◆“ストックホルム”2004年 23×23cm
ニードルワーク(ハンド&ミシン、フリーワーク)
麻布、麻糸、綿糸、絹糸他
ニードルワーク(ハンド&ミシン、フリーワーク)
麻布、麻糸、綿糸、絹糸他
◆“ゴットランド” 2003年 45×46cm ニードルワーク(ハンド&ミシン、フリーワーク)
綿布、麻糸、綿糸、絹糸他
◆“Kombinerade kollisioner ”Stockholm furniture fair展 2003年
70×20cm ニードルワーク
家具用ファブリック、シルクオーガンジー、絹糸他
70×20cm ニードルワーク
家具用ファブリック、シルクオーガンジー、絹糸他
◆“桜” 2004年 20×30cm ミシンワーク
綿布、ミシン糸、他
綿布、ミシン糸、他
◆“桜” 2003年 100×100cm ニードルワーク(フリークロス)
手織り麻布、麻糸、ウール糸、絹糸、他
手織り麻布、麻糸、ウール糸、絹糸、他
◆“思い出 ”handarbetets kompisar展 2004年 120×120cm
ニードルワーク(ハンド&ミシン、フリーワーク) 麻布、麻糸、綿糸、絹糸他
2007年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 46号に掲載した記事を改めて下記します。
「モノづくりについて」 野口有希子
いったいなぜ?いつから?モノづくりの道を歩んでいるのか??歩もうとしているのだろうか?
明確な理由はない様に思うが、おそらく幼少の頃から好きであった“手でものを作ること”を続けていた結果、今に至っているのではないかと思う。
既に物心ついた時に、何か小さな身の回りのものを作ることが好きであった。屋内で遊ぶ時には常に何かを作ろうとしていた様に思う。まだ、“作る”ということを“考える”こともなく、手を動かし、ご機嫌だった。初めにいわゆる針仕事を始めたのは、小学校にあがって祖母がプレゼントしてくれた洋裁セットがきっかけだったと思う。何でも試してみたい年頃に道具が手に入り、また、この頃親がすること何でもやってみたい年頃だったこともあり、母が洋裁や編み物をする時に、纏わりついて教えてもらい、小学生と言う豊富な時間を持ち合わせている時であった為もあり、縫って縫って、その面白さに入っていったのかもしれない。ミシンが使えるようになると、一気にできる物の大きさが大きくなり、家にある、余っている材料だけでは足りなくなり、生地屋さんに出かけて、好きな布を選んで作る楽しさを知って行った。生地屋さんには行く度に新しい布やボタンやらがあり、いつもワクワクした。今でも、材料を選びながら作るものを想像することは当時と同じように楽しい。専門に学んで、材料から作ることを覚えるまでは、材料を見て作るものの発想を浮かべることが主だった。
高学年になるとただ好きなもの、欲しいものを適当に作っていた今までと違い、明確に作るものを決めて、目標通りに仕上げることを覚えた。洋裁や編み物の本の見方もわかり、応用も出来るようになってきて急速に針仕事の世界が広がった。中学生になるとはっきりと“縫う”世界に進みたいと意識していた。中学生・高校生では毎日遅くまで部活に明け暮れながらも自分のお洋服やカバンなどをよく縫っていた。好きなことの為にはいくらでも時間を捻出できた。そして、将来の仕事に結びつくのは厳しいと知りながらも、布や糸をもっともっと自由に自由に使いこなせるようになりたいと4年間被服学科で学ぶことにした。
大学に入ってみると、テキスタイルの中にも洋裁以外に色々面白いことがあることがわかり、様々な分野に首をつっこみ、学校以外の短期講習などに参加してみたり、様々な本を読んで見たりと何が一番自分のしたいことか?ライフワークになるようなことはないか?と、探っていた。その中で海外を旅しながら、資料を探し、興味のあるものを見て歩いていて、これかな??と思い始めたのが、北欧の手工芸であった。そして、卒業論文で“北欧の手工芸における模様と生活文化の関わりについて”書いた。元々手を動かすことが好きで、その興味から入っていったテーマだったので、当然論文として机上で終わるだけでなく、実際の技術もいつか学びたいと思っていた。
