九世紀までの長い歴史を持つ伝統的製法をもっと熱心に勉強しなおすに違いない。
そしていかに自然のふところが奥深いかを知りすっかり痩せて枯れた自然の復興に努力するに違いない……二十一世紀の紙漉きの漉いた和紙はもはや使い捨ての紙ではない。千年をこえる生命力を持ち、その美しさが人の心に訴える力をそなえているものである。和紙の美と強さは、ひと目をひいて売れるというような次元のものではない………」
その和紙を使う者として自分のありように思いをめぐらす時、心に染む言葉であった。