東京文化会館
指揮:準・メルケル
演奏:東京都交響楽団
演出:深作健太
二期会は初めて観ました。ローエングリンも、観るのは初めて。
中学生のころ、吹奏楽部で『エルザの大聖堂への行列(行進/入場)』を演奏していて、その印象が強いです。第三幕前奏曲や、結婚行進曲よりも。
演出ですが、どうしても、バトロワの監督という記憶が先立ってしまって、イントロのデジタル時計がまさにそのイメージで、最初は少し不安でした。でも、ラストにもデジタル時計が出て来て、再びバトロワっぽいなと思わせられただけで、それ以外は、そのバトロワ的なるものは意識せずに観られました。(が、しかし、というのはまた後で下に)
むしろ、プログラムを読むまでもなくわかる、ローエングリンとエルザに、バイエルン王ルートヴィヒII世とハプスブルク皇妃エリザベートをカブせてきた解釈が印象的で、わかりやすいというか馴染みやすいものでした。もちろん、僕は、このふたりのストーリーは、ルキノ・ヴィスコンティの映画も観たし(氷栗優のコミックも読んだし(笑))、宝塚&東宝のミュージカルでも観たし、ほか書物も読んだことがあるわけで、そのせいかもしれません。
歌やお芝居のほう。
第一幕の決闘で、ローエングリンがテルラムントをやっつけるところ。なんかアッサリというか、あんなに短いシーンだったんだ、と。
第二幕のオルトルートが迫力あったというか、エルザとの掛け合いが、息もつけないくらい(ちょっと大袈裟か)のところがありました。
音楽も、安心して聴いていられる演奏でした。
さて、全編を通して気になった存在、そして、僕が自分のキャラクターを重ねてしまった存在、それが歌も台詞もないゴットフリートでした。
僕は、一時期、よく、コントローラーの自分とマニピュレーターの自分とそれを観測(俯瞰)している自分の三位一体で、この3つのうち最後のものが肥大している(気がする)、と周囲に伝えていたのだけれど、まさにそれではないか?と思ったのでした。
ひ弱そうな線の細いイメージもそれを深めたのかもしれないです。
山下和美『不思議な少年』のタイトルロールが、ちょっとだけ近いところあるかも。
そして、公演明けの月曜日。気がつきました。
バトロワで最後まで生き残った勝者=ゴットフリートのカブせに見えてきたのです。そっか、ここでもバトロワ的な演出があったのか、と(苦笑)。
もう、ゴットフリートの衣装が学校の制服にしか見えない感じになってしまいました。
あ、小原さんのことを全然書いてなかった(笑)。
とにかく、ビジュアル通りって感じでした。
おしまい。