◆ドヨの糸 1枚の葉から作られる糸は短い。日本の麻のように撚り合わせて「績む」のではなく、結んでいくので、40~50cmごとに結び目ができ、結び目だらけの糸になる。
◆ラミンは一つの集落が一軒の家屋で成り立ち、20数家族で約200人もが暮らすといった大規模なものである。内部は一家族ごとに部屋が分かれている
◆長い耳たぶと手足に入れ墨のあるバハウ・ダヤク族の女性(東カリマンタン)
◆ドヨの葉による糸作りの工程
◆ドヨ(doyo) 高さ1m程にもなる草である。和名はキンバイザサとあるが、見た目は蘭の葉に似ている。写真中央の若く小さい葉や、左下の黒い斑点のある古い葉は使えない。
◆内皮を取り出すドヨの葉を水に浸しながら、竹べらで表面を何度かしごくようにこすると、外皮が剥がれ、内側の白い繊維が得られる
◆ドヨの葉 葉は長さ50~60cm、幅約15cm程。繊維を取るの に丁度良い葉はトゥモヨと呼ばれている。葉の中央の長い部分を使用する。
◆繊維を細く裂く 外皮を除いた繊維を束にして、3日間天日に干す。丸まった葉を1枚ず指に当て、ナイフの背で押さえながら開く。開いたら更に細く裂く。
◆撚りを掛ける 繊維の束を足の指に挟み、両手で撚りを掛ける。撚りを掛けた繊維を機結びでつないでいく。 できた糸はカゴに入れ重ねておく。
◆ウロップ・ドヨの衣装(ブヌアク・ダヤク族:東カリマンタン)
◆樹皮布の伝統的な衣装(ブヌアク・ダヤク族:東カリマンタン)
◆上着の模様 Kulit bambu (竹の皮)
◆腰巻の模様 Belalang (バッタ)
◆腰巻の模様 Belalang (バッタ)
2008年1月10日発行のART&CRAFT FORUM 47号に掲載した記事を改めて下記します。
『インドネシアの絣(イカット)』-イカットの素材(Ⅲ)葉の繊維- 富田和子
◆その他の繊維素材
インドネシアの織物の繊維素材は主に木綿と絹である。「その他の植物繊維として芭蕉、棕櫚、龍舌蘭、パイナップルなどが用いられてきたことが現存する染織品によって知られる。」と『インドネシア染織大系』(吉本忍著)には書かれているが、残念ながらこれらの植物繊維による織物には、今までに出会えていない。インドネシアで実際に目にしたのは、バナナの幹の繊維と「ドヨ」と言われる葉の繊維を使用したものの2種類である。バナナの繊維はロンボク島の縫取織の地織りの緯糸として、幹の内皮の繊維が使用されている。イカットにおける素材の違いは絣の種類によって分かれ、腰機で織られる経絣の素材はほとんどが木綿であるが、唯一、葉の繊維を使用している地域がカリマンタン島にある。
◆森の先住民ダヤク族
カリマンタン島はジャワ島の北に位置し、世で第3位、日本の2倍の面積を持つ赤道直下の大きな島である。島の65%はインドネシアだが、北部の山脈が国境となっており、北側にマレーシアとブルネイ王国がある。一般的にはボルネオ島の名前で知られているが、インドネシアは独立後カリマンタン島と名付けた。険しい山地と熱帯雨林のジャングルと低湿地帯の広がるこの島は、一部の沿岸地域を除いて長い間未開の地であった。カリマンタンの「カリ」は川という意味であり、鬱蒼としたジャングルの中をゆったりと蛇行する川に沿って人々は暮らしてきた。河口の都市を中心とした沿岸地域には主に島外からの移住者が住んでいるが、川の上流地域には、古くからこの島で暮らしてきたダヤクと称される人々がいる。ダヤクとは広大な島の内陸部に広く分散して居住しているカリマンタン島(ボルネオ島)の先住民族の総称であり、地域と言語の違いによって何十もの部族に分かれている。 熱帯雨林のジャングルに生活するダヤク族は、独自の伝統的な生活様式や文化を持っていた。ラミン(ロングハウス)と呼ばれる高床式の集合住宅に大家族で住み、焼畑で陸稲を作り、森林で狩猟をしたり、河川で魚を捕獲して暮らしてきた。宗教的にはキリスト教に改宗したが、精霊崇拝のアミニズムに基づく信仰も残っている。かつては首狩りの風習があり、部族間の闘争で勝ち取った首を持ち帰り、勇気の証や守護神として家の壁に飾った。また、今では年輩のわずかな人にしか見られなくなってしまったが、入れ墨とイヤリングもダヤク族独特の風習である。