とは言え、卒業後はいったん普通に就職。いつか、現地で技術を学ぶのに比較できるようにと日本刺繍を習ったり、言葉を学んだりしながら働いていた。そして、機が熟した時に留学を決行。北欧で19世紀末手工芸復興運動に大きく関係し、確実な技術を伝承していると知っていたスウェーデンの学校を選んだ。どうしても若いうちに自分のやりたいこと、好きなことを徹底的にしておきたかった。そして、これで完全にテキスタイルの世界に浸かることになったと思う。この3年間の徹底したテキスタイル没頭期間がなければ、サイドで好きなモノづくりをして過ごしていたのではないかと思う。
3年間の限られた時間の中では“今しかない!”という思いが強く、全日のコースで毎日朝から夕方まで学ぶことに加え、夜間、週末のコースまで受講して人の何倍も学んだ。デザイン論や歴史、テキスタイル家としてやっていくための経済学、起業に関しての講座まであったが、やはり主に関心があったのが、デザイン、織り、ニードルワークであった。確かな技術と共に、常に自分の新しいアイディアでオリジナルなものを作るということを学んだ。布や糸といういわゆるテキスタイル素材だけでなく、金属、紙、ロープ、藁、竹、枝、石、貝殻、ビニール、葉、、、、、自然のものから、人工的なものまで何でも素材にする、また、素材自身を作り出す、技術も伝統的な技法だけでなく、大胆に新しい方法を取り入れ、何でも試してみることとなった。織りでも、ニードルワークでも異素材をどんどん組み合わせ、熱や水、圧力等で変化させたり、技法を自由に使い、組み合わせ作りたいもののイメージを膨らませ、それをオリジナルに表現することを学んだ。授業の方針や先生の役目が今までの学校生活と大きく違い、学校は教えてもらう所と言うより、自分の中身を引き出してもらう所であった。どんな意図で、何を表現したくて、どんな素材や色を使って表現するのか?ただ、作るのではなく“考えて”作ることになった。“考え”なしには、いい制作はないと。作る前には先生にコンセプトを伝え、デザインを見せて話し合った。ここで、より深く掘り下げて“考える”ことになり、自分の奥にあるものを引き出してもらえた上に、それにあった技法を教えてもらえた。制作をしながらもよく質問攻めにあい、また“考え”進めることになる。考えがぐらついていると、制作は途端に迷いと苦しみを伴う。制作後には仲間と作品について、議論する。そこで、自分の作品について外側からも知ることになる。そうして、益々自分の作りたいものがはっきりして行く。
普段は主に織りとニードルワークの2本立てで学んでいたが、大きな展示会の時などどちらかの選択(もちろん、双方の組み合わせも)を迫られることとなった。ニードルワークの方がより自由度が高く、制作過程に制限がなく技法に拘らずに表現できることからか、気づいたらいつもニードルワークを選択していた。担当の先生が引き出してくれる可能性に、より期待していたことも大きいと思う。
卒業してからも、自分がモノ作りをする時に、その先生がなんとアドヴァイスして下さるだろうか?と頭に浮かべることがよくあるほどの影響力だ。私のモノ作りにおいて、いまのところ表現したいものは、自然の中で心がス~っと癒される光景に出会った時にインスピレーションを得たり、印象的な出会いによって、じわじわと心の中に浮かぶフワっとしたものが多い。それは、さっと通り過ぎる美しい光景ではなく、ある程度長くボーっとその中に居て、湧き上がってくる。それを、技巧に凝らず、無数に微妙に変化する糸の色、素材感、太さの変化だけで表現するのが好きである。