犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

軍慰安婦は嘘つきなんですか?

2007-03-11 11:50:30 | 慰安婦問題

 ハンギョレ新聞はこれから連載をしようとしているらしく,第一回目の記事は以下です(リンク)。

安倍総理! 軍隊慰安婦は嘘つきなんですか?
(前略)
「いわゆる従軍慰安婦問題に対する政府の基本的見解は,1993年8月4日の河野官房長官談話を受け継いでいる」。去年10月,安倍晋三日本総理はこのように確認した。「私の内閣で変更することではない」とも言った。ところが,去る1日,彼はぜんぜん違う話をした。「強制性を裏付ける証拠がなかったことは,事実ではないか?定義が変わったということを前提に考えなければならない」。河野談話は「(軍当局の要請を受けた斡旋)業者たちが,あるいは甘言を弄して,あるいは脅すなどの形態で,本人たちの意に反した募集するケースが多く,また官憲などが直接それに加担するなどのケースもあった」。と強制性を認めた前提のうえに,反省と謝罪をした。
 強制性がなかったといいつつ,反省して謝罪するというのはどういうことか? 安倍が2005年,自民党幹事長代理時代に,慰安婦問題を作られた虚構と言ったのは,日本軍慰安婦の存在自体を頭から否定するものだ。
 安倍式論理に従うなら,金学順おばあさんなど,日本軍に慰安婦として連れていかれた数多くの被害者たち証言は,すべて作り話になる。慰安婦動員の本を書き,後になった懺悔した日本陸軍出身の吉田が作り出し,日本のマスコミが騒ぎたてた虚構を根拠として,まるで自分がその直接的な被害者であるかのように嘘をついたり,虚構を事実と信じ,自身をその当事者と錯覚する被害妄想者,すなわち精神病者ということになる。つまり,みなが善良に,豊かに暮らしている日本のお金を狙った,不道徳な陰謀であり計略だというのが,日本の右翼たちの考え方だ。はたしてどちらが精神病者だろうか?

 タイトルの「軍慰安婦は嘘つきなんですか?」に答えるとすれば,嘘つきだったと言わざるをえないケースが多い。そして,その嘘をつかせたのは,日本の「良心的知識人」,韓国政府,韓国マスコミです。

 たとえば,上の記事で言及されている金学順さんは,1991年,日本の左翼系人士が韓国に渡り,
「裁判の費用も,手続きもすべて私たちが出すから,日本政府を告発してくれる人,出てきてください」
といって,原告募集(!)を行なったとき,初めて名乗りでた元慰安婦。そのときの新聞報道を訳出してみます。


韓国日報1991.8.15
 41年の春、17歳で連れて行かれた金さんは満州吉林省出身、生後百日の祝いが来る前に父が死に、平壌でピョン・モスルのもとで育ち、国民学校を出たばかりの14歳のとき、養女として売られていった。養父は金さんを平壌キーセン券番で3年間教育させたあと、中国北地鉄壁鎮の小隊規模の日本軍部隊に,挺身隊としてふたたび売り渡した。


ハンギョレ1991.8.15
 1924年、満州吉林省で生まれた金さんは、父が生後百日で死んだ後、生活が苦しかった母によって14歳のときに平壌キーセン券番に売られていった。3年間の券番生活を終えた金さんは最初の就職だと思い、券番の養父についていったところが北中国鉄壁鎮の日本軍三百人余りがいる小部隊の前だった。

「私を連れてきた養父も,当時日本軍人たちから金ももらえず,武力で私をただ奪われたようでした。そのあと5か月間の生活は,ほとんど毎日4~5人の日本軍人を相手にすることが全部でした」

東亜日報1991.8.15
 金おばあさんが従軍慰安婦として連れて行かれたのは、満16歳だった1940年春。早くに父をなくし、母も再婚し、13歳のとき平壌のある家に養女として入った金おばあさんは、平壌券番を終えた年、その家のもう一人の養女(当時17歳)といっしょに養父によって中日戦争が熾烈だった中国中部地方に連れて行かれた。

 養女たちを利用して日本軍を相手に「営業」をしようとした養父は、日本軍の銃刀に一銭ももらえず、彼女らを日本軍に引き渡し、金おばあさんは部隊の中の慰安所に強制的に収容された。
 300余名の小規模部隊のなかの掘っ建て小屋に五つの布の仕切りを設置して作った慰安所には2人以外に3人の韓国女性が来ていたが、そのなかで年長だった「しずえ」(当時21歳)という女性が彼らを監視し、男たちを案内した。
 金おばあさんは、三日に一度ずつ回ってくる日本軍の休暇のたびに、一日4~5人ずつ相手をしていたが、そこに寄った韓国商人(当時31歳)について脱出に成功、3か月ぶりに逃れ出た。


 細部に違いがありますが
「14歳のとき,母親によって売春業者に売られ,3年間の研修を終えた17歳のとき,(朝鮮半島では若すぎて営業ができないので)中国に行き軍慰安婦に売られた。一日4~5人ずつ客をとり,3ないし5カ月後,脱出した」

 業者が慰安所に売るとき「金をもらえなかった話」が出ているのはハンギョレと東亜。


 その後,金学順さんは,裁判で証言したり,いろいろな集会,マスコミなどでインタビューに応じ,「さまざまな証言」を残した末,1997年12月に亡くなりました。以下は97年12月17日に韓国の新聞各紙に出た記事。