入れ墨は上流階級において男女共に広く行われ、闘争の勝利や狩りの成功に対して与えられるものもあり、入れ墨を彫る場所や模様に関しても規定があった。イヤリングも男女共に重要な装飾品である。男性は犀鳥の角や、豹や熊の牙や鍵爪で作ったものを組み合わせて耳たぶに差し込み、女性は大きなリングを長く伸びた耳たぶの穴にたくさん差し込んでいる。少女の時から付け始め、徐々に加えていくので、耳たぶはリングの重みで、肩の下まで垂れ下がるほど長く伸びるが、それが美人の条件であった。 しかし、現在ではかなり奥地の村に行かないと、こうした人達には出会えない。20~30年ほど前から、大家族で住むラミンを去り核家族化が進んでいる。基本的には自給自足の生活だが、現金収入のためには町へ出稼ぎに行く。また、奥地の村から下流の町へと移り住む人々も多い。
◆ ドヨの葉の繊維
森の先住民であるダヤクの人々は各部族ごとに独自の装飾模様や民族衣装を持っており、伝統的な建物には見事な彫刻や、色鮮やかに描かれた模様が見られる。染織品には織物、刺繍、ビーズワーク、アップリケなどがあるが、機織りをする人々は限られている。最も盛んな部族は主にマレーシアのサラワク州に居住する(一部は国境を越えてインドネシアにも住んでいる)イバン・ダヤク人である。イカットもかつては緻密で幾何学的な木綿の経絣が織られていたが、現在では手の込んだものはあまり織られていないようである。インドネシアに居住するダヤク人の間では織物はあまり行われず、カリマンタン島東部にイカットを製作している部族がひとつだけあるのみである。ちなみにカリマンタン島におけるダヤク人以外の織物は、都市部の沿岸地域に住むムラユ人やブギス人により、緯糸紋織、縞織が製作されている。 東カリマンタンのマハカム川流域と、その支流に点在する村々には12の部族が住んでいるが、唯一、機織りをし、イカットを織っているのがブヌアク・ダヤク人である。このイカットはインドネシアの他の地域では製作されていない、珍しいドヨの葉の繊維が素材として使用されている唯一のイカットでもある。
◆ 熱帯雨林のイカット ウロップ・ドヨ
インドネシアで唯一の他の珍しいドヨの葉で織られたイカットはウロップ・ドヨと呼ばれ、主に女性用の伝統的な衣裳の上着と腰巻に使用されている。また、女性用にはビーズやアップリケの衣装もある。一方、男性用は主に樹皮布の貫頭衣とアップリケの腰巻で、ドヨのイカットは使われていない。 最近はお土産用として、わかりやすく、単純な人像模様も多く織られているが、本来は動物などをモティーフとしながら、点描や幾何学的な模様で表現されるところが特徴であり、またそのモティーフも他の地域とは異なった独特なものが見られ興味深い。 長くても40~50cmの繊維から糸を作り出すのは、効率も悪く、気の遠くなるような単純作業の連続である。さらに出来上がった糸は結び目だらけで、葉の繊維によりを掛けた糸は硬く、扱いも大変である。その為か、織る時には他の地域では見られない変わった道具が使われていた。ギギという荒筬のような、半筬のようなものである。ギギ(gigi)とはインドネシア語で歯という意味であるが、中筒の上にある2ヶ所の綾の間に差し込み、櫛のように刻まれた溝に経糸を3~5本程度入れて織る。このような織道具は他の地域では見たことはなく、やはり、インドネシア唯一の道具であるが、摩擦に弱いドヨの糸を織るためには必要なものなのであろう。 イカットの経絣が盛んに織られているヌサ・トゥンガラ地方はサバンナ気候であり、乾期の雨量はわずかである。それに比べ、ダヤク人の住むカリマンタン島の内陸部は乾期であっても、毎日と思われるほどスコールが降る。熱帯雨林の高温多湿な気候は綿の栽培に適さず、織物の技術は発達しなかったのであろう。そんな環境の中で、何故、一部族のブヌアク・ダヤク人だけがイカットの技術を持っているのか、その理由はまだわからない。 綿糸が手軽に手に入るようになった現在では、ドヨに代わり、木綿のイカットもしばしば織られている。特に上着は肌触りの良い木綿が好まれる。それでも、インドネシア唯一の独特なウロップ・ドヨが織り続けられることを願っている。