犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

韓国とアイルランド⑯~韓国語の場合

2009-10-23 23:28:00 | 近現代史
 古代韓国の言語は,よくわからない。

 その理由は,韓国が書記言語としてずっと漢文を使ってきたからです。その全貌が明らかになるのは15世紀半ば,世宗大王の治世にハングルが創製されたとき。新羅時代の言語が,朝鮮時代の朝鮮語に直接つながっていると言われていますが,その手がかりはわずかな数の詩(郷歌)しかない。たとえば,1世紀にわたってモンゴルに支配されたとき,朝鮮語にどのような影響があったのかはよくわかっていません。

 いずれにしても日本と同じような鎖国政策をとっていた朝鮮時代,朝鮮半島全体で唯一の言語,韓国語(朝鮮語)が使われていたことは間違いありません。そして日本による植民地時代。朝鮮半島に日本の一部になったため,当然,日本語が「国語」になりました。

 韓国では,日帝時代に行われた「七奪」の一つとして「国語」をあげる(→リンク)。しかし,結果的に,韓国固有の言葉,韓国語は失われませんでした。つまり,朝鮮半島の住人で,日本の35年の支配の期間中,韓国語が理解できず,日本語しかわからないという世代は生まれなかった。35年という年月は,一つの言語を奪うには短すぎる期間だったのでしょう。

 もちろん日本は,熱心に日本語の普及に努めました。

 最も影響力をもったのは,アイルランドの場合と同じく,学校教育。学校で日本語を教えたというよりも,授業そのものが日本語で進行されたわけです。ただ,教師が朝鮮人の場合,それがどの程度徹底されていたかは不明です。

 一方で,朝鮮語も学校では必修科目として教えられました。朝鮮時代の教育が主に「書堂」で担われ,そこで教えられたのが中国語(漢文)であったことを考えると,朝鮮語もまた,日帝時代に初めて教育科目となったわけです。ただし,朝鮮語は,日本の戦争が激しくなってから,必修科目ではなく随意科目とされ(1938年),実際には教えなくなった学校も増えたようです。 ただ,それは35年の支配期間の最後の7年間のことです。

 このころ,日本は朝鮮半島における徴兵制も考え始めていた。そのためには,日本語ができることが必須です。それで官公庁での日本語使用を義務化,学校の休み時間でも日本使用の強制,さらには家庭でも日本語常用を推奨するなど「日本語全解運動」に狂奔しました。

 そのような熱心な努力にもかかわらず,1943年末時点で,日本語を理解出来る人の比率は22%にとどまったそうです。45年の統計はありませんが,おそらく30%ぐらいでしょう。これは話し言葉が理解できた人の比率。

 一方,朝鮮語については調べるまでもなく100%が理解できました。識字率はどうかというと,これは低く,1945年時点のハングル文盲率は実に78%。解放後,韓国が漢字を廃止しハングル専用にしたことは,文盲撲滅が主たる目的でした。

 朝鮮人作家で,1940年に日本語の小説,『天馬』を書いた金史明は,登場人物の朝鮮人評論家に,次のように言わせています。

「朝鮮語でなくては文学が出来ぬという訳ではない,僕は言語の芸術性のためにのみこのことを言っているのではない。何百年という長い間固陋な漢学の重圧のもとで文化の光を拝むことが出来なかったわれわれが,曲がりなりにでもだんだんとわれらの貴い文字文化に目覚めて来た今日ではないか。李朝五百年来の悪政の陰に埋もれた文化の至宝を発掘し,それによって過去の伝統を受け継ぐために,過去三十年間われらはどれほど血みどろな努力を払ってこれくらいの朝鮮文学でも打ち樹てたのであろうか。この文学の光,文化の芽をどういう理由で僕たちの手でまた葬るべきだと言うのか。だが僕はこれのためにまた徒に感傷的になって言うのでもない。実に重大な問題は朝鮮人の八割が文盲であり,しかも字を解する者の九十%が朝鮮文字しか読めないという事実なんだ!」
(黒川創編『〈外地〉の日本語文学選3 朝鮮』)

 結局,韓国語は日帝35年の支配の中で,失われることはありませんでしたが,甚大な影響を受けた。その一つが,韓国語の日本語化です。日本語の教育,日本語から直訳した法律,西欧文学の日本語からの重訳によって,韓国語は日本語から莫大な量の漢字語と日本式表現を受け入れました。韓国語に混入した日本語は解放後排斥されましたが,日本製漢字語は,韓国式に読むことによって韓国語に同化し,それは,一面では韓国語の近代化に寄与したともいえます。