文化日報
 金おばあさんは1924年満州吉林省で生まれ、独立運動をしていた父について平壌に渡り、14歳のとき平壌妓生学校を終えた。17歳のとき養父によって日本軍に引き渡され、中国鉄壁鎮で5か月間、昼は弾薬運搬、夜は慰安婦生活をした。

「父が独立運動」,14歳で養父に売られたを「妓生学校を終えた」,「養父が売った」が「養父によって引き渡された」,「昼は弾薬運搬」など,初期の証言が変更,追加されています。

韓国日報
 1922年平壌で出生した金おばあさんは、独立運動をしていた父について満州に行き、17歳のとき、中国内の日本軍軍隊慰安婦として強制連行された。

 出生年が1922年になっている。「独立運動」がここにも出てくる。死んだはずの「父」が17歳まで生きている。「売られた」が「強制連行」になっている。

ハンギョレ
 1924年に生まれた金さんは、幼いとき、独立運動をした父を亡くした後、41年、養父によって日本軍に引き渡され、満州で3か月間慰安婦生活をしなければならなかった。

「独立運動の父」。「養父が売った」が「引き渡され」になっている。

中央日報
 1924年満州吉林省で生まれた金おばあさんは、独立運動をしていた父を亡くした後、日帝が太平洋戦争に狂奔していた、17歳のとき、日本軍に連れて行かれ、5か月間、昼は弾薬を運び、夜は10人以上の日本軍を相手にした。

「独立運動の父」,「日本軍に連れて行かれ」,「昼は弾薬運び」。夜は10人以上で,初期の証言(4~5人)の二倍以上。

京郷新聞
 金おばあさんは16歳だった1940年、中国鉄壁鎮の日本軍部隊に慰安婦として連れて行かれ、昼は重労働をし、夜は日本軍人を相手にする苦痛に満ちた生活を3か月以上したあと、脱出した。

 年齢と慰安婦生活を始めた年が,ほかと違う。「連れて行かれ」,「昼は重労働」が変更/追加点。


 名乗り出てから亡くなるまでの約6年半の間に,さまざまな変化がありました。
 まず「母親が業者に売ったこと」は完全に消されています。
 また,「養父」が「売春業者」であったこともぼかされている。
 決定的なのは,「業者が軍慰安所に売ったこと」が,「引き渡され」,「連れて行かれ」,「強制連行され」などの表現に差しかわっていること。
 そして,「昼に重労働」などの新証言が出たり,客の数が倍増するなどで,「性奴隷」のイメージ作りが行なわれている。
「生後100日で死んだ」父が「独立運動」をしていたというのは,「日帝の犠牲者」を演出するためでしょうか。

 これらの変化は,実際に証言そのものが変わったのか,マスコミが都合よく歪曲したのかは定かではありません。

 私の推測では,「日本政府の責任を問う」という目的のために,インタビューをした側(マスコミ,韓国政府,市民団体など)にとって都合の悪い部分は聞かず(聞いても記録せず),こちらが求める内容を誘導尋問的にインタビューする。おばあさんのほうも,どんな証言をすれば相手が喜ぶかがわかってくるので,少しずつ証言を変えていく。
 何度もそんなことをしているうちに,自分も何が本当で何が嘘かわからなくなっていく…。
 そんな構図が見て取れます。


 いまとなっては「真実」を明らかにするのは不可能に近いのですが,女性の人権問題に関心が深く,必ずしも「日本糾弾」に主たる関心を置いていなかったと思われる『女性新聞』が,金学順さんが名乗り出た91年8月に行なったインタビューは,比較的事実に近いのではないでしょうか。(リンク

-養父がどのように日本軍部隊に慰安婦として売り渡したんでしょうか。その過程をお聞きしたいのですが。
-父が早くに死んだので、母の下で育ちました。父親を食い殺したやつと言われ、ひどくいじめられましたが、母が再婚した14歳のとき、養女として売られて行きました。養父が(私を)平壌のキーセン券番に送り、そこで3年間、歌舞を習い、16歳で卒業した41年、養父がほかの養女といっしょに、商売をしようと言って、満州に連れて行きました。養父が私たちを売り渡すとき、ただのキーセンとして売り渡されるのだと思っていました。でも、実際は、中国北部鉄壁鎮にある小隊規模の日本軍部隊に,慰安婦として私たちを売ったのでした。夢にも日本軍人の慰み物になるとは思っていませんでした。
(女性新聞1991年8月30日付、第138号)


 悲惨な話です。貧しい社会では,昔も今もこのようなことが起こる。しかし,このどの部分に対して「日本政府」が責任をとれるのか。

 前にも書きました(リンク)が,このようなかわいそうな人たちの身になれば,世間の好奇の目の前に引きずり出し,過去のことを根掘り葉掘り聞き,ときには誘導尋問し,心にもない嘘をつかせるようなことをするのではなく,ただそっとしておいてあげるべきだったのではないでしょうか。


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2 コメント

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Unknown (hana)
2007-03-11 15:56:02
この「売り渡された」が「強制連行された」に
摩り替わっているわけで。
アメリカ人にそこのところを理解してもらわないと
どうにもこうにも…
ていうか日本占領時に米兵専用の慰安所を
作らせたアメリカにそんなこといわれる筋合いは無い、
と誰か偉い人が大きい声で言ってくれないかな、と。
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洋公主 (犬鍋)
2007-03-11 23:27:31
韓国の米軍基地周辺の売春村は、米軍の要請だったのか、業者が勝手に店開きしたのか?
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