韓国の民主化闘士にして,元大統領,韓国初のノーベル賞受賞者の金大中氏が亡くなりました。
日本を舞台にした拉致事件は1973年ですから,私はまだ12歳。そのころの記憶はほとんどありません。実際に記憶に残っているのは,1987年の大統領選挙から。
世は民主化で,初めての文民政権は間違いないといわれていたのに,同じ民主化闘士の金泳三と最後まで一本化できず,結局盧泰愚という軍人出身の大統領に敗れてしまった。
その後,92年の選挙で金泳三に敗れたあとも,
「どうしても大統領になりたい」
という気持ちを抑えることができず,ついに97年の選挙で念願を果たしました。
そのときの対抗馬,李仁済とのテレビ討論を覚えています。
「あなたはまだ若い。これからも大統領になるチャンスがある。私はこれが最後の機会だ。今回は譲ったらどうか」
政策論争ではなく,「年長者に譲れ」というすごい討論でした。
結果は僅差でもう一人の与党候補,李会昌を破って当選。
湖南(全羅道)出身者は狂喜し,嶺南(慶尚道)出身者は恐れました。
長く続いた慶尚道出身の大統領治下,全羅道がきびしい差別を受けてきたことは周知の事実。慶尚道は,報復されると思ったのですね。実際,全羅道の人々はそれを期待した節がありますが,大統領になってからの金大中は,露骨な全羅道優遇/慶尚道差別政策はとらなかった。
慶尚道を基盤とする財閥サムスンがつぶされるかと思ったら,むしろ国家戦略としてITに力を入れ,サムスンはこの時期に世界企業になりました。韓国の宿痾ともいえる地域対立問題が終息したかに思えました。
実際,大統領としてはよくやったほうじゃないでしょうか。97年といえば,韓国が外貨危機で深刻な経済危機。これを乗り切っただけでなく,南北会談を実現させて,ノーベル賞をもらった。そのとき南山での盛大な花火の記憶が今も鮮やかです。「平和賞」とはいえ,韓国念願のノーベル賞に全国民が喜びました。
息子たちの汚職事件はありましたが,本人は歴代大統領に比べ比較的クリーンだったこと。ただ,「太陽政策」については,現在も賛否がありますね。北に送られた大量の援助資金が,核開発に使われたのは間違いない。
朝鮮日報の社説は,
世界で最も貧しかった国がその貧しさから抜け出し、世界で10位をうかがうほどの大国となって先進国の一歩手前にまで到達できたのも、あるいは民主主義について何の経験もないまま、王朝時代と植民地時代を経て制度としての民主化を達成できたのも、世界で大韓民国以外にはおそらく見当たらないだろう。一つの国が不可能に近いこの二つの課題を同時に成し遂げたのはまさに奇跡だ。この二つの奇跡のうちの一つ、民主化に関しては、金元大統領なしには決して語ることができない。民主化があってこそ産業化も光を発するのであり、民主化という土台があってこそ、今日のような世界的なハイテク競争の時代に国民の個性と能力を発揮できる。
と,讃えています。二つの奇跡のうちのもう一つ,経済発展をなし遂げたのは,言うまでもなく民主化闘争における金大中の宿敵,朴正煕です。
日本を舞台にした拉致事件は1973年ですから,私はまだ12歳。そのころの記憶はほとんどありません。実際に記憶に残っているのは,1987年の大統領選挙から。
世は民主化で,初めての文民政権は間違いないといわれていたのに,同じ民主化闘士の金泳三と最後まで一本化できず,結局盧泰愚という軍人出身の大統領に敗れてしまった。
その後,92年の選挙で金泳三に敗れたあとも,
「どうしても大統領になりたい」
という気持ちを抑えることができず,ついに97年の選挙で念願を果たしました。
そのときの対抗馬,李仁済とのテレビ討論を覚えています。
「あなたはまだ若い。これからも大統領になるチャンスがある。私はこれが最後の機会だ。今回は譲ったらどうか」
