すると、こんなとこに行って食べてきました。

濃い醤油色だけどスッキリシタすーぷ、後ろのタイルを見れば、店の活気が何となく伝わらないかな?
人生初らーめんモーニングとなった、「新福菜館」の中華そばは、さすがに小盛りにしました。
空いたおなかに染みて旨いぜ、やるな朝ラー。
めっけもん。
奈良町辺りを歩いていて、看板に「50メートル先 うどん」発見。
路地裏をフラリ誘われる私。
居酒屋の昼営業ですね。
出汁はサバが香る、ほー。
麺は細めながらモッチリ。
天ぷらは汁を吸ってフワリ。
かなりハイレベルな「千草川」さんでした。
舞台は八王子の上柚木陸上競技場です。
第24回東京マスターズ五種競技大会。男子が40名、女子が3名、私の属するM50クラスは4名のエントリーです。
2年に一度くらい参加しているこの大会は、走る跳ぶ投げるの冬トレ仕上がり具合を測るつもりで出場します。
今年は、いい結果を残せるはずでした。少なくとも1週間前までは。
①10時30分~ 走り幅跳び 5m16cm(追風0.5m)
アップの時点で違和感がありました。その元をたどれば、この1週間のトレーニングで日々くじきの連続で、
昨晩の前日スピードトレがハムに”ひび”を入れたようです。
助走練習の一本目で、踏切板に力を加えても、ほとんどプッシュできません。
なんとか頑張ってみましたが、この冬、身につけた踏切の足さばきを全く再現できぬまま、
5m16、ファール、ファールでありました。
ハムの傷を直して、もう一度出直しですね。
②11時40分~ やり投げ 26m48
走り幅跳びが終わるとすぐにやり投げの練習時間、というハードスケジュール。
でもそんなことより、随分研究を重ね、ターボジャブで好感触だったはずのヤリが、
まったく前に進みませんでした。クロスステップのリズムとスピードに気を使いすぎて、
やりを引いた時の腕が外に流れているのでは?というのが、5種仲間Tさんの見立て。
こんなはずでは・・・という無念は次の大会ではらさねば!
③12時40分~ 200m 26秒31(追風2.7m)
7コースの緩いカーブで走れるのが嬉しいほど、ハムは言うことを聞きません。
ただ、後ろに蹴ってパワーを稼ぐいつもの走法ができないので、
真下にプッシュを心がけ、なんとか走りきりました。
走る前は27秒台かもしれないと予想してましたから、走法次第でまだ
タイムを上げる方法はあるのかもしれないと、怪我の功名ともいえる成果。
④13時20分~ 円盤投げ 20m96cm
唯一食事をとれる時間帯の競技間が40分、バナナ一本だけですぐに競技開始。
ほぼ練習をやっていないだけに、開き直って立ち投げ3連発。
5種の中で唯一、いつもどおりの結果でした。
⑤15時~ 1500m 5分23秒65
もちろん5種の中でもっとも辛く、スタートラインに立つのが憂鬱な競技ですが、
一発かましてやろう、と掛けにでることができるのも魅力です。
中距離を得意とする人がいるかどうかは走り出すまでわかりません。
が、号砲一発ですぐに、誰も同走のグループ10人に「かます気」がある人がいないことは分かりました。
第一コーナーで横並びスタートをして、インコースを取り合うのが普通ですが、
今日は誰も前にでませんし、レーンを争う状態にもなりませんでした。
一人でさっさと前に出て、出力80%くらいのつもりで走った一周目が77秒。
調子に乗りすぎていました。3年ほど前、KAZさんと先頭争いをした一周目を思い出します。
あの時、2周目以降にタイムががっくり落ち、遠く置いていかれました。
今日ももちろん、2周目にはひどい計時が待っていました。
800m通過が2分47秒、つまりこの一周は90秒かかったことになります。13秒も落ちています。
ただ、それでもまだトップ、後ろに気配も感じません。
3周目、さらに落ちて1周93秒で4分20秒通過。後ろに足音が聞こえてきました。
そして1350mのところで、その足音が急に強くなり、気配が近づきます。
私もなけなしの力を振り絞りましたが、1400mでかわされ、背中を見たままのゴールとなりました。
結果 総合得点2695点 M50クラス1位
いつもながら5種を終えた爽快感と連帯感は清々しいもの。
ラグビーのノーサイドに近いのではないかと勝手に想像します。
ともに走り跳び投げた皆さん、ご苦労様。
炎天下とも言うべき好天に汗を流して運営をしてくれた競技役員の皆様、ありがとうございました。
鹿児島旅行はゆっくり南下、最後のお宿は指宿温泉「白水館」さんです。
いくつもの棟が並ぎ、GWの家族連れで館内は大賑わいです。
窓からは絶景の大海原、なのですが、初日に写真で撮り忘れました。
で、翌朝。
なんでこうなるの?もちろん天気予報を見て覚悟は出来ていたのですが、目覚めて窓を叩く雨音を聞くと
すこしテンションは落ちます。
4日目まで余裕のないスケジュールを組んで渡り歩いていたので、最終日は歴史建築散歩、くらいで
行き当たりばったりを目論んでいました。
でも、ちゃんと考えないと雨に旅路がかき消されかねない、と一念発起(?)
