
写真:広島・平和記念公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑(産経新聞)
朝ドラ「虎に翼」で、朝鮮半島出身の崔香淑は、長年隠していた出自を、娘の薫だけでなく、昔の大学の仲間たちにもカミングアウトし、今後、韓国系日本人の弁護士として活動をしていく決心をします。
彼女が支援に立ち上がったのは、広島・長崎で原爆被害に遭った植民地出身者たち。
広島・長崎で少なからぬ朝鮮半島出身者が被曝したことは、以前の記事で指摘しました。
「虎に翼」に思う~原爆裁判
サンフランシスコ講和条約が発効した後、朝鮮半島出身者は日本国籍を喪失。戦争中のさまざまな被害に対する補償は、「国籍条項」が壁となって、受けることができませんでした。
崔香淑は、日本でも韓国本国でも支援の対象外に置かれた人々の救済を目指すのでしょう。
崔香淑は朝鮮半島出身ですが、コリアンだけでなく、同じく植民地支配下に置かれていた台湾出身者についても活動の対象にしているところがえらい。
朝鮮半島出身者に比べ数は少ないながら、台湾出身の被爆者もいたのです。
旧植民地出身者の被爆者問題は、戦争被害者問題(特にBC級戦犯)、サハリン残留コリアン問題と並んで、戦後の未解決問題であり続けました。
BC級戦犯(捕虜虐待)には、特に植民地出身者が多かった。
植民地出身者は同じ「日本人」でありながら、「忠誠心」に疑いが持たれ、軍に志願・徴兵された軍人・軍属は、敵と向き合う前線ではなく、後方に配置されることが多かった。後方部隊の任務には敵国捕虜の管理が含まれます。
そして戦後、現地で拙速に行われたBC級裁判において、証拠も不十分なまま「復讐」目的の極刑判決が相次ぎ、多くの人々が刑死しました。
彼らは、日本では国籍条項によって遺族に対する補償が行われず、韓国においては「日本に協力した売国奴」として冷たい視線で見られました。
BC級裁判で死刑になった朝鮮半島出身者で、もっとも地位の高かったのは洪思翊中将。
彼については山本七平による優れた評伝が刊行されており、このブログでも詳しく紹介したことがあります。
洪思翊①~⑦
また、サハリン残留コリアンについては、あるネットメディアに寄稿したことがあります。
サハリン残留コリアン
植民地出身被爆者が救済の対象になったのは21世紀に入ってから。朝ドラではくわしくとりあげられないでしょうが、崔香淑弁護士の長い闘いが始まります。
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