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「イタリアの風土と美術」 松山修平

2016-01-15 10:57:12 | 松山修平
1996年12月20日発行のART&CRAFT FORUM 6号に掲載した記事を改めて下記します。

 イタリアと聞いて何を思うだろう。まず頭に浮ぶのがファッション、そしてイタメシという言葉が定着した感のあるイタリア料理。そして、いろいろな分野で騒がれているイタリアンデザイン。そしてスポーツ、忘れてならないのがサッカー、Jリーグ誕生以後スキラッチなどの選手も来るようになり『セリエA』という言葉もイタリアプロサッカーの最高リーグであることも良く知られるようになった。他に自転車のロードレース『ジーロイタリア』、トンバを代表とするスキー。そしてソフイアローレン、マストロヤンニなどあまりにも有名である映画。カンツォーネ。それから……それからアート。美術の話をしょうとしていながら、その前に頭に浮ぶことがあるのだからこまりものである。そして旅をすることを考えたら行きたい所だらけになってしまう。 20年いても、まだまだ行きたい所ばかりだ。旅の話は、別の機会に改めてお話ししたいと思う。一口に美術といっても先史代の遺跡、エトルスク、ギリシャ、カルタゴ、ローマ、ルネッサンス、バロック、近代では形而上学派や未来派、現代では、トランスアバングァルデイア、アルテポーベラ…、それぞれを追っても莫大な量になってしまう。
 ここで頭に入れておかなければいけないことは、イタリアがローマカトリックのお膝元であつた点であり宗教界からの制作依頼が具象美術の発展に果たした役割は極めて重要であり、それを決定づけたといっても過言ではないことである。
 このようなイタリア観を順にならべると、やはりアートは最後の方になってしまっている。つまり、ひとつにはイタリアの美術そのものがあまり日本に知られていないことを物語っているのだろう。イタリアでは反対にと言うか、マシジャーレ、アモーレ、カンターレなどとならび衣食住のバランスを保ちながら人生を楽しむためにアートを取り入れているということなのである。生活をより豊かにするためのアートということを生まれたときから知ってぃるようにも思える。多かれ少なかれ何らかのアートを生活の中に活している人が多いイタリアと本当の意味のコレクターが少ない日本との異いということは重要なことに思える。日本は版画の時代を経験し、これからアートの時代を迎えようとしているのだろう。
 そしてまた別のイタリアの特色は地理的条件の民である。歴史的に常に中心的な位置を示している。古くは地中海文化圏の中心であったしルネッサンス時においての君臨は、ここで改めて書くことはない。そして中心でない時でも、かならず深い関係を保っていた。それもイタリアという一つの国ではなく各地方の都市国家をしてである。そして約130年前に初めてイタリアとして統一国家になったわけで政治的には古きそして新しい国でもある。現在でも地方の歴史的豊かさに根差して、それぞれの地方の特色ともなっている。各地方ごとに文化圏を持っていると言い換えても良いだろう。先程のコレクターの話に戻れば大コレクターでなくても、沢山の小コレクターとしてアートを愛する人々が、それぞれの地方に居るということなのである。一方で小都市が政治・行政面で自主性を持ち文化的な自立を果していたからこそ、体系的ではないにせよ、そうした自治体の手で数多くの展覧会が催され現在の美術市場の誕生と発展に間違いなく貢献して来たのだろう。そして小さいながらも精力的に活動を行っている画廊は星の数ほどあり、あらゆる社会層に現代アートヘの関心が行き渡っている。そして美術市場を見る上で見逃せないのがアートフェアー(美術見本市)つまり画廊が集まっての展示即売会(日本でのNICAF)であり、その数は全国で約10数力所あるが、その中で一番重要なのは50年近く続いているボローニヤのフェアーで毎年1月に開催されている。その場はイタリアの画廊同士や海外の画廊との取引と交流に使われている。
 またヴェネッィア・ビェンナーレは100年にわたり同時代の美術の動向を知る上でも国際的な交流をはかる上でも最も重要な祭典であろう。開催時にはアメリカを初め各国の美術関係者がヴェネッイアに集まるといっても過言ではなく居ながらにして何らかの国際交流が可能な街でもある。これが先程言っていた地理的条件の良さということだろう。
