夜の2時近くだっただろうか、熱帯夜のせいで、その日は寝付かれず、布団の上で何度も寝返りを打っていた。
ふと、少し開けてある廊下側の窓から、女性のうめき声のような声がかすかに聞こえてきた。しばらくの間聞こえてくるので、少し気になり、玄関から外へ出た。この時間のマンションの照明は間引きされていて、廊下は薄暗い。
声はマンションのエントランスホールから聞こえてくる。 僕の部屋は1階で、エントランスホールからは比較的近い。
三ヶ月ほど前の春、このエントランスホールで事件があった。夜中だったので、朝になるまで誰も異変に気がつかなかった。
また何かあったのだろうか?
恐る恐るホールへ歩いていくと、3人の若者の姿が見えた。自動ドアが開き、ぐったりした女性を1人が抱きかかえ、ホールへちょうど入ってくるところだった。もう1人はすでに自動ドアの内側に立っている。3人は見たところ二十歳そこそこの若者。
「どうかしましたか?」 僕は3人に声をかけた。
「連れの具合が悪くなったので送ってきました」 女性を抱きかかえた男が答えた。どうやら女性は酔い潰れているようだった。
「マンションの住人ですか?」
「この子はそうです」
女性は意識を失っているのか、目を閉じて、男性によりかかり、ときどき具合の悪そうなうめき声を発していた。 女性の顔をちらりと見る。 見覚えのある顔だった。今、いっしょに役員をしている男性の娘さんだった。マンションの行事を何度か手伝ってもらったことがある。大学生だと言っていた。
酔いつぶれた女性を2人の男友達が送ってきたのだろう。 2人の男も大学生風の格好をしている。 3人は、エレベーターに乗って、上がっていった。
このエントランスホールの自動ドアは中からは自由に開けることが出来るが、外からはICカードをセンサーに接触させなければ開くことができない。以前は、部屋の鍵を自動ドア横の鍵穴に差し込んで回すと、ドアが開いたが、今は部屋の鍵と別にICカードを持って外出しなければならず、カードを持って行くのを忘れる住民が続出した。 自動ドア横の番号キーを操作して自分の部屋を呼び出し、部屋にいる人が中から操作して、自動ドアを開けることもできたが、部屋が留守の場合は、警備会社に連絡する必要がある。酔い潰れた女性のカードがなかなか見つからず、外ホールで時間をとられたのかもしれなかった。
それからしばらくした夜、仕事の帰りに、駅で先日の女性と偶然いっしょになった。
並んで帰路を歩き、先日のことを話題にした。
「この前は大丈夫だったの?かなり酔ってたみたいだけど・・・」
「すいません、あまり覚えてなくて。起こしちゃいましたか?」
「いや、まだ起きてたから」
「もしかして、エントランスのドアを開けていただきましたか?私、あの日カードを忘れて出かけたので」
「いや、僕が行ったときは、もうドアは開いてたよ。家の人じゃないの?」
「あの日、両親は留守だったんです。送ってくれた友達の話しだと、急に自動ドアが開いたそうです。誰かが部屋から開けてくれたんだと思います」
「僕が行ったときには3人がちょうど入って来るところだったよ」
「3人?」
「送ってきてもらったんだよね」
「2人じゃないですか?送ってくれたのは1人なんですけど」
「でも、確かにもう1人いたよ、白いパーカーを着た男が・・・」
「へんだなあ~、そんなはずないんですけど」
そのときは、彼女は酔っていたから勘違いしているのだと思った。
でも、その男の恰好は真夏にしては、ずいぶん厚着をしていた。長袖の白いパーカー・・・
どう見ても春先の服装である。
春先・・・
ふと、気になったことがあり、次の休日、マンションの、あるお宅を訪ねた。
三ヶ月ほど前に大学生の息子さんを亡くされた方だ。
もともと母子家庭だったので、今では母親が1人で暮らしている。
息子さんは夜中に帰宅したところで、くも膜下出血で倒れた。
倒れたのはエントランスホールだった。
母親は先に寝ていたので、戻らないことに気がつかなかった。
朝になり、住民に発見され、救急車で搬送されたが手遅れだった。
その時、マンションを代表して、香典を届けたが、改めて、ちゃんと線香をあげさせてほしいと言うと、中へ通してくれた。
仏壇に置かれた遺影には、あの夜に見た白いパーカーの男が写っていた。
自動ドアを開けたのは、彼だろうか。
彼はまだ、このマンションに漂っているのかもしれない・・・
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