ある時は染め、ある時は異なる糸を混ぜ撚り、ある時は見えない色を効かせて表現したい色を引き立たせて、この時、内から湧いている、内にあるイメージをデザイン画や文章によって、作りたいイメージをより鮮明にして、サンプル作りをスタートさせることにしている。こうして表現したい像を明確にしてから、針を動かしていくと、途中でイメージがぶれることなく、ゴールにたどりつける。ニードルワークの自由度が高い点と言えば、表現したいイメージさえ明確になっていれば、制作順序に決まりはなく、縫ったり、解いたり、付け加えたり、フェルト化して縫い加えたり、四方八方に広げたり、縮めたり、途中で一部を染めたり、ゴールに近づけようと何でもできる。他の技法との組み合わせにも制限がないように思う。
しかし、手を動かしてものを作る中でなぜテキスタイルなのか?テキスタイルの中でなぜ、織りやニードルワークなのか??既に、テキスタイル!!と自分で選択してから後のことになるが、いつの間にかテキスタイルにはまり込んでいるけれども、なぜテキスタイルなのか?他の創作ではだめなのか??と思い、少しずつ試してみたことがある。陶芸でも、華道でもビーズでも、その他細々どんなことでも自分で創造して手で何かを作る、作り上げることは楽しかったが、夢中になって次々と!!作りたい!と思うのは、やはりいわゆるテキスタイルと総称されるものであった。それは、布や糸と言ったテキスタイル素材の作るときの感触、温かみのある表現が好きだからだ。そして、素材のつながりから織り、刺繍、編み、フェルトなどなど、線引きをしなくても表現したいものにより自由に組み合わせ、イメージの世界を広げることができるからだ。だから、実際は、異素材を使いながら織ったり、ニードルワークを行ったりすることもあるが、それは表現したいイメージに合わせて一部使うという形で(研究という目的の時は別だが)、主には布や糸で表現している。
ニードルワークと一口に言っても、主に、アップリケ、ハンド刺繍(絵刺繍、クロスステッチ、ハーダンがー、ホワイトワーク、ブラックワーク、、、、、、)ミシン刺繍、スタンプワーク、ニードルレース、ビーズワーク、スモッキング、パッチワーク、キルティング、などの技法の組み合わせや素材の組み合わせ次第で表現は無限の可能性があり、針と糸状のものを使っていれば、ニードルワークには無数の種類があると言えるので、まだまだ自分の表現したいと思うものを作っているだけでは、試しきれないほどだ。
何度か、このままテキスタイルの道を?歩んでいいのか??との迷いもあったが、幼少の頃からの“好きなことをしなさい!”という一貫した親の教えが染み付いていたのか、好きなことを徹底的にと、ただそれだけで今に至り、テキスタイル素材でモノ作りをしようとしている。そして、私のモノ作りはまだ“自分が表現したいもの”と“自分が癒されるモノ”でしかない。現在、自分のモノ作りをすると同時に、いくつかテキスタイルに関わらせていただいている。私の仰ぐ師は、人の心を癒すアート制作、アートセラピーをテキスタイルで行っている。その手で触れられるアート制作を少し手伝わせていただきながら、確固たる信念を持ってアート制作をし、テキスタイル素材の温かみでどのように人の心に変化を起こしていくか目の当たりにしたり、社会的なメッセージを訴える作品を作る他の作家の作品を見たり、新しい素材の可能性を打ち出す作品を見たりと、様々な素敵なモノ作りをする人と出会い、惹かれ、可能性を自分でも試して見たくなり、いつの間にか入り込んだテキスタイルの世界で、これから長く深くモノ作りに携わっていきたいと思っている。
(また、現在まで作品発表の場がヨーロッパのみで、“繊細な糸使いかつ微妙な色の変化で表現され日本的だ”と評され、その珍しさゆえに新聞や雑誌に取り上げられ、ファンがついてくれているので、評価の違う国内で、厳しい評にさらされる発表を行うのが目下の目標である。)