「ハングルが創始されたのは15世紀中葉だが、「斥仏崇儒」の風潮とともに卑しめられ、正字である漢字に対して「諺文」と呼ばれ従属的な位置にあった。
 これはちょうど漢字に対する仮名の関係を連想させるものであるが、ハングルへの冷遇は長く続きすぎた。つまり漢文、漢字に対する国文、国字(ハングル)の概念があらわれたのは19世紀末のことであり、これはちょうど日本の植民地支配とかち合うことになった。言い換えると、ハングルは書き言葉として定着する以前の脆弱な状態のまま植民地支配によって足をすくわれてしまったのである。
 この過程を指して韓国人は「言語の抹殺」というが、言語学的にいうと、それは韓国語の近代化を促進するものであった。つまり、「韓国語の抹殺」の時代にも、話し言葉としての韓国語や書き言葉としての韓国語は生きていたのであり、韓国語は押しつけられた日本語の表現方法や語彙を大量にとり入れることによって、近代語に生まれ変わった。
 日本人が江戸時代以降、欧米語を翻訳借用する過程で作り上げた膨大な数の概念語や技術語は開化期(1876~1910)の韓国語に取り入れられており、また、解放後には、日本語で読まれていた世界文学全集が韓国語に翻訳され、日本語の法律や教科書が韓国語に置きかえられるというような形で大量の日本語が受容され、それは日韓の国交関係が再開した60年代を経て今日に至るまで、絶え間なく続いている。
 日本語が大量の欧米語を翻訳語として受容する過程で近代語に生まれ変わったように、韓国語は大量の日本語語詞を受容することによって、世界の変化や社会変動に対応しうる近代的な国民国家の言語となりえたのである。
 しかし、韓国語の場合、それは、「強要」や「剥奪」を伴う変化であり、したがって、解放後の為政者や言語学者たちはこの日本語の取り入れを「汚染」と規定し浄化に乗り出すようになる。」(→リンク

 アイルランドは,英国の支配が120年の長きに渡ったため,固有言語の喪失という悲劇を生みましたが,韓国は日本の支配が35年で終わったため,韓国語を保持することができました。日本の支配が100年ぐらい続いていたら,あるいは韓国語はゲール語と同様の運命をたどったかもしれません。

 アイルランドにとって宗主国の言語が英語だったことは僥倖でした。イギリスがいち早く産業革命を経験し,日の沈むことのない大英帝国を築き上げると同時に,イギリスから独立したアメリカが大発展を遂げ,20世紀は,「アメリカの世紀」になりました。この過程で,英語は国際公用語になり,英語を「国語」とするアイルランドはさまざまなアドバンテージをもつことになりました。

 韓国の宗主国の言語が,韓国語とたいしてかわらないローカル言語の日本語だったことは,韓国にとっていいことだったのかどうか。いまの韓国内の英語教育熱を考えると,もし韓国がアメリカに植民地化されていたら,今,韓国は英語国になっていたかもしれません。

「韓国人に強いられたのは英語、フランス語のような「世界語」ではなく、日本語という「地方語」であり、しかもそれは被植民者の言語に類似するものであった。韓国人の中には、強いられた言語が日本語であったことを不運に思うという者もいる。しかし、アジア・アフリカの多くの新興国家が経験したのは、強いられた言語が「世界語」であるとしても、それは自語とするには心理的に遠すぎるものであり、また先祖伝来の言語には世界に通底し近代化に対応する装置が欠如していたという事実である。その意味で韓国語と日本語の関係は異例だった。近代化の過程で「世界語」を体内に取り込んでいた日本語は単なる「地方語」ではなかったのであり、しかもそれが類似語であったということは、韓国語の近代化を容易にした。これは植民地統治の遺産の類い希な活用の事例であり、それは明らかに今日の韓国をあらしめている原動力の一つといってよいだろう」(鄭大均『日韓のパラレリズム』三交社、1992)

 韓国語を保持したことは,韓国にとって慶賀の至りですが,そのあまりのローカルさゆえに,世界との間に「言語の壁」が築かれ,韓国文学はなかなか欧米語に翻訳されることもなく,アイルランドが4人のノーベル文学者受賞者を輩出しているにもかかわらず,韓国からはまだ一人も出すことができていません。

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2 コメント

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嗚呼、競馬! (馬齢)
2009-10-26 17:13:16
兪来、アイルランドの競馬はイギリスの競馬体系に組み込まれ、現在もクラシックレースはイギリスを追う日程で設定され、英・愛両国の馬主が共に目指すレースとなっています。植民地アイルランドが今も残るイベントです。

1904年6月16日
ユリシーズの一日
アスコット金杯で<Throwaway>が単勝20倍の大穴ど出してブルームス・デーの喜劇が始まります。

この辺りのドキドキ感は、競馬をやらないと(馬券を買わないと)判らないでしょうが。
競馬をテーマにした小説は結構ありますが、№1は<ユリシーズ>でしょう。
愛蘭バンザイなのであります。

小生は、<飲む・打つ・買う>のノム・カウは、寄る年波と病に勝てずトンとご無沙汰ですが、博打は中々卒業できません。

一方、朝鮮の競馬は鎖国状態で日本からの出走馬は皆無です。
然し、そのシステムはJRAシステムの【ソックリ】さんのよですが。
偶に洩れ聞こえてくるスキャンダルは、日本でも昭和40年代にはよくあったことです。こうした点は倭風文化の威力で直に伝播してるようです。
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ユリシーズ (犬鍋)
2009-11-01 23:17:34
昔買ってはみたものの,難解すぎて読んでいません…。

ダブリン市民のほうは丸谷訳と柳瀬訳(ダブリナーズ)を読みましたが。

ソウルには競馬場が一つだけありますね。私は隣の駅の動物園と遊園地のほうしか行ったことがありません。競馬はやらないので…。
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