熊井恭子個展
「叢生-SOUSEI-」を見て 三宅哲雄
ART&CRAFT vol.11 1998年8月1日 発行
輝く星
夜空に輝く星を都会では見ることが出来なくなったが、夏休みにキャンプなどに出掛け空を見上げると、キラキラと輝く無数の星を今日でも見ることが出来る。人類は古代よりずっと空を見上げて、はてしない宇宙と現実の生活に思いを巡らしながら夢と希望を抱くことが出来たのは、満天の星を見ることが可能であったからで、都会の夜空や漆黒の空では見上げる気持ちも失せ、むしろ押しつぶされるような暗い気持ちになる。
我々が肉眼で見ることが可能な星の多くは太陽のように自ら発光しているのではなく反射光であることは自明のことで、昼夜を問わず晴れの日も雨天や曇天でも空に星は存在し、太陽が沈み雲やスモッグそして人工光の障害を受けない環境でのみ人は星を肉眼で見ることが出きる。すなわち我々が通常星を見るということは反射された星の光を星として認識し美しさを感じるのだが、星という物体が存在しなければ当然星の光も存在しない。逆に輝やかない星、小さな石ころが無数に空を埋めた状況を想像したが、私はそこから夢や希望を持ち得ない。夜空には輝く星というのが当たり前の事として通用する自然が続くことを願うものだが、太陽エネルギーも有限で、いつの日にか太陽は燃え尽き太陽系に闇が訪れる。闇の空間では多様な変化が起こると予想されるが、全ての物質が消滅することに繋がるのであろうか?地球上でも地中や深海など闇の世界は存在し、そこには多くの物質と生物の営みが確認されている。人間や多くの動植物は太陽エネルギーによって生命を維持し種を存続させてきたが太陽の消滅とともにこれらの生物は絶滅し、太陽エネルギーを必要としない生物に取って代わることもありうることなのだ。暗黒の世界で蠢く生物の姿は、我々視覚人間にとっては想像を超えるものであり、なんとも表現しょうがない。光が無くても、物が見えなくても生物は存在するのであろうか。
太陽が発散する熱と光エネルギーは宇宙に拡散し、多様な物質に遭遇することで吸収、反射、透過という性質をあらわす。輝く星は上記したことだが、この他にも大地から天空に架ける壮大な色彩スペクトルを描く虹であったり、細かな雪に照射されて生まれるダイヤモンドダスト現象や色とりどりの花々など自然界の営みの多様性と壮大さは太陽エネルギーによるものであると言っても過言ではないだろう。すなわち光が真空の空間に照らされても、ただ光は一直線に移動するに過ぎず、如何なる物質とどのような条件下で遭遇するかによって見え方は異なってくる。特に地球上には多種多様な物質が人口物を除いて同じものはないと言えるほど多くの形状で存在するので、これらの物質と出会うと多様な表情を見せてくれる。すなわち人が夢を描いたり、美しいと思ったりする現象は太陽や光の営みだけではなく、光が一定の条件下で照射され、人が生理学上の経験として認識した現象などに感動するのであろう。虹のスケールではないがプリズムで人工的なスペクトルを造れるが、あまり感動しない。人工物で人を魅了する代表格はダイヤモンドであるだろう。高価であるということだけでなく、僅かな光の中でもキラッと光り存在を主張することで、自己顕示欲を最も助長してくれるからではないだろうか。透過する原石に人がカットを加えて光を屈折させ輝きを生み出す。これがダイヤモンドであり、光の無い空間ではただの石ころでしかない。ダイヤモンドとして成立するには優れた原石と職人の技そして光、これらの構成要素の一つでも欠ければ、それはダイヤモンドではなくなる。
「叢生―SOUSEI―」
5月18日から千疋屋ギャラリー、ワコール銀座アートスペース、ギャラリースペース21の3会場で熊井恭子個展「叢生―SOUSEI―」が開かれた。今回はすでに京都で発表された作品に新作を加えて熊井恭子の動向を窺い知る良い機会であったと思う。
1980年頃から熊井はタベストリーの素材としてステンレススティール線を使い始めるが、慣れ親しんできたウールや麻などの天然素材も併せて使用している。複合素材によるタペストリーの制作から経緯共ステンレススティール線を用いて織物によるスカルプチャーの制作に動いたのは1985年の個展「風の道」(ストライプハウス美術館)であったと私は思う。この時、発表された「空(くう)」と「風の道」は熊井恭子を作家として不動のものにした代表作といえるであろう。この個展に至るまではステンレススティール線を使用して織った作品を多々作っていたが、素材が自然素材から工業製品に変わっただけで、素材の目新しさ以外に美しさや力強さを感じさせる作品ではなかった。