映画の韓国語と日本語の字幕を対照して「おやっ」と思ったのは,次の場面です。
近所にスヨンがかわいがっている野良犬がいる。その野良犬にスヨンがつけた名前が「コヤンガ」(ネコちゃん)。姿が猫に似ているからだ。(ただ,この犬,どうみても血統書付きミニチュアダックスフンドで,野良犬という設定には無理があるが…)。
ところが「コヤンガ」の字幕での訳語が「キティ」だったんですね。
名訳?
猫を連想させる名前として,「キティ」がいいのかどうか。私は「タマ」か,直訳の「ネコちゃん」のほうがピンと来ます。世代の差?
そんなわけで,2回目以降は,主に韓国語と字幕の対照という観点で見たのですが,そういう目で見てみると,いろんなことが気になる。
まず,主人公の名前,スヨンが,字幕では「ソユン」になっていた。これは明らかに不適切。
ハギョンが元彼からプレゼントされ,回り回ってスヨンの持ち物になるのが,ライカと思しき高級カメラ。これが,韓国語ではスドンカメラ(手動カメラ)となっていて,字幕では「フィルム式カメラ」。これ,もとの韓国語もおかしいんじゃないかな。
「手動カメラ」というのは,デジカメが出る以前,いわゆるバカチョンカメラ(コンパクトカメラ)やオートフォーカスではなく,自分で焦点を合わせる一眼レフのことを意味していたはずです。でも,映画の中では,写メ(デジカメ)の対立概念として使われている。したがって,この場合,字幕の「フィルム式カメラ」は,適切な訳だと思います。
スヨンのお母さんは,不動産屋さんでアルバイトをしていて,ヨヌが転居してきたときに家を紹介したらしい。しばらくして,ヨヌの両親についてこんな会話がかわされる。
「ご両親はシゴル(田舎)にいらっしゃるって言ってたわね」
「実は,両親は僕が幼いときに亡くなったんです」
このとき,原文の「田舎に」に対する字幕が「海外に」になっていた。これは意図的な誤訳なんだろうか。
これに続いて,スヨンのお母さんはスヨンとヨヌが手をつないで歩いているのを目撃した次の日,母親がヨヌの家を訪ねてきて,言った台詞。
「親のいない人とつきあってほしくない」
(おお,こんなこと言っちゃうの?)
と思いました。原文は正確に覚えていないけれど,これほど直接的な表現じゃなかった。「一人暮らしの」とか,「寂しく暮らしてる」みたいな表現でした。ま,母親が言いたかったことは,そういうことだったのかもしれません。一般に韓国では仕事がうまくいかなくなると親に頼る。親の経済力が結婚の重要なポイントです。
次は,スヨンとお母さんの会話。
「お母さんも恋人作ったら?」
「ホギイッヌンアジュンマだからねえ」
これは直訳すると「瘤(こぶ)つきのおばさん」。直訳でも充分通じますが字幕では
「重荷を背負ったおばさん」
になっていた。この台詞は,それに対して言い返したスヨンの「ポギインヌンアジュンマ」(福のあるおばさん)と対句をなしているのですが,ここの字幕は「天の恵みを受けたおばさん」。「ホク」(こぶ)と「ポク」(幸い)の掛け詞を訳すことは難しいようで。
ヨヌはスヨンと夜,トッポッキを食べた帰り道,意を決してスヨンの手を握ります。運悪く,スヨンを迎えにでてきた母親に見つかってしまう。もう大人であることを主張したいスヨンは,母に向かって「私の好きな人よ」と言うけれど,ヨユはあわてて手をふりほどく。スヨンはそれが不満です。
次の日,スヨンは夜遅く,ヨヌの家を訪ねる。ドアを開けると制服姿のスヨン。
「学院(ハグォン)からの帰りなの」
これが字幕では「学校帰りなの」になっていた。「学院」というのは,日本の塾。「塾帰り」にすべきでしょう。
スヨンはヨヌに対し,なんで手をふりほどいたのかと責める。
「お母さんを心配させたくないんだよ。僕はヨヌがもっとチャッカゲテッスミョンチョッケッソヨ(いい子になってくれればと思うよ)」
「私は,ヨヌ氏がチャッカジアナッスミョンチョッケッソヨ」
チャッカダというのは,「まじめ」とか「品行方正」というような意味。訳しにくいことが多いですね。スヨンの言葉の字幕訳は「一度ぐらい「いい人」じゃなくなればいい」。なかなかいい訳だと思います。
続いて,ヨヌの台詞。
「ぼくは大人だ。大人になると卑怯になるし,嘘も多くなる」
これに対する字幕が謎です。
「大人になると臆病になるし,あきらめることも多くなる」
