私が20代のときに勤めていた出版社で、「自分史」という企画が出たことがあります。
企画を出したのは60代の社員。実現しませんでしたが、そのころ、自分のささやかな人生(半生)を本にまとめて自費出版するというのがひそかなブームになったようです。今では、出版せずともブログのような形で手軽にできるようになりました。
そのときは、そういうものを作りたがる人の気持ちがよくわかりませんでした。しかし、自分も50歳を過ぎ、だんだん理解できるようになってきました。
私の祖母は、死期が近づいたとき、
「死ぬのは恐くないけれど、自分がみんなに忘れられていくのが恐い」
と言っていました。
こういう人間が生きていたんだという証を後世に残しておきたい、というのはだれも変わらぬ願いかもしれません。
世に自伝はあまたありますが、実際よりもよく見せたいという気持ちがあるからでしょう、やましいこと、はずかしいことは語らなかったり、脚色したりすることが多いようです。
そういう意味では、他人が書いた伝記のほうが客観的で真実に近いかもしれません。ただ、普通の人はだれかに伝記を書いてもらうわけにはいかない。死んだあとは、写真と家族や友人の記憶の中に残るのみ。
先に書いた祖母にしても、20年近く前に亡くなった祖母を直接覚えている人は数少なくなりました。
祖父母の上の世代は、写真もなく、戸籍にその名を残すのみ。
系図を整理するというのは、自分のルーツを知るだけでなく、せめて祖先の名前だけでも後世に残すことで、祖先に対する供養になるかもしれません。
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もうないだろうなあと思ってAmazonを見たら、まだ売ってました。
父は、出版したその年に他界しました。
一般的に何かを遺してもよほどのことがない限り忘れられてしまいます。でも、やり残しのない人生を感じて寿命を迎えることができれば本人の心は満たされるでしょう。
将来何か本を出すことがあるとしても小説ではないと思います。印刷・製本された本じゃなくて、電子書籍でしょうね。