ART&CRAFT forum

子供の造形教室/蓼科工房/テキスタイル作品展/イギリス手紡ぎ研修旅行/季刊美術誌「工芸」/他

「眼ざし」 榛葉莟子

2016-01-05 12:08:45 | 榛葉莟子
1996年12月20日発行のART&CRAFT FORUM 6号に掲載した記事を改めて下記します。

 小さな硝子板が数枚必要になり、近くの硝子屋に行った。寸法が小さいものばかりで断わられるかと心配したが、硝子屋のおじさんは、「なんにすんの?」と、言いながら心よく寸法の硝子を、いとも簡単にカットしてくれた。私はさっきから店の前に置いてある赤錆びた大きな鉄の箱の中が気になってならなかった。その中には、厚いのや薄いのやの、透き硝子、くもり硝子の様々な種類の硝子の切れ端がぎっしりと詰まっていた。様々な硝子の切れ端の重なりの層を透過してやってくる、あるかないかのうすあおいような煙りの色彩が、そこにたちのぼっている。
 硝子屋に走る直前、透き硝子を前に私は困りはてていた。硝子絵の仕事である。硝子絵は、裏面に描かれた絵を表面から透かせてみると、硝子絵独特の効果があるらしい。…らしいと言うのも、あの、油絵の具などで描かれた透過性を無視したかのような硝子絵をいいと思ったことがなかったからだが、どこか、郷愁の匂いのする硝子絵の言葉の響きや、透過性というところに魅かれ引き受けてみた。10センチ前後の四角い透き硝子板と向き合っているうち、真っ白な紙と向き合った時にやってくる妙な、いらだたしさがやってくるのだった。この、小さな透き硝子に身体が関係しようとしない。たとえそこに絵を描いたとしても、私の内から喜びはやってこないことは、わかっている。そのときふと、くもり硝子なら入れるかもしれないと直感し、硝子屋に走ったという訳だった。
赤錆びた鉄の箱の中の硝子の切れ端は、計画から排除された半端物のはしくれだ。いいなあ、この不揃いなはしくれのオブジェ。
「おじさん、これ、いただけますか?」赤錆びた大きな鉄の箱を覗きながら、思いきって言ってみた。「ああ、いいよ。持ってきな」快いおじさんの返事があった。いくつかの切れ端も、くもり硝子も想像をかきたてる。それは不思議な気配の記憶、懐かしさを含むものだ。そんな気配は、こんなところにもある。
 先日、スーパーマーケットで透明な袋に入った5ケ入りのりんごを買った。照明のなか、棚に並ぶやけに堂々としたふうな粒選りのりんごから排除された粒そろわないりんご5ケ入りである。それは、掌に包むに似合うりんごで、あの野暮ったい大きなりんごには見られないそのりんごは林檎といいたい。その林檎をまるごとサクリサクリと空を眺めながら食べていく。それは食べているというよりも、なにかもっと、どこか遠くへ運ばれていくような近ずいていくような、懐かしさの気配が身体に滲みていくのだ。この懐かしさは、もちろん家族のアルバムを見ていく思い出とは異なる。
 そして又、知人の個展の案内の葉書に印刷されている水彩のリアルな風景画にそれはあった。葉書の絵をみた時身体の奥に妙なざわめきが起こった。そこに描かれている風景の透過さ、透過色。会場に行った。絵を見に行ったというよりも、自分の内に常にそれを通してみる、或る懐かしさの気配と共通するナニカが気にかかったのだった。印刷された絵には、会場にあるナマナマしさは消えている。思い入れとか情感のタッチ、そういう範疇のナマの層をくぐりぬけ、葉書に表れた風景は、ナマナマしさを払拭した、不思議な光空間が感じられたのだった。遠い日の、あのくもり硝子や色セロハンを透かしてむこうを見た空間の不思議な気配への眼ざしの記憶と、印刷された絵に見た透過の光空間の抽象性の、眼ざしとの符号に気づいた。
 展覧会などでの作品と、見る側のかかわり方は様々だし、自由といえば自由だが、見る自分と関係させていくと、より接近できて面白い。見えるものは見えないものに付着している。どう見えてくるのかは見る側の、眼ざしの問題でもある。
 若い友だち達の展覧会がある。不揃いの林檎たちならではの乱気流渦巻く不思議空間が現われればいいなあと思う。     

