犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

日本観光

2019-04-28 23:58:34 | フィリピン
 ダニエルの来日目的は、観光というよりも娘の両親、すなわち私と妻に会いに来ること。 なので、観光に関してはノープランだそうです。

 初日は機内泊で朝到着、ホテルチェックインは午後3時ということで、終日喫茶店などでつぶし、翌日はあいにくの雨の中、ホテルのあった浅草周辺とスカイツリーを観光。

 三日目にわが家にやってきました。

 「明日は天気よさそうだし、富士山でも見に行くか」 

 翌朝、8時ごろに車で出発、圏央道で中央高速方面に向かいます。ところが、道路は八王子ジャンクションの手前で渋滞が始まります。カーナビでは、富士五湖方面は真っ赤っかの渋滞マーク。 さらに、空には黒い雲が表れ、激しい雷雨が降り始めました。

 「こりゃダメだ。予定を変更しよう。とりあえず都心に向かう。そっちは道が空いてるみたいだから」 


 娘はスマホで都内の観光スポットを探し始めます。

  「この、江戸・東京博物館っていうの、どうかなあ。外国人には面白いかも」

  「ああ、両国の国技館の隣ね、行ったことないけど」

 中央高速の都心方面および首都高はスムーズで、11時過ぎには博物館に到着。ちょっと早めの昼食に、博物館近くの小さな中華料理屋に入りました。

 「オー、マウント・フジ!」 


 中華料理屋にあるカレンダーの写真が富士山でした。 娘とダニエルは富士山の前で写真を撮りました。

  「富士山はこれで見たことにしよう」 


 江戸・東京博物館は、江戸と東京にまつわる歴史と文化を、模型などで復元したもの。チケット売り場は子供連れの日本人や外国人で長蛇の列。30分ほど待たなければなりませんでした。

 フィリピンで世界史の教師をしていた時期もあるというダニエルは、展示物を興味深げに見ていました。

 「東京」コーナーでは、昭和30年代の公団住宅の内部や、当時の家電製品なども展示してあり、私にとっても懐かしく、興味深いものでした。

 見学が終わり、外に出た後、ダニエルが

「ああ、ヒトラーのマークだ!」

というので見てみると、お寺の卍マークでした。

 ダニエルが卍の前で「ハイル・ヒトラー」の敬礼姿勢で写真を撮っていると、通りかかった年配の西洋人のおじさんが無言で親指を下に向けた「ブーイングサイン」。

「オー、イッツ・ジョーク!」 


 ダニエルが急いで弁解していました。

「近くに日本刀博物館っていうのもあるよ」

「行ってみよう」 

 江戸東京博物館から徒歩5分のところに、鎌倉時代から明治時代までの、日本刀の名刀を展示した博物館がありました。 ダニエルは、サムライとかニンジャにも興味があり、日本刀も真剣に眺めていました。

 「イフガオにも、伝統的な刀があるけど、もっと太くて大きい」

 「ふーん、何を切るの?」

 「人間の首」

 「!」 


 ダニエルの母方はイフガオ出身で、イフガオ族にはつい数十年前まで「首狩り」の風習があって、敵対する部族との戦争で、しばしば敵の男たちの首を戦利品にしていたようです。

 ま、日本も戦国時代までは普通にあったことですし、泰平の江戸時代でも、切腹―介錯で「首切り」があったんですけどね。

 日本刀にさしたる興味もない私としては、江戸東京博物館の600円に対し、日本刀博物館の1000円は高すぎると思いましたが。

 帰りは、すぐに高速には乗らずに、都内をドライブ。

 お堀や銀座を通って、東大本郷キャンパスにも寄りました。休日でしたが、武道館では剣道部が練習をしていたので、しばし見学。 フィリピンの国立フィリピン大学も広いキャンパスをもっているそうですが、東大はそれ以上だといっていました。

 もともと富士山を見に行く予定だったのに、渋滞で計画変更。怪我の功名で充実した1日になりました。
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