 また別の特色としてイタリアの人口は5000万人であるが、その同数の約5000万人が移民などでイタリア外に住んでいると言われている。ただ我々は、このように言うと、すぐにマフイアを想像してしまうわけだか、この人々は南イタリアからの移民であるが北イタリアからの移民はユダヤ系イタリア人を含み、すぐにアメリカ社会に透け込んでいった人々が多い。例えば美術の分野でも有名な画廊のオーナーであるレオ・キャッスル(カステッリ)氏もイタリア系である。アメリカのアーティストと通常思っているアーティストでもイタリア系のアーティストも多い。あるいは結婚相手など親類にイタリア系の人がいたり、またイタリアにバカンスの家を持っていることがイタリアと関係している美術関係者もいたりする。つまり思っているよりもアメリカや他の国とも身近な国なのである。
 話は戻るがイタリアには一口に言って日本の日展や二科展のような大きな公募団体は存在しない。そして、また日本画、洋画、現代アートというような分類もない、この場合、何で描かれているという材質の違いよりは何を表現しているのかが一番重要な要素となっている。そして画廊とは別に評論家を中心として各地方の公共の建物を利用して企画される展覧会により、ある考え、美術論の提案が行われている。例えばトランスアバングアルディアはジェナッツァーノというローマから東に約50kmに位置する丘の上の小さな田舎町で、その町の中心にある古城跡を会場として1980年にボニート・オリーバが中心となって企画した「複数の部屋」展が生まれている。ボニート・オリーバはその後、そこで企画展を数回組織しているが、このような地方の出来事が世界のトランスアバングアルディアになりうるというのも先程の他の国との密接な関係があるからであろう。
 そして、もう一つのイタリアと日本との違いの中で重要だと考えられるのが遺産相続のことで、日本では通常3代で財産が無くなるなどと言われているように相続税には厳しいものがある。ところがイタリアを見ると、間違いなくその家が持っている財を、その家が保っているようである。それは、その財を通して先祖から守ってきた家風というものを後世に伝えられるということなのだと思う。それは安心して美術品を身のまわりに居き観賞できる。これこそ生活を豊かに楽しむためのアートが存在することだと思う。そして、ある人(例の小コレクターともいえる人なのかもしれないが)は、今の生活を楽しむために古い作品を手ばなして現代アートの作品を購入して家に飾っている。
 例えば私の知人にも家に入ると、サロンに1500年代の絵画と現代の絵が同じ壁に飾られている。
 そして国としてみたときイタリアは潜在的な文化遺産は計り知れない。この例は意味をなさないかもしれないが日本ではバブルのときゴッホの「ひまわり」が53億円という値がついた。それが今どのくらいの価値になっているのかは知らないが、それは、まだ値段がつく価値ということである。しかし、例えばダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ティツィアーノ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、…などの一点が市場に出たとして現在いくらとなるのか、どこかの国を売ることで購入可能なのか?などと考えるとイタリアが保有している世界の宝がどれくらいなのか計り知れないものであることがわかる。
 これらの家と国の財産の蓄えがイタリアの底力を示しているように思える。
 しかしイタリアが今まで書いてきたように全てが旨くいっているわけでは勿論ない。現在、非常に難しい時期を迎えている。相次いだ汚職による政治的不審と政党間の不調和など、諸々の政治不安定とECへの加盟のためにさらなる税金が予想されることなどから、公共事業への投資、例えば都市計画、地方自治体の開発や文化活動への援助、美術品の購入など、だれひとりしてイニシアティブを取ることを避けているようである。イタリアは国をあげて自分たちの個の財産を守るために解決策を模索中のようである。
 今回、現在の美術の動向というものを何人かの作家を例に上げて示そうかとも思ったが、それでは、あまりにイタリアの全体像が見えにくいように思い、このような内容となった。今後は他の国のアートの現状を調べつつ日本からのアートの発信をどのようにしていくべきか考える必要もあるように思われる。