「クリスクロッシング」 福本繁樹

2016-01-01 08:49:04 | 福本繁樹
1996年9月25日発行のART&CRAFT FORUM 5号に掲載した記事を改めて下記します。

 1995年に開催された「第16回国際ローザンヌ・ビエンナーレ」は、現代テキスタイルアートばかりではなく工芸全体に重大な問題を提起する企画だったが、日本ではあまり話題とならなかったようだ。しかも同ビエンナーレは今後の開催が無期延期されることが4月30日に公式発表され、おおきな波紋をなげかける結果となったので、その内容をすこし紹介してみたい。
 第16回展はこれまでの公募制をとりやめ、3ケ国の現代美術館の研究者に企画を依頼した。 30名の招待作家には、クリスト、フラナガン、ラウシェンバーグ、ボイス、ビュラン、ロバート・モリスなど、絵画・彫刻・パフォーマンスなどで活躍する著名な現代美術家が多い。テキスタイルの分野からは、60年代から70年代にかけての、初期ローザンヌ・ビエンナーレで活躍した作家を中心に選抜された。出品作品は、もちろんテキスタイルを素材としたものばかりだが、70年代以前の古い作品が三分の二を占めた。この展覧会の副題は「Parallel Histroies」と題され、テキスタイルと現代美術の歴史がパラレルとなっていることをあきらかにしようとする試みとうけとれた。
 展覧会カタログには展覧会コミッショナーC・ベルナール氏の発言が掲載されている。氏は「タピスリー画家協会」を創設したJ・リュルサの活動を「反動的」「時代錯誤は悲惨」、また「戦後、偉大なタピスリー作家をほとんど輩出していないことを認識すべきだ」などと明言する。「とくに現代テキスタイル・アートという概念は、制作技法(タピスリー)にかかわらず、素材(テキスタイル)によって定義される芸術様式に、一人前の芸術としての地位を主張するものだ。しかしこの主張は、芸術作品という考えそのものに対する恣意的限界でもあるようにみえる。展覧会のテーマは、誤解のもととなる用語(現代テキスタイル・アート)を解体する試みであるとともに、ビエンナーレの矛盾に満ちた成果を検証するものだ(筆者抜粋、意訳)」という。
 この第16回展のテーマは「クリスクロッシング」だった。「交差」を意味する語だが、そのニュアンスは日本語とくいちがっている。日本語の「交差」は出会いや交わりを意味するが、英語の「交差(crisscross)」は食い違い、行き違い、矛盾を意味する。逆に日本語で「どこまでいっても平行線」とは、進路・傾向・意見の一致をみないことであるが、平行線を意味する英語の「パラレル(parallel)」とは、進路・傾向・性質が同方向、対応・相応・一致することである。立脚地点と進路方向のどちらの共通性を優先させて考えるかの相違は、個人主義や人間関係のあり方の違いに由来しているようだ。
 テキスタイルを用いた造形表現は、現代テキスタイルアートが60年代以降にみせた動向以前から絵画や彫刻の世界でパラレルに行われてきたし、現代テキスタイルアートが美術界の潮流に追随して交差すれば、テキスタイルアートがテキスタイルアートであることの意味が希薄となり矛盾が生じるということを示すのが第16回展の企画主旨だと思われた。同展は「現代テキスタイルアート」のアイデンティティの危機を改めて指摘して、その解体を試み、テキスタイルの芸術としての位置がきわめてあいまいで不安定であることを示した。(詳しくは拙著『「染め」の文化』〔淡交社刊〕参照)