なんでこういう訳になるのか。ヨヌは確かに,女性に対して臆病だったし,別の場面でスヨンから「あなた,あきらめが早いわね」などと言われていた。けれど,この場面では,直訳すべきだったと思います。
その他,久しぶりに韓国語を聞いて,韓国語特有の表現や韓国文化をなつかしく思い出しました。
「ティドンガプ」「デートシンチョン」「ミンジュン」…
「ティドンガプ」とは,干支が同じこと。「ティ」は干支で,「ドンガプ(同甲)」は同い年。スヨンとヨヌは12歳違いで干支が同じなんですね。
「デートシンチョン(申請)」とは,デートを申し込むこと。
「ミンジュン(民証)」は住民登録証の略語。韓国では昔から「国民総背番号制」になっていて,成人すると全員が「民証」をもたされます。何をするにもこの番号が必要で,外国人がネットを使うときには苦労します。
スクは,ハギョンの年齢が29歳であることを知り,自分の年齢を思わずさばを読んで25歳と嘘をつく(実際は22歳で,後で正直にいいますが…)。韓国では,日本以上に年上の女性とつきあうのに壁が高いようです。
スクがハギョンにふられて,ヨヌを誘ってやけ酒を飲む店が,コムチャンオ。思わずよだれが出そうでした。
スクとハギョンが初めて食事をするのが日式の店。スクはざるそばを食べるのに,麺を頬張ってはつゆを飲む。それを見たハギョンが,「麺をつけて食べるのよ」と指摘する場面は,高級レストランで食べ方がわからなかった電車男を思い出しました。
スヨンのクラスメートが,一足先に「成人」を迎え,「胸を大きくするために」タルギウユ(イチゴ牛乳)を飲み始める。(そういえば,そんな話聞いたことがあるなあ)
スヨンのお母さんがスーパーからの帰り道,袋が破れて,中のチャメ(マクワウリ)が路上をゴロゴロ転がり,後ろにいたヨヌが拾ってあげる場面…。チャメは韓国の夏を代表する果物。袋が破けるのもときどき見かける光景です。私は路上に転がったジャガイモを拾ってあげたことがあります。
ヨヌが風邪をひいたとき,スヨンが風邪薬といっしょに栄養ドリンクをもってくる。
「これ,冷めちゃったから,温め直してね」
韓国の薬局で風邪薬を買うと,サービスで温かい栄養ドリンクをくれます。これを水代わりにして風邪薬を飲むんですね。そんなことして薬効に悪影響はないのか,と思ったものです。
以上,つらつらと書いてきましたが,全体的にとても好感のもてる映画でした。
近所にスヨンがかわいがっている野良犬がいる。その野良犬にスヨンがつけた名前が「コヤンガ」(ネコちゃん)。姿が猫に似ているからだ。(ただ,この犬,どうみても血統書付きミニチュアダックスフンドで,野良犬という設定には無理があるが…)。
ところが「コヤンガ」の字幕での訳語が「キティ」だったんですね。
名訳?
猫を連想させる名前として,「キティ」がいいのかどうか。私は「タマ」か,直訳の「ネコちゃん」のほうがピンと来ます。世代の差?
そんなわけで,2回目以降は,主に韓国語と字幕の対照という観点で見たのですが,そういう目で見てみると,いろんなことが気になる。
まず,主人公の名前,スヨンが,字幕では「ソユン」になっていた。これは明らかに不適切。
ハギョンが元彼からプレゼントされ,回り回ってスヨンの持ち物になるのが,ライカと思しき高級カメラ。これが,韓国語ではスドンカメラ(手動カメラ)となっていて,字幕では「フィルム式カメラ」。これ,もとの韓国語もおかしいんじゃないかな。
「手動カメラ」というのは,デジカメが出る以前,いわゆるバカチョンカメラ(コンパクトカメラ)やオートフォーカスではなく,自分で焦点を合わせる一眼レフのことを意味していたはずです。でも,映画の中では,写メ(デジカメ)の対立概念として使われている。したがって,この場合,字幕の「フィルム式カメラ」は,適切な訳だと思います。
スヨンのお母さんは,不動産屋さんでアルバイトをしていて,ヨヌが転居してきたときに家を紹介したらしい。しばらくして,ヨヌの両親についてこんな会話がかわされる。
「ご両親はシゴル(田舎)にいらっしゃるって言ってたわね」
「実は,両親は僕が幼いときに亡くなったんです」
このとき,原文の「田舎に」に対する字幕が「海外に」になっていた。これは意図的な誤訳なんだろうか。
これに続いて,スヨンのお母さんはスヨンとヨヌが手をつないで歩いているのを目撃した次の日,母親がヨヌの家を訪ねてきて,言った台詞。
「親のいない人とつきあってほしくない」
(おお,こんなこと言っちゃうの?)
