金正日総書記の重病説が流れています。
女スパイ事件に続いての大ニュースに,牛肉問題だとか竹島問題はどこかに吹っ飛んでしまいました。
思えば,1994年に金日成が死んだあと,崩壊近しと思われていた北朝鮮が,金正日の指導のもと,14年も持ちこたえてきたのですね。奇跡的としかいいようがありません。
金日成死去直後の討論番組で,大前研一氏が
「北は早ければ3週間,遅くても3年で崩壊する」
と述べ,大方の識者もうなずいていたのが思い出されます。
また,文芸評論家で日本有数のコリアンウォッチャーである関川夏央氏は,北朝鮮に関する名著『退屈な迷宮』を,金日成の存命中に刊行し,「「北朝鮮」とは何だったのか」という副題をつけました。この副題を「過去形」にしたことについて,
「現在あるような体制での国家形態持続が困難なのは自明である。副題をあえて過去形にしたのはそういう見通しをしめしたものだ」
と書きました。
誰の目にも「自明」であった北の崩壊は,遅れに遅れ,いまだに続いています。
この長期政権を早い時期に予想していた人を,私は一人しか知りません。私がソウルに赴任した1996年頃,日本の某新聞社特派員と食事をしたのですが,その特派員は
「北は20年はもちこたえると思います。人間,飢餓はけっこう我慢できるものですよ。金正日が死なないかぎり崩壊はないでしょう」
と言っていました。私は懐疑的でしたが,この特派員は炯眼だったということになります。ただ,金正日の寿命は彼の予想よりいくぶん短かったようです。
「韓国語ができるようになっても,何にも役立たないでしょう」
「定年後,北が崩壊して,新潟あたりにボートピープルがたくさん漂着したとき,ボランティアで通訳でもやるかな」
よく冗談めかして言っていたものですが,私の定年まで持ちそうもない。願わくばソフトランディングしてほしいものです。
女スパイ事件に続いての大ニュースに,牛肉問題だとか竹島問題はどこかに吹っ飛んでしまいました。
思えば,1994年に金日成が死んだあと,崩壊近しと思われていた北朝鮮が,金正日の指導のもと,14年も持ちこたえてきたのですね。奇跡的としかいいようがありません。
金日成死去直後の討論番組で,大前研一氏が
「北は早ければ3週間,遅くても3年で崩壊する」
と述べ,大方の識者もうなずいていたのが思い出されます。
また,文芸評論家で日本有数のコリアンウォッチャーである関川夏央氏は,北朝鮮に関する名著『退屈な迷宮』を,金日成の存命中に刊行し,「「北朝鮮」とは何だったのか」という副題をつけました。この副題を「過去形」にしたことについて,
「現在あるような体制での国家形態持続が困難なのは自明である。副題をあえて過去形にしたのはそういう見通しをしめしたものだ」
と書きました。
誰の目にも「自明」であった北の崩壊は,遅れに遅れ,いまだに続いています。
この長期政権を早い時期に予想していた人を,私は一人しか知りません。私がソウルに赴任した1996年頃,日本の某新聞社特派員と食事をしたのですが,その特派員は
「北は20年はもちこたえると思います。人間,飢餓はけっこう我慢できるものですよ。金正日が死なないかぎり崩壊はないでしょう」
と言っていました。私は懐疑的でしたが,この特派員は炯眼だったということになります。ただ,金正日の寿命は彼の予想よりいくぶん短かったようです。
「韓国語ができるようになっても,何にも役立たないでしょう」
「定年後,北が崩壊して,新潟あたりにボートピープルがたくさん漂着したとき,ボランティアで通訳でもやるかな」
よく冗談めかして言っていたものですが,私の定年まで持ちそうもない。願わくばソフトランディングしてほしいものです。
思うに、ソフトランディングを皆が望んだので、思わぬ方向へ
進んでしまったのでしょうか? 自国民が餓死しようが意に介さない
連中が、米の人権外交を逆手に取ったり、同盟国の中国・ロシアを
バックに付けながらの恫喝外交は金正日時代から得意でした。
あと何年持ち堪えられるのでしょうか・・・?
70年に韓国のオヤジを糠喜びさせた、南北共同宣言を思い出しました
シルミド事件につながる、歴史的な会談だったんですね。
重要放送があるというので、学校から急いで帰宅し短波ラジオに耳を傾けた懐かしい想い出があります。
東ヨーロッパは西の電波を聞き放題だった。
情報を徹底的に管理したことが,北の延命を可能にしたのでしょう。