したところ、でかけるのがここだというのが、我ながら。一緒に来てくれる彼女も出来た人間です。
指宿市営陸上競技場です。ホテルと目と鼻の先にありました。
雨でも高校生が走っているのに驚き、学校名が入ったTシャツに「諫早高校」と書いてあるのを見て感嘆。
高校駅伝、長崎県の名門校ではありませんか。
九州大会でもあるのかわかりませんが、しぶきを上げながら、カモシカのようにリズミカルに弾む走りに見惚れます。
とりあえずJOGを始めると、ここの競技場の特徴に気づきました。
400メートルトラックから緑の帯を挟んださらに外側に、2コース切られた走路、ここはJOG用で一周500mの表示があります。
これを使わないてはありません。
3日後の5種競技、1500m走だけ準備ゼロだったので、一回くらいは走り通しておきたかったのです。
3周までは彼女とjogしたあとペースアップ。
諫早高校生についていくのは無理ですが、離される距離が少しでも短くなるように、脚と腰を高く保つことを心がけました。
500m通過のタイムは115秒、あ、ダメです。けっこう突っ込んだつもりでも全くスピードに乗れずにいました。
2周目、3周目も上がることなく、下がることあり、5分50秒。
走りきっただけよしとしましょう。
雨はますます強まり、さすがの高校生たちもクラブハウスの軒下へ移動、
私たちは車に駆け込みました。
こういう時、暖房がありがたい。
見つけたスーパーで、お土産になりそうなお菓子や、さつま揚げを手に入れ、
さらに指宿道の駅でも特産品を物色。地元パン屋さんの出店があって
東京に帰ってからの朝ごはんも手に入れました。
道の駅、大賑わい。指宿人気なのでしょう。
12時30分を回って昼ご飯は何にしようかと考えます。
雨に濡れたTシャツは着替えましたが、芯は冷えたままです。
こんなとき、頭に浮かぶのは熱々の湯気。
そうだ、行きに見つけていた鹿児島市内に向かう途中のロードサイドに
あの店の支店があったはずだと彼女が記憶していました。
鹿児島ラーメンの老舗「ざぼん」サンライフ店さんです。
もちろん行列。私たちもすこし待ちました。
あったかーい。
とんこつなれど臭みのない、優しい味わいのスープが染み入ります。
チャーシューが甘辛にしっかり味がついているのがアクセント。
左のプラスチックケースに見えるのは、鹿児島ラーメンのお作法と言われる、大根のお漬物です。
いや、満足満足、とチャーシューメンを平らげてお腹をさする彼なのでした。
帰りの飛行機は17時30分に鹿児島空港を出発します。
それまでにもう一箇所、言っておきたいところがありました。
鹿児島市の西部にある、県内最大の薩摩焼き産地とされる
美山です。
慶長3年、島津義弘公が朝鮮から連れ帰った陶工たちによって
開かれた、とガイドブックにあります。
陶土を見つけ、その後ぬくもりと、白い輝きが美しい「白薩摩」を受け継いできた
沈壽官(ちん じゅかん)窯を訪ねました。
大名屋敷の展示かと思わせるほど、整っています。
生垣も綺麗に仕上がり、ガラス窓にも曇りはありませんが、
その中では今でも陶器を作る工場がありました。
いまも生きている建物をここまで清い空間に保っていられるとは。
窯元の、文化を受け継ぐ強い思いが、足を踏み入れただけで感じ取れます。
瓶、タイル、燃料の薪、その向こうの登り窯。
明治初期にはパリ万博をはじめ、産業展示会で活躍し、メダルを貰うなどして
世界の「SATSUMA」となり、日本の焼き物を広く知らしめた、という歴史もあるといいます。
こういう実感が、旅の重みというものでしょう。
その後も雨は降り続き、彼女が「美山」地区のサイトで調べていた
「炎舞陶苑」にもうかがいました。
雨の中、若奥様、奥様、ご主人が話し相手になってくれて、
店内をゆっくり拝見。
絵付けの色使いと丁寧な筆致が、この優しい目をしたご主人の指先から
生まれるのだと納得したりして、お茶碗を一ついただき
鹿児島旅行の大切な思い出としたのでした。
帰宅後は、毎度のお土産展示会!
いつもながら、食べ物にあふれます。
さつま揚げは明日のごはんかな。
そら豆が指宿の特産だとは知りませんでした。
3月4月が出荷のピークと資料にありました。
夕食後のアミューズメントにホリホリといただきます。
私は皮まで頂く派。
したの絵葉書が、炎舞陶苑のご主人が作った絵葉書です。
紙に包まれたなかに、お茶碗が入っているのですが、
いましばらく夢のなかにしまっておきます。
山頂まで、二号目登山口を出て二時間弱。
快調な彼女がずっとトップを切って歩ききりました。
円錐型火山の、最後の一合が絶壁、という恐怖はなく、大岩をいくつか乗り越えて、山頂となりました。
海に面した頂は勿論絶景です。
山頂に立つ彼女。
薩摩半島の端っこです。