と思いました。原文は正確に覚えていないけれど,これほど直接的な表現じゃなかった。「一人暮らしの」とか,「寂しく暮らしてる」みたいな表現でした。ま,母親が言いたかったことは,そういうことだったのかもしれません。一般に韓国では仕事がうまくいかなくなると親に頼る。親の経済力が結婚の重要なポイントです。
次は,スヨンとお母さんの会話。
「お母さんも恋人作ったら?」
「ホギイッヌンアジュンマだからねえ」
これは直訳すると「瘤(こぶ)つきのおばさん」。直訳でも充分通じますが字幕では
「重荷を背負ったおばさん」
になっていた。この台詞は,それに対して言い返したスヨンの「ポギインヌンアジュンマ」(福のあるおばさん)と対句をなしているのですが,ここの字幕は「天の恵みを受けたおばさん」。「ホク」(こぶ)と「ポク」(幸い)の掛け詞を訳すことは難しいようで。
ヨヌはスヨンと夜,トッポッキを食べた帰り道,意を決してスヨンの手を握ります。運悪く,スヨンを迎えにでてきた母親に見つかってしまう。もう大人であることを主張したいスヨンは,母に向かって「私の好きな人よ」と言うけれど,ヨユはあわてて手をふりほどく。スヨンはそれが不満です。
次の日,スヨンは夜遅く,ヨヌの家を訪ねる。ドアを開けると制服姿のスヨン。
「学院(ハグォン)からの帰りなの」
これが字幕では「学校帰りなの」になっていた。「学院」というのは,日本の塾。「塾帰り」にすべきでしょう。
スヨンはヨヌに対し,なんで手をふりほどいたのかと責める。
「お母さんを心配させたくないんだよ。僕はヨヌがもっとチャッカゲテッスミョンチョッケッソヨ(いい子になってくれればと思うよ)」
「私は,ヨヌ氏がチャッカジアナッスミョンチョッケッソヨ」
チャッカダというのは,「まじめ」とか「品行方正」というような意味。訳しにくいことが多いですね。スヨンの言葉の字幕訳は「一度ぐらい「いい人」じゃなくなればいい」。なかなかいい訳だと思います。
続いて,ヨヌの台詞。
「ぼくは大人だ。大人になると卑怯になるし,嘘も多くなる」
これに対する字幕が謎です。
「大人になると臆病になるし,あきらめることも多くなる」
なんでこういう訳になるのか。ヨヌは確かに,女性に対して臆病だったし,別の場面でスヨンから「あなた,あきらめが早いわね」などと言われていた。けれど,この場面では,直訳すべきだったと思います。
その他,久しぶりに韓国語を聞いて,韓国語特有の表現や韓国文化をなつかしく思い出しました。
「ティドンガプ」「デートシンチョン」「ミンジュン」…
「ティドンガプ」とは,干支が同じこと。「ティ」は干支で,「ドンガプ(同甲)」は同い年。スヨンとヨヌは12歳違いで干支が同じなんですね。
「デートシンチョン(申請)」とは,デートを申し込むこと。
「ミンジュン(民証)」は住民登録証の略語。韓国では昔から「国民総背番号制」になっていて,成人すると全員が「民証」をもたされます。何をするにもこの番号が必要で,外国人がネットを使うときには苦労します。
スクは,ハギョンの年齢が29歳であることを知り,自分の年齢を思わずさばを読んで25歳と嘘をつく(実際は22歳で,後で正直にいいますが…)。韓国では,日本以上に年上の女性とつきあうのに壁が高いようです。
スクがハギョンにふられて,ヨヌを誘ってやけ酒を飲む店が,コムチャンオ。思わずよだれが出そうでした。
スクとハギョンが初めて食事をするのが日式の店。スクはざるそばを食べるのに,麺を頬張ってはつゆを飲む。それを見たハギョンが,「麺をつけて食べるのよ」と指摘する場面は,高級レストランで食べ方がわからなかった電車男を思い出しました。
スヨンのクラスメートが,一足先に「成人」を迎え,「胸を大きくするために」タルギウユ(イチゴ牛乳)を飲み始める。(そういえば,そんな話聞いたことがあるなあ)
スヨンのお母さんがスーパーからの帰り道,袋が破れて,中のチャメ(マクワウリ)が路上をゴロゴロ転がり,後ろにいたヨヌが拾ってあげる場面…。チャメは韓国の夏を代表する果物。袋が破けるのもときどき見かける光景です。私は路上に転がったジャガイモを拾ってあげたことがあります。
ヨヌが風邪をひいたとき,スヨンが風邪薬といっしょに栄養ドリンクをもってくる。
「これ,冷めちゃったから,温め直してね」
韓国の薬局で風邪薬を買うと,サービスで温かい栄養ドリンクをくれます。これを水代わりにして風邪薬を飲むんですね。そんなことして薬効に悪影響はないのか,と思ったものです。
以上,つらつらと書いてきましたが,全体的にとても好感のもてる映画でした。
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