さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

文化という『洗脳』

2011年08月02日 12時27分50秒 | Web log
今朝、起きて 「 今日は 会社に 行かなくていいんだ 」 と思ったときの爽快感。

子どもたちのお弁当を準備しながら、「 どうして自分はここまで頑張ったのだろう 」 と
ふと自分が頑張ってきたこの数ヶ月を不思議に思いました。

そして、これは私の性格的な要因もあるけれど「文化」という洗脳なのではないかと思いました。

調和を乱してはいけない
会社への責任を果たさなければならない
相手のことも思いやらなければならない
相手を責めるよりも、自分を省みるのが先
途中で投げ出してはいけない などなど

ま、日本人なら「そうだよね」と思う価値観にしたがって私もある意味頑張ってきたのです

でも、ずっと傍でわたしが苦闘しているのを見ながらマイクは、「 どうしてそこまで?? 」 と
ずっと思っていたそうです。

そして、限界にきたときに

「 僕は僕の意見として、言いたいことはある。君が僕に結論を出して欲しいのなら、出してあげるよ。
それはとっても簡単なことだ。でも、君は大人だ。君が結論をださなければならない。
それに君は頑固だから、僕が何を言おうと自分の考えに従うだろう。だから、言っても無駄だしね。」

と、言ってましたが(笑)

個人の権利という意識が比較的低い、わたしたち日本人は、対立する方向へ行くのを避けますから
( わたしの性格もありますけれど )それに反することをするには、とてつもないエネルギーを
必要とし、また悪いことでもするかのような違和感も感じますから、ずっとブレーキがかかっていたん
だろうなぁと思いました。

こうして組織の利益が優先されて、個人が犠牲を強いられる文化的構造というのは、本当に長い歴史の中で
築き上げられてきたものであって、その中で洗脳された思考様式をもち、辞めればいいのに辞められずに苦しんで、
どこまでも自分を痛めつける私の姿をみながら、

異文化の視点をもつマイクは、私に対して「 理解できない。彼女を助けたいけれど、そう考え、決め、
行動することに対して何もいえない、できない、やるせない。」という思いでずっといたようでした。

でも、全てには表と裏がありますから、

こういう自己犠牲的なスピリットは、震災後に絶賛された日本人の姿に通じる部分もあるのだろうし

なんともいえませんが、

心のブレーキを超えて、自分を守るために 敢えて選ばなければいけない選択肢もあるのだということを
学んだ 出来事でした。

そして 自分の心に正直に 決断をし、一歩足を踏み出したら、思った以上に 事は簡単に進んでいくと
いうことを思い知ったのでありました。

悩んで損した!


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