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写真:アメリカ館
朝ドラ「おむすび」で、主人公結(橋本環奈)のおじいさんの永吉(松平健)が亡くなりました。突然の死に、びっくり。
結の父親の聖人(北村有起哉)と永吉はずっと仲が悪かった。そのきっかけは、聖人の大学進学のために母(宮崎美子)が貯めていたお金を、永吉が使い込んだから。聖人は大学進学をあきらめ、家を飛び出した。
それがちょうど1970年の大阪万博のときでした。永吉は、当時トラック運転手。大阪万博のアメリカ館のレストランのために、糸島から野菜を届けていたといいますが、聖人は「お得意のほら話」だといって信じない。永吉はこれ以外にも、王貞治に「一本足打法」を勧めたのはおれだ、とかサッカーのラモスにループシュートを教えたのはおれだとか、大きな話ばかりしていました。
永吉が亡くなる一か月前、聖人は永吉と二人で万博記念公園に行き、生まれて初めて太陽の塔を見ます。神戸に住んでいたのに、親父に対する嫌悪から、記念公園には足を運ばなかったんだそうです。
そのとき、昔アメリカ館のレストランで働いていたという女性と再会。「糸島から野菜を運んでいた」という話がほらではなかったことが明らかになります。
そして、お通夜の夜、ラモスがお焼香に来たり、王貞治から香典とバットが届いたり…。ほら話と思っていた親父の話のかずかずも、実話だった。
極めつけは、名古屋からやってきた人物。1970年の長良川洪水で被災した人の息子さんでした。永吉は偶然災害の現場に遭遇し、溺れかけていた幼い息子を助け出すとともに、全財産を失ったお父さんに、聖人の学資金百万円を貸したのでした。父親は災害の1年後に亡くなり、借金は返されませんでしたが、最近になって借用書を発見した息子が、お通夜の夜、そのお金を返しに来たのです。
ところで、1970年の大阪万博は、1964年の東京オリンピックに続いて、日本の復興と経済発展を世界にアピールする国威発揚の場でした。
おむすびで万博の映像が流れたとき、世界各国のパビリオンの映像が、鮮やかによみがえりました。
特にアメリカ館は、平べったい亀の甲羅のような建物で印象に残っています。
そのとき私は小学校三年生。東京から大阪は遠く、家族で新幹線に乗って万博を見に行くというのは相当なお金がかかります。
小学校のクラス(30人程度)の中で、夏休みに万博に行ったのは一人だけでした。もちろん私も連れて行ってもらえませんでした。
万博に行っていない私が、なぜ万博の光景を「天然色(カラーの昔の言い方)」で思い出すことができるのか…
もちろん、テレビで万博のニュースや特集が流れていましたが、当時、わが家にあったテレビは白黒でした。
実は、一回り上の従姉弟から、あるものをプレゼントしてもらったからです。
それは「パンペット」という商品名で、双眼鏡のような覗き穴から中を覗くと、立体的なカラー画像が見える「パノラマ立体ビューア」なのでした。
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学研「PAN-PET」(メルカリより)
覗きながらダイアルを回すと、画像が次々と変わります。
エキスポ70に合わせて発売されたパンペットには、万博の代表的なパビリオンの外観が10数枚収録されていました。
私の従姉弟は、ちょうどその前年に大学を卒業して、パンペットの発売元である学研に就職しました。それで自社製品を割安で購入し、わが家にプレゼントしてくれたのでしょう。当人が実際に万博に行ったかどうかはわかりません。行ったという話を聞いていないので、たぶん行かなかったんじゃないでしょうか。
パンペットはその後も長らく家にあり、万博が終わった後も繰り返し中を覗いていたので、各国パビリオンの「立体カラー画像」が目に焼き付いていたんだと思います。
今も実家にあるのかどうか、よくわかりません。
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