結婚式の当日、主役の二人は朝早く会場に向かいました。
私たち夫婦は8時半現地集合で、D(三女の夫)のお父さんに、車で送ってもらいました。
会場の設営は、見事に出来上がっていました。徹夜で突貫工事をしたのでしょう。
一段高くなったステージには、新郎新婦の座る大きな椅子が設置され、その両側に花飾り。電飾もあります。
中央には広めの空間があり、ここで伝統舞踊が披露されるようです。
ダンサーと伴奏は、プロを雇ったとのこと。彼らはイフガオ族の伝統衣装を身にまとっていました。
新郎新婦は、控えの間で伝統衣装の着付けをしているのか、姿がありません。
結婚式に来ているDの親戚を、Dのお母さんが私たちに次々に紹介してくれます。お祖母さんの兄弟姉妹、お母さんの従姉弟、遠縁の親戚…。
Dの両親は離婚していますが、お父さんは駆け付けてくれました(フィリピンでは離婚にとてもお金がかかるので、正式には離婚していないそうですが)。ただ、お父さんとその親戚はバギオ在住なので、親戚は母方よりは少ないようでした。
地元の名士もおおぜい招かれていました。キアンガンのメイヤー(町長?)、イフガオ市のボードメンバー(理事?)、隣町から来た日系のおじいさん、Dが高校教師だったときの教え子とそのお父さん(金持ちらしい)…。
もちろん、Dの友だちも。友だちの多くはやはりバギオ在住で、その中には日本人の友だちもいました。
式は「予定通り」、30分ほど遅れて始まりました。
後から聞いたところでは、娘がレンタルした伝統衣装を見たシャーマンが、「この服は格式が違う」と言い出し、急遽、近所に住む親せきのおばさんから「正しい格式の衣装」を借りて着替えていたことも、遅れの原因だったそうです。
娘は「カーストが違う」という言いかたをしていましたが、後でDに聞くと、「よくわからないけど、財産や持っている土地の広さ、公的機関での地位(政治家など)で「格式」が決まります」とのこと。娘が最初に着ていたのは、「格式が低い服」だったそうです。
やっとイフガオ族の衣装を着た新郎新婦が登場し、ステージの中央に座ります。3歳の娘も伝統衣装を着せられていますが、なにぶん3歳ですから、落着かず、会場を走り回ったりしています。
私の妻は、「日本の伝統衣装」である着物を着ていったので、けっこう注目を浴びていました。
お祖母さんの妹さんの司会で式が進行します。
まず、来賓の祝辞。英語で、ところどころイフガオ語が混じります。また英語の発音も独特だったりするので、あまり聞き取れませんでした。もちろん私の英語力不足が最大の理由ですが。
途中、竹で作ったコップにつがれたお酒(ライスワイン)がふるまわれたりもしました。米から作った自家製のどぶろくです。味はやや酸味があり、飲みやすい。
ギターの弾き語りもありました。披露してくれたのは、Dの教え子のお父さん。元軍人で、横須賀に勤務した経験があり、現在はカリフォルニア在住とのこと。
祝辞に続いて、家族のファミリー・ツリー(系図?)を紹介があります。
私も、式の直前に、娘の家系図を紹介するように頼まれました。
「名前だけでいいです」
「でも、何代も前の先祖は名前もわからないけど…」
私の場合、両親と、幼時に同居していた父方の祖父母の名前はわかるけれど、母方の祖父母のファーストネームはわからない。妻も同じようなものでした。
「ぼくの友だちに、通訳を頼みましょうか?」
「でも、名前言うだけなんでしょう? いいよ」
ところが、Dの親戚による系図紹介は、やたらと長い。それに、父方、母方と紹介者を交代しながら、延々と続きます。直系だけでなく、両親、祖父母の兄弟まで紹介し、さらに主だった人々については略歴も紹介している様子。
(話が違うぞ。両親、祖父母の名前だけじゃなかったの?)
準備する暇もなく私の番が回ってきてしまい、両親祖父母だけでなく、急遽、娘の3人の姉妹も付け加え、ごく簡単に英語で紹介しました。
終わると、なぜか拍手。遠路はるばる日本からやってきたことに対する称賛なのかもしれません。
次のプログラムは、お祝いの歌と踊り。
歌は、伝統衣装を来た女性たちの、イフガオ語の民謡でした。
踊りのほうは、プロのダンサーが、伴奏に乗って、イフガオ族の踊りを披露します。音楽は打楽器中心で、韓国のサムルノリ(農楽)を思わせます。
しばらくして、新郎新婦もその中に加わります。訪比まえに、自宅で練習していたのは、これだったのでした。
私たち夫婦も、無理やり引き出され、踊りの輪に加わりました。
新郎新婦、二人だけの踊りもありました。
その後は入れ代わり立ち代わり、いろいろなグループが同じ踊りを踊ります。どうも、キアンガンの街の地区ごとのグループらしく、町内会対抗盆踊り大会の様相を呈してきました。
歌と踊りが一段落すると、伝統衣装を来たシャーマンのスピーチ。
内容はよくわかりませんが、どうも伝統的な結婚式を行うことの意義を強調しているようでした。数十年前の行われた、この村最後の伝統結婚式が、まさにこのシャーマン自身の結婚式だったそうです。
スピーチの途中で、生きた鶏が手渡され、シャーマンはその脚を手に持ち、ときに振り回しながら、熱弁をふるいます。
あとで聞いたところでは、本来の伝統結婚式では、新郎新婦が生きた鶏を殺すのだそうですが、今回の場合、すでに3年前に婚姻しているので、省略したのだそうです。
ところで、私の妻がこの世で最も嫌いなのが鶏(鶏肉料理は好き)。もし娘夫婦が目の前で鶏をさばいたりしたら、卒倒したことでしょう。
その後は、Dのスピーチ。簡単な謝辞かと思ったら、娘との馴れ初めから、訪日、結婚にいたるプロセスを、長々としゃべっていました。
そして双方の両親への感謝の言葉とプレゼント。このあたりは、日本の結婚式のやり方ですね。フィリピンの人たちには珍しかったかも。
最後に、妻へのサプライズだと言って、Dがパソコンを操作します。事前に、結婚式に出席できなかった日本の3人の姉妹(私の娘たち)、妻の高校時代の部活の友だちからのメッセージが、会場に設置されたスクリーンに映し出されました。映像には、英語の字幕も入っていました。
会場の外には、式のあとに振舞われるであろう肉料理目当ての村人たちが、結婚式が終わるのを今か今かと待っています。
最後に、新郎新婦を囲んだ記念撮影の時間。
料理の配給所(?)には、瞬く間に大行列ができました。その数、500人だったということです(やや誇張されている気がします)。
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