政策論争ではなく,「年長者に譲れ」というすごい討論でした。
結果は僅差でもう一人の与党候補,李会昌を破って当選。
湖南(全羅道)出身者は狂喜し,嶺南(慶尚道)出身者は恐れました。
長く続いた慶尚道出身の大統領治下,全羅道がきびしい差別を受けてきたことは周知の事実。慶尚道は,報復されると思ったのですね。実際,全羅道の人々はそれを期待した節がありますが,大統領になってからの金大中は,露骨な全羅道優遇/慶尚道差別政策はとらなかった。
慶尚道を基盤とする財閥サムスンがつぶされるかと思ったら,むしろ国家戦略としてITに力を入れ,サムスンはこの時期に世界企業になりました。韓国の宿痾ともいえる地域対立問題が終息したかに思えました。
実際,大統領としてはよくやったほうじゃないでしょうか。97年といえば,韓国が外貨危機で深刻な経済危機。これを乗り切っただけでなく,南北会談を実現させて,ノーベル賞をもらった。そのとき南山での盛大な花火の記憶が今も鮮やかです。「平和賞」とはいえ,韓国念願のノーベル賞に全国民が喜びました。
息子たちの汚職事件はありましたが,本人は歴代大統領に比べ比較的クリーンだったこと。ただ,「太陽政策」については,現在も賛否がありますね。北に送られた大量の援助資金が,核開発に使われたのは間違いない。
朝鮮日報の社説は,
世界で最も貧しかった国がその貧しさから抜け出し、世界で10位をうかがうほどの大国となって先進国の一歩手前にまで到達できたのも、あるいは民主主義について何の経験もないまま、王朝時代と植民地時代を経て制度としての民主化を達成できたのも、世界で大韓民国以外にはおそらく見当たらないだろう。一つの国が不可能に近いこの二つの課題を同時に成し遂げたのはまさに奇跡だ。この二つの奇跡のうちの一つ、民主化に関しては、金元大統領なしには決して語ることができない。民主化があってこそ産業化も光を発するのであり、民主化という土台があってこそ、今日のような世界的なハイテク競争の時代に国民の個性と能力を発揮できる。
と,讃えています。二つの奇跡のうちのもう一つ,経済発展をなし遂げたのは,言うまでもなく民主化闘争における金大中の宿敵,朴正煕です。
現地ちょう報員です。
一昨日などは、ヨンサン駅の前には仮説の弔問所なども現れ、そういったところを訪れる人がかなりいました。しかしまぁ、盧武鉉さんのときと比べると、感情表現が控えめという感じです。
しかし、控えな分その死を悲しむ気持ちは以前より強いのではないかと、ここ数日、団地の窓などに、半旗が掲げられているのです。
私自身、半旗を実際に見たのは天皇陛下の崩御の際に一度見たことがあるだけで、人生で二度目の半旗を太極旗で見ることになるとは思いませんでしたが、その分あのときの国全体の静かな悲しみを思い出し、この国の皆さんの悲しみの深さに思いを馳せました。
(韓国人の若い友人に至っては「半旗というものがあることは知ってはいたが、本物を見たのは初めてだ」とのことです)
きわめて日本人的な感覚なのですが、盧武鉉さんのときのように衝撃的ではない分、静かに、しかし深く、前職大統領の死を悲しんでいるように感じました。
韓国の理屈では,インドネシアとマレーシアは,民主化はしたけれど,経済的にはそれほどでもないということなのでしょう。
植民地から独立し,最貧国から先進国レベルに進んだ国としては,アイルランドがあるかな。
軍事独裁は経験していないと思うけれど。
半旗があがりましたか。
太陽政策の立役者が相次いで亡くなり,北送資金の真相解明が難しくなりましたね。
業績について賛否両論ありましょうが,どの立場の人からも一目置かれた,「偉人」だったことは確かでしょう。
金大中氏の弔問外交で,南北関係が好転するといいですが。
確かに傾向の似ている二人の大統領経験者が相次いで亡くなりましたが,謀殺ということはないでしょう。