慶應大学教授坂井豊貴氏が書いた『多数決を疑う』という本がある。
面白そうなので買って読んでみたが、内容はかなり難しい。
自分なりの説明を加えて要約してみようと思う。
例えば30人のクラスがあるとする。
そのクラスでABCの3人がクラス委員長に立候補したとする。
たいがいは多数決で決めることになる。だが、多数決が必ずしも民意を反映しているとは限らない。
Aに11人の支持者がいるとする。
その他の19人はAだけはイヤだと考え、BかCに投票する。
結果Aに11票、Bに10票、Cに9票入ったとすると当選はAになるが、Aはイヤだという19人の民意は反映されないことになる。
この場合、AとBで決選投票すれば、Aが11票、Bは19票となり、今度はBが当選することになる。
自民党の総裁選はこのような決め方をしていて、過半数の支持を得られた者が総裁となるので、自民党員の民意は比較的反映されていると考えられる。
しかし、選挙では、1回の多数決をもって全てが決まってしまう。現在の日本の選挙制度では必ずしも民意を正確に反映していないというのが本書の趣旨である。
本書では2000年の米国大統領選を取り上げている。
この年の共和党の候補はジョージ・W・ブッシュ、父親も大統領を務めたテキサス州知事。対する民主党の候補はアル・ゴア、環境保護と情報通信政策に長けた当時の副大統領である。
事前の世論調査ではゴアが有利、そのまま行けば恐らくゴアが勝つだろうと思われた。
だが、途中でラルフ・ネーダーが第三の候補として立候補したのだ。彼は、大企業や圧力団体などの特定勢力が献金やロビー活動で政治に強い影響力を持つことに反対してきた弁護士である。
ネーダーの政策はブッシュよりもゴアに近く、ゴアの支持層を一部奪うことになる。ゴアの票が割れて、ブッシュは第43代米国大統領に就任した。
もし、ここで決選投票をしていればゴアが当選した可能性が高いが、そうはならなかった。
ゴアが大統領になっていればイラク戦争は起こらなかったかもしれない。
オリンピックの開催地を決める方法は投票者の意向をかなり正確に反映させることが出来ると言われている。
投票した結果の一番得票数が少なかった都市を一つだけ落選させて、再び投票し、次はその中で一番得票数が少なかった都市を一つだけ落選させる…
こうして最後に決戦投票をして過半数を得た都市をオリンピック開催都市に選出させるのである。実に慎重で公平だが、実際の選挙でこの方法を採用するには時間と労力がかかりすぎる。選挙で複数回投票するのはあまり現実的ではない。
では、どうすればいいのか?
本書ではボルダルールという方法を紹介している。
先の30人のクラスを例にとると、
有権者は3点、2点、1点を各候補に振り分ける。
結果はAが52点、Bが59点、Cが58点となり、一度の投票でBが当選する。
このルールで選挙を行った場合、何とAは最下位になるのである。
赤道直下に浮かぶ島国ナウルはこのルールを発展させた独自のダウダールールを採用している。
例えば定数2名の選挙区に5名の立候補者が立候補したとする。
すると有権者はその5名の順位を紙に書いて投票する。そして「1位に1点、2位に1/2点、3位に1/3点4位に1/4点、5位に1/5点」の配点で候補者は点を獲得するのである。その総和が候補者の獲得ポイントとなり、上位2名が当選する。
この方法であれば、民意をかなり正確に反映されることができる。
日本を含む多くの国は間接民主主義のシステムを採用している。
主権は国民であるが、有権者は選挙を通じてのみ、政治に関与することができるが、現実的には主権者である国民は立法にも執行にもほとんど関わることはできない。
人々が声を上げたとしても、ノイズとしかとらえられないこともある。
本書では小平市の都道328号線問題を取り上げている。
この問題はわずか1.4キロメートルの半世紀前に計画された都道328号線を巡る市民の賛否を巡る問題である。
予定地には自然が残る雑木林があり、予定地の隣にはすでに府中街道があり、人口減の時代にこれ以上交通量が増えることは予想されない。道路の建設には800人の立ち退きと250億円もの巨費が必要なのである。
反対派は賛否を問う住民投票を行うよう署名活動を起こし、住民投票に必要な5パーセント以上の署名を集めることに成功した。住民投票に法的な拘束力はないが、市議会でも住民投票が可決された。
だが、小平市の小林正則市長が「投票率が50パーセントに満たない場合は開票しない」という成立条件を求め、それを含む修正案が可決されてしまったのだ。
結局、2013年5月に行われた投票率は35パーセントとなり、小平市は開票しなかった。
投票箱の中身はいまだに誰も知らないのである。
小平市の小林市長が当選した市長選の投票率は37パーセントだった。
このことを考えると住民投票の35パーセントは決して低い数字とは言えない。
住民投票の開票さえ行わないというのは、住民の上げた声の強制的な沈黙化であると作者は論じている。
民主的なプロセスにより選ばれた代表者による執行の強権が存在する。だが、強権が発動される以上、民意がより正確に反映された代表者が選ばれる必要がある。
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