一般に作家が表現材料として使用している素材は一部の色を反射し他は吸収する性質を持ち、これらが普通に存在する世界で、ごく当たり前にこれらの素材を使用している。たとえば赤や青、黄色の糸で織られた布に自然光等があたっても陰影が出ることぐらいで赤は赤、青は青の色をした布に変わりがなく光はむしろ意識しない。だからこそ作家は美しい色彩の組合せを考え、糸を染め織り、作品に仕上げることができる。しかしながら偶々これらの素材を用いた作品に照明をあて、生じた陰影で見栄えのする作品に出会う事がある。作家が意図したことではなく偶然の産物も作品の一部といえば一部だが作家が意図していなかった陰影で作品が大きく変わるのは作家が制作しているのではなく光が制作しているというと言い過ぎであろうか。陰影も作品の重要な要素として積極的に取り込む意図を持って制作しているならば陰影を意識しない作品として成立するであろう。
作家にとって素材と技法は何なのか。子供の頃、絵が上手だと言われ美術大学等に進学し、絵を描いている人は多い。これらの人々の大多数は画材店でキャンバスと絵の具そして筆とパレットを買い、お決まりの絵の描き方を習って描き、額縁に入れると作品が完成すると思っている。これは絵画の世界だけでなく美術や芸術といわれているほとんど全てのジャンルで共通した表現手法で明治以降今日まで何も変わっていない。指導マニュアルや評価が変わらなくても、何かを表現しょうとする作り手が何の疑間を抱くこともなく芸術ゴッコしていることが問題なので、自分が表現したいことは何なのか、それは何で表現できるのか、素直に自己と対面することで、おのずと的確な素材との出会いが生まれ、表現技法も身につくものである。と簡単に言うが、実際はこのことが=番大変なことだと思う。 ステンレススティール線は90%程度の光を反射するという、このような素材を選択する理由として熊井は「何もない一枚の布をふくらませることへの執着が経糸に金属線を使うという発想に結びついた」と記している。金属線を使うきっかけは経糸に張りの強度を持たせることから出発し緯糸にウールや麻の色糸を織り込んだタペストリーを制作したが、同じ頃緯糸としてステンレススティール線を使い、平織りと蜂巣織のタベストリーも制作している。この段階から経糸の張りの強度を持たせるために金属線を使うという目的の他にステンレススティール線の反射する性質に注目し、実際に織ることで線材としての表情が面に変わると一層複雑な表情を見せてくれることを実感するのである。
熊井は「空気を内包し、風を孕む布Jをイメージするが、自然素材の多くは独自の色と風合いを持ち違和感を拭い去れず、イメージに適合する素材を模索していたのであろう。ステンレススティール線で織ったり、組んだり、束ねたり、種々の使い方をしているうちに、流れ落ちる滝や水面の輝きに見られるような現象は空気や水という自然物質と光の散乱によって生じることで、このイメージに近い表情をステンレススティール線と光を素材にして使うことで表現できると実感したのである。
熊井はイメージする素材を探し求め見つけることが出きたが、繊維素材と異なり自由に言うことを効いてくれない。何とか織ることが可能になっても、織り上がったステンレススティールは熊井の意思と関係なく自己主張する。編む、組む、結ぶ、巻く、束ねる等々の技法を試みるが、その都度、私はここに在る、私は決して自由にはならないぞと言わんばかりに挑んでくる。まさに熊井にとって、この10余年はステンレススティールとの格闘であり、サントリー美術館大賞展、ニューヨーク近代美術館個展等々を内外で精力的に熟すうちに個性の強い素材と、どう付合うかを習得したのである。今回、ギャラリー21に発表された作品はギャラリーをキャンバスに、ステンレルスティール線と光を絵の具に使い、熊井が描きたい絵をのびのびと描いた作品に感じとれ、あたかも主役をステンレススティール線に譲ったかのような控え目の造形は光をも取込み、決して一夜では生み出すことの出来ない作品になって顕れた。
1970年代からファィバー・アートと称される作品を制作する作家が続々と誕生したが今日でも現役として挑戦している作家は数少ない。素材や技法の目新しさだけでは作家としては通用しない時代なのだ。どのような素材や技法を使おうとも結果として作家の顔が見える作品にまで昇華させなければ作品とは言えない。政治や経済そして芸術も方向性を見失った混沌とした時代の中で熊井恭子氏の今回の個展は多くの造形を志す人々に夢と希望を持たせるきっかけになったであろう。草木が群がりはえる(叢生)ように。
三宅哲雄