 昨年のロンドンは猛暑だった。その夏から今年の2月まで私は塚本学院海外研修員としてロンドンで過ごした。制作を中断し美術館、大学、研究者、作家などを訪ね、ひたすら異文化の匂いを嗅ぎまくる半年余りだった。日本文化に造詣の深いイギリスの研究者にしばしば驚いたが、一方さまざまな文化的「クリスクロッシング(矛盾)」を見聞した。それはこれからの国際化の時代、異文化間の相互理解がいかに困難なものかを思わせるものだった。たとえばヨーロッパにおける日本文化へのおおきな関心にもかかわらず日本の現代工芸の情報が乏しかったり、貪欲にオリエント文化を摂取する根強いオリエンタリズムにもかかわらず日本の染色技法には無関心だったりなどのコントラストである。ヨーロッパにおける日本文化の理解や関心はあまりにも偏っている。日本から積極的に発信をしなければ、日本の工芸や染織への理解はとてもおぼつかないのではないだろうか。
 昨年日本の現代工芸の全体像を広範囲に紹介しようという趣旨で「ジャパニーズ・スタジオ・クラフツ Japanese Studio Crafts: Tradition and the Avant-Garde 」展がヴィクトリア&アルバート美術館で開催された。日本の工芸に関しては、ジャンルやグループ別あるいは過去のものは紹介されたものの、現代工芸全般の展示はこれまでヨーロッパで開催されたことがなかったということを聞いて、今日の国際化の時代に意外なことだと感じた。しかしヨーロッパには日本美術の専門家がきわめて少ないことを知ると、むしろこの展覧会は画期的な企画だと評価せねばならないものだと気づいた。
 欧米における日本研究の95%ぐらいはアメリカで出版されているといわれ、ヨーロッパにおける日本研究はアメリカに比較しておおきく遅れている。イギリスではサッチャー政権以後、とりわけ1986年の「ピーター・パーカー・レポート」によって、東洋・アフリカ研究の重要性が主張され、大学での日本研究の重要性が認められてその粋が拡大され、ケンブリッジ大学、オックスフォード大学、ロンドン大学、シェフィールド大学などを中心に日本研究がすすめられている。しかし美術や工芸に関してはというと、イギリスの大学において日本美術史を教える講座がきわめて少ない。5年前よりロンドン大学で教えるタイモン・スクリーチ博士の講座があるが、あとは今年の1月より、17世紀の日本陶器を専門とするアメリカの研究者が赴任して開講したイーストアングリア大学の講座があるくらいである。ヨーロッパ全体でもイギリス以外にはドイツとイタリアの大学2例くらいだという。
 ヨーロッパにおけるオリエンタリズム、ジャパニーズネスなど、東洋や日本の文化への関心は依然根強いものがある。ヨーロッパはあらゆるオリエントの文化を貪欲に摂取しつづけてきたが、染色技法に関してはプリントくらいしか導入・発展させなかった。絵画のような克明な描写が可能で、しかも機械によって精巧な模様が量産できる技法がプリントだけだったからだろう。ろうけつ染めに関しては、1890年代よりオランダのテキスタイルデザイナーが手描きのバティックをさかんに試みはじめ、1900年のパリ万博で評判となったが、戦前までにその勢いはほとんどなくなってしまった。オリエントに発達した友禅・型染め・絞り・板締め・ろうけつなどの技法はほとんどヨーロッパに移入されることがなかった。布に染料が染みて固着する模様染めの技法は、素材・技法の生理をねじ伏せて人間の思いどおりにコントロールしきれないもので、仕上げを100パーセント予測できない。作者が全面的に主体性と責任をもって制作できる方法が理想だと考えると、模様染めの技法は敬遠され、その導入に拒絶反応が示される。ところが模様染めの技法は、とりわけ日本人が得意とするものである。世界に冠たる模様染めを発達させた日本に比較して、ヨーロッパでは歴史的に模様染め文化がまるごと欠落していることは案外知られていない。この現象は民族の資質や文化の志向の違いを端的に示している例として、きわめて興味深いものだ。